航空機器部門の新設とギャレット社との提携(1956年・島津製作所の決断)

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論点戦時の技術を防衛需要へ振り向けるか
島津製作所:業績の推移
売上高(億円)当期純利益率(%)
戦時の部品量産の経験を生かしたジェット機国産化への参加

何をなぜ決めたか:戦時の部品量産の経験を生かしたジェット機国産化への参加

概要

1956年10月、島津製作所は総務・営業・製造の3部門からなる職制に航空機器部門を加え、常務取締役の三浦隆治氏を主管に充てた。最初の担当機はT-33Aジェット練習機で、同じ10月に操縦室空気調和装置や空気・油圧・燃料系統のバルブの生産を開始した。

この部門は、翌年に全社で採った事業部制より先に、事業ごとの採算で運営されていた。1957年12月に事業部制を実施した際、科学器械・機械・レントゲン・計器の4事業部を新設し、航空機器部門はそのまま5つ目の事業部となった。

背景

島津製作所の航空機分野は戦前に始まる。1936年に飛行機部品として燃料系統と滑油系統のコックの生産を開始し、1937年に機体部品・気化器・燃料ポンプ、1939年に航空計器へ品目を拡大した。1940年4月に東京の志村工場、同年5月に京都の御池工場を開設し、航空計器の量産に入った。

終戦で航空機の研究と生産は禁じられたが、1952年4月に解除され、同年7月に航空機製造法が公布された。1954年7月に航空自衛隊が発足し、1955年に政府は第1次防衛計画でジェット機の国産化を進め、機器メーカーの分担を決めた。島津製作所は戦時中の部品生産の実績と、戦後に米空軍から受けた「シャックル」の製作を足場に、この分担に加わった。

内容

島津製作所は当初、油圧系統の部品と計器の製作を担う予定だった。しかし業界から総合的な技術力を評価され、操縦室の空気調和(与圧)装置の生産も求められた。国内にこの装置の技術は無く、1956年7月に米ギャレット社と技術援助契約を締結し、8月から11月まで技術者を米国へ送って製法を習得させた。

1957年9月、三条工場内に航空機器の新工場(約6,000平方メートル)と試験場(約1,300平方メートル)が完成し、F-86F戦闘機とT-33A練習機向けの生産に入った。新工場は1958年1月の火災で全焼したが、同年9月に再建した。新工場や航空機部品の生産開始に要した資金は、1958年2月の6億円の増資(資本金15億円)と社債・借入金で賄った。

含意

担当する機種は国産機の増加とともに広がった。1959年10月に初の国産ジェット練習機T-1A向けの空気調和装置を、1962年4月にF-104J向けの空気調和装置やセントラルエアデータコンピュータを手がけた。1966年には三条工場に約1,650平方メートルの航空電子機器工場を新設し、1977年にはF-15の採用に合わせてマクダネル・ダグラス社とヘッドアップディスプレイの技術提携を締結した。

事業の規模は全社の1割に達していない。2026年3月期の航空機器事業の売上高は43,371百万円(前年度比12.2%増)、営業利益は8,220百万円(同35.5%増)だった。全社の販売実績560,728百万円に占める割合は7.7%で、日本の売上高35,315百万円は防衛分野向けの増加で伸びた。この水準に至るまでには赤字の年もあった。2014年3月期は防衛省から指名停止の措置を受け、航空機器事業は2,388百万円の営業損失だった。コロナ禍で航空機が減産された2022年3月期も、営業利益は118百万円にとどまった。

いつ何が起きたか12件
考察:戦時の技術に戻ってきた国の需要
考察

考察:戦時の技術に戻ってきた国の需要

なぜ島津製作所は、1956年に航空機器へ参入したのか。理化学器械の会社にとって、ジェット機の部品は本業から遠く見える。しかし同社は1936年から燃料系統の部品や航空計器を量産し、精密加工と量産の経験を戦時中に蓄えていた。1955年に政府がジェット機国産化の分担を決めたとき、その経験を持つ会社は多くなかった。参入は新しい市場を探した結果ではない。手元に残った技術に、国の需要が戻ってきたことへの応答だったと思われる。

もっとも、その技術は自前では足りなかった。終戦後の空白で日本の航空技術は欧米に遅れ、求められた空気調和与圧装置はギャレット社からの技術導入に依存した。顧客も防衛庁と機体メーカーに限られ、生産量は防衛計画の機種と予算で決まる。新工場を火災で失った1958年の後半には、売上高が3,033百万円から2,742百万円へ下がった。航空機器は、技術と需要の両方を社外に負う事業として始まったのだろう。

それでも事業は途切れなかった。担当機はT-1A、F-104J、F-15へと移り、1977年にはヘッドアップディスプレイの国産化に入った。ただ、収益の道のりは平坦ではない。防衛省から指名停止を受けた2014年3月期には、2,388百万円の営業損失を計上した。2022年3月期の営業利益も118百万円にとどまった。2026年3月期は売上高43,371百万円、営業利益8,220百万円まで伸びたが、全社の販売実績に占める割合は7.7%である。事業は利益を生むまでに育ったが、長く全社の主力事業にはなれなかった。航空機器への参入は、部分的な成功と判定できる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月
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図と表

島津製作所:売上高と利益金の推移(半期)

売上高(百万円)利益金率(%)
島津製作所:売上高と利益金の推移(半期)
(百万円)売上高利益金備考
1954年9月期1,882138
1955年3月期1,702117
1956年3月期1,940136
1956年9月期2,3151561956年7月に米ギャレット社と技術援助契約
1957年3月期3,0422181956年10月に航空機器部門を新設
1957年9月期3,2771311957年9月に三条工場の航空機器工場が完成
1958年3月期3,0331351958年1月に航空機器工場が全焼。2月に6億円を増資
1958年9月期2,7421201958年9月に航空機器工場を再建
1959年3月期2,967145
1959年9月期3,4111611959年10月にT-1A向け機器の生産を開始
出所:島津製作所史(島津製作所, 1967)第4編第2章第1節「経済界の変動と経営施策」業績の推移(第62期〜第72期)・単体 / 島津製作所史(島津製作所, 1967)第4編第3章第4節「経営施策と業績」損益の推移(第74期〜第84期)・単体
出所:島津製作所史(島津製作所, 1967)第4編第2章第1節「経済界の変動と経営施策」業績の推移(第62期〜第72期)・単体 / 島津製作所史(島津製作所, 1967)第4編第3章第4節「経営施策と業績」損益の推移(第74期〜第84期)・単体
参考文献

参考文献

参考
  • 島津製作所史(島津製作所, 1967)第4編第3章第1節「技術革新時代」
  • 島津製作所百十年史(島津製作所, 1985)「成長に向って」
  • 島津製作所史(島津製作所, 1967)第4編第3章第4節「経営施策と業績」
  • 島津製作所史(島津製作所, 1967)第3編第1章「準戦時下の当社」
  • 島津製作所百十年史(島津製作所, 1985)「多角化を進める」
  • 島津製作所百十年史(島津製作所, 1985)「先端技術への挑戦」
  • 島津製作所 有価証券報告書 第163期(2026年3月期)【経営者による財政状態、経営成績及びキャッシュ・フローの状況の分析】
  • 島津製作所 有価証券報告書 第151期(2014年3月期)【業績等の概要】【対処すべき課題】
  • 島津製作所 有価証券報告書 第159期(2022年3月期)【経営者による財政状態、経営成績及びキャッシュ・フローの状況の分析】【経営方針、経営環境及び対処すべき課題等】
  • 島津製作所 有価証券報告書 第163期(2026年3月期)【沿革】
  • 島津製作所百十年史(島津製作所, 1985)「飛躍を目指して」
  • 島津製作所史(島津製作所, 1967)第4編第2章第1節「経済界の変動と経営施策」業績の推移(第62期〜第72期)・単体
  • 島津製作所史(島津製作所, 1967)第4編第3章第4節「経営施策と業績」損益の推移(第74期〜第84期)・単体
  • 島津製作所 有価証券報告書「第163期(2026年3月期)【沿革】【経営者による財政状態、経営成績及びキャッシュ・フローの状況の分析】」
  • 島津製作所 社史「島津製作所史(1967年)第3編第1章「準戦時下の当社」・第4編第3章「技術革新にささえられた成長期」」
  • 島津製作所 社史「島津製作所百十年史(1985年)「成長に向って」「多角化を進める」「先端技術への挑戦」「飛躍を目指して」」
  • 島津製作所 公式サイト「沿革」

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