この時期の品目拡大は、市場の伸びに乗るための業容拡大というより、栄養で社会に奉仕するという創業の理念をどこまで運べるかという試みだったとみられる。薬ではなく健康な人の食品を作るという最初の選択があったからこそ、菓子の外にあるカレーや牛乳も同じ理屈の内側に置けた。逆に言えば、扱う商品を決めていたのは市場調査でも競合分析でもなく、創業者が持っていた一つの物差しであった。この一貫性は強みでもあり、拡大の歯止めを効きにくくする要因でもあったと推察される。
実際、4年で並べた品目は財務の負担として跳ね返り、1960年代半ばには売上債権と借入金の膨張として表面化する。江崎グリコはそこで、広げた品目のうち売れるものだけを残す作業に入った。広げることと絞ることを短い間隔で続けたこの往復は、品目数そのものより、どの商品を自社の設備と広告で作り込めるかを基準に置いていた点に特徴がうかがえる。総合食品会社を名乗りながら、実態は少数の商品に資源を集中した会社であり続けた事実は、多角化という言葉が示す像とは少しずれている。