創業は1946年9月、新潟県中蒲原郡亀田町である。亀田郷農民組合委託加工所を名乗り、水飴の委託加工から始めた。戦後間もない食糧難のなかで、地元の農民が共同で加工の場を持ったのがその形だった。1950年に法人組織へ改め、亀田町農産加工農業協同組合と称して、製造品目を水飴から米菓へ移した。そして1957年8月、この協同組合を母体として亀田製菓株式会社を設立し、古泉栄治氏が社長に就いた。同じ年に社是・経営理念・経営基本方針を定めた。農家の共同事業を株式会社として運営する仕組みは、1957年のこの時点で揃っている。 [1][2][3][4][5]
米菓のつくり手としては、亀田製菓は明らかに後発だった。同社自身が『1957年設立と米菓メーカーとしては比較的後発であった』[引用元]と書いている。もっとも、後から来た者が必ず不利になるわけではない。当時の米菓は家内制手工業に近い作り方で残っており、生産の規模も設備も、先行各社が握っていたのは大きな優位ではなかった。亀田製菓はその生産を他社に先駆けて工業化し、あわせて全国に流通網を築いた。後発であったことは、旧来のやり方を守る理由を持たずに済んだという意味では、むしろ利のほうが大きかった。 [6]
工業化を支えたのは設備だけではない。1960年に研究室を開設し、米の加工技術を社内に蓄えている。翌1961年に発売した『サラダホープ』は、全国へは広げず、新潟県を中心とした地域限定の商品として60年以上売られ続けている。米菓の量産体制の確立、全国販売網の整備、研究室の開設による技術開発——この三つが揃ったことで、同社は1970年代までに急速に規模を伸ばした。設備だけを入れても、売る先がなければ量は掃けない。技術がなければ、機械で作ったものが手仕事の味に勝てない。設備・販路・技術のどれを先に欠いても、1970年代の伸びは説明できない。 [7][8][9][10]
1966年、亀田製菓は『ピーナッツ入り柿の種』を発売した。あられに落花生を混ぜるという組み合わせは、米菓を茶うけの菓子から酒のつまみへ移す働きをした。1976年には『ハッピーターン』が加わる。粉末の調味料をまぶした甘じょっぱい味は、それまでの醤油味を軸にした米菓の枠から外れていた。この二つは半世紀を超えて主力であり続けている。2023年に同社は、両者に『つまみ種』と『無限エビ』を加えた4つを戦略ブランドと定め、国内米菓の売上に占める構成比を約50%から2026年度に60%へ引き上げる目標を掲げた。1960年代と70年代に出した商品が、いまも売上の半分を担っている。 [11][12][13]
生産の裏づけも同時に積んでいる。1971年9月に新潟県北蒲原郡水原町へ水原工場を、1976年9月に白根市へ白根工場を新設した。1972年10月と1990年11月には本社も移した。工場を県内に並べる配置は、原料の米を扱う地の利と、全国へ送り出す物流をひとつの県内で完結させる形につながった。1975年、亀田製菓は国内米菓市場で売上高日本一となった。設立から18年である。以後45年以上にわたって首位を保ち、2020年度の市場シェアは36.4%だった。米菓は地場の中小業者が各地に残る産業であり、その中で市場の3分の1超を1社が握る状態は、他の菓子の分野にはあまり見られない。 [14][15]
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|---|---|---|---|---|
| 1946〜1983年農民が水飴を炊いた加工所から、米菓の生産を工業化して日本一になるまで | 亀田町農産加工農業協同組合を母体に亀田製菓を設立 | ★ | ||
| 亀田工場で米菓の製造を開始 | ★ | |||
| 本社を新設移転 | ★ | |||
| 水原工場を新設 | ★ | |||
| 本社を新設移転 | ★ | |||
| 白根工場を新設 | ★ | |||
| 1984〜2001年米菓業界で初めて株式を上場し、米菓の外に出口を探しはじめた時期 | 新潟証券取引所に株式を上場 | ★ | ||
| 亀田第二工場(現・亀田工場(工業団地))を新設 | ★ | |||
| 亀田あられを吸収合併 | ★ | |||
| 新潟輸送とアジカルフーズを完全子会社化 | ★ | |||
| SESMARK FOODS, INC.を関連会社化 | ★ | |||
| 低タンパク質米飯「ゆめごはん」を発売 | ★ | |||
| 主食米の販売を開始 | ★★ | |||
| 「植物性乳酸菌ヨーグルト」を発売 | ★ | |||
| 東京証券取引所市場第二部に上場 | ★ | |||
| 2002〜2017年グローバル・フード・カンパニーを掲げ、買収によって製菓業から食品業へ | とよすを子会社化 | ★ | ||
| 康師傅控股有限公司との合弁で天津亀田食品有限公司を設立 | ★★ | |||
| 100%子会社 KAMEDA USA, INC. を設立 | ★ | |||
| 康師傅との合弁を解消 | ★★ | |||
| Mary's Gone Crackers, Inc.を子会社化 | ★★ | |||
| 自社ブランド事業に参入 | ★★ | |||
| 尾西食品を子会社化 | ★ | |||
| 2018〜2026年同業他社の停止で膨らんだ需要をさばけず、収益重視と北米再編へ切り替えるまで | 佐藤勇 | マイセン・マイセンファインフードを子会社化 | ★ | |
| 髙木政紀 | 売上成長から利益重視への方針転換と、主力4ブランドへの集中 2023年8月、亀田製菓が中長期成長戦略2030を公表し、2030年度の連結営業利益率10%を掲げた経営判断。翌2023年度から国内米菓事業の方針を売上成長から利益重視へ切り替え、値上げと不採算商品の整理、主力4ブランドへの集中を進めた。市場シェアの低下はその方針に沿った結果として受け入れている。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 髙木政紀 | 米国子会社 Mary's Gone Crackers の全株式譲渡 2025年4月30日、亀田製菓が米国子会社 Mary's Gone Crackers, Inc.(MGC)の全株式を、カナダの食品会社 Dare Foods 傘下の米国企業へ譲渡すると発表した経営判断。2012年12月に約24億円で77.8%を取得してから13年で、北米の自社ブランド事業から退いた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 髙木政紀 | 自社ブランド事業から撤退 | ★★ | ||
| 髙木政紀 | TH FOODS の残り50%取得による完全子会社化 2025年3月27日、亀田製菓が持分法適用関連会社であった米国 TH FOODS, INC.(THF)の株式50%を三菱商事などから取得し、完全子会社とすると発表した経営判断。同年4月1日をみなし取得日として連結に加え、6月に子会社化を完了した。取得原価は631億円、追加取得の対価は315億円である。 詳細を読む | ★★★ |
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事実根拠:出所(亀田製菓)