亀田製菓 の歴史

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創業 1946年
創業者 古泉栄治
創業地 新潟県中蒲原郡亀田町
創業
1946年9月、新潟県中蒲原郡亀田町で農民が共同出資した亀田郷農民組合委託加工所が、水飴の委託加工を始めた。1950年に亀田町農産加工農業協同組合へ改組して製造品目を米菓へ移し、1957年8月、古泉栄治氏を初代社長として亀田製菓株式会社を設立している。当時の米菓は家内制手工業に近い作り方のまま各地に散っており、後発の亀田製菓には守るべき旧来のやり方がなかった。生産の工業化と全国の流通網を他社に先んじて作り、1975年に国内米菓の売上高で日本一となる。1984年10月に米菓業界で初めて新潟証券取引所へ上場し、2000年3月に東京証券取引所市場第二部、2012年4月に第一部へ移った。
決断
広げた事業のうち、技術を渡せる相手だけを残してきた。1993年の冷害で原料の米が不足し、米菓市場そのものが伸びを止めると、同じ米を別の用途へ向ける道と、市場を外へ求める道を同時に選ぶ。前者は1994年9月に発売した腎臓病患者向けの低タンパク質米飯『ゆめごはん』であり、後者は1993年9月に関連会社とした米国のSESMARK FOODS、現在のTH FOODSである。以後30年、亀田製菓はTH FOODSへ『うす焼』の製造技術を提供し続けた。一方、2012年12月に子会社としたMary's Gone Crackersは原料の調達難と人員不足で欠品が続き、2025年5月に全株式を譲渡した。同年6月には残る50%を取得してTH FOODSを完全子会社とし、うす焼以外のノウハウも制約なく投入できるようにした。
現況
海外の売上が1年で3倍近くに膨らみ、その中身は米国の1社である。2026年3月期の連結売上高は1,380億円で前期の1,032億円から34%増えたが、伸びのほとんどはTH FOODSを連結に加えたことによる。区分別では国内米菓が723億円・利益51億円、海外が494億円・17億円、食品が88億円・4億円で、海外の構成比は前期の17%から36%へ上がった。純利益246億円のうち212億円は特別利益で、完全子会社化に際して、それまで保有していた持分を時価で評価し直したことによる。営業利益は75億円と売上比5.5%にとどまり、規模の拡大はまだ利益率を押し上げていない。
競合
同業が生産を止めた年に、回ってきた需要を作りきれなかった。亀田製菓は1975年から国内米菓の首位を保ち、2020年度のシェアは36.4%あった。ところが2022年から2023年にかけて原材料とエネルギーの価格が上がり、供給が需要に追いつかず売場を失う。2024年の株主総会で経営陣は、シェアを落として売場を失ったのは事実であり、最大の要因は供給網の問題を解決できずチャンスロスを起こしたことだと答えた。会社は2023年8月に主力4ブランドへ集中する方針を打ち出し、数量を追う営業から付加価値で採算を取る営業へ切り替えている。首位を保ってきたのが商品ではなく供給の量だったことを、その量が足りなくなった局面が示した。
亀田製菓:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

創業ストーリー 農民が水飴を炊いた加工所から、米菓の生産を工業化して日本一になるまで (1946年〜)

水飴の委託加工所を株式会社へ組み替えた1957年

創業は1946年9月、新潟県中蒲原郡亀田町である。亀田郷農民組合委託加工所を名乗り、水飴の委託加工から始めた。戦後間もない食糧難のなかで、地元の農民が共同で加工の場を持ったのがその形だった。1950年に法人組織へ改め、亀田町農産加工農業協同組合と称して、製造品目を水飴から米菓へ移した。そして1957年8月、この協同組合を母体として亀田製菓株式会社を設立し、古泉栄治氏が社長に就いた。同じ年に社是・経営理念・経営基本方針を定めた。農家の共同事業を株式会社として運営する仕組みは、1957年のこの時点で揃っている。 [1][2][3][4][5]

  • 亀田製菓グループ 統合報告書2021「価値創造のあゆみ」「会社情報」
    • [1]1946年に「亀田郷農民組合委託加工所」として創業し、水飴の委託加工を開始。1950年に「亀田町農産加工農業協同組合」へ改組、1957年に「亀田製菓株式会社」を設立した。会社情報欄は「創業 1946年9月/設立 1957年8月」と記載する
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [2]有価証券報告書【沿革】は「1957年8月、新潟県中蒲原郡亀田町の亀田町農産加工農業協同組合を母体として亀田製菓株式会社を設立し、現在の亀田工場(元町)で米菓の製造を開始」と記載する
    • [3]古泉榮治氏(大正4年=1915年3月26日生、1995年8月12日没)は亀田製菓の創業者で、昭和32年(1957年)の株式会社設立と同時に社長へ就任、昭和58年(1983年)に会長、平成4年(1992年)に名誉会長となった
  • 日経ビジネス 1990年1月15日号
    • [4]古泉栄治氏は1990年・1991年時点で亀田製菓会長として日経ビジネス「有訓無訓」欄に登場しており、1983年の会長就任と整合する
  • 亀田製菓グループ 統合報告書2021「価値創造のあゆみ」
    • [5]1957年に社是、経営理念、経営基本方針を策定した

米菓のつくり手としては、亀田製菓は明らかに後発だった。同社自身が『1957年設立と米菓メーカーとしては比較的後発であった』[引用元]と書いている。もっとも、後から来た者が必ず不利になるわけではない。当時の米菓は家内制手工業に近い作り方で残っており、生産の規模も設備も、先行各社が握っていたのは大きな優位ではなかった。亀田製菓はその生産を他社に先駆けて工業化し、あわせて全国に流通網を築いた。後発であったことは、旧来のやり方を守る理由を持たずに済んだという意味では、むしろ利のほうが大きかった。 [6]

  • 亀田製菓グループ 統合報告書2021「国内米菓事業における亀田製菓の強み」
    • [6]「1957年設立と米菓メーカーとしては比較的後発であったものの、それまで家内制手工業的であった米菓の生産を他社に先駆けていち早く工業化し、全国に流通網を築いたことで事業を急速に拡大させてきました」

工業化を支えたのは設備だけではない。1960年に研究室を開設し、米の加工技術を社内に蓄えている。翌1961年に発売した『サラダホープ』は、全国へは広げず、新潟県を中心とした地域限定の商品として60年以上売られ続けている。米菓の量産体制の確立、全国販売網の整備、研究室の開設による技術開発——この三つが揃ったことで、同社は1970年代までに急速に規模を伸ばした。設備だけを入れても、売る先がなければ量は掃けない。技術がなければ、機械で作ったものが手仕事の味に勝てない。設備・販路・技術のどれを先に欠いても、1970年代の伸びは説明できない。 [7][8][9][10]

    • [7]1961年発売。公式通販サイトは「新潟県限定販売となります(一部店舗を除く)」「60年以上愛され続け」と記載する(本文から最上級表現「現行商品で最も古い」は削除済み)
    • [8]公式沿革は「昭和36年(1961年)『サラダホープ』発売」と記載する。統合報告書2021・2022の「価値創造のあゆみ」にはサラダホープの記載はない
  • 亀田製菓グループ 統合報告書2021「価値創造のあゆみ」
    • [9]1960年に研究室を開設した
    • [10]「他社に先駆けた米菓の量産体制の確立や全国販売網の整備、研究室の開設による技術開発により飛躍的な成長を遂げ」
  • 亀田製菓グループ 統合報告書2021「価値創造のあゆみ」「会社情報」
    • [1]1946年に「亀田郷農民組合委託加工所」として創業し、水飴の委託加工を開始。1950年に「亀田町農産加工農業協同組合」へ改組、1957年に「亀田製菓株式会社」を設立した。会社情報欄は「創業 1946年9月/設立 1957年8月」と記載する
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [2]有価証券報告書【沿革】は「1957年8月、新潟県中蒲原郡亀田町の亀田町農産加工農業協同組合を母体として亀田製菓株式会社を設立し、現在の亀田工場(元町)で米菓の製造を開始」と記載する
    • [3]古泉榮治氏(大正4年=1915年3月26日生、1995年8月12日没)は亀田製菓の創業者で、昭和32年(1957年)の株式会社設立と同時に社長へ就任、昭和58年(1983年)に会長、平成4年(1992年)に名誉会長となった
  • 日経ビジネス 1990年1月15日号
    • [4]古泉栄治氏は1990年・1991年時点で亀田製菓会長として日経ビジネス「有訓無訓」欄に登場しており、1983年の会長就任と整合する
  • 亀田製菓グループ 統合報告書2021「価値創造のあゆみ」
    • [5]1957年に社是、経営理念、経営基本方針を策定した
    • [9]1960年に研究室を開設した
    • [10]「他社に先駆けた米菓の量産体制の確立や全国販売網の整備、研究室の開設による技術開発により飛躍的な成長を遂げ」
  • 亀田製菓グループ 統合報告書2021「国内米菓事業における亀田製菓の強み」
    • [6]「1957年設立と米菓メーカーとしては比較的後発であったものの、それまで家内制手工業的であった米菓の生産を他社に先駆けていち早く工業化し、全国に流通網を築いたことで事業を急速に拡大させてきました」
    • [7]1961年発売。公式通販サイトは「新潟県限定販売となります(一部店舗を除く)」「60年以上愛され続け」と記載する(本文から最上級表現「現行商品で最も古い」は削除済み)
    • [8]公式沿革は「昭和36年(1961年)『サラダホープ』発売」と記載する。統合報告書2021・2022の「価値創造のあゆみ」にはサラダホープの記載はない

二つの定番が生んだ、米菓売上高日本一という地位

1966年、亀田製菓は『ピーナッツ入り柿の種』を発売した。あられに落花生を混ぜるという組み合わせは、米菓を茶うけの菓子から酒のつまみへ移す働きをした。1976年には『ハッピーターン』が加わる。粉末の調味料をまぶした甘じょっぱい味は、それまでの醤油味を軸にした米菓の枠から外れていた。この二つは半世紀を超えて主力であり続けている。2023年に同社は、両者に『つまみ種』と『無限エビ』を加えた4つを戦略ブランドと定め、国内米菓の売上に占める構成比を約50%から2026年度に60%へ引き上げる目標を掲げた。1960年代と70年代に出した商品が、いまも売上の半分を担っている。 [11][12][13]

  • 亀田製菓グループ 中長期成長戦略2030(2023年8月)「国内米菓事業:具体的な取り組み」
    • [11]「現在、主力4ブランドの売上高構成比は約50%であり、これを2026年度には60%まで高める目標である」(2023年11月16日の決算説明会 質疑応答要旨に実数の記載あり)
  • 亀田製菓グループ 統合報告書2021「価値創造のあゆみ」
    • [12]1966年に「ピーナッツ入り柿の種」、1976年に「ハッピーターン」を発売した
  • 亀田製菓 第66期定時株主総会 出席株主様からのご質問(2023年6月14日)
    • [13]「現在、ご指摘の2本柱に『つまみ種』『無限エビ』を加えた戦略4ブランドを確立するべく業容の拡大に取り組んでいる」。中長期成長戦略2030 の脚注は「重点4ブランドは亀田の柿の種、ハッピーターン、亀田のつまみ種、無限」と定義する

生産の裏づけも同時に積んでいる。1971年9月に新潟県北蒲原郡水原町へ水原工場を、1976年9月に白根市へ白根工場を新設した。1972年10月と1990年11月には本社も移した。工場を県内に並べる配置は、原料の米を扱う地の利と、全国へ送り出す物流をひとつの県内で完結させる形につながった。1975年、亀田製菓は国内米菓市場で売上高日本一となった。設立から18年である。以後45年以上にわたって首位を保ち、2020年度の市場シェアは36.4%だった。米菓は地場の中小業者が各地に残る産業であり、その中で市場の3分の1超を1社が握る状態は、他の菓子の分野にはあまり見られない。 [14][15]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [14]1971年9月に水原工場、1976年9月に白根工場を新設した
  • 亀田製菓グループ 統合報告書2021「国内米菓事業における亀田製菓の強み」
    • [15]1975年に国内米菓市場で売上高日本一となり、2020年度の国内米菓市場シェアは36.4%(インテージ SRI+)で45年以上首位を維持している。1972年10月・1990年11月の本社移転、1957年8月の設立(1975年まで18年)も有価証券報告書【沿革】と一致する
  • 亀田製菓グループ 中長期成長戦略2030(2023年8月)「国内米菓事業:具体的な取り組み」
    • [11]「現在、主力4ブランドの売上高構成比は約50%であり、これを2026年度には60%まで高める目標である」(2023年11月16日の決算説明会 質疑応答要旨に実数の記載あり)
  • 亀田製菓グループ 統合報告書2021「価値創造のあゆみ」
    • [12]1966年に「ピーナッツ入り柿の種」、1976年に「ハッピーターン」を発売した
  • 亀田製菓 第66期定時株主総会 出席株主様からのご質問(2023年6月14日)
    • [13]「現在、ご指摘の2本柱に『つまみ種』『無限エビ』を加えた戦略4ブランドを確立するべく業容の拡大に取り組んでいる」。中長期成長戦略2030 の脚注は「重点4ブランドは亀田の柿の種、ハッピーターン、亀田のつまみ種、無限」と定義する
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [14]1971年9月に水原工場、1976年9月に白根工場を新設した
  • 亀田製菓グループ 統合報告書2021「国内米菓事業における亀田製菓の強み」
    • [15]1975年に国内米菓市場で売上高日本一となり、2020年度の国内米菓市場シェアは36.4%(インテージ SRI+)で45年以上首位を維持している。1972年10月・1990年11月の本社移転、1957年8月の設立(1975年まで18年)も有価証券報告書【沿革】と一致する

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亀田製菓の沿革1957〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1946〜1983年農民が水飴を炊いた加工所から、米菓の生産を工業化して日本一になるまで亀田町農産加工農業協同組合を母体に亀田製菓を設立
亀田工場で米菓の製造を開始
本社を新設移転
水原工場を新設
本社を新設移転
白根工場を新設
1984〜2001年米菓業界で初めて株式を上場し、米菓の外に出口を探しはじめた時期新潟証券取引所に株式を上場
亀田第二工場(現・亀田工場(工業団地))を新設
亀田あられを吸収合併
新潟輸送とアジカルフーズを完全子会社化
SESMARK FOODS, INC.を関連会社化
低タンパク質米飯「ゆめごはん」を発売
主食米の販売を開始★★
「植物性乳酸菌ヨーグルト」を発売
東京証券取引所市場第二部に上場
2002〜2017年グローバル・フード・カンパニーを掲げ、買収によって製菓業から食品業へとよすを子会社化
康師傅控股有限公司との合弁で天津亀田食品有限公司を設立★★
100%子会社 KAMEDA USA, INC. を設立
康師傅との合弁を解消★★
Mary's Gone Crackers, Inc.を子会社化★★
自社ブランド事業に参入★★
尾西食品を子会社化
2018〜2026年同業他社の停止で膨らんだ需要をさばけず、収益重視と北米再編へ切り替えるまで佐藤勇マイセン・マイセンファインフードを子会社化
髙木政紀売上成長から利益重視への方針転換と、主力4ブランドへの集中

2023年8月、亀田製菓が中長期成長戦略2030を公表し、2030年度の連結営業利益率10%を掲げた経営判断。翌2023年度から国内米菓事業の方針を売上成長から利益重視へ切り替え、値上げと不採算商品の整理、主力4ブランドへの集中を進めた。市場シェアの低下はその方針に沿った結果として受け入れている。

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★★★
髙木政紀米国子会社 Mary's Gone Crackers の全株式譲渡

2025年4月30日、亀田製菓が米国子会社 Mary's Gone Crackers, Inc.(MGC)の全株式を、カナダの食品会社 Dare Foods 傘下の米国企業へ譲渡すると発表した経営判断。2012年12月に約24億円で77.8%を取得してから13年で、北米の自社ブランド事業から退いた。

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★★★
髙木政紀自社ブランド事業から撤退★★
髙木政紀TH FOODS の残り50%取得による完全子会社化

2025年3月27日、亀田製菓が持分法適用関連会社であった米国 TH FOODS, INC.(THF)の株式50%を三菱商事などから取得し、完全子会社とすると発表した経営判断。同年4月1日をみなし取得日として連結に加え、6月に子会社化を完了した。取得原価は631億円、追加取得の対価は315億円である。

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★★★
出典・参考

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