江崎グリコ の歴史

創業

1921年

創業者

江崎利一

創業地

大阪市

直近売上高(2025/12)

3,614億円

長期業績と転換点(1996/3〜2025/12)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1921年に江崎利一氏はグリコーゲンを薬ではなく菓子に用いたのか
A 病気を治す薬が対象を病人に限るのに対し、健康な人が毎日口にする嗜好品に栄養を載せれば需要は広く、育ち盛りの子供へ継続して届く。江崎利一氏はこの理を見て、有明海の牡蠣の煮汁に多いグリコーゲンを薬ではなく菓子に用いる道を選んだ。1919年ごろ薬業雑誌の記事から着想し、九州帝国大学の分析で含有量36〜43%を確かめ、栄養学者の佐伯矩博士が学会でその価値を説いた時期に重ねた。1922年に大阪三越で売り出したグリコは、ハート型の粒と「一粒三百メートル」の標語、玩具のオマケで他社と差をつけた
Q なぜ1965年前後に江崎グリコは少品種大量生産の減量経営へ転じたのか
A 拡大を優先して末端の売れ行きを無視した生産と販売は在庫と借入を膨らませ、財務を痛めた。品種を絞れば棚卸資産と流通在庫を圧縮でき、少ない人数で高い利益率を得られる。この読みから、1965年前後の不況を機に社長の江崎利一氏は末端で売れる分だけを出荷する体制へ改め、支店を7支店に整理した。菓子部門の生産品種は約30種で、100種を超える明治や森永と対照をなす。1975年3月期の従業員は1667人と明治7117人・森永5268人を下回り、同年9月中間期の経常利益43億円で両社を利益で上回った
Q なぜ2020年代に江崎グリコは構造改革とアクティビスト対応を迫られたのか
A 少品種大量生産で得た高い利益率は、菓子市場の成熟と原材料高で細り、ブランド認知に見合う資本効率を保てなくなった。ゆえに健康・グローバル型の食品への転換と株主還元の見直しが問われた。江崎グリコは2022年に創立100周年を迎えて東証プライムへ移り、翌2023年に事業部制へ組み替えた。営業利益は2024年12月期の111億円から2025年12月期は87億円へ落ち込んだ。2024年3月の株主総会では米ダルトン・インベストメンツの株主提案のうち配当の決定機関を問う議案に42.9%の賛成が集まり、同年4月には基幹システムの切替障害でチルド商品の出荷が7カ月止まった。創業家出身の江崎悦朗社長のもとで構造改革が続いている

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1921年〜 牡蠣の煮汁を薬でなく菓子に載せた創業と、全工場焼失からの再建

  1. 1921年 グリコーゲンを成分とする栄養菓子グリコの製造販売を開始
  2. 1921年 江崎利一氏が合名会社江崎商店を創立
  3. 1922年 大阪三越でグリコを発売。(のちに創立記念日と定める。)
  4. 1929年 江崎商店に組織変更
  5. 1933年 ビスコを創製し製造販売を開始
  6. 1934年 グリコに商号変更
  7. 1943年 江崎グリコに商号変更

牡蠣のグリコーゲンを菓子に載せる判断と、大阪三越からの船出

江崎グリコの創業者である江崎利一氏は、1882年12月23日に佐賀県神崎郡蓮池村の薬種業を営む家に生まれた[1]。1901年6月に父清七氏を亡くし、19歳で弟妹を含む6人家族の全責任を負った[2]。家業の薬販売のかたわら1915年からブドウ酒の量り売りを手がけ、大樽で仕入れて小びんに詰め替える商いは翌年に1万3千円の利益を生んだ[3]。1919年春、有明海に近い筑後川堤防沿いの川原で牡蠣を煮る作業を見た[4]江崎利一氏は、煮汁が捨てられているのを知り、牡蠣には多量のグリコーゲンが含まれるという薬業雑誌の記事を思い出した。一升びん2本分の廃液を煮つめて九州帝国大学医学部の早船氏へ分析を依頼したところ、グリコーゲンの含有量は36〜43%あり、鉄分も含まれていた[5]

  • 日本経済新聞「私の履歴書」江崎利一(1963年)
    • [1]江崎利一 1882年12月23日 佐賀県神崎郡蓮池村の薬種業の家に生まれる
    • [2]1901年6月 父清七の死去により19歳で6人家族の責任を負う
    • [3]1915年 ブドウ酒の量り売りに着手、翌年の利益 1万3千円
    • [4]1919年春 筑後川堤防沿いで牡蠣の煮汁を見てグリコーゲンの事業化を着想
    • [5]九州帝国大学医学部の分析でグリコーゲン含有量 36〜43%、鉄分も含有

事業化の向きを決めたのは、10歳の長男誠一氏がチフスにかかり医師がさじを投げたときの経験[6]だった。江崎利一氏は医師の許可を得て牡蠣のエキスを飲ませ、誠一氏は快方に向かった[7]。製薬業界では三共がグリコナール錠を先に世へ出していた[8]が、江崎利一氏は薬にすれば病人にしか届かないと読み、健康な人が毎日口にする菓子に混ぜる道を選んだ[9]。つくだ煮やびん詰め、ふりかけゴマも試したうえでアメ菓子に決め、1921年4月、41歳で妻エキ氏と3人の子を連れて大阪へ移った[10]。ブドウ酒の商いに使っていた堀江の店をそのままグリコの本拠に充て、資本金6万円で発足した[11]。同じころの資本金は森永が1500万円、明治が750万円[12]で、後発の小資本での船出だった。

  • 日本経済新聞「私の履歴書」江崎利一(1963年)
    • [6]10歳の長男誠一のチフス罹患と牡蠣エキスによる回復が事業化の契機
    • [7]医師の許可を得て牡蠣のエキスを飲ませ長男誠一が快方に向かった
    • [8]三共がグリコナール錠を先行発売
    • [10]1921年4月 41歳で一家をあげて大阪へ移住、堀江の店を本拠とする
    • [11]創業時の資本金 6万円(当時 森永1500万円・明治750万円)
    • [12]当時の資本金 森永1500万円・明治750万円
  • 日経ビジネス 1977年5月9日号「頭はいくら使っても減らない」江崎利一(江崎グリコ会長)インタビュー
    • [9]薬でなく健康な人が食べる菓子へグリコーゲンを載せる判断

商品名と商標は中身より先に決まり、江崎利一氏はペンギンや象の鼻を含む5案を小学校の廊下に張り出して子供に選ばせ[13]、両手を挙げてゴールインする姿を採った。標語は500メートルでは大げさ、100メートルでは弱いと考えて「一粒三百メートル」に定め、実際に一粒には体重40キロの人が300メートル走るだけのカロリーを持たせた[14]。粒はハート型の型抜きに成功し、包装は森永にならった黄色が通り相場だったところを赤箱に変えた[15]。無名の新製品を一流商店から売り出そうと三越へ通い詰め[16]、断られても頼み続けて、1922年2月11日に売り場へ並べ、この日を創立記念日と定めた[17]

  • 日経ビジネス 1977年5月9日号「頭はいくら使っても減らない」江崎利一(江崎グリコ会長)インタビュー
    • [13]ゴールインの商標は5案を小学校で子供に選ばせて決定
  • 日本経済新聞「私の履歴書」江崎利一(1963年)
    • [14]「一粒三百メートル」は体重40キロの人が300メートル走るカロリーに相当
    • [15]粒はハート型、包装は森永の黄色に対し赤箱を採用
    • [16]一流商店から売り出す方針で三越へ通い詰めた
  • 江崎グリコ 有価証券報告書【沿革】
    • [17]1922年2月11日 大阪三越でグリコを発売、創立記念日と定める
  • 日本経済新聞「私の履歴書」江崎利一(1963年)
    • [1]江崎利一 1882年12月23日 佐賀県神崎郡蓮池村の薬種業の家に生まれる
    • [2]1901年6月 父清七の死去により19歳で6人家族の責任を負う
    • [3]1915年 ブドウ酒の量り売りに着手、翌年の利益 1万3千円
    • [4]1919年春 筑後川堤防沿いで牡蠣の煮汁を見てグリコーゲンの事業化を着想
    • [5]九州帝国大学医学部の分析でグリコーゲン含有量 36〜43%、鉄分も含有
    • [6]10歳の長男誠一のチフス罹患と牡蠣エキスによる回復が事業化の契機
    • [7]医師の許可を得て牡蠣のエキスを飲ませ長男誠一が快方に向かった
    • [8]三共がグリコナール錠を先行発売
    • [10]1921年4月 41歳で一家をあげて大阪へ移住、堀江の店を本拠とする
    • [11]創業時の資本金 6万円(当時 森永1500万円・明治750万円)
    • [12]当時の資本金 森永1500万円・明治750万円
    • [14]「一粒三百メートル」は体重40キロの人が300メートル走るカロリーに相当
    • [15]粒はハート型、包装は森永の黄色に対し赤箱を採用
    • [16]一流商店から売り出す方針で三越へ通い詰めた
  • 日経ビジネス 1977年5月9日号「頭はいくら使っても減らない」江崎利一(江崎グリコ会長)インタビュー
    • [9]薬でなく健康な人が食べる菓子へグリコーゲンを載せる判断
    • [13]ゴールインの商標は5案を小学校で子供に選ばせて決定
  • 江崎グリコ 有価証券報告書【沿革】
    • [17]1922年2月11日 大阪三越でグリコを発売、創立記念日と定める

返品と銀行倒産をしのいだ販売の工夫、広告で選んだ御幣島の立地

発売してからの2年半は資金が減る一方で、46円の小切手不足を銀行から催促されて日歩15銭の高利貸しに頼った[18]。江崎利一氏は住み込みの店員14人に向こう3年間は下着と下駄以外の新調を禁じると告げた[19]。撤退を進言した販売員には「私は一人になってもやり通す。城を枕に討ち死にする覚悟の者だけついてこい」と応じた。打った手は、グリコ2粒を入れた風味袋の試供品、クーポン1枚と4銭で5銭のグリコに引き替える引き札、5銭を入れて1個取る公徳販売機[21]だった。公徳販売機は神社のおみくじから思いつき、16年間も売店を禁じてきた浜寺海水浴場に置かせた[22]。1924年秋、三越へ持ち込んでから2年8か月で収支は黒字に転じた[23][20]

  • 日本経済新聞「私の履歴書」江崎利一(1963年)
    • [18]46円の小切手不足で日歩15銭の高利貸しに借金
    • [19]住み込みの店員14人へ3年間の耐乏生活を宣言
    • [20]撤退を進言した販売員へ「私は一人になってもやり通す」と応じた
    • [21]風味袋・クーポンつき引き札・公徳販売機による販売策
    • [22]公徳販売機を16年間売店を禁じていた浜寺海水浴場に設置
    • [23]1924年秋 三越納入から2年8か月で黒字転換

1925年1月、江崎グリコは豊崎の世界ゴム工場の中に敷地250坪を借りて移り、従業員150人の工場を構えた[24]。ところがその夏には深追いした出荷の反動で返品が山積し、負債は6万2千円に達した[25]。同じ時期に6万4千円で整理したB製菓との差は2千円しかなく、返品の処理には約1年半を要した[26]。1927年4月の金融恐慌では、取引を集中していた近江銀行が倒産して手持ちの現金が260円まで減った[27]。江崎利一氏は第一銀行の野口支店長を訪ねてその場で取引を開いてもらい[28]、手形を割り引かせて危機を抜けた。この前後に豆玩具の封入を始め、1929年からはオマケとグリコを別々の箱に収めて連結するオマケサックを売り出した[29]

  • 日本経済新聞「私の履歴書」江崎利一(1963年)
    • [24]1925年1月 豊崎の世界ゴム工場内へ移転、敷地250坪・従業員150人
    • [25]1925年夏の返品で負債6万2千円、6万4千円で整理したB製菓との差は2千円
    • [26]返品処理に約1年半を要した
    • [27]1927年4月 近江銀行の倒産で手持ち現金260円まで減少
    • [28]第一銀行の野口支店長に直談判して取引を開始
    • [29]1929年 オマケサックを考案、豆玩具の封入は1927年ごろから

1929年2月、合名会社江崎を資本金100万円の株式会社江崎へ改組した[30]。翌1930年8月、江崎利一氏はテーラー協会が主催するアメリカ工場視察団に上野陽一氏を団長とする12名の一人として加わり、120か所の工場を見て回った[31]。新工場の立地は、地価の安い神崎大橋付近と大阪・神戸間の鉄道沿線にある御幣島を、広告としての価値で比べて決めた[32]。チラシは配布の経費を入れて1枚5厘かかるのに対し、汽車から工場を眺める人は1人あたり8毛で6分の1の費用にとどまった[33]。1931年12月、御幣島に新工場が完成し、初めて稼働した日は江崎利一氏の48回目の誕生日にあたった[34]

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「グリコ」の項
    • [30]1929年2月 合名会社江崎を資本金100万円の株式会社江崎へ改組
  • 日本経済新聞「私の履歴書」江崎利一(1963年)
    • [31]1930年8月 テーラー協会のアメリカ工場視察団に参加、団長 上野陽一・団員12名・120か所
    • [32]新工場の候補地は吹田西部・御幣島・神崎大橋付近の3か所から広告価値で選定
    • [33]工場立地はチラシ1枚5厘に対し工場を眺める1人8毛と広告費で比較して決定
    • [34]1931年12月 御幣島工場が完成、稼働初日は江崎利一の48回目の誕生日
  • 日本経済新聞「私の履歴書」江崎利一(1963年)
    • [18]46円の小切手不足で日歩15銭の高利貸しに借金
    • [19]住み込みの店員14人へ3年間の耐乏生活を宣言
    • [20]撤退を進言した販売員へ「私は一人になってもやり通す」と応じた
    • [21]風味袋・クーポンつき引き札・公徳販売機による販売策
    • [22]公徳販売機を16年間売店を禁じていた浜寺海水浴場に設置
    • [23]1924年秋 三越納入から2年8か月で黒字転換
    • [24]1925年1月 豊崎の世界ゴム工場内へ移転、敷地250坪・従業員150人
    • [25]1925年夏の返品で負債6万2千円、6万4千円で整理したB製菓との差は2千円
    • [26]返品処理に約1年半を要した
    • [27]1927年4月 近江銀行の倒産で手持ち現金260円まで減少
    • [28]第一銀行の野口支店長に直談判して取引を開始
    • [29]1929年 オマケサックを考案、豆玩具の封入は1927年ごろから
    • [31]1930年8月 テーラー協会のアメリカ工場視察団に参加、団長 上野陽一・団員12名・120か所
    • [32]新工場の候補地は吹田西部・御幣島・神崎大橋付近の3か所から広告価値で選定
    • [33]工場立地はチラシ1枚5厘に対し工場を眺める1人8毛と広告費で比較して決定
    • [34]1931年12月 御幣島工場が完成、稼働初日は江崎利一の48回目の誕生日
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「グリコ」の項
    • [30]1929年2月 合名会社江崎を資本金100万円の株式会社江崎へ改組

第二の創業ビスコから大陸・南洋への進出、そして全工場の焼失

新工場ができると気の緩みが出ると考えた江崎利一氏は、次の柱を作る仕事を第二の創業と呼び、1933年2月にビスコを売り出した[35]。当時のビスケット界では10年の歴史を持つカルシウム入りのカルケットが首位にあり、ビスコは酵母入りで対抗した[36]。サンドクリームをビスケットへ付けるのに業界が不可能としていた脂肪の使用を研究し[37]、これに成功した製法はのちに業界へ広がった。1934年1月には商号をグリコへ改め[38]、同じ年には年間50万円の純益を見込めるようになったのを機に財団法人母子健康協会を設立した[39]。鈴木梅太郎氏や嘉納治五郎氏を顧問・理事に迎え、健康優良幼児の審査と表彰を毎年続けた[40]

  • 江崎グリコ 有価証券報告書【沿革】
    • [35]1933年2月 ビスコを創製し製造販売を開始
    • [38]1934年1月 商号をグリコへ変更
  • 日本経済新聞「私の履歴書」江崎利一(1963年)
    • [36]ビスケット首位のカルケット(カルシウム入り)に酵母入りで対抗
    • [37]業界が不可能としていた脂肪を用いたサンドクリームの製法を確立
    • [39]1934年 年間純益50万円の見通しを機に財団法人母子健康協会を設立
    • [40]母子健康協会の顧問・理事に鈴木梅太郎、嘉納治五郎ら

ビスコを世に出したころ、江崎利一氏は新聞社の招待で泊まった熱海のホテルで松下幸之助氏と同室になり[41]、無一物から身を起こした境遇が似ていたことから意気投合して、大阪へ戻ってから二人で「文なし会」をつくった。会にはサントリーの鳥井信治郎氏、中山製鋼、寿重工、堀抜帽子の各社長が加わって6人となり、のちに「大阪六人男」と呼ばれた[42]。事業の広がりは海外へも向かい、1933年の大連博覧会で満鉄理事の伊沢道雄氏から奉天進出を勧められた[43]江崎利一氏は、現地を視察してその場で工場建設を決めた。1935年に奉天、1939年に天津へ工場を持ち[44]、1940年には南洋のポナペ島にカカオの栽培加工を担うグリコ南洋産業を設立し、高碕達之助氏が発起人として加わった[45]

  • 日本経済新聞「私の履歴書」江崎利一(1963年)
    • [41]熱海のホテルで松下幸之助と同室になり「文なし会」を結成
    • [42]文なし会にサントリー鳥井信治郎ら6人が集い「大阪六人男」と呼ばれた
    • [43]1933年の大連博覧会で満鉄理事 伊沢道雄から奉天進出を勧められた
    • [45]1940年 南洋のポナペ島にグリコ南洋産業を設立、発起人は高碕達之助
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「グリコ」の項
    • [44]1935年 奉天工場、1939年 天津工場

1940年を頂点に統制と原材料の窮乏で生産は抑えられ、配給用のグリコはオマケを外した白い箱に変わった[46]。1943年2月には商号を江崎グリコへ改め[47]、1944年には軍の要請で国内工場の大部分が航空機生産へ転換した。大阪の工場は住友化工機塚本工場としてプロペラを、東京の工場は富士航空の子会社となった江崎航空が航空機部品を作った[48]。1945年4月に東京工場、6月に大阪工場をいずれもほぼ焼失し、海外資産も接収された[49]。江崎利一氏は焼け跡で、焼けなかった最大の資本はグリコの看板だと従業員に語り、戦災を免れた1937年型ビュイックを17万5千円で売って原料の水あめ代に充てた[50]。1945年12月には大阪工場の一部を復旧して農林省と大阪府発注の乾パンを作り始め、1951年3月に東京工場、9月に大阪工場の復旧を終えた[51]。1950年には後継者と定めていた専務の長男誠一氏を39歳で失い、江崎利一氏はふたたび陣頭に立った[52]

  • 日本経済新聞「私の履歴書」江崎利一(1963年)
    • [46]1940年を頂点に統制強化で生産抑制、配給用グリコはオマケを外した白い箱
    • [48]1944年 国内工場の大部分が航空機生産へ転換、大阪は住友化工機塚本工場・東京は江崎航空
    • [49]1945年4月に東京工場、6月に大阪工場を焼失、海外資産も接収
    • [50]戦災を免れた1937年型ビュイックを17万5千円で売却し原料代に充当
    • [52]1950年 後継者と定めていた専務の長男 江崎誠一を39歳で失った
  • 江崎グリコ 有価証券報告書【沿革】
    • [47]1943年2月 商号を江崎グリコへ変更
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「グリコ」の項
    • [51]1945年12月 大阪工場の一部を復旧し農林省・大阪府発注の乾パン製造を開始、1951年3月に東京工場・9月に大阪工場の復旧を完了
  • 江崎グリコ 有価証券報告書【沿革】
    • [35]1933年2月 ビスコを創製し製造販売を開始
    • [38]1934年1月 商号をグリコへ変更
    • [47]1943年2月 商号を江崎グリコへ変更
  • 日本経済新聞「私の履歴書」江崎利一(1963年)
    • [36]ビスケット首位のカルケット(カルシウム入り)に酵母入りで対抗
    • [37]業界が不可能としていた脂肪を用いたサンドクリームの製法を確立
    • [39]1934年 年間純益50万円の見通しを機に財団法人母子健康協会を設立
    • [40]母子健康協会の顧問・理事に鈴木梅太郎、嘉納治五郎ら
    • [41]熱海のホテルで松下幸之助と同室になり「文なし会」を結成
    • [42]文なし会にサントリー鳥井信治郎ら6人が集い「大阪六人男」と呼ばれた
    • [43]1933年の大連博覧会で満鉄理事 伊沢道雄から奉天進出を勧められた
    • [45]1940年 南洋のポナペ島にグリコ南洋産業を設立、発起人は高碕達之助
    • [46]1940年を頂点に統制強化で生産抑制、配給用グリコはオマケを外した白い箱
    • [48]1944年 国内工場の大部分が航空機生産へ転換、大阪は住友化工機塚本工場・東京は江崎航空
    • [49]1945年4月に東京工場、6月に大阪工場を焼失、海外資産も接収
    • [50]戦災を免れた1937年型ビュイックを17万5千円で売却し原料代に充当
    • [52]1950年 後継者と定めていた専務の長男 江崎誠一を39歳で失った
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「グリコ」の項
    • [44]1935年 奉天工場、1939年 天津工場
    • [51]1945年12月 大阪工場の一部を復旧し農林省・大阪府発注の乾パン製造を開始、1951年3月に東京工場・9月に大阪工場の復旧を完了

1954年〜 総合食品への多角化が招いた財務のひずみと、末端出荷主義への転換

株式公開を元手に4年で広げたアイス・チョコ・ガム・カレー

戦後の再建を終えた江崎グリコは資本市場からの調達に踏み出し、1953年2月に大阪の店頭で株式を公開して、同年3月には佐賀市に九州工場を新設した[53]。翌1954年3月には大阪証券取引所へ上場した[54]。資本金は終戦時の250万円から1951年に1000万円、1954年3月には1億2000万円へ増えた[55]。上場に際して松下幸之助氏が社外取締役に就き、以後その死去まで務めた[56]。長男誠一氏を失って事業の縮小を考えた江崎利一氏に、松下幸之助氏は「グリコはもうあんた一人のものやない。日本のグリコや」と告げている。 [57]

  • 江崎グリコ 有価証券報告書【沿革】
    • [53]1953年2月 大阪店頭で株式公開、同年3月 九州工場を新設
    • [54]1954年3月 大阪証券取引所へ上場
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「グリコ」の項
    • [55]資本金 終戦時250万円 → 1951年1000万円 → 1954年3月 1億2000万円
  • 週刊東洋経済 2016年9月3日号「不滅のリーダー 松下幸之助 Part2 大阪財界が最も熱かったあの日」
    • [56]1953年の上場時から松下幸之助が社外取締役に就任
    • [57]松下幸之助の言葉「グリコはもうあんた一人のものやない。日本のグリコや」

公開で資金の道が開けると、江崎グリコは菓子の枠を越えて製造品目を広げ、1957年3月にアイスクリーム、1958年2月にチョコレート[58]の製造販売を始めた。さらに1960年4月にチューインガム、同年9月にカレーへと品目を継いだ[59]。商号は1949年12月にグリコへ戻していたものを1958年1月に江崎グリコへ改め[60]、1961年5月には東京証券取引所へも上場した[61]。資本金は1961年に10億円、1963年には22億5000万円に達している[62]。広げた品目を独創的な商品に仕立てる土台になったのが、菓子メーカーとしては珍しい製菓機械の開発設計部門[63]で、江崎利一氏は「グリコの機械なんかは、機械屋さんに聞いても世界一ですよ」と語った。

  • 江崎グリコ 有価証券報告書【沿革】
    • [58]1957年3月 アイスクリーム、1958年2月 チョコレートの製造販売を開始
    • [59]1960年4月 チューインガム、同年9月 カレーの製造販売を開始
    • [60]1949年12月 グリコへ、1958年1月 江崎グリコへ商号変更
    • [61]1961年5月 東京証券取引所に株式上場
  • 日本経済新聞「私の履歴書」江崎利一(1963年)
    • [62]資本金 1961年10億円、1963年22億5000万円
  • 日経ビジネス 1976年2月2日号「江崎グリコ」ケーススタディ
    • [63]菓子メーカーとしては珍しい製菓機械の開発設計部門を保有

食品への広がりは乳業にも及び、江崎グリコは動物性たんぱく質の供給と自社製菓部門への原料確保をねらって、農家との共同資本で東京・静岡・岐阜・広島・島根・佐賀・熊本などに10社ほどの乳業会社を設けた[64]。1966年10月にはこれら乳業子会社7社を合併してグリコ協同乳業とし[65]、牛乳・乳製品を菓子・冷菓に並ぶ柱に据えた。乳製品では大阪市立大学教授の福本寿一郎氏が発明した特殊酵素を応用してチーズの製造原価を下げ[66]、フィンランドの乳製品最大手バリオ社とも技術提携を結んだ[67]。海外の評価も届き、1962年のブリュッセルの世界チョコレート・オリンピックでは[68]、戦前に南洋でのカカオ栽培を志した延長にあるアーモンドチョコレートがナッツ部門で1位を得た[69]

  • 日本経済新聞「私の履歴書」江崎利一(1963年)
    • [64]農家との共同資本で東京・静岡・岐阜・広島・島根・佐賀・熊本などに乳業会社10社
    • [66]大阪市立大学教授 福本寿一郎の特殊酵素を応用しチーズの製造原価を引き下げた
    • [67]フィンランドの乳製品最大手バリオ社と技術提携
    • [68]1962年 ブリュッセルの世界チョコレート・オリンピックでアーモンドチョコレートがナッツ部門1位
    • [69]アーモンドチョコレートがナッツ部門1位を獲得
  • 江崎グリコ 有価証券報告書【沿革】
    • [65]1966年10月 乳業子会社7社を合併しグリコ協同乳業を発足
  • 江崎グリコ 有価証券報告書【沿革】
    • [53]1953年2月 大阪店頭で株式公開、同年3月 九州工場を新設
    • [54]1954年3月 大阪証券取引所へ上場
    • [58]1957年3月 アイスクリーム、1958年2月 チョコレートの製造販売を開始
    • [59]1960年4月 チューインガム、同年9月 カレーの製造販売を開始
    • [60]1949年12月 グリコへ、1958年1月 江崎グリコへ商号変更
    • [61]1961年5月 東京証券取引所に株式上場
    • [65]1966年10月 乳業子会社7社を合併しグリコ協同乳業を発足
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「グリコ」の項
    • [55]資本金 終戦時250万円 → 1951年1000万円 → 1954年3月 1億2000万円
  • 週刊東洋経済 2016年9月3日号「不滅のリーダー 松下幸之助 Part2 大阪財界が最も熱かったあの日」
    • [56]1953年の上場時から松下幸之助が社外取締役に就任
    • [57]松下幸之助の言葉「グリコはもうあんた一人のものやない。日本のグリコや」
  • 日本経済新聞「私の履歴書」江崎利一(1963年)
    • [62]資本金 1961年10億円、1963年22億5000万円
    • [64]農家との共同資本で東京・静岡・岐阜・広島・島根・佐賀・熊本などに乳業会社10社
    • [66]大阪市立大学教授 福本寿一郎の特殊酵素を応用しチーズの製造原価を引き下げた
    • [67]フィンランドの乳製品最大手バリオ社と技術提携
    • [68]1962年 ブリュッセルの世界チョコレート・オリンピックでアーモンドチョコレートがナッツ部門1位
    • [69]アーモンドチョコレートがナッツ部門1位を獲得
  • 日経ビジネス 1976年2月2日号「江崎グリコ」ケーススタディ
    • [63]菓子メーカーとしては珍しい製菓機械の開発設計部門を保有

149品目への膨張が招いた借入金6.2倍と、1965年の末端出荷主義

品目を広げた代償は財務に出て、1958年ごろまでグリコ・アーモンドグリコ・ビスコ・アーモンドチョコレートの4品を中心にしていた商品は、コーラやチーズを加えて149品目まで増え[70]、経営を一気に悪くした。1960年3月期から1964年3月期にかけて売上高は59億2000万円から157億1000万円へ2.7倍に伸びた[71]一方、売上債権は5.2倍に膨らみ、借入金は6億3000万円から38億8000万円へ6.2倍になった[72]。税引前利益の伸びは3億7000万円から9億3000万円の2.5倍[73]にとどまった。1963年3月期の回収高は売上高134億円を15億円も下回り[74]、末端の売れ行きを無視した生産と販売が続いていた。

  • 日経ビジネス 1992年11月9日号「江崎グリコ 試験販売重ね商品“練る” 市場見ながら全国展開」
    • [70]1958年ごろまで主力4品、その後149品目へ急増
  • 日経ビジネス 1976年2月2日号「江崎グリコ」ケーススタディ
    • [71]1960年3月期から1964年3月期に売上高 59億2000万円→157億1000万円(2.7倍)
    • [72]同期間に売上債権5.2倍、借入金 6億3000万円→38億8000万円(6.2倍)
    • [73]税引前利益 3億7000万円→9億3000万円(2.5倍)
    • [74]1963年3月期の回収高は売上高134億円を15億円下回った

株価も下がり、1965年のグリコ株は1月に128円の高値をつけたのち7月には65円と額面近くまで落ちて、前年の高値165円・安値81円と比べてじり貧に陥っていた[75]。ここで当時社長の江崎利一氏が陣頭に立ち、新製品を次々に得意先へ送り込む売り方を180度転換した[76]。事業部制をやめ、全国各府県にあった支店を7支店へ整理し[77]、商品も一気に28品目へ絞り込んだ[78]。末端で売れた分だけを出荷する体制に改めた1965年3月期は、売上高がほぼ横ばいのまま売上債権が9億円減り、回収高は148億円から163億円へ10%伸びた一方、税引前利益は8億1000万円と13%の減益になった[79]

  • 日経ビジネス 1976年2月2日号「江崎グリコ」ケーススタディ
    • [75]1965年のグリコ株価 1月高値128円・7月65円、前年は高値165円・安値81円
    • [76]江崎利一が陣頭に立ち新製品の押し込み販売を180度転換
    • [77]江崎利一が陣頭に立ち押し込み販売を180度転換、事業部制を廃止し支店を7支店へ
    • [79]1965年3月期 売上債権9億円減・回収高148億円→163億円・税引前利益8億1000万円で13%減益
  • 日経ビジネス 1992年11月9日号「江崎グリコ 試験販売重ね商品“練る” 市場見ながら全国展開」
    • [78]1964年 商品を28品目へ絞り込む構造改革

転換の柱は少品種大量生産で、売上高の90%以上を占める菓子部門の生産品種を約30種に絞ったのに対し、明治製菓と森永製菓は100種以上を抱え[80]、その差は3分の1から4分の1にあたる。流通在庫はグリコを100とすると森永製菓が210、医薬品を抱える明治製菓は409に達した[81]。従業員は1964年3月期の3028人から1975年3月期の1667人へ45%減り、同期の明治製菓7117人・森永製菓5268人と際立った差がついた[82]。広告と販売も絞り、1975年春に本格発売した米菓コメッコはローカルマーケットで2年テストしたうえ、近畿・北陸・北海道に地域を限って宣伝とセールスマンを重ねて投じた[83]

  • 日経ビジネス 1976年2月2日号「江崎グリコ」ケーススタディ
    • [80]菓子部門は売上高の90%以上、生産品種約30種(明治・森永は100種以上)
    • [81]流通在庫はグリコ100に対し森永製菓210・明治製菓409
    • [82]従業員 1964年3月期3028人 → 1975年3月期1667人(明治製菓7117人・森永製菓5268人)
    • [83]米菓コメッコは2年のローカルテストののち近畿・北陸・北海道に限定して本格販売
  • 日経ビジネス 1992年11月9日号「江崎グリコ 試験販売重ね商品“練る” 市場見ながら全国展開」
    • [70]1958年ごろまで主力4品、その後149品目へ急増
    • [78]1964年 商品を28品目へ絞り込む構造改革
  • 日経ビジネス 1976年2月2日号「江崎グリコ」ケーススタディ
    • [71]1960年3月期から1964年3月期に売上高 59億2000万円→157億1000万円(2.7倍)
    • [72]同期間に売上債権5.2倍、借入金 6億3000万円→38億8000万円(6.2倍)
    • [73]税引前利益 3億7000万円→9億3000万円(2.5倍)
    • [74]1963年3月期の回収高は売上高134億円を15億円下回った
    • [75]1965年のグリコ株価 1月高値128円・7月65円、前年は高値165円・安値81円
    • [76]江崎利一が陣頭に立ち新製品の押し込み販売を180度転換
    • [77]江崎利一が陣頭に立ち押し込み販売を180度転換、事業部制を廃止し支店を7支店へ
    • [79]1965年3月期 売上債権9億円減・回収高148億円→163億円・税引前利益8億1000万円で13%減益
    • [80]菓子部門は売上高の90%以上、生産品種約30種(明治・森永は100種以上)
    • [81]流通在庫はグリコ100に対し森永製菓210・明治製菓409
    • [82]従業員 1964年3月期3028人 → 1975年3月期1667人(明治製菓7117人・森永製菓5268人)
    • [83]米菓コメッコは2年のローカルテストののち近畿・北陸・北海道に限定して本格販売

売上高で半分のまま利益で明治製菓・森永製菓を抜いた1975年

絞り込みの成果は10年をかけて数字に出て、1968年3月期から1975年3月期までの7年で売上高は3.4倍になったのに、売上債権は1.6倍にとどまり、税引前利益は7.4倍に伸びて、借入金は1.1倍とほとんど増えなかった[84]。1975年9月中間期の経常利益は43億円と前年同期比50.9%増え、税引利益20億円は前年同期の8億円台の2.4倍にあたる[85]。同じ中間期の経常利益は明治製菓が32億円、森永製菓が16億円で、江崎グリコの売上高388億円は明治製菓715億円の約半分にすぎなかった[86]

  • 日経ビジネス 1976年2月2日号「江崎グリコ」ケーススタディ
    • [84]1968年3月期→1975年3月期の7年で売上高3.4倍・売上債権1.6倍・税引前利益7.4倍・借入金1.1倍
    • [85]1975年9月中間期 経常利益43億円(前年同期比50.9%増)・税引利益20億円(2.4倍)
    • [86]同中間期の経常利益 明治製菓32億円・森永製菓16億円、売上高はグリコ388億円・明治製菓715億円

差がもっとも大きく出たのは資本構成で、1975年9月期の借入金は江崎グリコが40億7000万円だったのに対し、明治製菓は468億2000万円、森永製菓は283億4000万円に及び[87]、支払利息割引料も4億6000万円に対して明治製菓42億8000万円、森永製菓25億5000万円と開いた[88]。1974年度の申告所得は江崎グリコ82億円で、明治製菓76億円・森永製菓38億円を上回った[89]。1965年3月期の申告所得は8億円で明治製菓25億円の3分の1でしかなく、10年で申告所得を10倍に伸ばした[90]。株価は1975年1月9日の安値287円から大納会の1560円へ5.4倍に上がり、20%高にとどまった東証ダウ式平均を大きく引き離した[91]

  • 日経ビジネス 1976年2月2日号「江崎グリコ」ケーススタディ
    • [87]1975年9月期の借入金 グリコ40億7000万円・明治製菓468億2000万円・森永製菓283億4000万円
    • [88]支払利息割引料 グリコ4億6000万円・明治製菓42億8000万円・森永製菓25億5000万円
    • [89]1974年度の申告所得 グリコ82億円・明治製菓76億円・森永製菓38億円
    • [90]1965年3月期の申告所得8億円(明治製菓25億円の3分の1)から10年で10倍
    • [91]株価 1975年1月9日287円 → 大納会1560円(5.4倍、東証ダウ式平均は20%高)
  • 日経ビジネス 1976年2月2日号「江崎グリコ」ケーススタディ
    • [84]1968年3月期→1975年3月期の7年で売上高3.4倍・売上債権1.6倍・税引前利益7.4倍・借入金1.1倍
    • [85]1975年9月中間期 経常利益43億円(前年同期比50.9%増)・税引利益20億円(2.4倍)
    • [86]同中間期の経常利益 明治製菓32億円・森永製菓16億円、売上高はグリコ388億円・明治製菓715億円
    • [87]1975年9月期の借入金 グリコ40億7000万円・明治製菓468億2000万円・森永製菓283億4000万円
    • [88]支払利息割引料 グリコ4億6000万円・明治製菓42億8000万円・森永製菓25億5000万円
    • [89]1974年度の申告所得 グリコ82億円・明治製菓76億円・森永製菓38億円
    • [90]1965年3月期の申告所得8億円(明治製菓25億円の3分の1)から10年で10倍
    • [91]株価 1975年1月9日287円 → 大納会1560円(5.4倍、東証ダウ式平均は20%高)

1976年〜 タイに築いた海外生産の足場と、脅迫事件が問うた危機管理と商品開発

江崎グリコの業績推移

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1979年 三重グリコ設立
  2. 1980年 創業者取締役会長江崎利一逝去
  3. 1982年 ジェネラルビスケット社とフランスにGenerale Biscuit Glico France S.A.を設立
  4. 1982年 グリコ栄養食品の株式取得、子会社化
  5. 1984年 神戸グリコ設立
  6. 1986年 グリコ商事設立。(1996年11月江栄商事に商号変更、不動産の管理他)
  7. 1991年 茨城グリコ設立

独占を許したタイ市場と、ポッキーを「ミカド」に変えた欧州合弁

国内で品目を絞った江崎グリコは、プリッツとポッキーを主力に据えて[92]同じ商品を海外で伸ばす道を選んだ。1970年4月、資本金100万バーツで現地側52%・江崎グリコ48%の出資によりタイグリコを設立し、翌1971年2月から営業を始めた[93]。工場建設を検討した1970年当時のタイには市場動向を判断できる資料がなく、社員が日本から出向いて調べ抜いた[94]。砂糖などの原材料費が日本の4分の1以下、人件費も4分の1以下、市場は未成熟だが急成長が見込め、有力メーカーがいないという4点が結論だった[95]。ドン・ムアン国際空港に近いランシット工業地帯に、1971年2月の第1工場、1972年2月の第2工場、1976年9月の第3工場を建てた[96]

  • 日経ビジネス 1976年12月20日号「海の向こうのニッポン経営 タイグリコ(江崎グリコ=バンコク)」
    • [92]タイグリコの主力製品はプリッツとポッキー
    • [93]1970年4月 タイグリコ設立(資本金100万バーツ、現地側52%・江崎グリコ48%)、1971年2月営業開始
    • [94]1970年当時のタイに市場資料がなく社員が日本から出向いて調査した
    • [95]進出判断の根拠は原材料費・人件費が日本の4分の1以下、市場未成熟、有力メーカー不在
    • [96]ドン・ムアン国際空港近くのランシット工業地帯に3工場を建設

タイグリコの売上高は初年度1971年の378万1000バーツから1975年に2400万バーツへ伸び、前年比47%増を記録した[97]。タイでは菓子類に60%の輸入関税がかかり、プリッツは標準品1箱3バーツに対し同種の輸入品は2倍以上の値がついた[98]。商品の知名度はトヨタや味の素と並ぶ水準に達し[99]、製品はラオスやカンボジアの国境沿いの村にまで届いた。追随を見込んだ同業他社はタイへの投資リスクを嫌って出てこず、タイグリコは独占の強みを享受した[100]。シンガポールや香港への輸出基地の役割も担い、輸出は売上高の20%程度で推移した[101]

  • 日経ビジネス 1976年12月20日号「海の向こうのニッポン経営 タイグリコ(江崎グリコ=バンコク)」
    • [97]タイグリコ売上高 1971年378万1000バーツ → 1975年2400万バーツ(前年比47%増)
    • [98]タイの菓子類輸入関税60%、プリッツ標準品1箱3バーツに対し輸入品は2倍以上
    • [99]タイでの知名度はトヨタ・味の素と並ぶ水準
    • [100]同業他社が投資リスクを嫌って追随せずタイグリコが独占状態となった
    • [101]輸出比率は売上高の20%程度、シンガポール・香港への輸出基地

タイグリコは第1工場と第2工場の建設資金を親会社からの借り入れでまかなった[102]が、1976年9月に完成した第3工場の建設資金約1000万バーツはすべて自己資金で用意し、親会社からの借入金もほぼ返し終えた[103]。アジアで固めた足場は欧州へも伸び、1982年3月、フランスのジェネラルビスケット社と合弁でGenerale Biscuit Glico France を設立し[104]、ポッキーを「ミカド」の名で生産して周辺の欧州諸国へ売った[105]。同年4月には食肉・食料品を手がけるグリコ栄養食品を子会社化し[106]、菓子以外の食品領域も広げた。1990年には米国の中堅菓子メーカーであるハーモニーフーズを買収した[107]

  • 日経ビジネス 1976年12月20日号「海の向こうのニッポン経営 タイグリコ(江崎グリコ=バンコク)」
    • [102]タイグリコの第1・第2工場は親会社からの借入で建設
    • [103]1976年9月完成の第3工場は建設資金約1000万バーツを全額自己資金でまかない親会社借入もほぼ返済
  • 江崎グリコ 有価証券報告書【沿革】
    • [104]1982年3月 ジェネラルビスケット社と仏合弁 Generale Biscuit Glico France を設立
    • [106]1982年4月 グリコ栄養食品を子会社化
  • 日経ビジネス 1992年11月9日号「江崎グリコ 試験販売重ね商品“練る” 市場見ながら全国展開」
    • [105]ポッキーを「ミカド」の名で生産し欧州諸国で販売
    • [107]1990年 米ハーモニーフーズを買収
  • 日経ビジネス 1976年12月20日号「海の向こうのニッポン経営 タイグリコ(江崎グリコ=バンコク)」
    • [92]タイグリコの主力製品はプリッツとポッキー
    • [93]1970年4月 タイグリコ設立(資本金100万バーツ、現地側52%・江崎グリコ48%)、1971年2月営業開始
    • [94]1970年当時のタイに市場資料がなく社員が日本から出向いて調査した
    • [95]進出判断の根拠は原材料費・人件費が日本の4分の1以下、市場未成熟、有力メーカー不在
    • [96]ドン・ムアン国際空港近くのランシット工業地帯に3工場を建設
    • [97]タイグリコ売上高 1971年378万1000バーツ → 1975年2400万バーツ(前年比47%増)
    • [98]タイの菓子類輸入関税60%、プリッツ標準品1箱3バーツに対し輸入品は2倍以上
    • [99]タイでの知名度はトヨタ・味の素と並ぶ水準
    • [100]同業他社が投資リスクを嫌って追随せずタイグリコが独占状態となった
    • [101]輸出比率は売上高の20%程度、シンガポール・香港への輸出基地
    • [102]タイグリコの第1・第2工場は親会社からの借入で建設
    • [103]1976年9月完成の第3工場は建設資金約1000万バーツを全額自己資金でまかない親会社借入もほぼ返済
  • 江崎グリコ 有価証券報告書【沿革】
    • [104]1982年3月 ジェネラルビスケット社と仏合弁 Generale Biscuit Glico France を設立
    • [106]1982年4月 グリコ栄養食品を子会社化
  • 日経ビジネス 1992年11月9日号「江崎グリコ 試験販売重ね商品“練る” 市場見ながら全国展開」
    • [105]ポッキーを「ミカド」の名で生産し欧州諸国で販売
    • [107]1990年 米ハーモニーフーズを買収

創業者の死の4年後に始まったグリコ・森永事件と安全包装

1980年2月、創業者で取締役会長の江崎利一氏が97歳で世を去った[108]。1982年6月、利一氏の孫にあたる江崎勝久氏が社長に就いた[109]。その2年後の1984年3月18日夜、江崎勝久氏は兵庫県西宮市の自宅から拉致され、3日後に監禁先の大阪・淀川の水防倉庫から自力で脱出した[110]。兵庫県警は被害者が大人であったことなどから誘拐でなく逮捕・監禁事件とみて、緊急配備を敷いた公開捜査で臨んだ[111]。「かい人21面相」を名乗る犯人は江崎グリコに3億円を要求し、以後は森永製菓・ハウス食品・丸大食品へも脅迫を広げて合計27の犯罪を重ねた[112]

  • 江崎グリコ 有価証券報告書【沿革】
    • [108]1980年2月 創業者で取締役会長の江崎利一が97歳で死去
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2022年12月期)【役員の状況】
    • [109]1982年6月 江崎勝久(江崎利一の孫)が代表取締役社長に就任
  • 日経ビジネス 1994年4月25日号「敗軍の将、兵を語る 北口紀生氏(兵庫県警察本部捜査一課長)グリコ社長誘拐が時効に」
    • [110]1984年3月18日夜 江崎勝久社長が西宮市の自宅から拉致され3日後に自力脱出
    • [111]兵庫県警は誘拐でなく逮捕・監禁事件とみて公開捜査で臨んだ
    • [112]「かい人21面相」は江崎グリコに3億円を要求、一連で合計27の犯罪

1984年5月、青酸ソーダを混入すると脅されたグリコ製品は大量販売店の店頭から撤去された[113]。江崎グリコはただちに安全包装の検討に入り、翌6月には一部の商品で、いったん開封すると元に戻せない熱収縮フィルムによる包装を作り上げた[114]。8月初旬には各地の工場へ安全包装の設備を備えて出荷を元どおりに戻した[115]。それでも1985年3月期の売上高は2割落ち込み、17億円の営業赤字に転じた。売上高が回復したのは3年後の1988年3月期である。犯人は検挙されないまま、江崎勝久氏の誘拐事件は1994年3月21日午前零時に時効を迎えた[117][116]

  • 日経ビジネス 1985年3月4日号「グリコ・森永事件で威力! 冨士シール工業「安全包装」」
    • [113]1984年5月 青酸ソーダ混入の脅迫でグリコ製品が量販店の店頭から撤去
    • [114]1984年6月 開封すると元に戻せない熱収縮フィルムの安全包装を開発
    • [115]1984年8月初旬 各地の工場に安全包装設備を備えて出荷を再開
  • 日経ビジネス 1992年11月9日号「江崎グリコ 試験販売重ね商品“練る” 市場見ながら全国展開」
    • [116]1985年3月期は売上高2割減・17億円の営業赤字、1988年3月期に売上高が回復
  • 日経ビジネス 1994年4月25日号「敗軍の将、兵を語る 北口紀生氏(兵庫県警察本部捜査一課長)グリコ社長誘拐が時効に」
    • [117]1994年3月21日午前零時 江崎勝久社長誘拐事件が時効
  • 江崎グリコ 有価証券報告書【沿革】
    • [108]1980年2月 創業者で取締役会長の江崎利一が97歳で死去
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2022年12月期)【役員の状況】
    • [109]1982年6月 江崎勝久(江崎利一の孫)が代表取締役社長に就任
  • 日経ビジネス 1994年4月25日号「敗軍の将、兵を語る 北口紀生氏(兵庫県警察本部捜査一課長)グリコ社長誘拐が時効に」
    • [110]1984年3月18日夜 江崎勝久社長が西宮市の自宅から拉致され3日後に自力脱出
    • [111]兵庫県警は誘拐でなく逮捕・監禁事件とみて公開捜査で臨んだ
    • [112]「かい人21面相」は江崎グリコに3億円を要求、一連で合計27の犯罪
    • [117]1994年3月21日午前零時 江崎勝久社長誘拐事件が時効
  • 日経ビジネス 1985年3月4日号「グリコ・森永事件で威力! 冨士シール工業「安全包装」」
    • [113]1984年5月 青酸ソーダ混入の脅迫でグリコ製品が量販店の店頭から撤去
    • [114]1984年6月 開封すると元に戻せない熱収縮フィルムの安全包装を開発
    • [115]1984年8月初旬 各地の工場に安全包装設備を備えて出荷を再開
  • 日経ビジネス 1992年11月9日号「江崎グリコ 試験販売重ね商品“練る” 市場見ながら全国展開」
    • [116]1985年3月期は売上高2割減・17億円の営業赤字、1988年3月期に売上高が回復

試験販売で練る売り方と、需要予測を二度外したムースポッキー

事件から立ち直った江崎グリコを支えたのは時間をかけて商品を練る売り方で、新商品は年商25億円を見込めなければ発売せず、大阪本社周辺の小売店約10店で最低3か月のテスト販売にかけた[118]。1988年12月に静岡県で売り出したアーモンドクラッシュポッキーは4か月の試験販売を経て1989年秋に首都圏へ入り、全国展開まで2年3か月をかけて1991年に年商85億円へ育った[119]。商品アイテム数は約120にとどめ、ロッテと森永製菓の約400、明治製菓の約230と差をつけた[120]。1966年発売のポッキーは1988年3月期の年商150億円が1992年3月期に300億円を超え[121]、同期の売上高は1664億円と前期比19.2%増え、営業利益は87億円と77.1%増えた[122]

  • 日経ビジネス 1992年11月9日号「江崎グリコ 試験販売重ね商品“練る” 市場見ながら全国展開」
    • [118]新商品は年商25億円を見込めなければ発売せず、本社周辺約10店で最低3か月テスト販売
    • [119]アーモンドクラッシュポッキーは静岡で4か月試験販売、全国展開まで2年3か月、1991年に年商85億円
    • [120]商品アイテム数 グリコ約120・ロッテと森永製菓約400・明治製菓約230
    • [121]ポッキーの年商 1988年3月期150億円 → 1992年3月期300億円超(1966年発売)
    • [122]1992年3月期 売上高1664億円(前期比19.2%増)・営業利益87億円(77.1%増)

成熟した国内市場では販路そのものを作りにいき、1999年、江崎グリコは菓子を詰めた専用ボックスを職場に置く無人販売のオフィスグリコを大阪で始めた[123]。大阪中心部の40事業所で1年間テストしたときの代金回収率は目標の90%を上回る97%で、狙いを定めた女性社員ではなく利用者の7割が男性だった[124]。売上高は初年度の1200万円から2002年度に2億5200万円へ伸び、2003年度は5億3000万円を見込んだ[125]。海外では1995年5月にココナッツサブレを作る日中合弁の菓子会社へ資本参加したが業績は上がらず[126]、1999年末に全株を買い取って翌2000年6月に上海江崎格力高食品有限公司へ改め[127]、ポッキーとプリッツを主力に据え直した。

  • 週刊東洋経済 2004年1月24日号「ニュース最前線 温故知新 オフィスグリコ快進撃 「置き薬」商法に見る市場創造」
    • [123]1999年 オフィスグリコを大阪で開始
    • [124]テスト販売40事業所で回収率97%(目標90%)、利用者の7割が男性
    • [125]オフィスグリコ売上高 初年度1200万円 → 2002年度2億5200万円 → 2003年度予想5億3000万円
  • 週刊東洋経済 2004年4月10日号「中国人民に売り込め! PART2 中国生産、中国“販売”の時代始まる」
    • [126]1995年5月 中国の日中合弁菓子会社へ資本参加
    • [127]1999年末に合弁の全株を買い取り、2000年6月 上海江崎格力高食品有限公司へ改称

慎重な売り方は需要が跳ねたときに裏目へ出て、2000年1月11日に関東地区と山梨県で先行発売したムースポッキーは、1週間で5億円、3週間で12億円を売り[128]、年間見込みを3週間で使い切った。ところが生産能力は受注の半分しかなく、発売から2週間で販売を休止した[129]。欧州製の専用設備を使っており、ラインを増やすには設備の調整まで含めて4〜5か月を要した[130]。生産能力を4倍にして8月に北海道・東北から再開し、9月12日に関東で売り出すと今度も予想の2倍が出て、19日から予定していた中部・近畿の発売を延期した[131]。1999年9月に中部以西でフランを先に出した明治製菓は、生産を2ラインから3ラインへ増やして供給を絶やさなかった[132]

  • 日経ビジネス 2000年2月14日号「明治製菓が独走、新食感チョコスナックの猛烈人気 グリコ痛い!生産追い付かず販売休止」
    • [128]2000年1月11日 ムースポッキー発売、1週間で5億円・3週間で12億円
    • [129]生産能力が受注の半分しかなく発売2週間で販売休止
    • [130]欧州製の専用設備でライン増設には4〜5か月を要した
    • [132]明治製菓は1999年9月に中部以西でフランを先行発売し生産を2ラインから3ラインへ増強
  • 週刊東洋経済 2000年10月7日号「誤算 甘い甘いチョコメーカーの予測」
    • [131]生産能力を4倍にして8月に再開、9月12日の関東発売で予想の2倍となり中部・近畿を延期
  • 日経ビジネス 1992年11月9日号「江崎グリコ 試験販売重ね商品“練る” 市場見ながら全国展開」
    • [118]新商品は年商25億円を見込めなければ発売せず、本社周辺約10店で最低3か月テスト販売
    • [119]アーモンドクラッシュポッキーは静岡で4か月試験販売、全国展開まで2年3か月、1991年に年商85億円
    • [120]商品アイテム数 グリコ約120・ロッテと森永製菓約400・明治製菓約230
    • [121]ポッキーの年商 1988年3月期150億円 → 1992年3月期300億円超(1966年発売)
    • [122]1992年3月期 売上高1664億円(前期比19.2%増)・営業利益87億円(77.1%増)
  • 週刊東洋経済 2004年1月24日号「ニュース最前線 温故知新 オフィスグリコ快進撃 「置き薬」商法に見る市場創造」
    • [123]1999年 オフィスグリコを大阪で開始
    • [124]テスト販売40事業所で回収率97%(目標90%)、利用者の7割が男性
    • [125]オフィスグリコ売上高 初年度1200万円 → 2002年度2億5200万円 → 2003年度予想5億3000万円
  • 週刊東洋経済 2004年4月10日号「中国人民に売り込め! PART2 中国生産、中国“販売”の時代始まる」
    • [126]1995年5月 中国の日中合弁菓子会社へ資本参加
    • [127]1999年末に合弁の全株を買い取り、2000年6月 上海江崎格力高食品有限公司へ改称
  • 日経ビジネス 2000年2月14日号「明治製菓が独走、新食感チョコスナックの猛烈人気 グリコ痛い!生産追い付かず販売休止」
    • [128]2000年1月11日 ムースポッキー発売、1週間で5億円・3週間で12億円
    • [129]生産能力が受注の半分しかなく発売2週間で販売休止
    • [130]欧州製の専用設備でライン増設には4〜5か月を要した
    • [132]明治製菓は1999年9月に中部以西でフランを先行発売し生産を2ラインから3ラインへ増強
  • 週刊東洋経済 2000年10月7日号「誤算 甘い甘いチョコメーカーの予測」
    • [131]生産能力を4倍にして8月に再開、9月12日の関東発売で予想の2倍となり中部・近畿を延期

2001年〜 海外事業の主力化と、創立100年に噴き出した資本市場と基幹システムの問い

江崎グリコの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2001年 グリコ仙台アイスクリームを仙台グリコに商号変更
  2. 2001年 アイクレオの株式取得、子会社化
  3. 2003年 Ezaki Glico USA Corporation設立
  4. 2015年 グリコ乳業を吸収合併
  5. 2020年 連結製造子会社14社の事業をグリコマニュファクチュアリングジャパンが承継
  6. 2024年 ダルトンの株主提案を全面拒否し、安定株主の一部が離れた第119回総会 配当を決めるのは取締役会か、株主総会か——創業家企業に向いた機関投資家の票
  7. 2024年 342億円を投じた基幹システムの全面移行と、7カ月に及んだチルド商品の出荷停止 一度延期した稼働日を、なぜ二度は延ばさなかったか——「プッチンプリンが消えた」半年

機能をうたう菓子と、アジア・北米へ広げた出資

2003年5月、江崎グリコはジャガイモのでんぷんから採ったリン酸化オリゴ糖カルシウムを配合し、歯の再石灰化をうたうガムのポスカムを関東・甲信越などで発売した[133]。テレビCMには主力のポッキーと肩を並べる約20億円を投じ、1年以内の全国発売と年商100億円を目標に置いた[134]。キシリトールガムの約5倍の再石灰化効果をうたった広告に対し、600億円のデンタルガム市場で7割を握るロッテは差し止めと10億円の損害賠償を求めて東京地裁へ提訴した[135]。2005年5月には、通常のチョコレートの25倍以上のGABAを含むメンタルバランスチョコレートGABAを関東・甲信越と静岡県で売り出した[136]

  • 日経ビジネス 2003年5月26日号「技術&イノベーション 江崎グリコの歯を健康にするガム 唾液の力で虫歯を治す」
    • [133]2003年5月 リン酸化オリゴ糖カルシウムを配合したガム ポスカムを発売
    • [134]ポスカムのテレビCM費用 約20億円、1年以内の全国発売と年商100億円が目標
  • 週刊東洋経済 2003年7月26日号「ニュース最前線 ロッテvs.グリコ ガム訴訟の「予防効果」」
    • [135]ロッテが広告差し止めと10億円の損害賠償を求め提訴、デンタルガム市場600億円の7割はロッテ
  • 週刊東洋経済 2005年8月6日号「マーケティングの達人に会いたい 江崎グリコ:メンタルバランスチョコレート GABA」
    • [136]2005年5月 通常のチョコレートの25倍以上のGABAを含むメンタルバランスチョコレートGABAを発売

海外では2001年10月に乳幼児用粉ミルクのアイクレオを株式取得で子会社化し、2003年2月に Ezaki Glico USA を設立した[137]。1995年に資本参加した中国事業は2003年3月期に売上高20億円まで育ち、年10〜15%の伸びを続けていた[138]。2011年9月には韓国の菓子大手 Haitai Confectionery & Foods と出資比率60%の合弁 Glico-Haitai を設立した[139]。2013年にはインドネシアのウイングスグループと出資比率50%で PT.Glico-Wings を設け、その後6回の増資を重ねた結果、2025年12月期の出資比率は35.6%へ下がって持分法適用の関連会社となった[140]

  • 江崎グリコ 有価証券報告書【沿革】
    • [137]2001年10月 アイクレオを株式取得し子会社化、2003年2月 Ezaki Glico USA を設立
  • 週刊東洋経済 2004年4月10日号「中国人民に売り込め! PART2 中国生産、中国“販売”の時代始まる」
    • [138]中国事業は2003年3月期に売上高20億円、年10〜15%の伸び
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2014年3月期)【関係会社の状況】
    • [139]2011年9月 Haitai Confectionery & Foods と出資比率60%の合弁 Glico-Haitai を設立
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2025年12月期)
    • [140]2013年 PT.Glico-Wings を出資比率50%で設立、増資を重ね2025年12月期に35.6%

2018年2月28日、江崎グリコは米サンフランシスコのチョコレートメーカー TCHO Ventures の全株式を現金39億6600万円で取得し、のれん33億1100万円を計上した[141]。年間189億米ドルの規模を持ち年率2%で伸びる米国のチョコレート市場[142]を取りにいった買収だった。ところが当初想定した超過収益力が見込めなくなり、2019年12月期にのれんの未償却残高29億1600万円を全額減損して、買収から2年で全損となった[143]。株主の側からの視線も早くから向いており、2007年には個別の投資ファンドが江崎グリコ株の10%超を保有していた[144]

  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2018年3月期)【企業結合等関係】
    • [141]2018年2月28日 TCHO Ventures を現金39億6600万円で取得、のれん33億1100万円
    • [142]米国のチョコレート市場規模は年間189億米ドル・年率2%成長
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2019年12月期)【減損損失】
    • [143]2019年12月期にTCHOののれん未償却残高29億1600万円を全額減損
  • 週刊東洋経済 2007年2月10日号「市場観測 食品業界では再編が加速 M&A期待が株価を下支え」
    • [144]2007年時点で個別の投資ファンドが江崎グリコ株の10%超を保有
  • 日経ビジネス 2003年5月26日号「技術&イノベーション 江崎グリコの歯を健康にするガム 唾液の力で虫歯を治す」
    • [133]2003年5月 リン酸化オリゴ糖カルシウムを配合したガム ポスカムを発売
    • [134]ポスカムのテレビCM費用 約20億円、1年以内の全国発売と年商100億円が目標
  • 週刊東洋経済 2003年7月26日号「ニュース最前線 ロッテvs.グリコ ガム訴訟の「予防効果」」
    • [135]ロッテが広告差し止めと10億円の損害賠償を求め提訴、デンタルガム市場600億円の7割はロッテ
  • 週刊東洋経済 2005年8月6日号「マーケティングの達人に会いたい 江崎グリコ:メンタルバランスチョコレート GABA」
    • [136]2005年5月 通常のチョコレートの25倍以上のGABAを含むメンタルバランスチョコレートGABAを発売
  • 江崎グリコ 有価証券報告書【沿革】
    • [137]2001年10月 アイクレオを株式取得し子会社化、2003年2月 Ezaki Glico USA を設立
  • 週刊東洋経済 2004年4月10日号「中国人民に売り込め! PART2 中国生産、中国“販売”の時代始まる」
    • [138]中国事業は2003年3月期に売上高20億円、年10〜15%の伸び
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2014年3月期)【関係会社の状況】
    • [139]2011年9月 Haitai Confectionery & Foods と出資比率60%の合弁 Glico-Haitai を設立
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2025年12月期)
    • [140]2013年 PT.Glico-Wings を出資比率50%で設立、増資を重ね2025年12月期に35.6%
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2018年3月期)【企業結合等関係】
    • [141]2018年2月28日 TCHO Ventures を現金39億6600万円で取得、のれん33億1100万円
    • [142]米国のチョコレート市場規模は年間189億米ドル・年率2%成長
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2019年12月期)【減損損失】
    • [143]2019年12月期にTCHOののれん未償却残高29億1600万円を全額減損
  • 週刊東洋経済 2007年2月10日号「市場観測 食品業界では再編が加速 M&A期待が株価を下支え」
    • [144]2007年時点で個別の投資ファンドが江崎グリコ株の10%超を保有

海外事業の独立開示と、決算期・製造体制の組み替え

海外の比重は開示にも表れ、江崎グリコは2019年3月期から、菓子・冷菓・牛乳乳製品の各部門に散っていた海外事業を海外部門として独立させた[145]。独立の理由には、ASEANの地域統括会社を設けたことに伴う事業管理体制の変更を挙げている[146]。海外事業の売上高は組替後の2018年3月期477億円から2024年12月期823億円、2025年12月期907億円へ伸び、連結売上高に占める比率は25.1%になった[147]。2025年12月期の海外事業は営業利益82億円で6事業のうち最大の稼ぎ手にあたり、連結従業員5588人のうち2011人が海外に属した[148]

  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2019年3月期)【セグメント情報等】
    • [145]2019年3月期から海外部門を独立した報告セグメントに変更
    • [146]ASEANの地域統括会社設立に伴う事業管理体制の変更を独立の理由に挙げた
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2025年12月期)
    • [147]海外事業売上高 2018年3月期477億円 → 2024年12月期823億円 → 2025年12月期907億円(構成比25.1%)
    • [148]2025年12月期の海外事業は営業利益82億円で最大、海外の従業員2011人

国内では組織と会計の土台を組み替え、2015年10月1日に完全子会社のグリコ乳業を吸収合併して、提出会社の従業員は366名増えた[149]。2019年6月25日の第114回定時株主総会で定款を変更して決算期を3月31日から12月31日へ移し[150]、経過期間となる2019年12月期は9か月の変則決算となって売上高2882億円を計上した[151]。2020年4月にはグリコマニュファクチャリングジャパンを設立し、同年7月1日に関西グリコや東京グリコ乳業を含む連結製造子会社14社を吸収合併させた[152]。統合の目的には、技術とノウハウの共有、業務プロセスの標準化、間接部門の統合による生産機能の全体最適[153]を挙げた。

  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2016年3月期)【従業員の状況】
    • [149]2015年10月1日 完全子会社グリコ乳業を吸収合併、提出会社の従業員366名増
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2019年12月期)
    • [150]2019年6月25日 第114回定時株主総会の定款変更で決算期を3月31日から12月31日へ変更
    • [151]2019年12月期は9か月の変則決算、売上高2882億円
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2020年12月期)【企業結合等関係】
    • [152]2020年4月 グリコマニュファクチャリングジャパンを設立、7月1日に製造子会社14社を吸収合併
    • [153]統合目的は技術・ノウハウの共有、業務プロセスの標準化、間接部門統合による生産機能の全体最適

2022年2月、江崎グリコは創立100周年を迎え、企業の存在意義として「すこやかな毎日、ゆたかな人生」を掲げた[154]。同年4月4日には東京証券取引所の市場区分見直しで市場第一部からプライム市場へ移った[155]。100周年の記念配当10円を含め、2022年12月期の年間配当は1株80円となった[156]。同年3月には江崎悦朗氏が社長に就き、1982年6月から約40年にわたって社長を務めた江崎勝久氏は会長へ退いた[157]。2023年12月期からは報告セグメントを菓子・冷菓といった製品別の5部門から、健康・食品事業、乳業事業、栄養菓子事業、食品原料事業、国内その他事業、海外事業の6事業へ組み替えた[158]

  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2022年12月期)
    • [154]2022年2月 創立100周年、パーパス「すこやかな毎日、ゆたかな人生」を制定
    • [155]2022年4月4日 東証市場第一部からプライム市場へ移行
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2022年12月期)【配当政策】
    • [156]2022年12月期の年間配当1株80円(うち100周年記念配当10円)
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2022年12月期)【役員の状況】
    • [157]2022年3月 江崎悦朗が社長に就任、江崎勝久は1982年6月から約40年務めて会長へ
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2023年12月期)【セグメント情報等】
    • [158]2023年12月期から報告セグメントを製品別5部門から6事業へ変更
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2019年3月期)【セグメント情報等】
    • [145]2019年3月期から海外部門を独立した報告セグメントに変更
    • [146]ASEANの地域統括会社設立に伴う事業管理体制の変更を独立の理由に挙げた
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2025年12月期)
    • [147]海外事業売上高 2018年3月期477億円 → 2024年12月期823億円 → 2025年12月期907億円(構成比25.1%)
    • [148]2025年12月期の海外事業は営業利益82億円で最大、海外の従業員2011人
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2016年3月期)【従業員の状況】
    • [149]2015年10月1日 完全子会社グリコ乳業を吸収合併、提出会社の従業員366名増
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2019年12月期)
    • [150]2019年6月25日 第114回定時株主総会の定款変更で決算期を3月31日から12月31日へ変更
    • [151]2019年12月期は9か月の変則決算、売上高2882億円
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2020年12月期)【企業結合等関係】
    • [152]2020年4月 グリコマニュファクチャリングジャパンを設立、7月1日に製造子会社14社を吸収合併
    • [153]統合目的は技術・ノウハウの共有、業務プロセスの標準化、間接部門統合による生産機能の全体最適
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2022年12月期)
    • [154]2022年2月 創立100周年、パーパス「すこやかな毎日、ゆたかな人生」を制定
    • [155]2022年4月4日 東証市場第一部からプライム市場へ移行
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2022年12月期)【配当政策】
    • [156]2022年12月期の年間配当1株80円(うち100周年記念配当10円)
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2022年12月期)【役員の状況】
    • [157]2022年3月 江崎悦朗が社長に就任、江崎勝久は1982年6月から約40年務めて会長へ
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2023年12月期)【セグメント情報等】
    • [158]2023年12月期から報告セグメントを製品別5部門から6事業へ変更

株主提案が集めた42.9%と、基幹システム移行が止めた7か月

100年目の江崎グリコには資本市場からの問いが向き、2024年1月17日、株主のロンシャン・SICAV から代理人のダルトン・インベストメンツを通じて4議題の株主提案が届いた[159]。提案側はROEが過去5年平均で5%台にとどまり、2023年9月末の純財務資産1156億円が時価総額の40%を超えると指摘した[160]。取締役会は2024年2月13日に4件すべてへの反対を決議し、270億円を上限とする自己株式取得は純利益141億円の約2倍で過大だと述べた[161]。3月26日の第119回定時株主総会で提案は否決されたが、剰余金の配当等の決定機関を株主総会にも認める第6号議案には42.9%の賛成が集まった[162]。翌2025年3月、江崎グリコは同じ内容の定款変更を会社提案として諮り、可決させている[163]。同じ2024年4月には食料品の製造販売を手がけるGreenspoonを子会社とし、6月に完全子会社とした[164]

  • 江崎グリコ「株主提案に対する当社取締役会意見に関するお知らせ」(2024年2月13日)
    • [159]2024年1月17日 ロンシャン・SICAV(代理人ダルトン・インベストメンツ)から4議題の株主提案を受領
    • [161]2024年2月13日 取締役会が4件すべてに反対を決議、270億円の自己株式取得は純利益141億円の約2倍と指摘
  • 江崎グリコ「株主提案に対する当社取締役会意見に関するお知らせ」(2024年2月13日)別紙「本株主提案の内容」
    • [160]提案側はROE過去5年平均5%台、2023年9月末の純財務資産1156億円が時価総額の40%超と指摘
  • 週刊東洋経済 2024年6月29日号「「安定株主」の心変わり グリコ株主総会の波紋」
    • [162]2024年3月26日の第119回定時株主総会で株主提案は否決、第6号議案の賛成率42.9%
  • 日本経済新聞(2025年3月25日)「グリコ株主総会、ダルトン3議案否決 配当定款は変更」
    • [163]2025年3月 江崎グリコが同内容の定款変更を会社提案として諮り可決
  • 江崎グリコ 有価証券報告書【沿革】
    • [164]2024年4月 Greenspoonを子会社化、同年6月に完全子会社化

2015年のグリコ乳業合併後もシステムは分かれたままで、江崎グリコは2019年12月に基幹システムの刷新へ着手した[165]。有価証券報告書の設備計画では投資予定額が2021年12月期の215億円から2023年12月期に342億円へ膨らみ、2022年としていた稼働は1年以上遅れた[166]。2024年4月3日にSAP S/4HANAへ切り替えると出荷業務に遅滞が生じ、4月14日からチルド食品の出荷を止めた[167]。18日に一部を再開したものの、出荷データの不整合と想定を超える受注品目数で処理が間に合わず、19日から再び止まった[168]。対象はプッチンプリンなど17ブランド82品目と、キリンビバレッジから販売を受託する37品目に及んだ[169]

  • 週刊東洋経済 2025年9月27日号「【特集 崖っぷちのDX】 Part1 続出する炎上案件 突如消えたプッチンプリン 江崎グリコSAP導入の混沌」
    • [165]2015年のグリコ乳業合併後もシステムが分断されたまま、2019年12月に刷新へ着手
    • [166]基幹システムの投資予定額 2021年12月期215億円 → 2023年12月期342億円、稼働は1年以上遅延
    • [169]出荷停止は17ブランド82品目とキリンビバレッジ受託37品目に及んだ
  • 江崎グリコ「当社グループにおけるシステム障害および今後の見通し(通期連結業績予想の修正)について」(2024年5月8日)
    • [167]2024年4月3日 SAP S/4HANAへ全面移行、4月14日にチルド食品の出荷を停止
    • [168]4月18日に一部再開も出荷データの不整合と受注品目数の超過で19日から再停止

出荷は6月25日から5回に分けて戻り、全品がそろったのは11月5日で、復旧まで半年以上を要した[170]。2024年12月期の営業利益は111億円と前期から75億円減り、原料や製品の廃棄と補償にあてたシステム障害対応費用64億円を特別損失に計上した[171]。打撃が集中した乳業事業は売上高561億円と19.5%減り、64億円の営業損失を出した[172]。連結売上高は2006年3月期の2610億円から2016年3月期以降は3300億円台へ乗り、営業利益は2017年3月期に243億円をつけていた[173]。2025年12月期の売上高は3614億円と過去最高を更新した一方、営業利益は87億円へさらに減り[174]、2001年に子会社化したアイクレオに由来する乳幼児用粉ミルクの事業用資産で34億円の減損を計上して、タイの冷菓事業からも撤退した[175]

  • 週刊東洋経済 2025年9月27日号「【特集 崖っぷちのDX】 Part1 続出する炎上案件 突如消えたプッチンプリン 江崎グリコSAP導入の混沌」
    • [170]出荷は6月25日から5回に分けて再開し、11月5日に全品出荷へ復旧
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2024年12月期)
    • [171]2024年12月期 営業利益111億円(前期比75億円減)、システム障害対応費用64億円を特別損失に計上
    • [172]2024年12月期の乳業事業 売上高561億円(19.5%減)・営業損失64億円
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2025年12月期)
    • [173]連結売上高 2006年3月期2610億円 → 2016年3月期以降3300億円台、営業利益は2017年3月期243億円
    • [174]2025年12月期 売上高3614億円で過去最高、営業利益87億円
    • [175]2025年12月期 乳幼児用粉ミルクの事業用資産で減損34億円、タイの冷菓事業から撤退
  • 江崎グリコ「株主提案に対する当社取締役会意見に関するお知らせ」(2024年2月13日)
    • [159]2024年1月17日 ロンシャン・SICAV(代理人ダルトン・インベストメンツ)から4議題の株主提案を受領
    • [161]2024年2月13日 取締役会が4件すべてに反対を決議、270億円の自己株式取得は純利益141億円の約2倍と指摘
  • 江崎グリコ「株主提案に対する当社取締役会意見に関するお知らせ」(2024年2月13日)別紙「本株主提案の内容」
    • [160]提案側はROE過去5年平均5%台、2023年9月末の純財務資産1156億円が時価総額の40%超と指摘
  • 週刊東洋経済 2024年6月29日号「「安定株主」の心変わり グリコ株主総会の波紋」
    • [162]2024年3月26日の第119回定時株主総会で株主提案は否決、第6号議案の賛成率42.9%
  • 日本経済新聞(2025年3月25日)「グリコ株主総会、ダルトン3議案否決 配当定款は変更」
    • [163]2025年3月 江崎グリコが同内容の定款変更を会社提案として諮り可決
  • 江崎グリコ 有価証券報告書【沿革】
    • [164]2024年4月 Greenspoonを子会社化、同年6月に完全子会社化
  • 週刊東洋経済 2025年9月27日号「【特集 崖っぷちのDX】 Part1 続出する炎上案件 突如消えたプッチンプリン 江崎グリコSAP導入の混沌」
    • [165]2015年のグリコ乳業合併後もシステムが分断されたまま、2019年12月に刷新へ着手
    • [166]基幹システムの投資予定額 2021年12月期215億円 → 2023年12月期342億円、稼働は1年以上遅延
    • [169]出荷停止は17ブランド82品目とキリンビバレッジ受託37品目に及んだ
    • [170]出荷は6月25日から5回に分けて再開し、11月5日に全品出荷へ復旧
  • 江崎グリコ「当社グループにおけるシステム障害および今後の見通し(通期連結業績予想の修正)について」(2024年5月8日)
    • [167]2024年4月3日 SAP S/4HANAへ全面移行、4月14日にチルド食品の出荷を停止
    • [168]4月18日に一部再開も出荷データの不整合と受注品目数の超過で19日から再停止
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2024年12月期)
    • [171]2024年12月期 営業利益111億円(前期比75億円減)、システム障害対応費用64億円を特別損失に計上
    • [172]2024年12月期の乳業事業 売上高561億円(19.5%減)・営業損失64億円
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2025年12月期)
    • [173]連結売上高 2006年3月期2610億円 → 2016年3月期以降3300億円台、営業利益は2017年3月期243億円
    • [174]2025年12月期 売上高3614億円で過去最高、営業利益87億円
    • [175]2025年12月期 乳幼児用粉ミルクの事業用資産で減損34億円、タイの冷菓事業から撤退

江崎グリコの沿革1921〜2024年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
江崎利一氏が合名会社江崎商店を創立
グリコーゲンを成分とする栄養菓子グリコの製造販売を開始★★
大阪三越でグリコを発売。(のちに創立記念日と定める。)
江崎商店に組織変更
ビスコを創製し製造販売を開始
グリコに商号変更
江崎グリコに商号変更
グリコに商号変更
株式公開。(大阪店頭で売買)
九州工場を新設
アイスクリームの製造販売を開始★★
江崎グリコに商号変更
チョコレートの製造販売を開始★★
チューインガムの製造販売を開始
栄養菓子の一本足からアイス・チョコ・ガム・カレーへ広げた総合食品化栄養菓子の看板をどこまで伸ばせるか——上場を機に問われた品目の広げ方 詳細を読む★★★
末端出荷主義への転換と菓子30品種への絞り込みによる減量経営得意先へ送り込んで売上を立てるか、売れた分だけ出荷するか——40年不況が迫った選択 詳細を読む★★★
事業部制を廃して全国の支店を7支店に整理
乳業子会社7社を合併しグリコ協同乳業が発足★★
合弁会社Thai Glico Co.,Ltd.設立
グリコ仙台アイスクリーム設立
鳥取グリコ設立
三重グリコ設立
創業者取締役会長江崎利一逝去
江崎勝久ジェネラルビスケット社とフランスにGenerale Biscuit Glico France S.A.を設立
江崎勝久グリコ栄養食品の株式取得、子会社化
江崎勝久神戸グリコ設立
江崎勝久グリコ商事設立。(1996年11月江栄商事に商号変更、不動産の管理他)
江崎勝久茨城グリコ設立
江崎勝久日中 上海格力高日清食品有限公司に経営参加
江崎勝久子会社にするとともに上海格力高食品有限公司に商号変更
江崎勝久江崎格力高食品(上海)有限公司を設立
江崎勝久江栄情報システム設立。(情報システムの保守・開発)
江崎勝久グリコ仙台アイスクリームを仙台グリコに商号変更
江崎勝久アイクレオの株式取得、子会社化
江崎勝久Ezaki Glico USA Corporation設立
江崎勝久上海江崎格力高南奉食品有限公司(現・江崎格力高南奉食品(上海)有限公司)を設立
江崎勝久Haitai Confectionery & Foods Co.,Ltd.と韓国にGlico - Haitai Co.,Ltd.を設立
江崎勝久WINGSグループと合弁会社PT.Glico-Wingsを設立
江崎勝久グリコ乳業を吸収合併★★
江崎勝久アイクレオの製造部門を除く事業を会社分割により承継
江崎勝久決算期を3月31日から12月31日に変更
江崎勝久連結製造子会社14社の事業をグリコマニュファクチュアリングジャパンが承継★★
江崎悦朗ダルトンの株主提案を全面拒否し、安定株主の一部が離れた第119回総会配当を決めるのは取締役会か、株主総会か——創業家企業に向いた機関投資家の票 詳細を読む★★★
江崎悦朗Greenspoonを子会社化。(2024年6月完全子会社とする)
江崎悦朗342億円を投じた基幹システムの全面移行と、7カ月に及んだチルド商品の出荷停止一度延期した稼働日を、なぜ二度は延ばさなかったか——「プッチンプリンが消えた」半年 詳細を読む★★★
出典・参考
  • 日本経済新聞「私の履歴書」江崎利一(1963年)
  • 日経ビジネス 1977年5月9日号「頭はいくら使っても減らない」江崎利一(江崎グリコ会長)インタビュー
  • 江崎グリコ 有価証券報告書【沿革】
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「グリコ」の項
  • 週刊東洋経済 2016年9月3日号「不滅のリーダー 松下幸之助 Part2 大阪財界が最も熱かったあの日」
  • 日経ビジネス 1976年2月2日号「江崎グリコ」ケーススタディ
  • 日経ビジネス 1992年11月9日号「江崎グリコ 試験販売重ね商品“練る” 市場見ながら全国展開」
  • 日経ビジネス 1976年12月20日号「海の向こうのニッポン経営 タイグリコ(江崎グリコ=バンコク)」
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2022年12月期)【役員の状況】
  • 日経ビジネス 1994年4月25日号「敗軍の将、兵を語る 北口紀生氏(兵庫県警察本部捜査一課長)グリコ社長誘拐が時効に」
  • 日経ビジネス 1985年3月4日号「グリコ・森永事件で威力! 冨士シール工業「安全包装」」
  • 週刊東洋経済 2004年1月24日号「ニュース最前線 温故知新 オフィスグリコ快進撃 「置き薬」商法に見る市場創造」
  • 週刊東洋経済 2004年4月10日号「中国人民に売り込め! PART2 中国生産、中国“販売”の時代始まる」
  • 日経ビジネス 2000年2月14日号「明治製菓が独走、新食感チョコスナックの猛烈人気 グリコ痛い!生産追い付かず販売休止」
  • 週刊東洋経済 2000年10月7日号「誤算 甘い甘いチョコメーカーの予測」
  • 日経ビジネス 2003年5月26日号「技術&イノベーション 江崎グリコの歯を健康にするガム 唾液の力で虫歯を治す」
  • 週刊東洋経済 2003年7月26日号「ニュース最前線 ロッテvs.グリコ ガム訴訟の「予防効果」」
  • 週刊東洋経済 2005年8月6日号「マーケティングの達人に会いたい 江崎グリコ:メンタルバランスチョコレート GABA」
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2014年3月期)【関係会社の状況】
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2025年12月期)
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2018年3月期)【企業結合等関係】
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2019年12月期)【減損損失】
  • 週刊東洋経済 2007年2月10日号「市場観測 食品業界では再編が加速 M&A期待が株価を下支え」
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2019年3月期)【セグメント情報等】
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2016年3月期)【従業員の状況】
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2019年12月期)
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2020年12月期)【企業結合等関係】
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2022年12月期)
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2022年12月期)【配当政策】
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2023年12月期)【セグメント情報等】
  • 江崎グリコ「株主提案に対する当社取締役会意見に関するお知らせ」(2024年2月13日)
  • 江崎グリコ「株主提案に対する当社取締役会意見に関するお知らせ」(2024年2月13日)別紙「本株主提案の内容」
  • 週刊東洋経済 2024年6月29日号「「安定株主」の心変わり グリコ株主総会の波紋」
  • 日本経済新聞(2025年3月25日)「グリコ株主総会、ダルトン3議案否決 配当定款は変更」
  • 週刊東洋経済 2025年9月27日号「【特集 崖っぷちのDX】 Part1 続出する炎上案件 突如消えたプッチンプリン 江崎グリコSAP導入の混沌」
  • 江崎グリコ「当社グループにおけるシステム障害および今後の見通し(通期連結業績予想の修正)について」(2024年5月8日)
  • 江崎グリコ 有価証券報告書(2024年12月期)

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