山崎製パン の歴史

創業

1948年

創業者

飯島藤十郎

創業地

千葉県市川市

直近売上高(2025/12)

13,114億円

長期業績と転換点(1996/12〜2025/12)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ山崎製パンは1948年の創業以来、物流を自前で抱え小売の値下げ要請に屈しない交渉力を保てたのか
A パンは種類が多く消費期限も短いため、欠品や返品が起きやすく、配送の効率がそのまま収益を左右する。山崎製パンは委託加工で創業した1948年以来、量産と自前配送を事業の型とし、物流を内製してこの難題を解いてきた。約5000台の営業車が多い店には一日に三回も配送し、鮮度と品揃えを自社で押さえた。同社のパンは小売の棚から外せない商品となり、値下げ圧力に対しても強い交渉力を保った
Q なぜ2007〜2008年に不祥事で信用を失った不二家を傘下に収めたのか
A パンで築いた全国の量産設備と自前物流は菓子や洋菓子の製造にも生かせる資産であり、山崎製パンは総合食品企業への拡張のなかで不二家を取り込む好機と見た。2007年に消費期限切れ原料の問題で信用を失った不二家は、再建のパートナーに山崎製パンを選び、菓子と洋菓子の一体再生が始まった。山崎製パンは2007年4月に株式35%を取得して筆頭株主となり、2008年11月には51%へ引き上げて子会社化した。買収後は副社長だった山田憲典氏が不二家会長として送り込まれ、平均年齢を下げる会社の若返りが進んだ
Q なぜ2023年に神戸屋の包装パン事業を買収し、値上げの浸透で最高益に達したのか
A 小麦やエネルギーの高騰が続くなか、規模を広げて生産と購買の効率を高め、価格改定を通さねば収益を保てない状況になった。2023年3月、山崎製パンは神戸屋から包装パン事業を担うYKベーキングカンパニーの全株式を取得し、国内製パンの規模を広げた。神戸屋は店頭で売られる包装パン事業とデリカ食品事業の譲渡を決め、山崎製パンは買収後も当面は従来ブランドのまま製造販売を続けた。段階的な価格改定が浸透し、連結売上高は2025年12月期に1兆3114億円、営業利益は611億円と最高益の水準に達した

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1948年〜 委託加工から始まった製パン専業メーカーの創業

  1. 1948年 飯島藤十郎氏が山崎製パン所を開業
  2. 1948年 パンの委託加工を開始
  3. 1948年 山崎製パンを資本金百万円をもって設立
  4. 1960年 杉並工場が竣工稼働
  5. 1962年 東京証券取引所市場第二部に株式を上場
  6. 1963年 山崎製パン横浜工場を吸収合併
  7. 1967年 スーパーヤマザキを設立し流通事業に参入

飯島藤十郎による市川での創業と会社設立

山崎製パンの歴史は、創業者の飯島藤十郎氏が1948年3月、千葉県市川市に山崎製パン所を開き、パンの委託加工を始めたことに端を発する。同年6月には資本金100万円をもって山崎製パン株式会社を同じ市川市に設立し、委託加工から自社での製造販売へと歩みを進めた。戦後の食糧不足とそれに続く食生活の洋風化を背景に、主食の代替としてのパン需要はこの時期に急速に立ち上がっており、配給統制のもとで割り当てられた小麦を確実に焼き上げ、量をさばける加工能力が事業の生命線であった。 [1][2][3][4]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [1]飯島藤十郎が1948年3月に千葉県市川市で山崎製パン所を開業しパンの委託加工を開始
    • [2]創業者は飯島藤十郎
    • [3]1948年6月に資本金100万円で山崎製パン株式会社を千葉県市川市に設立
  • 証券 1962年14(9)(160)「新規上場会社紹介 山崎製パン株式会社」
    • [4]1948年6月21日に設立され、製パンの委託加工業として発足した

品目の広がりは早く、1949年に和菓子部、1950年に洋菓子部を設けてパン以外へ製造品目を伸ばした。事業が量産へ傾く転機となったのは1952年の小麦粉統制の撤廃で、山崎製パンはこれを機に生産設備を急速に拡張している。1951年2月に両国工場、1954年12月に市川工場を新設し、小麦粉の一日使用量で測る加工能力を段階的に積み増した。原料は日清製粉との特別契約により、カナダ・北米産の小麦を挽いた同社製の小麦粉を全量用いる形をとっている。割り当てを待つ立場から、自ら仕入れて自らさばく立場へ移ったことが、この時期の事業の型を決めた。 [5][6][7][8]

  • 証券 1962年14(9)(160)「新規上場会社紹介 山崎製パン株式会社」
    • [5]1949年に和菓子部、1950年に洋菓子部を設置
    • [6]1952年の小麦粉統制撤廃を機に生産設備を急速に拡張した
    • [7]1951年2月に両国工場、1954年12月に市川工場を新設
    • [8]日清製粉と特別契約を結び、主原料の小麦粉はカナダ・北米産の外麦を用いた同社製を全量使用
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [1]飯島藤十郎が1948年3月に千葉県市川市で山崎製パン所を開業しパンの委託加工を開始
    • [2]創業者は飯島藤十郎
    • [3]1948年6月に資本金100万円で山崎製パン株式会社を千葉県市川市に設立
  • 証券 1962年14(9)(160)「新規上場会社紹介 山崎製パン株式会社」
    • [4]1948年6月21日に設立され、製パンの委託加工業として発足した
    • [5]1949年に和菓子部、1950年に洋菓子部を設置
    • [6]1952年の小麦粉統制撤廃を機に生産設備を急速に拡張した
    • [7]1951年2月に両国工場、1954年12月に市川工場を新設
    • [8]日清製粉と特別契約を結び、主原料の小麦粉はカナダ・北米産の外麦を用いた同社製を全量使用

二部・一部上場と量産工場網の構築

会社設立から十数年で、山崎製パンは首都圏を軸とする量産体制の整備を進めた。1959年には横浜ミリオン製パンを買収して系列に収め、1960年に東京都杉並区で杉並工場が竣工稼働し、1962年7月には東京証券取引所市場第二部へ株式を上場した。1963年には東京都東久留米市の武蔵野工場が稼働するとともに、系列化していた横浜工場を吸収合併し、1966年3月には千葉県松戸市で松戸工場が竣工するなど、大消費地を囲むように生産拠点を積み増した。設備投資と生産能力の拡張が、上場後の成長を支える土台となった。 [9][10][11][12][13]

  • 証券 1962年14(9)(160)「新規上場会社紹介 山崎製パン株式会社」
    • [9]1959年に横浜ミリオン製パンを買収し系列下に置いた
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [10]1960年に東京都杉並区で杉並工場が竣工稼働
    • [11]1962年7月に東京証券取引所市場第二部へ上場
    • [12]1963年に武蔵野工場が稼働し横浜工場を吸収合併
    • [13]1966年3月に千葉県松戸市で松戸工場が竣工

上場時点の山崎製パンは、まだ東京とその周縁を商圏とする一メーカーであった。公開時に開示された資料では、従業員は945名、売上の内訳は卸売が1,298店で81.5%、直営売店が4店で18.5%を占め、品目別ではパン類が70.3%、和菓子が13.6%、洋菓子が11.0%であった。販売地域は東京都内が80.3%、千葉県が16.3%、埼玉県が3.4%で、事業圏は都内に八割が集中している。当時の小麦粉使用量は、都内と千葉県のパン用小麦粉の月間消費60万袋に対して6.7万袋、およそ7%にあたった。全国のパン市場で3割のシェアを握るまでには、ここからなお30年を要する。 [14][15][16][17][18]

  • 証券 1962年14(9)(160)「新規上場会社紹介 山崎製パン株式会社」
    • [14]1962年時点の従業員は945名
    • [15]売上構成は卸売1,298店で81.5%、直営売店4店で18.5%
    • [16]品目別構成はパン類70.3%、和菓子13.6%、洋菓子11.0%
    • [17]販売地域は都内80.3%、千葉県16.3%、埼玉県3.4%
    • [18]小麦粉使用量は都内・千葉県のパン用小麦粉月間消費60万袋のうち6.7万袋で約7%

1966年11月には東京証券取引所市場第一部へ上場し、製パン専業メーカーとして資本市場での地歩を固めた。翌1967年にはスーパーヤマザキを設立して流通事業へ進出し、パンの製造にとどまらず販売の現場までを早くから視野に入れていた。1969年には宮城県柴田郡で仙台工場が稼働し、生産網は首都圏から東北へと広がった。創業から20年余りで、山崎製パンは地域限定の製パン所から全国規模の食品メーカーへと成長する足場を築いた。 [19][20][21]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [19]1966年11月に東京証券取引所市場第一部へ上場
    • [20]1967年にスーパーヤマザキを設立し流通事業へ進出
    • [21]1969年に宮城県柴田郡で仙台工場が稼働
  • 証券 1962年14(9)(160)「新規上場会社紹介 山崎製パン株式会社」
    • [9]1959年に横浜ミリオン製パンを買収し系列下に置いた
    • [14]1962年時点の従業員は945名
    • [15]売上構成は卸売1,298店で81.5%、直営売店4店で18.5%
    • [16]品目別構成はパン類70.3%、和菓子13.6%、洋菓子11.0%
    • [17]販売地域は都内80.3%、千葉県16.3%、埼玉県3.4%
    • [18]小麦粉使用量は都内・千葉県のパン用小麦粉月間消費60万袋のうち6.7万袋で約7%
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [10]1960年に東京都杉並区で杉並工場が竣工稼働
    • [11]1962年7月に東京証券取引所市場第二部へ上場
    • [12]1963年に武蔵野工場が稼働し横浜工場を吸収合併
    • [13]1966年3月に千葉県松戸市で松戸工場が竣工
    • [19]1966年11月に東京証券取引所市場第一部へ上場
    • [20]1967年にスーパーヤマザキを設立し流通事業へ進出
    • [21]1969年に宮城県柴田郡で仙台工場が稼働

1970年〜 総合食品企業への多角化と流通・海外への展開

山崎製パンの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1970年 米ナビスコ・日綿実業との合弁によるビスケット事業への進出 パン一本で伸ばすか、菓子の棚まで取るか——外部ブランドを借りた多角化の選び方
  2. 1973年 山崎製パン千葉工場を吸収合併
  3. 1976年 山崎製菓・山崎製パン新潟工場を吸収合併
  4. 1977年 サンロイヤルがインストアベーカリー事業を開始
  5. 1977年 サンエブリーを設立しコンビニエンスストア事業に参入
  6. 1980年 サンデリカを設立しデリカ事業に参入
  7. 1982年 サンエブリーからデイリーヤマザキへの転換と、自前のコンビニ網の構築 売り場は他人に委ねるか、自ら抱えるか——製パン最大手が小売業態を持ち続けた理由

ヤマザキ・ナビスコと菓子・デリカ事業への拡張

1970年10月、山崎製パンは米国ナビスコ社および日綿実業(現双日)との合弁でヤマザキ・ナビスコを設立し、ビスケットなど洋菓子分野へ足場を広げた。同社はのちの2016年9月にヤマザキビスケットへ商号を変更している。パンで培った量産技術と全国の配送網を土台に、山崎製パンは主食用パンの単一事業から総合食品企業へと事業領域を押し広げた。海外ブランドとの提携は、製品開発と品質の面でも学びを取り込む機会となった。 [22][23]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [22]1970年10月に米国ナビスコ社および日綿実業と合弁でヤマザキ・ナビスコを設立
    • [23]ヤマザキ・ナビスコは2016年9月にヤマザキビスケットへ商号変更

1980年5月にはサンデリカを設立して調理パンや弁当などのデリカ事業へ進出し、コンビニエンスストア向けの中食需要を取り込む体制を整えた。1986年にはサンキムラヤを設立し、1989年にはイケダパンの株式を取得するなど、地域の製パン・菓子事業者をグループへ取り込む動きも続いた。ただし品目を増やすこと自体が目的だったわけではない。新鮮なパンとともに幅広い菓子類を毎日配送すれば、中小の小売店は在庫を抱えずに品ぞろえを整えられる。取引の魅力を高めて販売店をつなぎとめ、本業である食パンの拡販につなげる——のちに日経ビジネスが同社の商品多様化をそう読み解いたように、多品種化は量産の中核を支える手段でもあった。 [24][25][26][27]

  • 日経ビジネス 1994年3月21日号「一定地域を集中開拓 効率配送でシェア拡大」
    • [24]商品の多様化は食パンの販売を伸ばすための手段であり、販売店の品ぞろえ支援を通じて食パンの拡販につなげてきた(1994年時点の分析)
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [25]1980年5月にサンデリカを設立しデリカ事業へ進出
    • [26]1986年にサンキムラヤを設立
    • [27]1989年にイケダパンの株式を取得
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [22]1970年10月に米国ナビスコ社および日綿実業と合弁でヤマザキ・ナビスコを設立
    • [23]ヤマザキ・ナビスコは2016年9月にヤマザキビスケットへ商号変更
    • [25]1980年5月にサンデリカを設立しデリカ事業へ進出
    • [26]1986年にサンキムラヤを設立
    • [27]1989年にイケダパンの株式を取得
  • 日経ビジネス 1994年3月21日号「一定地域を集中開拓 効率配送でシェア拡大」
    • [24]商品の多様化は食パンの販売を伸ばすための手段であり、販売店の品ぞろえ支援を通じて食パンの拡販につなげてきた(1994年時点の分析)

コンビニ事業デイリーヤマザキの源流

山崎製パンは製品の供給先を確保するため、小売の現場にも早くから乗り出している。1977年12月にサンエブリーを設立してコンビニエンスストア事業へ進出し、同時期にはサンロイヤルがインストアベーカリー事業を開始した。焼きたてパンの店頭販売と定温流通のノウハウを蓄えることは、製造から販売までを一貫して押さえる戦略の一環でもあった。自社製品の出口を自ら持つ発想が、この時期に形をとり始めた。 [28][29]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [28]1977年12月にサンエブリーを設立しコンビニエンスストア事業へ進出
    • [29]1977年10月にサンロイヤルがインストアベーカリー事業を開始

自前の売り場を増やす動きと裏腹に、既存の販売店との関係は軋みを見せていた。1979年2月、山崎製パンの販売店主およそ500人が東京・上野のホテルに集まり、押し込み販売と割当販売をやめるよう気勢を上げている。製パン業界で独走体制を築いた原動力は「ヤマザキ・セールス・マニュアル」に率いられたセールス軍団にあり、そこには不退転の決意で予算達成の主役たれといった叱咤の文言が並んでいた。だがパン消費が伸び悩み、販売店主の高齢化とともに「そこまで拡販しなくても」という声が漏れるなかで、高度成長期に磨いた拡販の型は見直しを迫られていた。 [30][31][32]

  • 日経ビジネス 1979年2月12日号「販売店から猛烈な反発食った山崎製パンの猛烈型セールス」
    • [30]1979年2月、販売店主約500人が東京・上野のホテルに集まり押し込み・割当販売の中止を求めた
    • [31]「ヤマザキ・セールス・マニュアル」に基づくセールスマン管理法が販売店の強い反発を受けた
    • [32]パン製品の消費が伸び悩むなか販売店主の高齢化・保守化が進み、高度成長期のマニュアルは見直しを迫られていた

1982年1月にはデイリー事業部とサンエブリーを統合してサンショップヤマザキを設け、コンビニエンスストア事業を本格的に始めた。この店舗網は1999年1月にデイリーヤマザキへと商号を変更し、山崎製パンを象徴する小売業態のひとつに育った。製パン大手が自前のコンビニ網を抱える構図は、製品の販路と物流を自社で握る同社の一貫志向を映し出すものであった。 [33][34]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [33]1982年1月にサンショップヤマザキとしてコンビニエンスストア事業を本格展開
    • [34]サンショップヤマザキは1999年1月にデイリーヤマザキへ商号変更
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [28]1977年12月にサンエブリーを設立しコンビニエンスストア事業へ進出
    • [29]1977年10月にサンロイヤルがインストアベーカリー事業を開始
    • [33]1982年1月にサンショップヤマザキとしてコンビニエンスストア事業を本格展開
    • [34]サンショップヤマザキは1999年1月にデイリーヤマザキへ商号変更
  • 日経ビジネス 1979年2月12日号「販売店から猛烈な反発食った山崎製パンの猛烈型セールス」
    • [30]1979年2月、販売店主約500人が東京・上野のホテルに集まり押し込み・割当販売の中止を求めた
    • [31]「ヤマザキ・セールス・マニュアル」に基づくセールスマン管理法が販売店の強い反発を受けた
    • [32]パン製品の消費が伸び悩むなか販売店主の高齢化・保守化が進み、高度成長期のマニュアルは見直しを迫られていた

関西ヤマザキをめぐる紛争と全国網の完成、海外への展開

西日本への進出は、経営陣の分裂という代償を伴った。1976年3月、山崎製パンの監査役は取締役に法令違反があるとする限定意見を監査報告書に付す。創業者社長の飯島藤十郎氏と実弟の副社長が対立し、争点となったのは関西山崎パンをめぐる商法上の競業避止義務と忠実義務であった。飯島氏側は、関西進出は取締役会で反対論が強かったため個人で始めたものであり、北海道や九州、新潟と同じくいずれ本社へ吸収合併する前提だったと反論した。だが白川修一監査役は、1月上旬に社長へ違法行為をやめるよう勧告したが容れられなかったとして意見を付し、第28回定時株主総会は紛糾、争いは裁判へ持ち込まれて株価も急落した。1974年の商法改正で強化された監査役の業務監査権が初めて働いた事例として、この一件は経済界の注目を集めることになる。 [35][36][37][38][39][40]

  • 日経ビジネス 1976年5月10日号「山崎製パン問題で“浮上した”監査役の役割を洗う」
    • [35]1976年3月、監査役が取締役の法令違反を指摘する限定意見を監査報告書に付した
    • [36]創業者社長の飯島藤十郎と実弟の副社長が対立し、関西山崎パンをめぐる競業避止義務・忠実義務違反が争点となった
    • [37]飯島側は関西進出が取締役会で反対されたため個人で始めたもので、北海道・九州・新潟と同様にいずれ本社へ吸収合併する前提だったと主張した
    • [38]白川修一監査役は1月上旬に社長へ違法行為をやめるよう勧告したが受け入れられなかったと述べた
    • [39]第28回定時株主総会が紛糾し、争いは裁判に持ち込まれ株価も急落した
    • [40]1974年の商法改正で強化された監査役の業務監査権が初めて働いたケースとして注目された

その関西ヤマザキを、山崎製パンは1986年1月に吸収合併する。大阪第一工場をはじめ関西・中四国・九州にまたがる複数の工場を直轄化し、別会社で市場を開拓してから本社へ取り込むという、北海道や九州でも用いた型が、紛争を経てここでも完結した。首都圏で確立した量産と配送の仕組みを西へ移すことで、全国網は名実ともに整う。帰結は市場での位置に表れた。パン市場のシェアは1981年の21.6%から1992年に32.2%へ伸び、2位の敷島製パン8.4%との差はむしろ開いている。1993年末には全国25の工場と7万3000店の販売店を擁し、他社が1日1回の配送にとどまるなか1日最低2回、大型店には3回運んだ。年商100億円を確保できるメドが立つまで工場を建てないという規律が、この密度を支えている。1993年12月期の売上高は5362億円、経常利益率4.95%は上場食品会社111社平均の3.85%を上回った。 [41][42][43][44][45][46]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [41]1986年1月に関西ヤマザキを吸収合併し西日本の複数工場を直轄化
  • 日経ビジネス 1994年3月21日号「一定地域を集中開拓 効率配送でシェア拡大」
    • [42]パン市場シェアは1981年の21.6%から1992年に32.2%へ拡大し、2位の敷島製パンは8.4%(日刊経済通信社調べ)
    • [43]全国の工場は25、販売店は7万3000店(1993年末)
    • [44]他メーカーが1日1回の配送であるのに対し、1日最低2回、大型店には3回配送した
    • [45]年商100億円を確保できるメドが立つまで工場建設に乗り出さないという方針
    • [46]1993年12月期の売上高5362億円、経常利益率4.95%(上場食品会社111社平均3.85%)

海外展開もこの時期に本格化した。1981年に香港へ現地法人を設けたのを皮切りに、1984年にタイ、1987年に台湾へと東アジア・東南アジアの拠点を広げている。1991年の米国進出は現地法人ヴィ・ド・フランス・ベーカリー・ヤマザキの設立にとどまらず、大手食品メーカーであるヴィ・ド・フランスの製パン部門を買収して米国12カ所の工場と7800件の取引先を引き継ぐ形をとり、1994年1月には同社の外食部門も取得した。もっとも海外事業の売上は本社売上高の3%にすぎない。1992年12月期に25年ぶりの減益を喫したことは国内一本での成長に限界が見え始めた表れでもあり、同社幹部は体力のあるうちに海外を強化し、2000年には海外売上高比率を2割まで高めたいと語っている。 [47][48][49][50][51][52][53][54]

  • 日経ビジネス 1994年3月21日号「一定地域を集中開拓 効率配送でシェア拡大」
    • [47]1991年に米ヴィ・ド・フランスの製パン部門を買収し、米国12カ所の製パン工場と7800件の取引先を取得
    • [48]1994年1月にヴィ・ド・フランスの外食部門も買収
    • [49]海外事業の売上高は本社売上高の3%
    • [50]1992年12月期に25年ぶりの減益となった
    • [51]同社幹部が2000年には海外売上高比率を2割まで高めたいと述べた
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [52]1981年に香港へ現地法人を設立
    • [53]1984年にタイ、1987年に台湾へ現地法人を設立
    • [54]1991年に米国でヴィ・ド・フランス・ベーカリー・ヤマザキを設立
  • 日経ビジネス 1976年5月10日号「山崎製パン問題で“浮上した”監査役の役割を洗う」
    • [35]1976年3月、監査役が取締役の法令違反を指摘する限定意見を監査報告書に付した
    • [36]創業者社長の飯島藤十郎と実弟の副社長が対立し、関西山崎パンをめぐる競業避止義務・忠実義務違反が争点となった
    • [37]飯島側は関西進出が取締役会で反対されたため個人で始めたもので、北海道・九州・新潟と同様にいずれ本社へ吸収合併する前提だったと主張した
    • [38]白川修一監査役は1月上旬に社長へ違法行為をやめるよう勧告したが受け入れられなかったと述べた
    • [39]第28回定時株主総会が紛糾し、争いは裁判に持ち込まれ株価も急落した
    • [40]1974年の商法改正で強化された監査役の業務監査権が初めて働いたケースとして注目された
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [41]1986年1月に関西ヤマザキを吸収合併し西日本の複数工場を直轄化
    • [52]1981年に香港へ現地法人を設立
    • [53]1984年にタイ、1987年に台湾へ現地法人を設立
    • [54]1991年に米国でヴィ・ド・フランス・ベーカリー・ヤマザキを設立
  • 日経ビジネス 1994年3月21日号「一定地域を集中開拓 効率配送でシェア拡大」
    • [42]パン市場シェアは1981年の21.6%から1992年に32.2%へ拡大し、2位の敷島製パンは8.4%(日刊経済通信社調べ)
    • [43]全国の工場は25、販売店は7万3000店(1993年末)
    • [44]他メーカーが1日1回の配送であるのに対し、1日最低2回、大型店には3回配送した
    • [45]年商100億円を確保できるメドが立つまで工場建設に乗り出さないという方針
    • [46]1993年12月期の売上高5362億円、経常利益率4.95%(上場食品会社111社平均3.85%)
    • [47]1991年に米ヴィ・ド・フランスの製パン部門を買収し、米国12カ所の製パン工場と7800件の取引先を取得
    • [48]1994年1月にヴィ・ド・フランスの外食部門も買収
    • [49]海外事業の売上高は本社売上高の3%
    • [50]1992年12月期に25年ぶりの減益となった
    • [51]同社幹部が2000年には海外売上高比率を2割まで高めたいと述べた

2000年〜 圧倒的シェアと自前物流を強みとするグループの拡大

山崎製パンの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2001年 サンロジスティックスを設立し物流事業を強化
  2. 2001年 ヴィ・ド・フランス営業本部を会社分割しヴィ・ド・フランスを設立
  3. 2006年 東ハトの株式を取得し菓子事業を拡大
  4. 2007年 不二家への資本参加と51%子会社化による経営再建の引き受け 傷んだ老舗を抱えるか、見送るか——菓子事業の拡大と再建支援が重なった判断
  5. 2009年 日糧製パンと資本業務提携し株式を取得(持株比率28.4%)
  6. 2012年 サンデリカが大徳食品の全株式を取得

飯島延浩体制と自前物流という競争優位

2000年代の山崎製パンは、1979年3月から代表取締役社長を務める飯島延浩氏のもと、創業家の飯島家による経営を続けた。同社はパン業界で約4割のシェアを握り、二位以下を大きく引き離す最大手の地位を固めていた。全国をくまなく走る約5000台の営業車が、コンビニやスーパー、地域の商店へパンを届け、多い店には一日に三回も配送する。このきめ細かな物流網こそが同社の強さを支える柱であった。 [55][56][57]

  • 山崎製パン 有価証券報告書 第78期(2025年12月期)【役員の状況】
    • [55]飯島延浩は1979年3月から代表取締役社長(現任)である
  • 週刊東洋経済 2011年1月8日号
    • [56]パン業界で約4割のシェアを持ち二位以下を引き離す最大手
    • [57]約5000台の営業車で多い店には一日三回配送するきめ細かな物流網

自前の物流網は、単なる配送手段にとどまらず利益の源泉であった。パンは種類が多く消費期限も短い多品種少量生産の製品であり、欠品や返品が起きやすいため、いかに効率よく配送するかが収益を左右する。山崎製パンは物流を自社で握ることでこの難題を解いていた。加えて、小売にとって同社のパンは棚から外せない商品であることから、値下げ圧力に対しても強い交渉力を保った。物流と品揃えの両面で、他社がまねしにくい競争優位を築いていた。 [58][59]

  • 週刊東洋経済 2011年1月8日号
    • [58]自前の物流網が利益の源泉でありライバルがまねできない強みとされた
    • [59]小売にとって同社のパンは棚から外せず値下げ圧力への交渉力が強い
  • 山崎製パン 有価証券報告書 第78期(2025年12月期)【役員の状況】
    • [55]飯島延浩は1979年3月から代表取締役社長(現任)である
  • 週刊東洋経済 2011年1月8日号
    • [56]パン業界で約4割のシェアを持ち二位以下を引き離す最大手
    • [57]約5000台の営業車で多い店には一日三回配送するきめ細かな物流網
    • [58]自前の物流網が利益の源泉でありライバルがまねできない強みとされた
    • [59]小売にとって同社のパンは棚から外せず値下げ圧力への交渉力が強い

東ハト・不二家の取り込みによる菓子事業強化

パン以外の食品領域でも、山崎製パンは大型の買収と提携で存在感を強めた。2006年7月には東ハトの株式を取得して菓子事業を拡大し、2007年4月には不二家と業務資本提携を結んで株式の35%を握り、筆頭株主となった。菓子と洋菓子を一体で立て直す狙いのもと、2008年11月には持株比率を51%へ引き上げ、不二家を子会社化している。相次ぐ再編を通じて、パン・菓子・洋菓子を束ねる総合食品グループの姿が鮮明になった。 [60][61][62][63]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [60]2006年7月に東ハトの株式を取得し菓子事業を拡大
    • [61]2007年4月に不二家と業務資本提携し株式35%を取得して筆頭株主となる
    • [62]2008年11月に不二家の持株比率を51%へ引き上げ子会社化
  • 週刊東洋経済 2007年2月17日号
    • [63]不二家は経営再建のパートナーに山崎製パンを選び同社が筆頭株主となった

2009年8月には日糧製パンとも業務資本提携を結び、株式の28.4%を取得して地方の製パン事業者との連携を広げた。経営の前面に立った飯島延浩社長は、未来学者アルビン・トフラー氏の言葉を引きながら消費者の権利を訴え、パンや和洋菓子の安全性を対外的に訴えた。買収による事業拡大と、品質・安全を前面に押し出す発信を組み合わせることで、山崎製パンは総合食品企業としての輪郭を強めた。 [64][65]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [64]2009年8月に日糧製パンと業務資本提携し株式28.4%を取得
  • 週刊東洋経済 2006年7月15日号
    • [65]飯島延浩社長がアルビン・トフラーの言葉を引き消費者の権利と製品の安全性を訴えた
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [60]2006年7月に東ハトの株式を取得し菓子事業を拡大
    • [61]2007年4月に不二家と業務資本提携し株式35%を取得して筆頭株主となる
    • [62]2008年11月に不二家の持株比率を51%へ引き上げ子会社化
    • [64]2009年8月に日糧製パンと業務資本提携し株式28.4%を取得
  • 週刊東洋経済 2007年2月17日号
    • [63]不二家は経営再建のパートナーに山崎製パンを選び同社が筆頭株主となった
  • 週刊東洋経済 2006年7月15日号
    • [65]飯島延浩社長がアルビン・トフラーの言葉を引き消費者の権利と製品の安全性を訴えた

2013年〜 値上げの浸透と最高益・さらなる規模拡大

山崎製パンの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2013年 PT.ヤマザキインドネシアの株式を取得(持株比率51%)
  2. 2013年 デイリーヤマザキを吸収合併
  3. 2016年 ベイクワイズブランズ,Incの全株式を取得
  4. 2016年 山崎製パン総合クリエイションセンターが竣工
  5. 2022年 監査役会設置会社から監査等委員会設置会社に移行
  6. 2022年 プライム市場に移行
  7. 2023年 神戸屋から製パン事業のYKベーキングカンパニーの全株式を取得

デイリーヤマザキ吸収と設備・体制の再編

2013年7月、山崎製パンはグループのデイリーヤマザキを吸収合併し、コンビニ事業を本体へ取り込んで運営の効率化を図った。2016年12月には千葉県市川市に山崎製パン総合クリエイションセンターが竣工し、2018年には兵庫県神戸市で神戸工場が稼働するなど、研究開発と生産の設備投資を継続した。創業地である市川に研究開発の中核を据える構図は、量産と品質改善を両輪で進める同社の方針を映すものであった。 [66][67][68]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [66]2013年7月にデイリーヤマザキを吸収合併
    • [67]2016年12月に千葉県市川市で山崎製パン総合クリエイションセンターが竣工
    • [68]2018年に兵庫県神戸市で神戸工場が稼働

ガバナンス面でも制度の見直しが進んだ。2022年3月には監査役会設置会社から監査等委員会設置会社へ移行し、取締役会による監督機能の強化を図った。同年4月には東京証券取引所の市場区分見直しに伴い、市場第一部からプライム市場へ移行している。1962年の上場以来積み重ねてきた資本市場での歩みは、市場再編を経てもなお最上位区分にとどまり、規模と信用の両面で同社の地位を裏づけた。 [69][70][71]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [69]2022年3月に監査役会設置会社から監査等委員会設置会社へ移行
    • [70]2022年4月に市場第一部からプライム市場へ移行
    • [71]1962年の上場以来の資本市場での歩み
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [66]2013年7月にデイリーヤマザキを吸収合併
    • [67]2016年12月に千葉県市川市で山崎製パン総合クリエイションセンターが竣工
    • [68]2018年に兵庫県神戸市で神戸工場が稼働
    • [69]2022年3月に監査役会設置会社から監査等委員会設置会社へ移行
    • [70]2022年4月に市場第一部からプライム市場へ移行
    • [71]1962年の上場以来の資本市場での歩み

神戸屋買収と原材料高克服による最高益

2023年3月、山崎製パンは神戸屋から包装パン事業を担うYKベーキングカンパニーの全株式を取得し、国内製パンの規模をさらに広げた。折からの原材料高に対しては段階的な価格改定で対応し、値上げが浸透するなかで収益が改善した。連結売上高は2005年12月期の7375億円から2025年12月期には1兆3114億円へと積み上がり、2025年12月期の営業利益は611億円、親会社株主に帰属する当期純利益は409億円と最高益の水準に達した。 [72]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [72]2023年3月に神戸屋からYKベーキングカンパニーの全株式を取得

市場もこの成長力を評価した。2023年11月2日には株価が3298円をつけ、1962年の株式上場以来の最高値を更新している。食パンやランチパックといった主力商品を国民食の域にまで高め、原材料高を乗り越えて最高益を重ねる姿は、たくましい成長力として受け止められた。連結従業員が3万人を超える規模へ拡大するなか、価格改定と品質改善を両立させ、山崎製パンは製パン最大手としての地歩をいっそう固めている。 [73][74]

  • 週刊東洋経済 2023年11月25日号
    • [73]2023年11月2日に株価3298円をつけ1962年の上場以来の最高値を更新
    • [74]食パンやランチパックを国民食の域にまで高めたと評価された
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [72]2023年3月に神戸屋からYKベーキングカンパニーの全株式を取得
  • 週刊東洋経済 2023年11月25日号
    • [73]2023年11月2日に株価3298円をつけ1962年の上場以来の最高値を更新
    • [74]食パンやランチパックを国民食の域にまで高めたと評価された

山崎製パンの沿革1948〜2023年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
飯島藤十郎氏が山崎製パン所を開業
パンの委託加工を開始
山崎製パンを資本金百万円をもって設立
杉並工場が竣工稼働
東京証券取引所市場第二部に株式を上場
山崎製パン横浜工場を吸収合併
東京証券取引所市場第一部に株式を上場
スーパーヤマザキを設立し流通事業に参入★★
米ナビスコ・日綿実業との合弁によるビスケット事業への進出パン一本で伸ばすか、菓子の棚まで取るか——外部ブランドを借りた多角化の選び方 詳細を読む★★★
山崎製パン千葉工場を吸収合併
山崎製菓・山崎製パン新潟工場を吸収合併
サンロイヤルがインストアベーカリー事業を開始
サンエブリーを設立しコンビニエンスストア事業に参入★★
飯島延浩サンデリカを設立しデリカ事業に参入★★
飯島延浩サンエブリーからデイリーヤマザキへの転換と、自前のコンビニ網の構築売り場は他人に委ねるか、自ら抱えるか——製パン最大手が小売業態を持ち続けた理由 詳細を読む★★★
飯島延浩コンビニエンスストア事業を本格展開
飯島延浩関西ヤマザキを吸収合併
飯島延浩イケダパンの株式を取得
飯島延浩安城工場が竣工稼働
飯島延浩ヴィ・ド・フランス・ベーカリー・ヤマザキ,Inc.を設立
飯島延浩松戸工場松戸第二工場が竣工稼働
飯島延浩札幌工場を新設して稼働
飯島延浩阪南工場を新設して稼働
飯島延浩サンロジスティックスを設立し物流事業を強化
飯島延浩ヴィ・ド・フランス営業本部を会社分割しヴィ・ド・フランスを設立
飯島延浩東ハトの株式を取得し菓子事業を拡大★★
飯島延浩不二家への資本参加と51%子会社化による経営再建の引き受け傷んだ老舗を抱えるか、見送るか——菓子事業の拡大と再建支援が重なった判断 詳細を読む★★★
飯島延浩日糧製パンと資本業務提携し株式を取得(持株比率28.4%)
飯島延浩サンデリカが大徳食品の全株式を取得
飯島延浩PT.ヤマザキインドネシアの株式を取得(持株比率51%)
飯島延浩デイリーヤマザキを吸収合併★★
飯島延浩ベイクワイズブランズ,Incの全株式を取得
飯島延浩山崎製パン総合クリエイションセンターが竣工
飯島延浩監査役会設置会社から監査等委員会設置会社に移行
飯島延浩プライム市場に移行
飯島延浩神戸屋から製パン事業のYKベーキングカンパニーの全株式を取得★★
出典・参考
  • 有価証券報告書【沿革】
  • 証券 1962年14(9)(160)「新規上場会社紹介 山崎製パン株式会社」
  • 日経ビジネス 1994年3月21日号「一定地域を集中開拓 効率配送でシェア拡大」
  • 日経ビジネス 1979年2月12日号「販売店から猛烈な反発食った山崎製パンの猛烈型セールス」
  • 日経ビジネス 1976年5月10日号「山崎製パン問題で“浮上した”監査役の役割を洗う」
  • 山崎製パン 有価証券報告書 第78期(2025年12月期)【役員の状況】
  • 週刊東洋経済 2011年1月8日号
  • 週刊東洋経済 2007年2月17日号
  • 週刊東洋経済 2006年7月15日号
  • 週刊東洋経済 2023年11月25日号

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