1954年に小池和夫氏が駒込で豆と小魚を揚げた「お好みあげ」が起源。
1962年にポテトチップス「のり塩」を発売し、1984年に「カラムーチョ」を出した。ポテトチップスでカルビーを追うスナック菓子メーカーで、日清食品ホールディングスの子会社である。
小池和夫氏は長野県の高校を卒業したのち、高田馬場(東京)にあった甘納豆屋に入り、6年間働いた。小池和夫氏は1927年3月17日の生まれで、甘納豆屋での年月は10代の終わりから20代前半に重なる。菓子の道を選んだ動機について、小池和夫氏は『菓子作りが子供の頃からの夢だった』と振り返った。店は従業員が少なく、小池和夫氏は菓子の製造から店頭での販売までの工程をすべて自分で担った。『早朝から深夜まで寝る暇がなかった』という日々の労働を、小池和夫氏はのちの湖池屋創業の土台に据えた。人手の少ない店で全工程を一人で覚えたことが、資金の乏しい独立を支える技の蓄えになったとみられる。
1954年、小池和夫氏は東京の駒込を拠点に湖池屋を創業した。1927年生まれの小池和夫氏は、創業の時点で20代後半だった。拠点は借家1軒で、小池和夫氏は数人の働き手とともに豆と小魚を一緒に油で揚げた。製品は「お好みあげ」と名づけた揚げ菓子で、最初の売り先は上野の百貨店だった。製造も販売も自ら手がける商売は、甘納豆屋で全工程を任された経験をそのまま生かしたものだった。手に入りやすい豆と小魚を素材に選び、売り先を百貨店1か所から始めたのは、少人数で回せる規模に抑えるためだったのだろう。
1958年1月、小池和夫氏はおつまみ菓子を作って売ることを目的に、東京都文京区で株式会社湖池屋を設立した。小池和夫氏は設立と同時に代表取締役社長に就任した。同じ1958年1月には小池陽子氏も取締役に就任し、経営陣は小池家の2人で組まれた。駒込で個人の店として始めてから、法人化までにおよそ4年を要した。湖池屋の有価証券報告書の沿革は、会社の歴史をこの1958年1月の設立から書き起こしている。百貨店との取引を続けるうえで、個人商店より法人の方が信用を得やすく、株式会社の形をとったと推察される。
法人化のあとも、「お好みあげ」の商いは小さな規模のまま続いた。1962年、小池和夫氏はバーで取引先を接待した席で、つまみとして供されたポテトチップを食べた。当時の日本に入っていたポテトチップは、米国から輸入された塩味の品だった。小池和夫氏はこの菓子を自社で製造すると決め、湖池屋は1962年1月にポテトチップスを製造して売り始めた。揚げ菓子の2つ目の品は、設立時に目的として掲げたおつまみ菓子の範囲にそのまま収まるものだった。酒の席のつまみという売り場を接待の場で自ら見ていたことが、新しい品を見つける目になったと思われる。
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事実根拠:出所(湖池屋)