明治製菓の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

原料を断たれるたびに、同じ発酵設備の中身を替えてきた。1945年1月に主力の川崎工場が空襲で全焼し、親会社の明治製糖は台湾・朝鮮の外地資産をすべて失って、砂糖という原料の後ろ盾が消えた。菓子と乳製品で培った発酵と培養の技術は、そのまま抗生物質へ移せる。1946年11月、焼け残った川崎工場の一部でペニシリンの製造を始め、来日した米テキサス大学のフォスター博士から技術の公開と種菌の分与を受けて量産へ進んだ。1958年には梅沢浜夫博士が発見したカナマイシンを菌の培養から原末まで一貫して工業化し、原末を輸入して製剤化するだけの当時の製薬業から外れる。菌の培養から原末・製剤までを自社で持ったことが、以後の利益を薬品の側へ寄せた。

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