決断
原料を断たれるたびに、同じ発酵設備の中身を替えてきた。1945年1月に主力の川崎工場が空襲で全焼し、親会社の明治製糖は台湾・朝鮮の外地資産をすべて失って、砂糖という原料の後ろ盾が消えた。菓子と乳製品で培った発酵と培養の技術は、そのまま抗生物質へ移せる。1946年11月、焼け残った川崎工場の一部でペニシリンの製造を始め、来日した米テキサス大学のフォスター博士から技術の公開と種菌の分与を受けて量産へ進んだ。1958年には梅沢浜夫博士が発見したカナマイシンを菌の培養から原末まで一貫して工業化し、原末を輸入して製剤化するだけの当時の製薬業から外れる。菌の培養から原末・製剤までを自社で持ったことが、以後の利益を薬品の側へ寄せた。
1980年8月 薬品部門への経営資源集中
薬品部門への経営資源集中菓子需要の連続減少と国産原料の高値という構造要因を前に、祖業の菓子は畳まずに縮め、人・モノ・カネを薬品部門へ寄せた配分の組み替え同じ経営論点に直面した企業 | 構造改革・リストラ業績の推移1979 1980 1985 売上高(億円) 1,752 1,657 2,023 経常利益率(%) 5.1 1.9 2.8 1958年 カナマイシンの工業化
カナマイシンの工業化原末を輸入して製剤化するだけの当時の日本の製薬業から外れ、設備資金と自主技術を先に投じて原体の内製へ回った判断同じ経営論点に直面した企業 | 新規事業・多角化業績の推移1957 1958 1963 売上高(億円) 102 118 314 純利益率(%) − − 5.4 1946年10月 ペニシリン製造の開始