ヨネックス商号のヨネックスへの変更とゴルフ事業への進出、新素材クラブの発売
バドミントンとテニスで積んだ素材技術を、第3の競技へ振り向けられるか
- 概要
- 1982年7月、ヨネックススポーツ株式会社はヨネックス株式会社へ商号を変更し、同じ月にゴルフ事業へ進出して新素材のゴルフクラブを発売した。海外で読みにくい「ヨネヤマ」を「YONEX」へ寄せる社名の整理と、バドミントン・テニスに続く第3事業の追加を、同じ月にまとめて実行した判断であった。
- 背景
- 創業者・米山稔氏は、木製の漁網用浮きがプラスチックに置き換わるのを見抜けずに大失敗した経験を持つ。以後ヨネックスはバドミントンラケットに世界で最初にアルミを採用し、グラスファイバー・カーボンファイバー・ボロン繊維を他社に先んじて取り入れていた。
- 内容
- ラケットで積んだ新素材の蓄積をクラブへ振り向け、1983年には世界で初めてカーボン製アイアンを発売した。取扱品目はバドミントン・テニス・ゴルフの三つに絞り、ラケット・クラブ・シャトルコック・ストリングのいずれも自社生産を守った。
- 含意
- 参入から12年後、ゴルフ用品は売上高の3分の1程度を占めるまでになった。ただし市場シェアは3%・業界7位の後発にとどまり、国内のゴルフ市場自体は1991年をピークに縮んでいく。技術の流用で規模は作れても、市場の縮小までは覆せなかったとみることができる。
素材で負けた者の多角化
ゴルフ参入を、成長市場への相乗りとみるのは当たらない。ヨネックスが持ち込んだのは資本でも販路でもなく、バドミントンラケットへの世界初のアルミ採用から始まり、グラスファイバー・カーボンファイバー・ボロン繊維へと積み上げた素材と成形の技術であった。木の浮きが樹脂に置き換わるのを見抜けず大失敗した経営者が、素材の切り替えを自ら仕掛ける側へ回ったところに、この判断の芯があるとみることができる。
もっとも、ゴルフが柱として自立したとは言いにくい。参入から12年を経ても市場シェアは3%・業界7位にとどまり、米山稔社長が掲げた5%も遠かった。石川遼選手との契約で認知が広がった2008年でさえ、山本美雄取締役は金銭では元が取れていないと認めている。それでも売上の3分の1を担う規模までは育った。多角化の成否は市場の大きさよりも持ち込める技術の中身で決まる——ヨネックスのゴルフ参入は、その一例として読むことができる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
木の浮きで負けた原点
米山稔氏がスポーツ用品へ移る前に手がけていたのは、サケ・マス漁の漁網に使う木製の浮きであった。年に一度の取引に備えて作りだめをしている間に、世の中では技術革新と素材革命が進み、木の浮きはプラスチックに置き換わっていた。米山氏は後年、情報力の不足と新素材に対する技術力の遅れが招いた大失敗であったと振り返り、そこで得た教訓を技術と情報を最重視する方針として経営に据えたと述べている[1]。
その方針はラケットの素材選択に表れた。ヨネックスはバドミントンラケットに世界で最初にアルミを採用し、続いてグラスファイバー、カーボンファイバー、さらに「第4世代の繊維」と呼ばれるボロン繊維までを他社に先んじて取り入れた。1969年1月には本社第一工場を増設してテニスラケットの製造を始め、1981年7月には西ドイツに販売会社YONEX SPORTS GmbHを設立して欧州への直接販売に着手している[2][3]。
決断
社名を「ヨネックス」に揃え、第3の競技へ
1982年7月、ヨネックススポーツ株式会社はヨネックス株式会社へ商号を変更し、同じ月にゴルフ事業へ進出して新素材のゴルフクラブを発売した。社名の整理は1974年1月に「ヨネックス」(YONEX)の商標を出願した時点から続く作業で、海外から「ヨネヤマ」は発音が難しいという声が寄せられたことを受け、国際市場で読める名へ寄せたものであった。ブランドの統一と第3事業の追加が、同じ月に重なった[4][5]。
クラブに投じたのは、ラケットで積んだ新素材の蓄積であった。1983年には世界で初めてカーボン製アイアンを発売し、画期的な新製品として話題になったと米山稔社長は後に述べている。取扱品目はバドミントン・テニス・ゴルフの三つに絞り、ラケット・クラブ・シャトルコック・ストリングのいずれも、海外委託生産が一般的だった時期に自社生産を守った。素材の内製と、その素材を別の競技へ振り向ける設計を組み合わせていた[6][7]。
結果
売上の3分の1と、後発の位置
参入から12年後、ゴルフ用品は売上高の3分の1程度を占めるまでになった。1994年3月の講演で米山稔社長は、バドミントンラケットのシェアは77%程度と寡占に近く、テニスラケットも伸びは望みにくいのに対し、ゴルフクラブは市場シェア3%・業界7位の後発であり、伸びる余地は残されていると述べている。当面はシェア5%への引き上げを狙うとして、最も有望な部門にゴルフを挙げた[8][9]。
もっとも、ゴルフ市場そのものは長く縮んだ。1991年に2兆9,860億円あった国内市場は2008年に1兆6,760億円まで落ち、クラブ販売の低迷が残った。ヨネックスは2008年1月、業界下位の立場で石川遼選手と高額契約を結び、ゴルフ関連売上は2桁増、キャディーバッグの売れ行きは10倍以上に伸びた。ゴルフ事業部長の山本美雄取締役は、金銭だけなら元は取れていないが企業イメージ全体が上がったと語っている[10][11]。
- ヨネックス 有価証券報告書【沿革】
- 証券アナリストジャーナル 1994年4月号「企業 ヨネックス」(米山稔社長 1994年3月25日講演)
- 週刊東洋経済 2010年5月15日号「特集 スポーツビジネス徹底解明 人気復活と浮かれていられない 猶予期間はあと5年 改革迫られるゴルフ産業」
- ヨネックス公式 会社沿革(https://www.yonex.co.jp/company/history/)