1949年3月、鬼塚喜八郎氏が神戸市生田区山本通で個人名義のゴム履物問屋として鬼塚商会を発足[1]したのが原点である。同年9月、鬼塚商会を改組して鬼塚株式会社(神戸市)を設立し、当初はゴム履物および自転車タイヤ・チューブの配給問屋として兵庫県警察本部の指定代行店業務を担った[2]。だが鬼塚喜八郎氏は『戦後の青少年の育成はスポーツの興隆にある』[引用元]との確信から、1950年にスポーツシューズの専門メーカーへ脱皮してバスケットボールシューズほかスポーツ専門シューズの研究に着手[3]、1951年に統制品のゴムが解除されると本格的な製造販売に乗り出し、西日本各地区のスポーツ用品店への販路を広げた[4]。資本金30万円・従業員2名の小規模な出発で、神戸の地場製造業として戦後復興期のスポーツ需要を捉えにいった。
1953年5月、自家工場タイガーゴム工業所(神戸市・従業員約50名)を開所[5]して内製による生産体制を整えた。1954年には東洋レーヨンの靴分野の指定工場となってナイロンスポーツシューズの研究・製造に着手し[6]、1955年8月には関東・東北地区の販売拠点として東京鬼塚株式会社(東京都)を設立して東日本販売拠点を整備した[7]。製品の技術水準も向上し、1956年にはメルボルンオリンピックほか各国際試合に同社製品が使用され[8]、1957年には中小企業の模範企業として中小企業庁長官賞を受けた[9]。同じく1957年6月、生産部門としてタイガーゴム工業所を改組してオニツカ株式会社を設立[10]、1958年7月には鬼塚株式会社・東京鬼塚株式会社をオニツカ株式会社に吸収合併して生産・販売を一体化し、資本金830万円となった[11]。創業から9年で『オニツカタイガー』ブランドのシューズ専業メーカーとしての体制を組成した。
1964年2月、神戸証券取引所に上場[12]、同年4月には大阪証券取引所市場第二部に上場した[13]。この頃にはスポーツ用シューズのシェアでわが国第一[14]を誇るまでに成長しており、多品種少量生産を経営上の特長としつつ、量産可能な製品については一貫生産を行う体制を敷いていた。財務面では1964年以来の三ヵ年計画で自己資本比率の改善に努め、創業20周年[15]を迎える1969年にはその比率を40%台に乗せる見通しに立っていた。1972年5月の東京証券取引所市場第二部上場[16]を経て、1974年6月に東京・大阪証券取引所市場第一部に指定された[17]。創業から25年で東証一部上場に到達した、戦後復興期スタートアップのスピード上場事例である。1975年8月には欧州市場開拓のためオニツカタイガー有限会社(のちにアシックスドイチュラントGmbH)を設立[18]、欧州事業を開始した。
1977年7月、商号を株式会社アシックスに変更し、株式会社ジィティオ及びジェレンク株式会社と合併、縫製7工場及[19]びジェレンクU.S.A.,Inc.(のちにアシックススポーツオブアメリカINC.)等を引継いだ。創業28年で『鬼塚』から『アシックス』へ商号転換すると同時に、競合3社(ジィティオ・ジェレンク・ジェレンクU.S.A.)との合併で生産・販売の規模を拡張する三社統合を実行した。
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|---|---|---|---|---|
| 1949〜1977年神戸の鬼塚商会からオニツカタイガー・アシックスへの28年 | 鬼塚商会発足 | ★ | ||
| 焼野原の神戸でスポーツシューズ専業に賭けた鬼塚商会の創業 1949年3月、鬼塚喜八郎氏が神戸でゴム履物問屋として鬼塚商会を起こし、翌年にはスポーツシューズ専門メーカーへ脱皮した創業。タコの吸盤に着想した吸着ソールのバスケットボールシューズを軸に、のちのオニツカ・アシックスへ連なる事業の土台を築いた。 詳細を読む | ★★★ | |||
| バスケットボールシューズなどスポーツシューズの生産・販売を開始 | ★★ | |||
| 自家工場タイガーゴム工業所(神戸市)を開所 | ★ | |||
| 関東・東北地区の販売拠点として東京鬼塚(東京都)を設立 | ★ | |||
| タイガーゴム工業所の改組によりオニツカを設立 | ★ | |||
| 鬼塚と東京鬼塚を吸収合併 | ★ | |||
| 東京鬼塚本社を東京支店に商号変更 | ★ | |||
| 中央産業へ、オニツカを吸収合併、直ちに商号をオニツカに変更 | ★ | |||
| 神戸証券取引所に上場 | ★ | |||
| 大阪証券取引所市場第二部に上場 | ★ | |||
| スポーツシューズの生産工場として、鳥取オニツカ(のちに山陰アシックス工業)を設立 | ★ | |||
| 東京証券取引所市場第二部に上場 | ★ | |||
| 東京・大阪証券取引所市場第一部に指定 | ★ | |||
| 欧州市場開拓のためオニツカタイガー(のちにアシックスドイチュラントGmbH)を設立 | ★ | |||
| オニツカ・ジィティオ・ジェレンク3社合併によるアシックス発足 1977年7月、シューズ専業のオニツカが、スポーツウエアなどを手がけるジィティオ・ジェレンクの2社と対等合併し、株式会社アシックスが発足した。 詳細を読む | ★★★ | |||
| ジィティオ・ジェレンクと合併し7工場とジェレンクU.S.A.,Inc.を継承 | ★★ | |||
| 1977〜2015年鬼塚から尾山までの30年と国際拠点網の整備 | 鳥取アシックス工業(のちに山陰アシックス工業)を設立 | ★ | ||
| アシックスタイガーコーポレーションを設立 | ★ | |||
| 神戸ポートアイランド(神戸市)に新本社社屋建設、本社を移転 | ★ | |||
| スポーツ工学研究所を新設 | ★ | |||
| アシックスタイガーオセアニアPTY.LTD.を設立 | ★ | |||
| アシックススポーツ工学研究所・人財開発センターが竣工 | ★ | |||
| 江蘇愛世克私有限公司を設立 | ★ | |||
| 欧州統括会社としてオランダにアシックスヨーロッパB.V.を設立 | ★ | |||
| 販売業務をアシックス北海道販売・アシックス中部販売に集約 | ★ | |||
| 宮崎アシックス工業をアシックスアパレル工業に商号変更 | ★ | |||
| 和田清美 | アシックス歩人館を設立 | ★ | ||
| 和田清美 | 台湾亞瑟士運動用品股份有限公司を設立 | ★ | ||
| 和田清美 | 愛世克私(上海)商貿有限公司を設立 | ★ | ||
| 和田清美 | 持分法適用関連会社であったアシックス商事・子会社を子会社化 | ★ | ||
| 尾山基 | アシックススカンジナビアASを子会社化 | ★ | ||
| 尾山基 | スウェーデンのホグロフスHDAB・子会社を子会社化 | ★★ | ||
| 尾山基 | アシックスジャパンを設立 | ★ | ||
| 尾山基 | 日本事業をアシックスジャパン・アシックススポーツ販売に吸収分割 | ★ | ||
| 尾山基 | 公開買付け・株式交換により、アシックス商事・子会社を完全子会社化 | ★★ | ||
| 2016〜2025年FY18・FY20連続赤字からの構造改革と過去最高益1,425億円 | 尾山基 | フィットネスキーパー Inc.を完全子会社化 | ★★ | |
| 廣田康人 | Registration Logic Pty Ltd.を完全子会社化 | ★ | ||
| 廣田康人 | 日本テレビHDと共同でアールビーズを子会社化 | ★★ | ||
| 廣田康人 | njuko SASを子会社化 | ★ | ||
| 廣田康人 | ホグロフスABの株式譲渡を実行 | ★★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(アシックス)