鬼塚商会の創業(1949年・アシックスの決断) 更新:2026/07/16 論点 スポーツシューズ専業で創業するか 焼野原の神戸でスポーツシューズを専業とした 何をなぜ決めたか:焼野原の神戸でスポーツシューズを専業とした 概要 1949年3月、鬼塚喜八郎氏が神戸でゴム履物問屋として鬼塚商会を起こし、翌年にはスポーツシューズ専門メーカーへ脱皮した創業。タコの吸盤に着想した吸着ソールのバスケットボールシューズを軸に、のちのオニツカ・アシックスへ連なる事業の土台を築いた。 背景 空襲で焼野原となった神戸では身寄りを失った青少年がすさんだ暮らしのなかにあり、陸軍時代の先輩・堀公平氏に 『靴屋になれ、青少年がスポーツに打ち込めるよい靴をつくれ』 と勧められた鬼塚喜八郎氏は、スポーツによる青少年育成を自らの務めと定めた。 内容 個人名義の履物問屋を早々に法人化して公私を分け、ある高校の監督の依頼で作ったバスケットボールシューズに、キュウリの酢の物のタコの足の吸盤を模した吸着ソールを採り入れ、急発進と急停止に応える競技靴を完成させた。 いつ何が起きたか 6件 考察:私欲を抑え、会社を公器とする経営観の原点 考察 考察:私欲を抑え、会社を公器とする経営観の原点 この創業の核心は、優れた製品を生んだ着想の妙よりも、事業を営む鬼塚喜八郎氏自身の身の処し方にあったとみられる。家計と会社の経理を厳しく分け、夫人には社員寮の賄いを任せ、自らの家計収入を月給の1万円だけに抑えた。会社を私物化した前の勤め先を反面教師とし、法人化によって公私を隔てるところから事業を始めた点は、戦後の成金たちがたどった道とは異質のものであった。青少年育成という動機と、私欲を抑えるという律し方は、初めから分かちがたく結びついていたと推察される。 創業から4年目と7年目に鬼塚喜八郎氏は肺結核で倒れ、死の淵で若い社員たちの献身に支えられて生き延びた。その原点をどう次代へつなぐかは、創業家の世襲を絶った企業が現在も向き合う問いとして残る。 Yutaka Sugiura, 2026年7月 概況 参考文献 参考文献 参考日経ビジネス 1985年8月19日号日経ビジネス 1992年7月20日号企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)アシックス コーポレートサイト「創業者・鬼塚喜八郎」(https://corp.asics.com/jp/p/mr_onitsuka)SB Creative ビジネス+IT「アシックス創業者はなぜ、縁のなかった『スポーツ』の世界にその人生を捧げたのか」 次に読む決断 アシックスの意思決定1977年アシックスアシックスオニツカなど3社合併同業3社の合併で総合メーカーを目指すか1977年2026年アシックスアシックスオニツカタイガー事業の分社高収益ブランドを別会社で運営するか2026年同じ問い:研究開発への注力1950年不二製油不二製油伊藤忠出資で不二蚕糸工場買収後発で液体油か固型脂のどちらに参入するか1950年1950年日本ゼオン日本ゼオン米グッドリッチとの合弁設立技術を自社開発するか導入するか1950年1948年ホンダホンダ本田宗一郎の創業補助エンジンの事業の法人化1948年1946年ソニーソニー井深・盛田両氏が創業民生用エレクトロニクスで創業するか1946年1946年カシオ計算機カシオ計算機三鷹の町工場で創業下請けから独自製品の開発へ転じるか1946年 × 出所