決断
売る名前は海外へ合わせ、作る場所は新潟から動かさなかった。1969年1月には台湾製の安価品に対抗してテニスラケットを加え、1974年1月には国内で通っていた"ヨネヤマ"を捨てて"YONEX"の商標を出願する。1982年7月には商号をヨネックスへ改め、新素材のクラブでゴルフ事業へ参入した。1981年7月の西ドイツを起点に、1983年の米国、1987年の英国と台湾へ6年で直販・生産網を敷いた。それでも主力の生産は創業地の越路町へ置き続け、2019年12月には金型メーカーの東洋造機を完全子会社化してラケット製造の金型技術まで内製化している。名前だけを国際化して製造を移さなかったことが、用具の性能で選ばれる市場で品質を管理し続ける条件を作った。
2022年4月 米山有沙氏が社長就任
米山有沙氏が社長就任創業家3代で続いた社長職を2015年に非創業家へ渡し、代表権を持つ会長は創業家に残したまま、2022年に創業者の孫・米山有沙氏へ戻した二段階の承継同じ経営論点に直面した企業 | 経営体制・承継連結従業員数と平均年間給与2021 2022 2026 提出会社従業員数(人) 1,231 1,180 1,467 子会社の従業員数(人) 554 1,223 1,513 平均年間給与(千円) 4,597 5,223 6,412 1982年7月 ゴルフ事業への進出