森永製菓の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

拡張のたびに無配へ落ち、そのたびに規模を半分へ戻してきた。1925年に鶴見・塚口の両工場を新設して資本金を1,500万円まで積み増したものの、1930年の金解禁後の不況で増えた生産を消化できず、1931年9月期から3期を無配とし、1933年8月に半額減資して資本金を750万円としている。1979年3月期には戦後初となる経常損失8億8,700万円を出し、400種あった品目を200種へ、7工場を5工場へ減らし、900人以上が希望退職に応じた。1997年3月期の11年ぶりの無配も同じ順序をたどり、1996年12月に菓子事業本部を5つの独立採算ユニットへ再編し、1999年には三重県で構想した総事業費3,500億円の"エンゼルの森"から撤退する。新製品ではなく、抱えた品目と土地を手放す決定が、三度とも黒字を回復させた。

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