稲生平八

森永製菓・元代表取締役社長就任

Inoo Heihachi(敬称略)

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社長就任 1979年6月
生年月日 —
出自 —
社長就任までの出自
出自

1905年に東京で生まれ、1930年4月に慶應義塾大学経済学部を卒業して同月森永製菓へ入社した。1949年に取締役、1954年9月に常務取締役、1962年5月に専務取締役へ進み、1970年5月に代表取締役副社長となると同時に森永乳業の代表取締役社長を兼ねた。前任の森永太平氏も1955年から森永乳業の社長を務めており、本体の首脳が分離した乳業会社の社長を兼ねる形が続いていた。稲生氏は1979年6月に森永乳業の社長を退き、同月に森永製菓の代表取締役社長へ移っている。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1979年3月期の経常損益は8億8700万円の赤字で、戦後初の欠損だった。押し込み販売で決算期の帳尻を合わせる商いが続き、製品在庫は1978年11月に業界平均の2倍の2カ月分157億円へ積み上がっていた。菓子だけで200種、食品を含めて400種を抱えながら、売上規模は35種ほどの江崎グリコと変わらなかった。創業80周年の1979年6月、33年間社長を務めた森永太平氏は取締役会長へ退き、松崎保副社長ら5人の首脳も責任をとって辞任した。森永乳業の社長を9年務めた稲生氏が同月に本体の社長へ就任した。

在任中の主な施策
施策

再建は人員の削減から入り、1979年12月20日を最終日とする希望退職には900人以上が応じ、人員は1979年3月期末の4700人余から967人減の約3700人となった。7工場を5工場へ削り、福岡工場を九州森永、小山工場を栃木森永として分離独立させ、1品種1工場の専門化を進めた。400種の品目は200種へ半減させ、地方販売部を12から8に減らし、在庫を80億円圧縮し、32億円の土地を売却した。単体の経常損益は1980年3月期の50億円の赤字から1983年3月期の43億円の黒字へ戻った。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1930〜1983年
在任中の業績
就任前(FY78)1,157億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 2件
参考文献
  • 日本企業要覧 1979年版
  • 日経ビジネス 1980年1月28日号「ケーススタディ 森永製菓 長期政権でつまずいた老舗に再生の嵐」

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