森永太一郎
森永製菓・元社長
社長就任1910年2月
生年月日—
学歴—
出自—
経歴1885〜1935年
経歴
| 区分 | 所属先 | 就任年 | 役職 | 現任 | 1885年主要役職の状況(推定含む目安)1935年 |
|---|---|---|---|---|---|
| 民間 | 道谷商店(横浜・九谷焼売込商) | 1885 | 入店 | ||
| 森永製菓(旧・森永西洋菓子製造所) | 1899 | 創業 | |||
| 1910 | 設立 社長 | ||||
| 1912 | 改称 | ||||
| 1935 | 社長 退任 |
社長就任までの出自
出自
佐賀県伊万里町に生まれた。祖父の代までは伊万里焼と魚の問屋を営んでいたが、1869年に父を亡くして家財を失い、伯父や伯母の家を転々とした。漢学者の川久保雄平氏の店で店番を務めながら読み書きを習い、13歳の春に野菜の行商を始めた。1885年には横浜の九谷焼売込商・道谷商店に雇われ、居留地の外国商館への売込みを担った。1888年7月、24歳で渡米した。
社長に選ばれた経緯
抜擢
1910年1月の発起人会で定款を定め、2月22日に資本金30万円の株式会社森永商店を設立して取締役社長に就任した。取締役には藤村義苗氏・松崎半三郎氏・多久島辰次氏が就任し、創立総会は北浜銀行頭取の岩下清周氏が議長を務めた。株式組織への改組は、松崎半三郎氏が1905年の入店時に条件の一つとして求めていたものである。岩下清周氏の勧めで改組を進めたが、親戚筋の反対が強く、説得に2、3日を要した。
在任中の主な施策
施策
1907年7月18日に赤坂の工場が焼けると、芝区田町へ移り、3カ月で木造2階建ての新工場を完成させて輸入機械を据え付けた。1912年11月1日に社名を森永製菓株式会社へ改めた。資本金は30万円から50万円、1917年に60万円、1918年11月に120万円へと積み増した。1914年6月には南洋・インド方面へ自ら出張し、輸出の販路を探った。
創業ストーリー
創業ストーリー
参考文献5件
参考文献
- 森永製菓『森永五十五年史』(1954)「今昔の感」(森永太一郎)
- 森永製菓『森永五十五年史』(1954)「思ひ出のまま」(松崎半三郎)
- 森永製菓『森永五十五年史』(1954)第II部 写真録「二代社長の就任」
- 森永乳業『森永乳業五十年史』(1967)
- 森永製菓 有価証券報告書(2017年3月期)
事実根拠:出所(森永製菓)