ビヒダス発売とビフィズス菌による独自路線

規模で先頭に立てない土俵で、森永は何を武器に差別化したか

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時期 1977年6月
意思決定者 稲生平八 社長
論点 規模競争を避ける差別化と機能性乳製品への多角化
概要
1977年6月、森永乳業がビフィズス菌を用いた乳製品乳酸菌飲料「森永ビヒダス」を発売し、明治・雪印との規模競争を避けて菌種で差別化する独自路線を選んだ判断。1969年に発見したヒト由来のビフィズス菌BB536を、1971年に日本で初めて乳製品へ応用し、機能性という新しい土俵を業界に先んじて開いた。
背景
戦後の家庭用乳業は明治・雪印・森永の3強が同じ土俵で量を競う構造で、全国に工場網を広げても売上に見合う利は薄かった。1970年代の単体経常利益は売上高の1%前後にとどまり、規模で先頭に立つ競争に活路を見いだしにくい状況にあった。
内容
森永は赤ちゃんの腸内から採ったビフィズス菌BB536を核に、酸や酸素に強く生きたまま大腸へ届く菌の特性を製品価値へ変えた。1977年のビヒダスを皮切りに翌1978年にはビヒダスヨーグルトを加え、どの菌が入っているかで選ばせる発酵乳のカテゴリを立ち上げた。
含意
菌研究への投資は、1993年に低リンミルクL.P.Kが特定保健用食品の第1号許可を受ける形で制度の裏付けを得た。発酵乳と機能性の高付加価値品を収益の柱に据える構造は、量産競争に距離を置いて利益率を保つ現在の姿につながっている。
筆者の見解

規模の劣勢を差別化に転じる選択

この判断の核心にあったのは、規模で先頭に立ちにくい土俵から、いったん降りるという選択であった。明治や雪印と同じ製品を全国で量産して競う限り、売上は伸びても利は薄く、順位も入れ替わりにくい。森永はその競争の外側に、自社が発見した菌という別の物差しを持ち込んだ。量ではなく中身で選ばせるという発想は、乳業という成熟した産業のなかで、規模の劣勢を差別化に転じようとする試みであったとみることができる。

もっとも、菌による差別化がそのまま安泰を約束したわけではない。菌の発見から製品化まで、そして機能性が制度に裏付けられるまでには、長い研究の蓄積と、その果実が実るのを待つ時間が要った。1969年の菌の発見から1993年のトクホ第1号まで四半世紀を数えることは、独自路線が短期の勝負ではなく、腰を据えた投資の上に成り立っていたことを物語る。規模を追わずに稼ぐという森永の選択が、機能性表示食品の広がる今日の市場でどこまで優位を保てるのかは、量から質へ移ってきた乳業の行方とともに、なお見定めにくいところとみられる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

乳業3強のなかの量産競争

戦後の家庭用乳業は、明治乳業・雪印乳業・森永乳業の3社が同じ土俵で競う3強の構造をとっていた。森永は都市部の飲用牛乳、いわゆる市乳でエンゼルマークのブランド力を背景に強みを持ち、調製粉乳やバター・チーズといった乳製品部門も安定した収益源へ育てていた。1967年には創業50周年を迎えて年商900億円近くに達し、乳業界のリーディング・カンパニーと記されるまでになっていた。もっとも、同じ製品を全国で量産して競い合う枠組みそのものは、3社が横並びのまま抜け出しにくいものであった[1]

しかし、量を追う競争は利幅を細らせやすかった。単体決算をみると、1971年3月期に1187億円だった売上高は1976年3月期に1949億円へと伸びたものの、経常利益は各期17億〜25億円、1974年3月期には4億円まで落ち込み、売上高の1%前後にとどまっていた。設備と販売網を広げて数量を伸ばしても、それが利益に結びつきにくい構造がうかがえる[2]

規模の外側に活路を求める

3強が横並びで量を競う土俵では、設備投資を積み増して数量で先頭に立とうとしても、明治や雪印との差を一気に詰めることは難しかった。森永は1961年のクリープ発売に続き、1966年の中京・多摩、1970年の大和・村山、1973年の利根、1975年の別海と、高度成長期を通じて全国に工場網を築いていた。量産の体制は整いつつあったものの、その延長線上に規模競争を勝ち抜く展望が開けていたわけではなかった[3]

そこで浮かび上がったのが、規模ではなく製品の中身で差をつける道であった。森永は戦前の1937年に森永ヨーグルトを発売するなど、早くから発酵乳を手掛け、乳酸菌や腸内細菌を扱う技術の素地を社内に蓄えていた。量で競う土俵から一歩引き、他社が持たない菌を武器にできれば、規模の大小とは別の基準で選ばれる商品をつくれる——差別化への模索は、こうした自社の蓄積と重なっていた[4]

決断

ヒトのビフィズス菌BB536

森永が差別化の核に据えたのが、ビフィズス菌であった。同社は1969年、赤ちゃんの腸内から採取したヒト由来のビフィズス菌を選び出し、これを「ビフィズス菌BB536」と名づけた。母乳で育つ乳児の腸内にビフィズス菌が多いことは知られており、赤ちゃんの菌を選んだ点に、育児用粉乳を古くから手掛けてきた乳業メーカーらしい着想がうかがえる[5]

BB536は、扱いやすさの面でも製品向きの菌であった。多くのビフィズス菌は酸や酸素に弱く、胃を通る間に死んでしまうが、BB536は酸や酸素に強く、生きたまま大腸に到達し、そこで短鎖脂肪酸を作って働くとされた。生きて腸まで届くという特性は、飲んだり食べたりして初めて意味を持つ乳製品にとって、そのまま売り物になり得るものであった[6]

1977年、ビヒダスの発売

発見した菌を製品に変える技術は、1971年に形になった。森永はこの年、日本で初めてビフィズス菌を乳製品へ応用することに成功し、菌を生きたまま乳製品に含ませる道を開いた。研究室の成果を、日々口にする商品へ落とし込む段階に入ったといえる[7]

そして1977年6月、森永はビフィズス菌入りの乳製品乳酸菌飲料「森永ビヒダス」を発売した。翌1978年にはビフィズス菌入りの発酵乳「森永ビヒダスヨーグルト」を加え、菌の名を冠した商品群を市場へ送り出した。他社が味や量で競う発酵乳のなかに、どの菌が入っているかを選ぶ基準を持ち込み、菌種そのものを売り物にするカテゴリを業界に先んじて立ち上げた判断であった[8][9]

結果

トクホ第1号という裏付け

菌研究への投資は、行政の制度が整うなかで裏付けを得た。特定保健用食品(トクホ)の制度が始まると、森永は1993年6月、低リンミルクL.P.Kでその第1号の許可を受けた。慢性腎不全の食事療法向けに、消化吸収されやすい乳たんぱくを残しつつリンを牛乳の5分の1に抑えた調製粉乳で、健康表示を国が認める第1号の座を、乳業各社に先んじて押さえた[10]

トクホ第1号は、機能性という土俵で森永が先行していることを、行政が公に認めるものであった。腸内細菌や乳たんぱくの研究を長く積んできた蓄積が、健康に役立つと国が認める製品として表に出た。量ではなく中身で選ばれる商品づくりという1977年来の路線が、制度の裏付けを伴って一段進んだとみることができる[11]

発酵乳の収益基盤と利益率

差別化の路線は、発酵乳という収益の柱を育てることにもつながった。菌を軸にしたヨーグルトは森永の看板商品へ育ち、1990年代半ばに登場したアロエヨーグルトは、ヨーグルトブームも追い風に2002年には272億円を売り上げるカテゴリになった。味や価格だけを競うのではなく、素材や機能で選ばせる発酵乳は、量産品とは異なる値付けのできる領域を同社にもたらした[12]

こうした高付加価値の発酵乳や機能性食品を収益の柱に据える構造は、利益率の面にも表れている。連結の営業利益率は2015年3月期に1%あまりにとどまっていたが、2020年代には5%前後へと改善した。量産競争のなかで薄い利幅に甘んじていた時期と比べ、中身で選ばれる商品を厚くしたことが、利益率を押し上げた一因とみられる[13]

出典・参考