森永乳業の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

事件の責任の取り方が、そのまま商品の作り方を決めた。1955年、徳島工場で乳質安定剤に混入したヒ素により、死者131人・中毒患者12,159人の粉乳中毒事件が起きる。大野勇氏は1956年春に専務を辞任したうえで、信用の回復を研究に求め、北海道大学の前野正久博士を研究所長に招いた。前野氏はガラクトース入りの森永Gドライを開発し、1957年には東京工場で日本の乳業として初の大量生産方式へ移行している。後遺症の公表と三者会談を経た1974年4月には全面出資で恒久救済の財団法人ひかり協会を設立した。同じ研究の系譜から1969年採取のビフィズス菌BB536が1971年に日本で初めて乳製品へ応用され、1977年6月には森永ビヒダスを発売してビフィズス菌の独自路線へ進んだ。事件のあとに置いた研究の設備が、1993年の特定保健用食品第1号まで続く品目を生んだ。

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