大野勇

森永乳業・元取締役会長

Ono Isamu(敬称略)

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社長就任 1960年5月
生年月日 —
出自 —
社長就任までの出自
出自

1923年に慶應義塾大学を出て、同年4月に森永製菓へ入社した。1946年5月に森永食糧工業の常務取締役となり、1949年10月に森永乳業の専務取締役へ移った。1956年5月に専務を退任して常任参与となったのち、1957年5月に常務取締役、1958年5月に代表取締役専務へ戻り、1960年5月に代表取締役社長へ就任した。菓子の側から乳業へ出て、役員を一度外れてから社長へ上がった。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1960年5月、大串松次氏の後任として代表取締役社長に就任した。4年前の1956年5月には、森永ヒ素ミルク中毒事件の責任をとって専務取締役を退き、常任参与に下がっている。同じ年に中断していた工場建設を再開し、破産整理中だった日本建鉄の土地を取得して葛飾に東京工場を着工、翌1957年に完成させ、北海道大学の前野正久博士を研究所長に招いた。事件の処理と再建にあたった当人を、4年で社長へ戻す人事だった。

在任中の主な施策
施策

就任直前の1960年3月期に176億円だった単体売上高は、退任直前の1974年3月期に1432億円まで伸びた。1961年4月に粉末クリームのクリープを発売し、1964年4月に中央研究所、1966年2月には東京多摩工場で世界最新鋭のオートメーション市乳設備を動かした。1970年2月には米クラフト社と組んでチーズ専業のエムケーチーズを設立している。1969年に事件の後遺症が公表されると翌日に厚生省へ調査と検診を申し出て、1974年4月に全面出資の財団法人ひかり協会を発足させ、恒久救済の体制を構築した。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1923〜1979年
在任中の業績
就任前(FY59)176億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 3件
参考文献

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