大串松次

森永乳業・元取締役社長

Ogushi Matsuji(敬称略)

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社長就任 1956年5月
生年月日 —
学歴 —
出自 —
社長就任までの出自
出自

執筆予定

社長に選ばれた経緯
抜擢

1955年夏、徳島工場で作られた育児用粉乳による中毒事件が公表され、厚生省の1956年2月集計で死者131人・中毒患者1万2159人にのぼった。1956年5月には専務取締役の大野勇氏が責任をとって専務を退き、常任参与に下がっている。大串松次氏が社長に就任したのはこの同じ月で、事件の処理のさなかに経営陣を入れ替える人事だったとみられる。

在任中の主な施策
施策

在任した1956年から1960年にかけて、森永乳業は中毒事件からの再建を進めた。破産整理中だった日本建鉄の土地を取得して1956年に葛飾で東京工場を着工し、翌1957年に完成させた。敷地は2万3500坪で、当時日本一とされた明治の烏山工場の4000坪を上回り、市乳工場と乳製品工場を分けない総合工場とした。1957年から1958年ごろには同工場で日本の乳業として初めて大量生産方式を採っている。単体売上高は1956年3月期の87億円から1960年3月期の176億円へ伸びた。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1956〜1960年
在任中の業績
就任前(FY55)87億円
退任時-
変化-
就任前(FY55)5.7%
退任時-
変化-

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