稲生平八

森永乳業・元取締役社長

Inoo Heihachi(敬称略)

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社長就任 1974年6月
生年月日 —
出自 —
社長就任までの出自
出自

1930年に慶應義塾大学経済学部を出て、同年に森永製菓へ入社した。1949年に取締役、1954年に常務取締役、1962年5月に専務取締役、1970年5月に取締役副社長へ進み、菓子会社の役員として20年余りを過ごした。森永乳業へは1974年5月に取締役社長として入り、同年に森永製菓の取締役も兼ねている。乳業の現場ではなく、筆頭株主の森永製菓で経歴を積んだ人物である。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1974年5月、大野勇氏の後任として取締役社長に就任し、大野氏は同月に取締役会長へ移った。就任直前の1974年3月期は、単体売上高1432億円に対して経常利益が4億円まで落ち、前期の17億円から4分の1になっていた。同年4月28日には森永ヒ素ミルク中毒事件の恒久救済のため、財団法人ひかり協会が森永乳業の全面出資で発足している。事件の決着と減少した収益の立て直しを同時に引き継いだ。

在任中の主な施策
施策

1974年3月期に1432億円だった単体売上高は、退任直前の1979年3月期に2445億円へ伸び、経常利益も4億円から23億円へ戻した。1975年10月には別海工場を開設して工場網を広げている。1977年6月には、1969年に赤ちゃんの腸内から採取して1971年に日本で初めて乳製品へ応用したビフィズス菌BB536を使い、森永ビヒダスを発売した。規模で明治・雪印と競うのではなく菌種で棚を分ける道がここから始まり、翌1978年には森永ビヒダスヨーグルトが続いた。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1964〜1979年
在任中の業績
就任前(FY73)1,432億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 2件

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