雪印乳業の設立(1950年・雪印メグミルクの決断) 更新:2026/07/23 論点 分割後の資本をどう調達するか 過度経済力集中排除法による分割を受けた、新会社としての再出発 何をなぜ決めたか:過度経済力集中排除法による分割を受けた、新会社としての再出発 概要 1950年6月、北海道酪農協同が過度経済力集中排除法にもとづき雪印乳業と北海道バターの2社に分割され、雪印乳業が発足した。同社は"雪印"の商標を引き継ぎ、設立2カ月後の同年8月に東京証券取引所・札幌証券取引所へ株式を上場した。 背景 1925年に酪農家の共同組織として始まった事業体は、1941年に戦時国策会社の北海道興農公社へ改組され、1947年に北海道酪農協同へ社名を変更した。道内の集乳と乳製品製造をほぼ一手に担う規模が、占領下の経済民主化政策と衝突し、1948年に集排法の指定を受けた。 内容 乳業本体を雪印乳業と北海道バターに二分したうえで、皮革・食肉・薬品・種苗の4部門を分離し、雪印種苗・雪印食品などを設立した。雪印乳業は初代社長に佐藤貢氏を迎え、8月に2証券取引所へ上場した。 含意 分割は事業の縮小を強いたが、雪印乳業は1951年に"ビタミルク"、1953年に東京の市乳事業へ進み、1958年にはクロバー乳業と改称した相手会社を合併して分割前の生産基盤を一つに戻した。このとき切り出された雪印食品は、2002年4月に解散している。 いつ何が起きたか 7件 考察:分割された会社と、分割した会社 考察 考察:分割された会社と、分割した会社 1950年の分割は、経営が望んで選んだものではない。占領政策が決めた枠のなかで、どこに線を引くかだけが会社に残された裁量であった。それでも決めた内容を見ると、雪印乳業には商標と乳製品の中核を残し、皮革・食肉・薬品・種苗は別法人として立てている。分割の命令を、事業を手放す機会ではなく、資本関係で結ばれた複数の会社へ組み替える作業として処理した跡がうかがえる。設立2カ月で上場に踏み切った速さも、縮んだ生産基盤の建て直しを急いだ選択といえる。 分けられた相手のクロバー乳業は1958年に戻り、雪印乳業は総合乳業として全国に広がった。一方、このとき切り出された雪印食品は、半世紀後の2002年4月に牛肉偽装事件を受けて解散している。1950年に引かれた線は、それから52年にわたってグループの形を規定した。 Yutaka Sugiura, 2026年7月 概況 参考文献 参考文献 参考雪印乳業 有価証券報告書【沿革】雪印メグミルク公式サイト「沿革」(https://www.meg-snow.com/corporate/history/)雪印メグミルク公式サイト「雪印北海道バターの歴史」雪印メグミルク公式サイト「『2つの事件』の概要と『雪印八雲工場食中毒事件』」日本食糧新聞(2000年10月13日) 次に読む決断 雪印メグミルクの意思決定2002年雪印メグミルク雪印メグミルク市乳事業の分離と日本ミルクコミュニティ発足牛乳事業の農協系新会社への移管と、チーズ・バターへの本体の集中2002年2009年雪印メグミルク雪印メグミルク日本ミルクコミュニティと統合分かれていた乳業二社を一つにした雪印メグミルクの発足2009年同じ問い:子会社の上場1950年トヨタ紡織トヨタ紡織民成紡績として分離独立戦時にトヨタ自工へ吸収された紡織事業の別法人としての切り出し1950年1950年三井金属三井金属神岡鉱業として独立三井鉱山からの金属部門の切り離しと、東京証券取引所への上場1950年1946年旭化成旭化成日窒コンツェルンから独立母体からの分離と、旭化成工業への商号変更による再出発1946年1979年セブンイレブン・ジャパンセブンイレブン・ジャパンイトーヨーカ堂傘下で上場親会社が過半を保有したままの東証二部上場、いわゆる親子上場の選択1979年1992年ジャパンエナジージャパンエナジー日鉱金属を分離設立金属3部門を切り出しての新会社化と、東証一部への子会社上場1992年 × 出所