ダイワボウホールディングスダイワボウ情報システムの東証2部上場と親子上場のねじれ
- 概要
- 1997年12月、ダイワボウ情報システム(DIS)は東京証券取引所第二部と大阪証券取引所第二部へ上場した。親会社の大和紡績は1949年5月から東京・大阪両取引所に上場しており、繊維の親会社と情報流通の子会社が同時に上場する構造ができた。
- 背景
- DISは1991年11月に日本証券業協会へ店頭銘柄として登録し、当時から本則市場への上場を目標に掲げていた。地方支店の人員確保を課題としており、知名度の向上を上場の効用として挙げていた。
- 内容
- 上場前年の1996年3月期にDISの売上高は1,411億円に達し、1998年3月期には親会社の約4倍にあたる2,200億円へ届く見込みとされた。親会社の大和紡績の連結売上高は1997年3月期で894億円、当期純利益は4億円であった。
- 含意
- DISは大和紡績の持分法適用会社にとどまり、その売上は親会社の連結業績に加わらなかった。規模の逆転は株式の買い集めを招き、2008年にはエフィッシモ・キャピタル・マネージメントがDIS株の43%を握った。
筆者の見解
市場に出す側を間違えると何が起きるか
1997年の上場は、DIS単独で見れば順当な昇格であった。店頭登録から6年、売上は1,411億円に届き、採用と資金の両面で本則市場の看板は役に立つ。問題は、その銘柄が親会社とは別に値付けされ、しかも親会社より速く伸びる事業をまるごと抱えていた点にある。持分法にとどまる限り、DISの利益は親会社の連結損益に載らず、親会社の株主は伸びる事業の果実を数字の上で受け取れない。この構造が11年続いたあいだに、価値の差はグループの内部ではなく株式市場の側で処理された。
2008年に43%を握った投資ファンドがしたのは、その差を現金化する手続きにすぎない。大和紡績は最大368億円を借入で用意し、10年余り前に市場へ出した株式を買い戻した。買い戻したうえで消えたのは、子会社の銘柄ではなく親会社の名前のほうであった。1941年の合併以来の商号は2009年7月にダイワボウホールディングスへ改まり、繊維事業は中間持株会社へ寄せられ、2024年3月に85%が投資ファンドへ譲渡された。市場に残ったのは、山村滋氏が社員に語った『いずれは親会社を追い抜いてやろう』という言葉のほうであった。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
- ダイワボウ情報システム 公式沿革(https://www.pc-daiwabo.co.jp/corporate/history.html)
- 日経ビジネス 1997年11月24日号
- 証券アナリストジャーナル 1992年(別冊付録 )山村滋 ダイワボウ情報システム社長 講演録
- 証券アナリストジャーナル 1998年1月13日(別冊付録 )横山満 ダイワボウ情報システム社長 講演録
- ダイワボウホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- 大和紡績 有価証券報告書(連結)