ダイワボウホールディングスダイワボウ情報システムの東証2部上場と親子上場のねじれ

子会社の売上が親会社の4倍に達したとき、株式を市場に出すのはどちらか

時期 1997年12月
意思決定者(推定) 山村滋(ダイワボウ情報システム 会長)・横山満 同 社長
論点 上場子会社と親会社の規模逆転
概要
1997年12月、ダイワボウ情報システム(DIS)は東京証券取引所第二部と大阪証券取引所第二部へ上場した。親会社の大和紡績は1949年5月から東京・大阪両取引所に上場しており、繊維の親会社と情報流通の子会社が同時に上場する構造ができた。
背景
DISは1991年11月に日本証券業協会へ店頭銘柄として登録し、当時から本則市場への上場を目標に掲げていた。地方支店の人員確保を課題としており、知名度の向上を上場の効用として挙げていた。
内容
上場前年の1996年3月期にDISの売上高は1,411億円に達し、1998年3月期には親会社の約4倍にあたる2,200億円へ届く見込みとされた。親会社の大和紡績の連結売上高は1997年3月期で894億円、当期純利益は4億円であった。
含意
DISは大和紡績の持分法適用会社にとどまり、その売上は親会社の連結業績に加わらなかった。規模の逆転は株式の買い集めを招き、2008年にはエフィッシモ・キャピタル・マネージメントがDIS株の43%を握った。
筆者の見解

市場に出す側を間違えると何が起きるか

1997年の上場は、DIS単独で見れば順当な昇格であった。店頭登録から6年、売上は1,411億円に届き、採用と資金の両面で本則市場の看板は役に立つ。問題は、その銘柄が親会社とは別に値付けされ、しかも親会社より速く伸びる事業をまるごと抱えていた点にある。持分法にとどまる限り、DISの利益は親会社の連結損益に載らず、親会社の株主は伸びる事業の果実を数字の上で受け取れない。この構造が11年続いたあいだに、価値の差はグループの内部ではなく株式市場の側で処理された。

2008年に43%を握った投資ファンドがしたのは、その差を現金化する手続きにすぎない。大和紡績は最大368億円を借入で用意し、10年余り前に市場へ出した株式を買い戻した。買い戻したうえで消えたのは、子会社の銘柄ではなく親会社の名前のほうであった。1941年の合併以来の商号は2009年7月にダイワボウホールディングスへ改まり、繊維事業は中間持株会社へ寄せられ、2024年3月に85%が投資ファンドへ譲渡された。市場に残ったのは、山村滋氏が社員に語った「いずれは親会社を追い抜いてやろう」という言葉のほうであった。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

店頭登録から本則市場へ

DISは1991年11月に日本証券業協会へ店頭銘柄として登録した。当時から上場は既定の目標であり、山村滋社長は1992年の講演で、店頭登録をしたうえでさらに上場会社を目指して社員一同が張り切っていると述べている。上場を望んだ理由は資金調達だけではなかった。支店を全国へ広げるなかで配置人員の確保が難所となり、仙台では3分の1程度を東北出身者で充てたいところ、その年に東北で採用できたのは2名にとどまっていた。知名度の向上が、採用の現実的な手立てとして期待されていた[1][2]

登録から上場までの6年間で、事業の規模は一段変わった。1992年7月に中央物流センターを開き、1995年からは地域ごとの物流センターを置いて各支店の在庫と出荷業務を集約した。売上高は1996年3月期に1,411億円へ達している。1992年の計画では、全国50店舗を設けたときに売上1,000億円・社員1,000名という姿を描いていたが、実際の売上はその計画値を上場前に上回った[3][4]

追い抜かれる側の親会社

同じ時期の親会社は、連結で利益を出せない年が続いていた。大和紡績の連結当期純損益は1992年3月期に13億円の赤字、1993年3月期に11億円の赤字、1994年3月期に4億円の赤字と3期続けて赤字となり、1995年3月期にようやく収支が均衡した。1996年3月期は7億円の黒字、DISが上場した年度にあたる1997年3月期は連結売上高894億円に対して当期純利益4億円であった。祖業の繊維は、規模も利益も伸びない状態に置かれていた[5]

追い抜くという言葉は、子会社の側から先に出ていた。山村滋氏はDISの社長就任直後、社員に対して1980年代のうちに100億円企業になろうと呼びかけ、いずれは親会社を追い抜いてやろうと語っていた。社員は「あの社長、アホやないか」と噂したというが、1988年に売上122億円を達成してからは一瀉千里で、1997年11月の時点では1998年3月期の売上高が親会社の約4倍にあたる2,200億円に達する見込みとなっていた。上場は、この差が公の株価として値付けされることを意味した[6]

決断

1997年12月の東証・大証2部上場

1997年12月、DISは東京証券取引所第二部と大阪証券取引所第二部へ上場した。親会社の大和紡績は1949年5月に東京・大阪両証券取引所へ上場しており、以後48年を経て、同じ企業グループの2社が別々の銘柄として市場に並んだ。株式を市場に出す先として選ばれたのは、繊維の持株会社ではなく、パソコンを卸す子会社の側であった[7][8]

上場の時期は市況としては最悪に近かった。1997年は消費税率引き上げの駆け込み需要が一段落した4月以降、個人・企業とも受注抑制に向かい、下期には金融・証券界の破綻や大型企業の倒産が相次いだ。DIS自身も1998年3月期の中間決算で売上高979億円と前中間期比14.6%の増収を確保しながら営業利益では減益となり、通期計画を当初の2,200億円から2,150億円へ下方修正している。伸びの鈍りが見え始めた年に、DISは本則市場へ入った[9]

上場と並行して打った手

上場前後のDISは、物流と社内システムへ投資を集めた。支店ごとに仕入れと販売の両方を担い在庫も各支店に置く独立採算の運営は、商品サイクルの短命化とアイテム数の増加によって在庫の輻輳と出荷の煩雑さを招いていた。1996年4月から新システム「DIS-NET」の構築に着手し、1998年1月4日に関東地区の11営業拠点と3物流センター、仕入担当部署をネットワークで結んで、受注から出荷までを一本につないだ。関東の350台以上の端末から在庫と商品の情報を引ける状態になり、支店は営業に専念できた[10]

商材の広げ方も上場の前後で変わった。1997年8月には周辺機器の販売子会社を設け、専門知識を要する周辺機器をパソコンと組み合わせて売る部隊を切り出した。仕入れは東西2拠点へ一元化し、東が関東・東北・北海道、西が中部・関西・中国四国・九州を受け持つ体制を1998年度中に完成させる計画を置いた。上場で得た資金と信用は、この物流と仕入れの作り替えに向けられていた[11]

結果

6倍まで開いた差

上場後もDISの売上は伸び続けた。1999年3月期に2,110億円、2003年3月期に3,119億円へ達し、2000年9月には東京・大阪両証券取引所の市場第一部へ移った。一方の大和紡績の連結業績は、2000年3月期が売上高821億円・当期純損失46億円、2001年3月期が売上高876億円・当期純損失77億円で、2002年3月期も16億円の赤字であった。上場後の数年は、子会社が伸び、親会社が損失を計上する年が重なった[12][13]

差が開いても、DISの業績は親会社の連結損益計算書に取り込まれなかった。DISは大和紡績の持分法適用会社にとどまり、株式市場では別々の値が付いた。2007年度のDISの売上高は3,823億円で、大和紡績の約6倍に達している。上場企業として時価を持つ子会社の株式が、繊維の不振を抱える親会社の外に置かれ続けた状態であった[14]

11年で閉じた親子上場

開いたままの差は、株式の買い集めを呼んだ。2008年、旧村上ファンドの関係者がシンガポールに設立したエフィッシモ・キャピタル・マネージメントがDIS株式の43%を保有するに至り、大和紡績は同年9月にDISへの株式公開買付を表明した。エフィッシモから10月下旬までに全株を買い取り、最終的な完全子会社化まで視野に入れる内容で、最大368億円に上る取得代金は借入金で賄うとされた。大和紡績はこの公開買付について、中期経営計画の策定を控え事業ポートフォリオの拡充を考えた結果であると説明した[15][16]

公開買付は2008年10月に実施され、DISは大和紡績の子会社となった。翌2009年3月には両社が株式交換を行い、DISは完全子会社となって上場を離れた。同年7月、大和紡績は商号をダイワボウホールディングス株式会社へ改め、繊維事業の連結子会社12社を統括する中間持株会社として新たな大和紡績株式会社を置いた。1997年12月に始まった親子上場は、11年3カ月で閉じられた。市場に残ったのは、かつて繊維の会社として1949年に上場した1銘柄と、そこへ取り込まれたパソコン流通の事業であった[17]

出典・参考
  • ダイワボウ情報システム 公式沿革(https://www.pc-daiwabo.co.jp/corporate/history.html)
  • 日経ビジネス 1997年11月24日号「有訓無訓 山村滋[ダイワボウ情報システム会長]経営者と社員が共有できる目標を」
  • 証券アナリストジャーナル 1992年(別冊付録「企業」)山村滋 ダイワボウ情報システム社長 講演録
  • 証券アナリストジャーナル 1998年1月13日(別冊付録「企業」)横山満 ダイワボウ情報システム社長 講演録
  • 週刊東洋経済 2008年9月20日号「ニュース最前線04 繊維ダイワボウがTOBで村上ファンドOB一掃」
  • ダイワボウホールディングス 有価証券報告書【沿革】
  • 大和紡績 有価証券報告書(連結)

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