紡績会社がパソコン流通を始めた話は、外から見れば脈絡のない多角化に映る。だが中身をたどると、繊維の現場が持っていたものがそのまま移されている。売れる分の在庫を先に抱えて即納するという商売の作法は繊維の営業から、システムを扱える技術者は新鋭機を24時間回すために自作したモニタリングから、そして最初の支店の立地は佐賀・出雲・金沢という工場のあった土地から来ていた。捨てる予定の設備が生んだ副産物を、別の市場で売り物にした事業と思われる。
判断の質を分けたのは、規模の置き方でもあった。初年度4億円・赤字2,000万円で資本金を使い切った会社に対し、山村滋社長は毎年10億円ずつ伸ばして100億円へ、そのために毎年3店という、売上と店数と人員を一本の式で結んだ目標を置いている。大和紡績が10年で3割を廃棄すると見込んだ設備の代わりに残ったのは、コンピュータの分かる技術者15人と、在庫を抱えて売る習慣であった。