住友大阪セメント 非セメント事業に多角化 売上構成比50%を目標に据えた10年計画と、「電・光・石・化」4分野への進出
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何をなぜ決めたか
- 概要
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1985年4月、住友セメントが1985年度からの中期三ヵ年実行計画"RCP作戦"を決め、これを最初の3年とする10年計画のなかで、子会社を含むベースの非セメント部門売上構成比を8.7%から50%へ引き上げる目標を掲げた経営判断。今川彦二社長の主導により、エレクトロニクス・オプトエレクトロニクス・セラミックス・超微粒子の4分野へ進出した。
- 背景
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1974年からの合理化で11工場のうち5工場を閉鎖し、1975年3月末に3,893名だった全社員をおよそ1,900人まで減らしてもなお業績は戻らず、1982年度に戦後はじめて無配へ転落した。1983年3月期・1984年3月期は2期連続の最終赤字となり、売上に占めるセメントの比率は93%に達していた。
- 内容
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米マッキンゼー社を入れたSKチームの答申を受け、1984年7月に国際化・ハイテク化・川下化を柱とする新経営基本戦略を発表。1985年4月からの10年で、子会社を含むベースの総売上高を1,445億円から2,500億円へ、非セメント部門の売上比率を8.7%から50%へ引き上げる計画とした。
- 含意
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4分野の合言葉"電・光・石・化"は今川彦二社長自身の発案で、遊休地の転用ではなく研究開発型の新規事業に絞った点に特徴がある。目標は達成されなかったが、1987年に取得した応用光電研究室と中央研究所の超微粒子が、後の事業の元になった。
いつ何が起きたか 9件
筆者の見解
届かない数字を掲げた理由
非セメント50%という数字は、達成の見込みから逆算されたものではなかった。1984年3月期の非セメント売上126億円に対し、10年後に置いた1,250億円は10倍にあたる。2期連続の赤字と3期に及ぶ無配で身動きの取れない会社が、最も回収の遅い研究開発型の4分野を選び、届きそうにない比率を対外的に掲げた。RCP研修会と組織風土改善運動を同時に走らせたことをあわせれば、この数字は計画であると同時に、セメント単一事業を前提に固まった社内の見方を外から崩す道具でもあったと読める。
掲げた比率は達成されなかった。比率は1990年3月期と1991年3月期に15%台で止まり、27%台の日本セメント・小野田セメントに10ポイント以上引き離された。立元社長は就任の翌年に選別へ切り替え、投資配分も本業の合理化へ戻る。研究テーマの7割から8割は事業化に届かず、バイオセンサーも磁性流体も残っていない。それでも、1987年に取得した応用光電研究室と、新材料事業部が核に据えた超微粒子は残っている。10年計画が回収したのは掲げた比率ではなく、この2つだった。
Yutaka Sugiura, 2026年8月
業績の推移
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参考文献
- 住友セメント八十年史(住友セメント, 1987年)
- 証券アナリストジャーナル 1990年 第28巻第3号 立元正一(住友セメント副社長)/日本証券アナリスト協会企業分析部会 1990年2月15日 講演要旨
- 日経ビジネス 1990年1月29日号
- 日経ビジネス 1991年9月16日号
- 会社年鑑 1986年版(日本経済新聞社, 1985年)