住友大阪セメントの決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

セメント半分・それ以外半分という同じ配分を、40年おいて二度掲げた。1963年5月、配当30%を続けていた磐城セメントは自ら住友グループへ加わり、社名を住友セメントへ改めた。1974年からの合理化では11工場のうち5工場を閉鎖し、従業員を3,893名から2,024名へ減らした。それでも収益は戻らず、1985年4月に今川彦二社長が非セメント比率を8.7%から50%へ引き上げる10年計画を立てた。到達したのは15%台にとどまり、1991年には拡大から選別へ切り替えて、研究テーマを3段階に分けて進めない案件を落とす仕組みへ改めている。ここで超微粒子とオプトエレクトロニクスだけを残したことが、現在の高機能品事業の出発点を作った。

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