祖業セメントの連結除外と商号「宇部興産→UBE」への同時転換
80年使った社名と石炭に次ぐ100年の柱を同じ年に手放し、泉原雅人社長は総合素材企業をどこへ向けようとしたか
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- 概要
- 2022年4月、宇部興産がセメント関連事業をUBE三菱セメントへ承継して持分法適用会社とし連結から外すと同時に、80年使った商号を「宇部興産」から「UBE」へ変更し、東証プライム市場へ移行した経営判断。泉原雅人社長のもとで、市況に振れる総合素材の構造から化学スペシャリティ企業への転換を進めた。
- 背景
- 化学・セメント・機械を抱える総合素材企業の利益は地域市況に左右され、国内セメント需要も人口減とインフラ投資の頭打ちで縮小していた。1998年に三菱マテリアルと宇部三菱セメントを設立して以来24年、合弁による部分統合を続けてきた前史があった。
- 内容
- 2020年9月に三菱マテリアルとのセメント事業の経営統合方針を決定し、2022年4月にセメント関連事業をUBE三菱セメントへ承継した。建設資材セグメントの2,000億円超が連結から消えた。同月に商号変更と東証プライム移行を実施し、前年10月にはエラストマー事業を分社化した。
- 含意
- 石炭の次に柱としたセメントを、100年超の歴史のなかで初めて連結の外に置いた。承継後の2023年3月期は連結売上高4,947億円へ急減し純損失▲70億円を計上した。以後、量産化学品からの撤退と脱炭素を掲げる化学スペシャリティ企業への転換が続いた。
名を捨て、来歴とどう折り合うか
この判断の性格は、セメント承継と商号変更を同じ年に束ねた点によく表れている。市況に左右される総合素材の看板を下ろし、化学のスペシャリティへ資源を集める——効率と選択の論理としては筋が通る選択であったとみることができる。ただし切り離したのは石炭に次ぐ100年の柱であり、承継の初年度は売上の急減と赤字転落を伴った。好調のなかでではなく、需要縮小と市況変動に追われるなかで祖業に手を入れた点に、緊張感がうかがえる。
商号を捨てることは、地域や来歴との結びつきを外形からも薄める選択でもあった。渡辺祐策が説いた「炭を掘り尽くせば、また元の農漁村になってしまう」という危機感は、石炭からセメント・化学へと事業を変え続けてきた宇部の来歴そのものでもある。UBEへの改称と量産撤退が、その来歴の延長にある転換なのか、それとも断絶なのか。化学スペシャリティ企業としての姿が数字で確かめられるのは、これからだとみられる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
市況に振れる総合素材と縮小する国内セメント需要
宇部興産は化学・建設資材(セメント)・機械を一社に抱える総合素材企業であり、その利益は地域ごとの市況に左右されてきた。2010年代を通じて連結売上高は6,000〜7,300億円のレンジで横ばいに推移する一方、営業利益は2014年3月期の243億円から2018年3月期の502億円まで振れた。中国向け化学品の市況が悪化すれば利益は300億円を割り込み、戻せば500億円台に届く。振れ幅の大きい利益を、建設資材が2,000億円台の安定収益源として吸収する構造が定着していた[1]。
その建設資材の柱であるセメントは、国内需要が人口減とインフラ投資の頭打ちのなかで縮小基調にあった。需要が細るセメントと、海外市況で振れる化学を同じ連結のなかに同居させる構造そのものが、見直しの対象になりつつあった。総合素材という看板は、事業ごとに異なる収益の論理を一社で束ねる強みであると同時に、市況依存から抜け出しにくい重さでもあった[2]。
24年温めた宇部三菱セメントの合弁
セメント再編への布石は古い。宇部興産は1998年7月、三菱マテリアルとの合弁で宇部三菱セメントを設立していた。国内セメント業界では需要縮小を受けて再編が続き、他社との合弁による販社統合で過剰な生産能力を調整する動きが各社に広がっていた。宇部興産もこの流れに加わり、セメント事業を合弁会社に寄せる部分統合へ踏み込んだ。創業100周年を迎えた直後の構造改革の一つであった[3]。
ただしこの合弁は、生産と販売を統合しつつも両社がそれぞれ持分を持つ部分統合にとどまり、セメント事業そのものは宇部興産の連結のなかに残った。合弁による調整という中間の形を、宇部興産は24年にわたって維持した。この期間の長さが、のちに事業を完全に承継して連結の外へ出す判断の下地になった。部分統合から完全承継へ、という順序で再編は段階を踏んだ[4]。
決断
セメント関連事業のUBE三菱セメントへの承継
2018年6月に社長へ就いた泉原雅人のもとで、宇部興産はセメント再編を最終段階へ進めた。2020年9月、三菱マテリアルとのセメント事業の経営統合方針を決定し、2022年4月にセメント関連事業をUBE三菱セメントへ承継した。承継先は持分法適用関連会社となり、宇部興産の連結からセメント事業が外れた。1998年に始めた合弁による部分統合を、24年を経て完全な承継へと動かした判断であった[5]。
承継によって、連結売上高から建設資材セグメントの2,000億円超が消えた。石炭の次に柱として育てたセメントを、宇部興産は100年超の歴史のなかで初めて連結の外に置いた。市況に左右される総合素材の構造を身軽にするうえで、規模の大きい安定収益源を手放す選択には、成長の期待とともに事業の縮小という代償がともなった。決断は攻めと守りの両面を帯びていた[6]。
80年の商号を捨て、UBEへ
セメント承継と同じ2022年4月、宇部興産は社名を「宇部興産」から「UBE」へ変更し、東証プライム市場へ移行した。1942年の地元4社合併以来80年使った商号を手放す判断と、祖業セメントの連結除外が同じ月に実施された。事業構成の組み替えと、会社の名という外形の刷新を、あえて同時に進めた点に、この転換の意思が表れていた[7]。
組み替えは商号とセメントだけにとどまらなかった。前後してエラストマー事業を2021年10月にUBEエラストマーへ分社化し、千葉の拠点を独立採算に切り替えた。商号・事業構成・拠点という3つの層が、同じ1年余りのあいだにまとめて組み替えられた。総合素材の看板を下ろし、事業ごとに切り出し可能な単位へと会社の輪郭を引き直す作業であった[8]。
結果
連結の急減と赤字転落
承継の効果は決算にそのまま現れた。2022年3月期に6,553億円あった連結売上高は、セメントを連結から外した翌2023年3月期に4,947億円へ縮小した。建設資材の2,000億円超が抜けた分が、そのまま連結規模の落ち込みとなった。売上の急減は、祖業に次ぐ柱を手放したことの帰結であった[9]。
同じ2023年3月期は、営業利益162億円と黒字を保ちながらも、経常損失87億円・当期純損失70億円と最終段階で赤字に転落した。祖業の一角を切り離す決断は、決算上の急減と赤字転落を伴って実行された。市況に振れる構造からの脱却をねらった転換は、その初年度に規模の縮小と損失という重い数字を残した[10]。
化学スペシャリティ企業への転換
セメントを外した後、UBEは量産化学品からの撤退を進めた。タイと国内のカプロラクタム、アンモニアの量産を2026年から2028年にかけて順次停止する計画を示し、生産停止で減る温室効果ガスの排出量を脱炭素目標と一本の線でつないだ。1955年と1968年に始めた量産化学品を、2020年代後半に順次たたむ計画であった。市況に左右される量産依存の構造そのものを、生産設備の停止まで踏み込んで組み替えようとした[11]。
泉原雅人社長は化学工業日報のインタビューで、アンモニアチェーンの国内製造停止を計画より前倒しすると述べ、「スペシャリティ化学企業への転換を加速する」と語った。撤退で空く生産拠点と人員を、医薬受託やコンポジットといった機能品領域へ振り向ける。2022年12月の医薬受託会社の取得、2024年12月の欧州リサイクル樹脂会社の取得と、量産品の撤退と機能品のM&Aを同じ数年のなかで並行して走らせた[12]。
- UBE 有価証券報告書【沿革】
- UBE 有価証券報告書
- UBE 有価証券報告書(事業等の状況)
- 化学工業日報(2025年1月10日)「UBE・泉原雅人社長、投資の成果出す勝負の1年」
- 日刊工業新聞(2023年)「ニッポンの素材力 トップに聞く(3)UBE社長・泉原雅人氏」