この判断は、1961年の徹底多角化と対で読むと輪郭がはっきりする。第一次多角化は繊維一本足という弱点への解であり、その到達点が石油化学であった。ところが石油危機によって、解であったはずの石油化学そのものが弱点に転じた。第二次多角化は自らの成功の産物からの脱皮であり、多角化を重ねても"何に依存しているか"という問いは消えないことを示す事例とみられる。
賭けの成績表もまた示唆に富む。旗頭であった原子力は実用の果実を結ばず、脇に並んでいた電子と医薬が次代の柱候補に育った。10年先を見て面で種を蒔く宮崎流は、個別の的中率では測れない一方、外れた種の後始末は後継の経営に残された。健全な赤字部門という哲学が成立するには、赤字に耐える体力と、見切りの規律との均衡が要る。その均衡が崩れたとき何が起きるかは、1990年代の選択と集中が引き受けた。