片岡武修
旭化成・元取締役社長
社長就任までの出自
出自
1928年に慶應義塾大学法学部を卒業し、1930年8月に入社した。延岡でアンモニアから人絹・ベンベルグ絹糸・火薬・セルロイドへ派生した事業を、日窒コンツェルンの一員として抱えていた時期である。1947年3月に取締役、同年5月に専務取締役へ進み、1949年に取締役社長となった。財閥解体と公職追放で首脳部が入れ替わるなかで、40代後半で社の頂点に立っている。
社長に選ばれた経緯
抜擢
1946年4月、日窒化学工業は財閥解体の趣旨にそって旭化成工業へ商号を変更し、日本窒素肥料を頂点とするコンツェルンから切り離された。改称後も制限会社の指定・過度経済力集中排除法の適用・賠償指定が重なり、公職追放令で首脳部が交替している。片岡氏が取締役から専務を経て社長へ上がったのは1947年から1949年にかけてで、この交替と時期が重なる。前任を持たない代として、外から与えられた条件のもとで再建計画を引き取った。
在任中の主な施策
施策
1949年5月、東京・大阪・名古屋の各証券取引所の市場第一部へ株式を上場した。同年7月に資本金を7億円へ引き上げ、アンモニアと硫安を先に、次いで火薬と食品、さらに化学繊維と苛性ソーダの順で設備を復元し、1950年3月に復旧を終えている。1951年2月には五ヶ瀬川上流の水ケ崎に出力1万6000kWの自家発電所を完成させた。1952年3月に米ダウ・ケミカルと技術提携を締結し、同年7月に共同出資で旭ダウを設立して塩化ビニリデンのサランへ入った。 赤字部門を抱えての多角化
在任の評価
評価
執筆予定
経歴 1930〜1961年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
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