宮崎輝

旭化成・元取締役社長

Miyazaki Kagayaki(敬称略)

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社長就任 1961年7月
生年月日 —
学歴 東京帝国大学法学部英法科
出自 —
社長就任までの出自
出自

1934年に東京帝国大学法学部を出て入社した。延岡でアンモニアから人絹・火薬・セルロイドへ派生した化学会社にあって、法学部の出という経歴で役員へ上がっている。入社13年後の1947年3月に取締役、同年5月に常務取締役へ進み、1958年4月に専務取締役、1961年7月に取締役社長となった。前任の片岡武修氏も慶應義塾大学法学部の出で、旭化成は法学部出身者を二代続けて社長に据えた。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1961年7月、片岡武修氏の会長就任を受けて社長に就任した。同じ月に、副社長だった片桐考一氏は取締役へ下がって旭ダウ社長へ、専務だった植木善三郎氏も取締役へ下がって新日本化学工業社長へ移っている。片桐氏は1901年生まれで1923年に日本窒素肥料へ入った年長者であり、1909年生まれの宮崎氏はこの二人を越えて52歳で社長となった。年功の順で選んだ人事ではなかったとみられる。

在任中の主な施策
施策

就任の年に、繊維の合理化で得た利益を新規事業の赤字に充てる多角化を掲げた。1968年7月に山陽石油化学を設立し、当時の売上高に匹敵する約1,000億円を水島へ投じている。1967年8月に製造を開始したALC建材ヘーベルは、旭化成ホームズを通じて戸建てブランドへ仕立てた。1980年12月からは原子力・電子・医薬への第二次多角化に入っている。単体売上高は就任年度の1962年3月期484億円から、退任年度の1985年3月期7,652億円へ伸びた。 リチウムイオン電池を確立

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1934〜1985年
在任中の業績
就任前(FY60)449億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 2件
参考文献

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