1954年に西独ベーリンガー社から導入したパラキシンは、三共が米パークデヴィス社から導入したクロロマイセチンと特許を争った。争っていた二社のどちらも、化合物そのものは海外の提携先から受け取っている。その30年後、山之内製薬は自社で創った化合物を米メルク社へ渡す立場に転じた。『資本力、技術力、過去の実績など何をとっても格下』と書かれた相手に、売る権利を与えたことになる。導入で伸びた会社が、導入という型そのものを裏返した一件と推察される。
ただ、ガスターは先行品の特許を読んでから作られた第二世代であり、当時から"モノマネ商品"の評がついていた。独創の一撃で世界に出たわけではない。頂点にいられた期間も、PPI剤へ主軸が移るまでの14年に区切られる。森岡茂夫社長自身、7年後に『これほど育つとは思わなかった』と語っており、育ち方を読み切って導出したわけでもなかった。それでも、次に要るものは『新薬を切れ目なく発売できる』体制だと同じ場で述べた点に、一度の当たりを続く仕組みへ変えようとする意識がうかがえる。