『"ジリ貧"の悪循環を断つには独創技術の開発しかない』という森岡茂夫氏の言葉は、複数の道を比べて選んだ結果ではなく、道が一つしか無いという認識を示している。売上の99%を医療用医薬品が占め、新薬の承認時期がそのまま業績の振れになる会社にとって、研究への支出を絞ることは事業そのものを縮小させることを意味した。筑波研究センターは、ガスターという一度きりの成功を続けられる体制に変えるための拠点だったのだろう。
その拠点が世界の競争に届いたかといえば、届かなかった。ノバルティスファーマ社が研究開発費2000億円を投じたとき、国内首位の武田薬品でさえ629億円である。一人当たり経常利益で大手8社の首位に立っても、開発の絶対額では追いつけない位置に山之内製薬はいた。ただ、1989年に開発部長だった竹中登一氏が2000年に社長へ就任したように、研究に積んだ資金は人にも残った。投資の成果を薬の数だけで数えると、その分が抜け落ちる。