中外製薬の創業は、関東大震災後の医薬品需要に着目した上野十蔵の参入判断に端を発する。輸入代理で市場知識と取引先の信用を積み上げた後に注射薬の自社製造へ転換し、単一製品に経営資源を集約する運営を戦前期を通じて維持した。多角化を選ばず販売数量に基づく設備拡張を繰り返した背景には、研究…
グロンサンの製品化は、学術研究を特許取得と製造技術で囲い込み、独占的な市場を構築した事例である。医療用注射薬から大衆薬への展開により売上は拡大したが、その過程で同製品への依存度が高まり、1966年の販売不振で無配転落に至った。需要が安定する局面での効率性と、変化への耐性の欠如は、…
ノイトロジンの開発は、収益化の時期が見通せない研究を十数年にわたって継続するという経営判断の産物であった。上野公夫と佐野肇による投資継続の決断は、短期的な財務指標では正当化しにくい選択であったが、バイオ医薬品の研究・製造に関する技術と人材を社内に蓄積する結果をもたらした。この蓄積…
ロシュへの過半出資の受け入れは、自社の創薬力を世界市場に接続するために資本面の自主性を代償として差し出す選択であった。中外製薬は創薬と初期開発に特化し、後期開発と海外販売をロシュに委ねることで、限られた資本を研究に集中させる構造を構築した。永山治が「確信があったわけではない」と述…