上野十蔵
中外製薬・元株式会社への改組にともない取締役社長
社長就任 1943年3月
生年月日 1892年1月1日
学歴 東京高等商業学校
出自 —
社長就任までの出自
出自
輸入薬の代理販売から出発し、1936年に高田工場を新設して注射薬の製造へ移った。自前の研究所を持たない期間が長く、心臓と肝臓の治療薬は自社では書けない薬だった。1961年3月末の大株主名簿では本人が10.7%を握る筆頭株主で、資本の裏づけを自ら持っていた。
社長に選ばれた経緯
抜擢
初代社長であり、前任はいない。1925年に個人で興した中外新薬商会を1943年3月に株式会社へ改め、その改組にともない取締役社長へ就任した。1956年3月には東京証券取引所へ上場している。日本の復興にはまず薬屋が必要——戦後の上野氏が掲げた立脚点である。
在任中の主な施策
施策
グルクロン酸を用いた肝臓薬グロンサンの増産では、月産1トンへ引き上げる案に社内の反対があったなか、失敗すれば自宅と屋敷を借金の担保に差し出すと言い切って押し通した。1964年9月には薬局向け医薬品の需要を安定させるため中外会制度を制定している。だが過当競争と保健薬の買い控えが重なって薬局向けの売り上げは減少し、1966年3月期は無配へ転落して420名の早期退職者を募った。
在任の評価
評価
執筆予定
経歴 1892〜1966年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-