上野公夫

中外製薬・元代表取締役社長

Ueno Kimio(敬称略)

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社長就任 1966年4月
生年月日 1919年1月1日
出自 日本銀行
社長就任までの出自
出自

1941年に日本銀行へ入り、1953年に中外製薬へ移った金融畑の出身である。1955年に取締役、1956年に専務、1958年に副社長と進み、社長就任までに13年を数えた。株式は創業者に集まっており、1961年3月末の大株主名簿では上野十蔵氏が10.7%で筆頭、上野公夫氏は1.7%で7位に並んでいた。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1966年4月、創業者の上野十蔵氏の後任として社長に就任した。交代の直前、1966年3月期はグロンサンの販売不振で無配へ転落し、420名の早期退職者を募っている。1964年9月に設けた中外会制度のあとも過当競争と保健薬の買い控えが続き、薬局向け製品の売り上げは減少した。単一製品への依存を解く役目が、金融畑の後継に託されたとみられる。

在任中の主な施策
施策

1970年代半ばに着手した遺伝子組換え製剤の研究は、当時のバイオ技術が基礎研究の段階にあり、収益化の時期を見通せなかった。1980年代初め、上野公夫氏は研究開発担当役員の佐野肇氏とともに、この研究への投資を続けると決めている。当時の経営者がバイオ開発の継続を決断していなければ今の中外製薬はない——のちに社長となる永山治氏の評価である。売上高は1971年3月期の204億円から1984年12月期の1001億円へ増えた。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1919〜2000年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

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