上野公夫
中外製薬・元代表取締役社長
社長就任までの出自
出自
1941年に日本銀行へ入り、1953年に中外製薬へ移った金融畑の出身である。1955年に取締役、1956年に専務、1958年に副社長と進み、社長就任までに13年を数えた。株式は創業者に集まっており、1961年3月末の大株主名簿では上野十蔵氏が10.7%で筆頭、上野公夫氏は1.7%で7位に並んでいた。
社長に選ばれた経緯
抜擢
1966年4月、創業者の上野十蔵氏の後任として社長に就任した。交代の直前、1966年3月期はグロンサンの販売不振で無配へ転落し、420名の早期退職者を募っている。1964年9月に設けた中外会制度のあとも過当競争と保健薬の買い控えが続き、薬局向け製品の売り上げは減少した。単一製品への依存を解く役目が、金融畑の後継に託されたとみられる。
在任中の主な施策
在任の評価
評価
執筆予定
経歴 1919〜2000年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-