タカタの出発点は、1933年に滋賀県彦根市で高田武三氏が興した織物業[1]にある。琵琶湖に近い彦根は地下水に恵まれ、繊維の産地として知られていた。同社は織物技術を船舶用の救命ロープへ応用し、人命を支える紐という一貫した製品系列を早い段階で手にしている。1956年11月には自動車用乗員拘束装置と農工業用灌漑ホース等の製造販売を目的として、資本金1千万円[2]で株式会社高田工場を設立した。設立時点の定款に自動車用乗員拘束装置が掲げられている点は重要で、自動車の安全部品への進出は事業の派生ではなく設立目的そのものだった。
転換の引き金は、創業者の高田武三氏が戦後に渡米してパラシュートの研究を視察したことにあった[3]。武三氏はそこで自動車用シートベルトの開発が始まっていることを知り、日本でも同じ装備が必要になると判断した。当時の日本では、シートベルトを備えた乗用車はほとんど存在しない。需要が見えないところへ設備と人を先に置く判断であり、織物とロープで培った繊維技術という手持ちの資産があってはじめて成立した賭けでもあった。1960年12月、同社はシートベルトの製造・販売を開始[4]する。乗員拘束装置を設立目的に掲げてから4年後のことだった。
製品があっても、装着を決めるのは完成車メーカーである。2代目の高田重一郎氏は、本田技研工業の創業者である本田宗一郎氏にシートベルトの必要性を直接説いた。本田氏はその場で理解を示し、1963年に発表・発売されたS500に2点式シートベルトが標準装備される[5]。日本車で初の標準装備であり、法規制も社会的な要請もない時期に一社の判断で採用された。この一件は、タカタの営業が個々の技術者ではなく完成車メーカーの経営者へ届く距離にあったことを示している。ホンダとの関係は、のちにエアバッグの共同開発へ、そして半世紀後にはリコール費用の負担交渉へと形を変えて続いた。
1969年11月に本店を東京都港区へ移し、1977年12月にはチャイルドシート"ガーディアンデラックス"を発売した[6]。乗員拘束という一つの原理を、大人向けのベルトから乳幼児向けの座席へ広げた展開である。1980年6月には韓国にDuck Boo International Co., Ltd.を合弁設立してシートベルトの製造・販売を始め、1983年12月に商号を株式会社高田工場からタカタ株式会社へ改めた[7]。1984年6月には米国ミシガン州にTakata[8] Fisher Corporationを合弁設立し、米州で初めてシートベルトの生産を始めている。彦根の織物工場から数えて半世紀弱で、同社は日米韓に生産拠点を持つ部品メーカーになった。
1980年代の自動車業界では、エアバッグの効果に懐疑的な見方が支配的だった。1987年9月、同社は滋賀県の愛知川製造所で運転席用エアバッグモジュールの製造・販売を開始[9]した。1990年10月には同じ製造所で助手席用の生産を始め、1991年5月には佐賀県多久市に国内エアバッグモジュール専用の生産拠点としてタカタ九州株式会社を設立している[10]。シートベルトが繊維技術の延長線上にあったのに対し、エアバッグは火薬と電子制御を含む別種の製品だった。
エアバッグは、部品を買い集めて組み立てるだけでは供給責任を負えない製品である。同社は基幹部品を自前で持つ道を選んだ。1991年6月に米国ミシガン州へ研究開発拠点のAutomotive Systems Laboratory, Inc.を設け、同年12月には米国ワシントン州にTakata Moses Lake Inc.を設立してインフレータの製造を始めている[11]。ここを内製化した判断は、供給の安定と原価の両面で合理的だった。同時にそれは、火薬の選択という後年の分岐点を自社の責任範囲に取り込む決定でもあった。
1988年から1992年にかけて、同社は米欧で買収と拠点設立を連ねた。1988年3月に米国Burlington社の産業資材部門を買収してHighland Industries, Inc.を設立し[12]、同年10月には英国のEuropean Components Co., Ltd.へ80%を資本参加して欧州初の製造拠点を得た[13]。1989年3月に米国Gateway Industries Inc.を買収してOccupant Safety Systems Inc.とし、同年5月には米国Irvin Industries Inc.を買収して内装トリムへ進んでいる。同年11月には米州の統括・持株会社としてTK HOLDINGS INC.を設立し[14]、1992年4月にはシンガポールへアジア地域の持株会社を置いた。完成車メーカーが世界同時に車を立ち上げる時代に入り、部品メーカーには供給地の三極化が求められていた。
アジアでの展開も同じ時期に始まる。1994年7月にタイでTAKATA-TOA CO., LTD.を合弁設立し、1997年3月にブラジル、同年4[15]月にフィリピンへ拠点を置いた。1990年代の終わりまでに、同社は日本・米州・欧州・アジアの四つの地域で生産と販売を持つ構造をつくり終えている。この地域別の枠組みはのちに報告セグメントそのものとなり、破綻の直前まで経営管理の単位として維持された。買収で広げた版図は、供給責任を果たす能力であると同時に、ひとたび製品に欠陥が見つかったときに損害が世界へ同時に広がる経路でもあった。
2000年6月、同社はドイツの大手ステアリングメーカーPETRI AGを買収し[16]、TAKATA-PETRI AGを設立した。運転席用エアバッグはステアリングホイールの内部に収まるため、両者を一体で設計・供給できる企業は完成車メーカーにとって発注先を減らせる相手になる。買収により欧州の量と顧客基盤を同時に得た同社は、シートベルト・エアバッグ・ステアリング・内装トリム・チャイルドシートを揃える安全部品の総合メーカーとなった。
買収の効果は拠点網の再編として現れた。2004年8月にルーマニアへTAKATA-PETRI Sibiu S.R.L.を設けてエアバッグ用ファブリックの生産を始め[17]、2012年11月には点火装置のSDI Molan GmbH & Co.KGを、2013年10月にはハンガリーの生産拠点を加えている。西欧で得た顧客に対し、東欧の低い製造コストで供給する形ができた。2016年3月期の欧州セグメントの外部顧客向け売上高は1,706億円で、連結売上高の24%にあたる。1988年に英国の1社へ資本参加して始まった欧州事業は、四半世紀を経て米州に次ぐ規模へ育った。
2004年1月、同社はタカタ事業企画株式会社を資本金2億円で設立し、同年4月に分社型会社分割で旧タカタ株式会社から自動車安全部品にかかる営業を承継して商号をタカタ株式会社に改めた[18]。営業を手放した旧会社はTKJ株式会社となり、事業会社の株式を保有する側に回っている。2006年11月に東京証券取引所市場第一部へ上場したとき、筆頭株主はこのTKJ株式会社で持株比率は53.3[19]%だった。上場は資金調達と信用の手段であると同時に、支配権を保ったまま市場から資金を得る設計でもあった。
経営の側でも世代の受け渡しが進んだ。安全部品の分野で当局から表彰された企業が、10年後には同じ当局から制裁を科される側に立った。2007年6月、重一郎氏の長男である高田重久氏[20]が代表取締役社長に就いた。重久氏は1988年に旧タカタへ入社し、2004年の分社と同時に新会社の代表取締役専務となっていた人物で、創業家3代目にあたる。
拒否は最も高くついた選択となった。マツダ、フォード、クライスラー、独BMWが続き、タカタは供給先の支持を失った。皮肉なことに、この時期の業績は伸び続けている。売上高は2014年3月期の5,570億円から2016年3月期には7,180億円まで増え、従業員数も5万人を超えた。世界シェア2位の部品を突然止めれば自動車生産そのものが停まるという事情が、信用を失った企業の受注を支えていた。当局と世論から追い込まれるほど、取引先は同社の製品を買い続けるほかなかった。
2017年1月、タカタは米司法省と総額10億ドルの支払いで和解した。米当局は元幹部3人を訴追した。2017年3月期の連結損益計算書には司法取引関連損失[21]975億円が計上され、リコール関連損失156億円、製品保証引当金繰入額39億円と合わせて、当期純損失は796億円に達した。自己資本比率は前期の27.5%から7.0%へ落ちている。
2017年6月26日、タカタとタカタ九州、タカタサービス[22]の3社は東京地方裁判所へ民事再生手続開始を申し立て、同日に開始決定を受けた。TK HOLDINGS INC.を含む米州子会社12社も、米国デラウェア州の連邦破産裁判所へ再生手続を申し立てている。負債総額は1兆円を超えた。KSSがエアバッグとシートベルトの事業を買い取り、旧会社にリコール債務を残す新旧分離の形をとった。
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|---|---|---|---|---|
| 1933〜1986年彦根の織物工場が乗員拘束装置にたどり着くまで | 高田工場を設立 | ★ | ||
| シートベルトの製造・販売を開始 | ★★ | |||
| 本店所在地を移転 | ★ | |||
| チャイルドシート「ガーディアンデラックス」を発売 | ★ | |||
| 商号を高田工場からタカタに変更 | ★ | |||
| 合弁でTakata Fisher Corporationを設立 | ★ | |||
| 1987〜1999年エアバッグ参入と、買収でつくった三極生産体制 | 運転席用エアバッグの量産開始と、インフレータの内製化 1987年9月、タカタが滋賀県の愛知川製造所で運転席用エアバッグモジュールの製造・販売を開始した経営判断。日系メーカーで最初にエアバッグを搭載したホンダからの量産協力の要請に応じたもので、同社はその後1990年に助手席用、1991年に基幹部品であるインフレータの自社生産まで範囲を広げた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| Burlingtonの産業資材部門を買収 | ★★ | |||
| Irvin Industries Inc.を子会社化 | ★★ | |||
| 滋賀県愛知川製造所において、助手席用エアバッグの製造・販売を開始 | ★★ | |||
| ドイツにおける販売の拠点として、TAKATA (Europe) GmbHを設立 | ★ | |||
| 国内エアバッグモジュール製造拠点としてタカタ九州を設立 | ★ | |||
| Automotive Systems Laboratory, Inc.を設立 | ★ | |||
| Takata Moses Lake Inc.を設立 | ★ | |||
| 2000〜2007年世界2位への到達と、火薬の選択、そして創業家支配の制度化 | PETRI AGを子会社化 | ★★ | ||
| 製造・販売拠点としてTakata (Shanghai) Safety Systems Co., Ltd.を設立 | ★ | |||
| 会社分割により旧タカタから自動車安全部品事業を承継 | ★ | |||
| タカタに商号変更 | ★ | |||
| 東京証券取引所市場第一部に上場 | ★ | |||
| 2008〜2017年リコールの連鎖から民事再生へ、負債1兆円の幕切れ | ステファン・ストッカー | NHTSAによる調査リコールの全米拡大要請の不受諾と、原因究明の優先 2014年11月から12月にかけて、タカタが米運輸省道路交通安全局(NHTSA)による調査リコールの全米拡大要請に応じなかった経営判断。不具合の原因が特定できていないことと交換部品の供給が間に合わないことを理由に、12月3日の米下院公聴会でも拡大には応じられないとの立場を示した。 詳細を読む | ★★★ | |
| 高田重久 | Irvin Automotive Products Inc.の全株式を売却 | ★ | ||
| 高田重久 | 私的整理の主張から民事再生法の申請へ、キー・セイフティー・システムズへの事業承継 2017年6月26日、タカタとタカタ九州、タカタサービスの3社が東京地方裁判所へ民事再生手続開始を申し立て、同日に開始決定を受けた経営判断。負債総額は1兆円を超え、事業は米キー・セイフティー・システムズ(KSS)へ1,750億円で承継された。株式は同年7月27日付で上場廃止となった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 高田重久 | 米州子会社12社が米連邦破産裁判所に再生手続開始を申立て | ★★ |
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事実根拠:出所(タカタ)