タカタ の歴史

更新:

創業 1933年
創業者 高田武三
創業地 滋賀県彦根市
創業
1933年、高田武三氏が滋賀県彦根市で織物業を興し、織る技術を船舶用の救命ロープへ広げた。戦後に渡米した武三氏はパラシュートの研究を視察し、自動車用シートベルトの開発が米国で始まっていることを知る。1956年11月、自動車用乗員拘束装置と農工業用灌漑ホース等の製造販売を目的として、資本金1千万円で株式会社高田工場を設立した。国内にシートベルトを備えた乗用車がほとんど無い時期に、それを定款へ書き込んでいる。1960年12月にシートベルトの製造販売を始め、1969年11月に本店を東京都港区へ移し、1983年12月にタカタ株式会社へ商号を変更した。
決断・現況・競合について
決断
需要が立ち上がる前に生産の準備を置くことを、二度繰り返した。一度目は1956年の設立で、装着義務も市場も無い時期に乗員拘束装置を定款の目的へ掲げている。二度目は1987年9月、効果を疑う完成車メーカーが多く量産の引き受け手が限られていたエアバッグで、同社は滋賀県の愛知川製造所で運転席用モジュールの量産を始めた。日系で最初にエアバッグを搭載したホンダが協力を求めた相手が、シートベルトで長く取引のあったタカタだった。1991年12月には米国ワシントン州にインフレータの生産拠点を設け、ガス発生装置と火薬まで自社で抱える。市場ができる前に生産を置く順序は世界2位への拡大を生んだが、同時に、火薬の品質責任を他社と分け合えない構成も残した。
現況
タカタという会社はもう無く、事業だけが別の資本の下で続いている。最後の本決算となった2017年3月期の連結売上高は6,625億円、営業利益389億円で、純損失は795億円だった。地域別では米州2,699億円、欧州1,645億円、アジア1,479億円に対し日本は799億円で、売上の9割近くを海外が占めている。リコール関連を含む特別損失は1,329億円に達し、純損失は3期続いた。2017年6月26日、タカタとタカタ九州、タカタサービスは東京地方裁判所へ民事再生手続の開始を申し立てた。負債総額は1兆円を超え、エアバッグとシートベルトの事業は米キー・セイフティー・システムズが1,750億円で引き継ぎ、リコール債務は旧会社に残された。事業と債務を切り分けたことが、製品を世界で使い続けたまま上場法人だけを消す結末へ導いた。
競合
同じエアバッグでも、費用を引き受ける親会社があるかどうかで結末が分かれた。豊田合成トヨタ自動車が株式の43.58%を保有したまま、2025年にシートベルト大手の芦森工業をTOBで完全子会社化し、乗員保護を一式で設計する供給者になった。タカタには過半を握る事業会社の株主がなく、株式の6割は創業家が持っていた。2014年12月、同社はNHTSAによる全米へのリコール拡大要請を受け入れなかった。原因が特定できないまま同じ設計の部品へ交換することを拒んだ判断は、規制当局と米世論には危険の放置と受け取られる。2017年の再建協議でも、法的整理で持分が無価値になる創業家が私的整理を主張し続けた。費用を分担する親会社も持分を諦められる株主も持たなかったことが、世界2位の供給者を16か月の協議の末に解体させた。
長期業績の推移 2005〜2017年
タカタ:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(百万円純利益率(%)
2005年3月期2017年3月期

創業ストーリー 彦根の織物工場が乗員拘束装置にたどり着くまで (1933年〜)

彦根の織物工場が乗員拘束装置にたどり着くまで

創業ストーリー(1)

織物から救命ロープ、そしてシートベルトへの転換

タカタの出発点は、1933年に滋賀県彦根市で高田武三氏が興した織物業[1]にある。琵琶湖に近い彦根は地下水に恵まれ、繊維の産地として知られていた。同社は織物技術を船舶用の救命ロープへ応用し、人命を支える紐という一貫した製品系列を早い段階で手にしている。1956年11月には自動車用乗員拘束装置と農工業用灌漑ホース等の製造販売を目的として、資本金1千万円[2]で株式会社高田工場を設立した。設立時点の定款に自動車用乗員拘束装置が掲げられている点は重要で、自動車の安全部品への進出は事業の派生ではなく設立目的そのものだった。

    • [1]1933年 滋賀県彦根市で高田武三が織物業として創業
  • タカタ 有価証券報告書【沿革】
    • [2]1956年11月 自動車用乗員拘束装置・農工業用灌漑ホース等の製造販売を目的に資本金1千万円で株式会社高田工場を設立(滋賀県彦根市)

転換の引き金は、創業者の高田武三氏が戦後に渡米してパラシュートの研究を視察したことにあった[3]。武三氏はそこで自動車用シートベルトの開発が始まっていることを知り、日本でも同じ装備が必要になると判断した。当時の日本では、シートベルトを備えた乗用車はほとんど存在しない。需要が見えないところへ設備と人を先に置く判断であり、織物とロープで培った繊維技術という手持ちの資産があってはじめて成立した賭けでもあった。1960年12月、同社はシートベルトの製造・販売を開始[4]する。乗員拘束装置を設立目的に掲げてから4年後のことだった。

    • [3]創業者の高田武三が戦後に渡米しパラシュート研究を視察、自動車用シートベルト開発を知って国内での必要性を確信
  • タカタ 有価証券報告書【沿革】
    • [4]1960年12月 シートベルトの製造・販売を開始
    • [1]1933年 滋賀県彦根市で高田武三が織物業として創業
    • [3]創業者の高田武三が戦後に渡米しパラシュート研究を視察、自動車用シートベルト開発を知って国内での必要性を確信
  • タカタ 有価証券報告書【沿革】
    • [2]1956年11月 自動車用乗員拘束装置・農工業用灌漑ホース等の製造販売を目的に資本金1千万円で株式会社高田工場を設立(滋賀県彦根市)
    • [4]1960年12月 シートベルトの製造・販売を開始
創業ストーリー(2)

ホンダへの直談判が開いた国内初の標準装備

製品があっても、装着を決めるのは完成車メーカーである。2代目の高田重一郎氏は、本田技研工業の創業者である本田宗一郎氏にシートベルトの必要性を直接説いた。本田氏はその場で理解を示し、1963年に発表・発売されたS500に2点式シートベルトが標準装備される[5]。日本車で初の標準装備であり、法規制も社会的な要請もない時期に一社の判断で採用された。この一件は、タカタの営業が個々の技術者ではなく完成車メーカーの経営者へ届く距離にあったことを示している。ホンダとの関係は、のちにエアバッグの共同開発へ、そして半世紀後にはリコール費用の負担交渉へと形を変えて続いた。

1969年11月に本店を東京都港区へ移し、1977年12月にはチャイルドシート"ガーディアンデラックス"を発売した[6]。乗員拘束という一つの原理を、大人向けのベルトから乳幼児向けの座席へ広げた展開である。1980年6月には韓国にDuck Boo International Co., Ltd.を合弁設立してシートベルトの製造・販売を始め、1983年12月に商号を株式会社高田工場からタカタ株式会社へ改めた[7]。1984年6月には米国ミシガン州にTakata[8] Fisher Corporationを合弁設立し、米州で初めてシートベルトの生産を始めている。彦根の織物工場から数えて半世紀弱で、同社は日米韓に生産拠点を持つ部品メーカーになった。

  • タカタ 有価証券報告書【沿革】
    • [6]1977年12月 チャイルドシート「ガーディアンデラックス」を発売
    • [7]1983年12月 商号を株式会社高田工場からタカタ株式会社に変更
    • [8]1984年6月 米国ミシガン州にTakata Fisher Corporationを合弁設立、米州初のシートベルト生産
    • [5]2代目の高田重一郎が本田宗一郎にシートベルトの必要性を直談判、1963年発売のS500に日本初の2点式シートベルト標準装備
  • タカタ 有価証券報告書【沿革】
    • [6]1977年12月 チャイルドシート「ガーディアンデラックス」を発売
    • [7]1983年12月 商号を株式会社高田工場からタカタ株式会社に変更
    • [8]1984年6月 米国ミシガン州にTakata Fisher Corporationを合弁設立、米州初のシートベルト生産

エアバッグ参入と、買収でつくった三極生産体制

創業ストーリー(3)

懐疑のなかで始めた運転席用エアバッグの量産

1980年代の自動車業界では、エアバッグの効果に懐疑的な見方が支配的だった。1987年9月、同社は滋賀県の愛知川製造所で運転席用エアバッグモジュールの製造・販売を開始[9]した。1990年10月には同じ製造所で助手席用の生産を始め、1991年5月には佐賀県多久市に国内エアバッグモジュール専用の生産拠点としてタカタ九州株式会社を設立している[10]。シートベルトが繊維技術の延長線上にあったのに対し、エアバッグは火薬と電子制御を含む別種の製品だった。

  • タカタ 有価証券報告書【沿革】
    • [9]1987年9月 滋賀県愛知川製造所で運転席用エアバッグモジュールの製造・販売を開始
    • [10]1991年5月 佐賀県多久市にタカタ九州株式会社を設立(国内エアバッグモジュール製造拠点)

エアバッグは、部品を買い集めて組み立てるだけでは供給責任を負えない製品である。同社は基幹部品を自前で持つ道を選んだ。1991年6月に米国ミシガン州へ研究開発拠点のAutomotive Systems Laboratory, Inc.を設け、同年12月には米国ワシントン州にTakata Moses Lake Inc.を設立してインフレータの製造を始めている[11]。ここを内製化した判断は、供給の安定と原価の両面で合理的だった。同時にそれは、火薬の選択という後年の分岐点を自社の責任範囲に取り込む決定でもあった。

  • タカタ 有価証券報告書【沿革】
    • [11]1991年12月 米国ワシントン州にTakata Moses Lake Inc.(現Inflation Systems Inc.)を設立しインフレータ製造を開始
  • タカタ 有価証券報告書【沿革】
    • [9]1987年9月 滋賀県愛知川製造所で運転席用エアバッグモジュールの製造・販売を開始
    • [10]1991年5月 佐賀県多久市にタカタ九州株式会社を設立(国内エアバッグモジュール製造拠点)
    • [11]1991年12月 米国ワシントン州にTakata Moses Lake Inc.(現Inflation Systems Inc.)を設立しインフレータ製造を開始
創業ストーリー(4)

買収を重ねて三極に置いた生産と統括

1988年から1992年にかけて、同社は米欧で買収と拠点設立を連ねた。1988年3月に米国Burlington社の産業資材部門を買収してHighland Industries, Inc.を設立し[12]、同年10月には英国のEuropean Components Co., Ltd.へ80%を資本参加して欧州初の製造拠点を得た[13]。1989年3月に米国Gateway Industries Inc.を買収してOccupant Safety Systems Inc.とし、同年5月には米国Irvin Industries Inc.を買収して内装トリムへ進んでいる。同年11月には米州の統括・持株会社としてTK HOLDINGS INC.を設立し[14]、1992年4月にはシンガポールへアジア地域の持株会社を置いた。完成車メーカーが世界同時に車を立ち上げる時代に入り、部品メーカーには供給地の三極化が求められていた。

  • タカタ 有価証券報告書【沿革】
    • [12]1988年3月 米Burlington社の産業資材部門を買収しHighland Industries, Inc.を設立
    • [13]1988年10月 英European Components Co., Ltd.に80%資本参加、欧州初の製造拠点
    • [14]1989年11月 米州の統括・持株会社としてTK HOLDINGS INC.を設立

アジアでの展開も同じ時期に始まる。1994年7月にタイでTAKATA-TOA CO., LTD.を合弁設立し、1997年3月にブラジル、同年4[15]月にフィリピンへ拠点を置いた。1990年代の終わりまでに、同社は日本・米州・欧州・アジアの四つの地域で生産と販売を持つ構造をつくり終えている。この地域別の枠組みはのちに報告セグメントそのものとなり、破綻の直前まで経営管理の単位として維持された。買収で広げた版図は、供給責任を果たす能力であると同時に、ひとたび製品に欠陥が見つかったときに損害が世界へ同時に広がる経路でもあった。

  • タカタ 有価証券報告書【沿革】
    • [15]1994年7月 タイにTAKATA-TOA CO., LTD.を合弁設立、1997年3月ブラジル・同年4月フィリピンに拠点設立
  • タカタ 有価証券報告書【沿革】
    • [12]1988年3月 米Burlington社の産業資材部門を買収しHighland Industries, Inc.を設立
    • [13]1988年10月 英European Components Co., Ltd.に80%資本参加、欧州初の製造拠点
    • [14]1989年11月 米州の統括・持株会社としてTK HOLDINGS INC.を設立
    • [15]1994年7月 タイにTAKATA-TOA CO., LTD.を合弁設立、1997年3月ブラジル・同年4月フィリピンに拠点設立

世界2位への到達と、火薬の選択、そして創業家支配の制度化

創業ストーリー(5)

PETRI買収で得たステアリングと欧州の量

2000年6月、同社はドイツの大手ステアリングメーカーPETRI AGを買収し[16]、TAKATA-PETRI AGを設立した。運転席用エアバッグはステアリングホイールの内部に収まるため、両者を一体で設計・供給できる企業は完成車メーカーにとって発注先を減らせる相手になる。買収により欧州の量と顧客基盤を同時に得た同社は、シートベルト・エアバッグ・ステアリング・内装トリム・チャイルドシートを揃える安全部品の総合メーカーとなった。

  • タカタ 有価証券報告書【沿革】
    • [16]2000年6月 ドイツの大手ステアリングメーカーPETRI AGを買収しTAKATA-PETRI AGを設立

買収の効果は拠点網の再編として現れた。2004年8月にルーマニアへTAKATA-PETRI Sibiu S.R.L.を設けてエアバッグ用ファブリックの生産を始め[17]、2012年11月には点火装置のSDI Molan GmbH & Co.KGを、2013年10月にはハンガリーの生産拠点を加えている。西欧で得た顧客に対し、東欧の低い製造コストで供給する形ができた。2016年3月期の欧州セグメントの外部顧客向け売上高は1,706億円で、連結売上高の24%にあたる。1988年に英国の1社へ資本参加して始まった欧州事業は、四半世紀を経て米州に次ぐ規模へ育った。

  • タカタ 有価証券報告書【沿革】
    • [17]2004年8月ルーマニアにTAKATA-PETRI Sibiu S.R.L.設立、2012年11月SDI Molan GmbH & Co.KG買収、2013年10月ハンガリーに生産拠点設立
  • タカタ 有価証券報告書【沿革】
    • [16]2000年6月 ドイツの大手ステアリングメーカーPETRI AGを買収しTAKATA-PETRI AGを設立
    • [17]2004年8月ルーマニアにTAKATA-PETRI Sibiu S.R.L.設立、2012年11月SDI Molan GmbH & Co.KG買収、2013年10月ハンガリーに生産拠点設立
創業ストーリー(6)

分社と上場でつくった創業家6割の資本構造

2004年1月、同社はタカタ事業企画株式会社を資本金2億円で設立し、同年4月に分社型会社分割で旧タカタ株式会社から自動車安全部品にかかる営業を承継して商号をタカタ株式会社に改めた[18]。営業を手放した旧会社はTKJ株式会社となり、事業会社の株式を保有する側に回っている。2006年11月に東京証券取引所市場第一部へ上場したとき、筆頭株主はこのTKJ株式会社で持株比率は53.3[19]%だった。上場は資金調達と信用の手段であると同時に、支配権を保ったまま市場から資金を得る設計でもあった。

  • タカタ 有価証券報告書【沿革】
    • [18]2004年4月 分社型会社分割で旧タカタ株式会社(現TKJ株式会社)から自動車安全部品事業を承継し商号をタカタ株式会社に変更
  • タカタ 有価証券報告書
    • [19]2006年11月 東証一部上場、2007年3月期末の筆頭株主はTKJ株式会社で53.3%

経営の側でも世代の受け渡しが進んだ。安全部品の分野で当局から表彰された企業が、10年後には同じ当局から制裁を科される側に立った。2007年6月、重一郎氏の長男である高田重久[20]が代表取締役社長に就いた。重久氏は1988年に旧タカタへ入社し、2004年の分社と同時に新会社の代表取締役専務となっていた人物で、創業家3代目にあたる。

  • タカタ 有価証券報告書【役員の状況】
    • [20]2007年6月 高田重久が代表取締役社長に就任(1988年4月旧タカタ入社、2004年4月当社代表取締役専務取締役)
  • タカタ 有価証券報告書【沿革】
    • [18]2004年4月 分社型会社分割で旧タカタ株式会社(現TKJ株式会社)から自動車安全部品事業を承継し商号をタカタ株式会社に変更
  • タカタ 有価証券報告書
    • [19]2006年11月 東証一部上場、2007年3月期末の筆頭株主はTKJ株式会社で53.3%
  • タカタ 有価証券報告書【役員の状況】
    • [20]2007年6月 高田重久が代表取締役社長に就任(1988年4月旧タカタ入社、2004年4月当社代表取締役専務取締役)

リコールの連鎖から民事再生へ、負債1兆円の幕切れ

創業ストーリー(7)

2008年に始まった回収と、拡大していく対象

拒否は最も高くついた選択となった。マツダ、フォード、クライスラー、独BMWが続き、タカタは供給先の支持を失った。皮肉なことに、この時期の業績は伸び続けている。売上高は2014年3月期の5,570億円から2016年3月期には7,180億円まで増え、従業員数も5万人を超えた。世界シェア2位の部品を突然止めれば自動車生産そのものが停まるという事情が、信用を失った企業の受注を支えていた。当局と世論から追い込まれるほど、取引先は同社の製品を買い続けるほかなかった。

創業ストーリー(8)

司法取引と、創業家が拒み続けた法的整理

2017年1月、タカタは米司法省と総額10億ドルの支払いで和解した。米当局は元幹部3人を訴追した。2017年3月期の連結損益計算書には司法取引関連損失[21]975億円が計上され、リコール関連損失156億円、製品保証引当金繰入額39億円と合わせて、当期純損失は796億円に達した。自己資本比率は前期の27.5%から7.0%へ落ちている。

  • タカタ 有価証券報告書
    • [21]2017年3月期に司法取引関連損失97,545百万円・リコール関連損失15,631百万円を計上し当期純損失79,588百万円、自己資本比率は27.5%から7.0%へ低下
  • タカタ 有価証券報告書
    • [21]2017年3月期に司法取引関連損失97,545百万円・リコール関連損失15,631百万円を計上し当期純損失79,588百万円、自己資本比率は27.5%から7.0%へ低下
創業ストーリー(9)

負債1兆円の民事再生と、中国資本への承継

2017年6月26日、タカタとタカタ九州、タカタサービス[22]の3社は東京地方裁判所へ民事再生手続開始を申し立て、同日に開始決定を受けた。TK HOLDINGS INC.を含む米州子会社12社も、米国デラウェア州の連邦破産裁判所へ再生手続を申し立てている。負債総額は1兆円を超えた。KSSがエアバッグとシートベルトの事業を買い取り、旧会社にリコール債務を残す新旧分離の形をとった。

  • タカタ 有価証券報告書【沿革】
    • [22]2017年6月26日 タカタ・タカタ九州・タカタサービスが東京地裁へ民事再生手続開始を申立て、米州子会社12社も米デラウェア州連邦破産裁判所へ申立て
  • タカタ 有価証券報告書【沿革】
    • [22]2017年6月26日 タカタ・タカタ九州・タカタサービスが東京地裁へ民事再生手続開始を申立て、米州子会社12社も米デラウェア州連邦破産裁判所へ申立て

API for AI Agents — 認証不要、URLをGETするだけで機械可読なJSONをトークン消費を抑えつつ取得できます。

歴史年表 1956〜2017年

タカタの沿革1956〜2017年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1933〜1986年彦根の織物工場が乗員拘束装置にたどり着くまで高田工場を設立
シートベルトの製造・販売を開始★★
本店所在地を移転
チャイルドシート「ガーディアンデラックス」を発売
商号を高田工場からタカタに変更
合弁でTakata Fisher Corporationを設立
1987〜1999年エアバッグ参入と、買収でつくった三極生産体制運転席用エアバッグの量産開始と、インフレータの内製化

1987年9月、タカタが滋賀県の愛知川製造所で運転席用エアバッグモジュールの製造・販売を開始した経営判断。日系メーカーで最初にエアバッグを搭載したホンダからの量産協力の要請に応じたもので、同社はその後1990年に助手席用、1991年に基幹部品であるインフレータの自社生産まで範囲を広げた。

詳細を読む
★★★
Burlingtonの産業資材部門を買収★★
Irvin Industries Inc.を子会社化★★
滋賀県愛知川製造所において、助手席用エアバッグの製造・販売を開始★★
ドイツにおける販売の拠点として、TAKATA (Europe) GmbHを設立
国内エアバッグモジュール製造拠点としてタカタ九州を設立
Automotive Systems Laboratory, Inc.を設立
Takata Moses Lake Inc.を設立
2000〜2007年世界2位への到達と、火薬の選択、そして創業家支配の制度化PETRI AGを子会社化★★
製造・販売拠点としてTakata (Shanghai) Safety Systems Co., Ltd.を設立
会社分割により旧タカタから自動車安全部品事業を承継
タカタに商号変更
東京証券取引所市場第一部に上場
2008〜2017年リコールの連鎖から民事再生へ、負債1兆円の幕切れステファン・ストッカーNHTSAによる調査リコールの全米拡大要請の不受諾と、原因究明の優先

2014年11月から12月にかけて、タカタが米運輸省道路交通安全局(NHTSA)による調査リコールの全米拡大要請に応じなかった経営判断。不具合の原因が特定できていないことと交換部品の供給が間に合わないことを理由に、12月3日の米下院公聴会でも拡大には応じられないとの立場を示した。

詳細を読む
★★★
高田重久Irvin Automotive Products Inc.の全株式を売却
高田重久私的整理の主張から民事再生法の申請へ、キー・セイフティー・システムズへの事業承継

2017年6月26日、タカタとタカタ九州、タカタサービスの3社が東京地方裁判所へ民事再生手続開始を申し立て、同日に開始決定を受けた経営判断。負債総額は1兆円を超え、事業は米キー・セイフティー・システムズ(KSS)へ1,750億円で承継された。株式は同年7月27日付で上場廃止となった。

詳細を読む
★★★
高田重久米州子会社12社が米連邦破産裁判所に再生手続開始を申立て★★
出典・参考 4件
出典・参考

免責事項およびポリシー