1934年〜 豊田自動織機ゴム研究部門からのスピンアウトと社名統一
豊田合成の業績推移:単体
- 1949年 企業再建整備法にもとづく第二会社・名古屋ゴムの分離独立 戦時統制で手放したゴム部門を、なぜ本体へ戻さず独立会社として切り出したのか
- 1957年 春日工場を新設
- 1962年 ソフトコルク工業を吸収合併し西町工場を継承
- 1967年 稲沢工場を新設
- 1973年 豊田合成に商号変更
- 1976年 森町工場を新設
- 1978年 名古屋証券取引所市場第二部に株式上場
戦時下のゴム研究部門設置から国華工業第二会社としての分離独立
1934年、豊田自動織機製作所内にゴム研究部門が設置された。創業者の豊田佐吉氏が育てた豊田商店の流れを汲む豊田一族のうち、豊田喜一郎氏が自動車事業の立ち上げと並行してゴム部品の内製化を企図し、ゴム研究の専従部門を社内に置く判断を下したことが発端である。当初の研究対象は織機・自動車・航空機向けの各種ゴム部品で、戦時下の軍需生産にも組み込まれていた。1944年には組織変更により国華工業株式会社の名古屋工場・岡崎工場として分離し、ゴム製品の量産体制を整えた。自動車・織機という親会社の主力事業を支える部品の内製拠点として、ゴム素材の研究と量産が一体で進んだ点が、後の素材専業メーカーとしての性格を形づくった。 [1]
- 豊田合成 沿革
- [1]1934年 豊田自動織機製作所内にゴム研究部門を設置
終戦後の1949年6月、企業再建整備法に基づき国華工業の第二会社として名古屋工場・岡崎工場を分離独立し、名古屋ゴム株式会社として発足した。資本金は限定的で、当初は自動車用・産業機械用のゴム部品を手がける専業メーカーの規模だった。1952年3月には岡崎工場を閉鎖して名古屋工場に併合し、生産機能を一拠点に集約した。戦後復興期に拡大するゴム部品需要に対応しながら、トヨタ自動車(当時の親会社系列)の生産再開に伴うゴム部品供給の安定化を主軸事業に据え、トヨタグループの部品供給網の一翼として再出発した。 [2]
- 有価証券報告書
- [2]1949年6月 企業再建整備法により国華工業の第二会社として名古屋ゴム株式会社が分離独立・発足
- 豊田合成 沿革
- [1]1934年 豊田自動織機製作所内にゴム研究部門を設置
- 有価証券報告書
- [2]1949年6月 企業再建整備法により国華工業の第二会社として名古屋ゴム株式会社が分離独立・発足
春日工場建設と稲沢工場稼働、エアバッグ事業の起点
1957年5月、愛知県西春日井郡春日村(現・清須市)に春日工場を建設した。名古屋工場の生産能力では拡大する自動車ゴム部品の需要に対応できず、新規工場の建設で生産能力を増強する判断である。1962年5月にはソフトコルク工業株式会社を吸収合併し西町工場を引き継ぎ、ゴム以外のコルク・樹脂部品の生産品目を取り込んだ。1967年12月、愛知県稲沢市北島町に稲沢工場を建設し、生産拠点の集約・拡張を行った。トヨタ自動車の販売台数の拡大(1960年代の高度成長期に年率20〜30%で台数拡大)に応じた供給体制の段階的整備で、稲沢工場は後年のセーフティシステム事業の中核拠点となる。 [3][4][5]
- 有価証券報告書
- [3]1957年5月 愛知県春日村に春日工場を建設
- [4]1962年5月 ソフトコルク工業を吸収合併し西町工場を引き継ぐ
- [5]1967年12月 愛知県稲沢市北島町に稲沢工場を建設
1973年8月、社名を豊田合成株式会社に変更した。「ゴム」のみを冠した名古屋ゴムから、ゴム以外の合成樹脂・ウレタンを含む合成材料全般を扱う企業として、社名でも事業領域の拡大を明示した。「豊田」を冠することでトヨタグループの一員としての帰属を明示し、グループブランドとの一体化を図った。1973年は第一次オイルショックの年で、自動車生産の急減局面とも重なるが、社名変更は事業構造の中長期の方向性を提示する組み立てだった。1976年9月、静岡県周智郡森町に森町工場を建設し、東日本での生産拠点を設けた。 [6][7]
- 有価証券報告書
- [6]1973年8月 社名を豊田合成株式会社に変更
- [7]1976年9月 静岡県森町に森町工場を建設
- 有価証券報告書
- [3]1957年5月 愛知県春日村に春日工場を建設
- [4]1962年5月 ソフトコルク工業を吸収合併し西町工場を引き継ぐ
- [5]1967年12月 愛知県稲沢市北島町に稲沢工場を建設
- [6]1973年8月 社名を豊田合成株式会社に変更
- [7]1976年9月 静岡県森町に森町工場を建設
名古屋証取上場・本社清須移転による尾張西部への経営集約
1978年12月、名古屋証券取引所市場第二部に株式上場した。1980年1月、愛知県西春日井郡春日村(現・清須市)へ本社を移転した。名古屋市内の本社機能を生産拠点近接地に集約する判断で、生産現場との一体運営を志向した組み立てである。1980年11月には稲沢市西溝口町に西溝口工機工場を建設し、金型・治工具の内製機能を整備した。1982年8月には愛知県尾西市(現・一宮市)明地に尾西工場、1983年10月には名古屋証券取引所市場第一部に指定された。地方上場・市場第一部昇格・本社移転を通じて、トヨタ系自動車部品メーカーとしての基盤を1980年代前半までに整えた。 [8][9][10]
- 有価証券報告書
- [8]1978年12月 名古屋証券取引所市場第二部に株式上場
- [9]1980年1月 愛知県春日村へ本社を移転
- [10]1983年10月 名古屋証券取引所市場第一部に指定
1973年の豊田合成への社名変更から1983年の名古屋証取一部指定まで10年間で、ゴム・樹脂・コルクの合成材料全般を扱うトヨタ系部品メーカーとしての地位が確立された。本社・生産拠点・上場市場の3要素が清須・稲沢・尾西という尾張西部のエリア内に集約され、生産・研究・本社機能の物理的近接性を活かす経営の組み立てが固まった時期である。トヨタ自動車本体の生産台数拡大(1980年代に年間300万台規模へ)と歩調を合わせ、エアバッグ・ウェザストリップ・内外装樹脂・機能部品の供給体制が次の10年で本格化する基盤が整った。 [11]
- 有価証券報告書
- [11]1973年の豊田合成への社名変更から1983年の名古屋証取一部指定まで10年間
- 有価証券報告書
- [8]1978年12月 名古屋証券取引所市場第二部に株式上場
- [9]1980年1月 愛知県春日村へ本社を移転
- [10]1983年10月 名古屋証券取引所市場第一部に指定
- [11]1973年の豊田合成への社名変更から1983年の名古屋証取一部指定まで10年間