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ニフコの歴史

創業年
-
株式上場
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1953年
小笠原敏晶が日英物産を創業
1967年
日英物産とITWの合弁で「日本工業ファスナー」を設立
1976年
名古屋工場を新設し、トヨタとの取引を強化
1977年
ニフコが日英物産を吸収
1979年
東京証券取引所第2部に株式上場
1980年
相模原工場を新設し、関東圏の自動車メーカーとの取引を強化
1986年
ジャパンタイムズの経営権を取得
1986年
ITWとの資本関係を解消
1986年
米国オハイオ州に現地法人設立
1996年
米国の高級ベットメーカー「シモンズ」を買収
2001年
小笠原敏晶が代表取締役社長を退任し、代表取締役会長に就任
2004年
大幅減益(純利益45億円→6億円)
2016年
小笠原敏晶が逝去
ニフコ創業者・小笠原敏晶
ニフコ創業者・小笠原敏晶
illustration by @yusugiura
1953年

小笠原敏晶が日英物産を創業

ロンドン大学を卒業した小笠原敏晶(当時22歳)は「葉タバコ」の貿易会社「日英物産」を創業。1960年にベルクロファスナー社からの技術導入により日本ベルクロを設立し、同社から売り出したマジックテープをロングセラーに育てるなど、起業家として手腕を発揮した。1964年には米国ハートウェル社と技術提携してプラスチックファスナーの取扱を開始するなど、海外企業からの技術導入により業容を拡大した。

1967年

日英物産とITWの合弁で「日本工業ファスナー」を設立

小笠原敏晶は、米国留学時代のプリンストン大学に知り合ったITW社の経営者(プリンストン大学の理事長を兼任)と知り合い、同氏から工業用ファスナーの日本展開の話を持ちかけられた。そこで、小笠原敏晶氏は提案を引き受け、日英物産とITWの合弁会社として「日本ファスナー工業(ニフコ)」を設立。ニフコは、ITWが保有するプラスチック製ファスナーの特許を武器に、日本での営業活動を開始する。

小笠原敏晶の発言
小笠原敏晶の発言

ご存知のように、当社は米国の工業用ファスナーの世界的メーカーであるイリノイ・ツール・ワークス(ITW)の方が商品の種類が断然多く、品質や性能もすぐれていましたからね。最近は中小企業でも我々を追い上げて来るところが出ていますけれど、ITWは英国や西独、フランス、イタリア、スウェーデンなどに現地法人や合弁会社を持っており、当社を含めたITWグループ全体の技術情報網と特許の数は抜群です。特許数は全世界で5000〜6000に及びます。当社はこれを活用できますから、優位に立てるわけです。

1983/1/24日経ビジネス「編集長インタビュー・小笠原敏晶」
1976年

名古屋工場を新設し、トヨタとの取引を強化

国内の自動車トップメーカーであるトヨタ自動車との取引を拡大するために、名古屋工場を新設。なお、トヨタ自動車との取引開始時期は不明

小笠原敏晶の発言
小笠原敏晶の発言

私は「米国で実績のある商品なのだから、日本でも必ず売れる」と信じていた。だが、営業活動を始めたとたん、自分の読みの甘さを思い知らされた。会社設立後、私は商品を持って自動車メーカーを訪ね歩いたが、まともに相手にしてくれるところは1社もなかった。(中略)しかし、私は何度門前払いを食らわされても、違う商品や改良のアイデアを携えてアプローチを繰り返した。その粘りが実を結んだのは、設計部門の技術者を紹介してくれた時だった。「君の話は私には十分理解できない。専門家に直接説明してくれ」。そう言われて技術者を尋ねると、その人は私の提案に熱心に耳を傾け、ある日、図面に当社の商品を書き入れてくれた。

2001/1日経ベンチャー「「思い込み」が生む提案力・小笠原敏晶」
1977年

ニフコが日英物産を吸収

1970年代を通じてニフコは急速に業容を拡大したことから、日英物産を吸収。1973年のオイルショックにより、自動車メーカーが燃費性能を重視するようになり、従来の金属部品に代わって、プラスチック製の部品を大量採用したことがニフコにとって追い風となり、創業者の小笠原敏晶は会社を一本化した。

1979年

東京証券取引所第2部に株式上場

上場直後(1979年冬)の株保有比率は、小笠原敏晶(65.6%)、ITW(31.5%)であり、実質的に小笠原敏晶が議決権の過半数を確保していた。

小笠原敏晶の発言
小笠原敏晶の発言

ウチはアイデアで食べているような会社ですから。(中略)製品全体の7割は自動車メーカーなどユーザーから持ち込まれる形ですね。ユーザー側が「こんなファスナーができないだろうか」という話を持って来る。そこで、営業マンや技術者が知恵を絞って適当な部品を作り上げるわけです。ユーザーとの共同開発という商品がたくさんあります。

1983/1/24日経ビジネス「編集長インタビュー・小笠原敏晶」
1980年

相模原工場を新設し、関東圏の自動車メーカーとの取引を強化

神奈川県の相模原に工場を新設し、関東に生産拠点を置く日産(座間工場・横浜工場・村山工場)・いすず(藤沢工場・川崎工場)・ホンダ(狭山工場)との取引を強化

1986年

ジャパンタイムズの経営権を取得

発行部数が低迷していた日本情報を英語で発信する「ジャパンタイムズ」を再建するため、小笠原敏晶氏はジャパンタイムズの経営権を取得。当時、日米貿易摩擦が深刻化しつつあり、小笠原敏晶氏は摩擦解消の一助になればという考えで、英字新聞の経営に参画する。

小笠原敏晶の発言
小笠原敏晶の発言

これからは海外にも日本の英字紙を出して行く必要があると感じています。と申しますのも、貿易摩擦などで欧米の対日批判は日増しに高まっているからです。自由貿易を標榜する日本が市場開放を進めねばならないのは当然ですが、対日批判には日本に対する無理解、誤解もかなりある。その点を海外に伝えて行く必要がある。単に日本側の反論だけでなく、日本市場に海外のメーカーが入ってこれるようにするための情報を英語で教えて行ければ、相互の理解や交流はもっと深まるのでないでしょうか

1983/1/24日経ビジネス「編集長インタビュー・小笠原敏晶」
1986年

ITWとの資本関係を解消

ニフコはITWとの資本関係を解消し、IWTの株式保有率は23.1%から1.8%に減少した。これにより、ニフコは独立系の自動車部品メーカーに転身した。

1986年

米国オハイオ州に現地法人設立

ホンダの米国進出先であるオハイオ州に拠点を新設。日本の自動車メーカーのグローバル化に合わせて、ニフコも海外展開を開始

1996年

米国の高級ベットメーカー「シモンズ」を買収

寝具事業に進出

2001年

小笠原敏晶が代表取締役社長を退任し、代表取締役会長に就任

後任の社長に、渡辺隆治氏が就任。渡辺氏は東京大学卒業後、東芝に入社し、その後赤井電機(オーディオの名門企業)を経て、1983年にニフコ入社した人物

2004年

大幅減益(純利益45億円→6億円)

経常利益101億円に対して、特別損益▲46億円(うち特別損失52億円・特別利益6億円)を計上。子会社売却の影響による

2016年

小笠原敏晶が逝去

ニフコの創業者である小笠原敏晶氏が逝去。

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