ニフコの歴史

Last Updated: | Author: @yusugiura
1953年〜2022年
歴史概要
プラスチック製の「工業用ファスナー」で国内シェア70%。自動車メーカーの開発部への技術提案に定評
1953年
小笠原敏晶が日英物産を創業
創業
1967年
日英物産とITWの合弁で「日本工業ファスナー」を設立
設立
1976年
名古屋工場を新設し
トヨタとの取引を強化
1977年
ニフコが日英物産を吸収
1979年
東京証券取引所第2部に株式上場
上場
1980年
相模原工場を新設し
関東圏の自動車メーカーとの取引を強化
1986年
ジャパンタイムズの経営権を取得
1986年
ITWとの資本関係を解消
1986年
米国オハイオ州に現地法人設立
設立
1996年
米国の高級ベットメーカー「シモンズ」を買収
2001年
小笠原敏晶が代表取締役社長を退任し
代表取締役会長に就任
異動
2004年
大幅減益(純利益45億円→6億円)
2016年
小笠原敏晶が逝去
歴史概要 1953年〜2022年

プラスチック製の「工業用ファスナー」で国内シェア70%。自動車メーカーの開発部への技術提案に定評

1953
小笠原敏晶が日英物産を創業

ロンドン大学を卒業した小笠原敏晶(当時22歳)は「葉タバコ」の貿易会社「日英物産」を創業。1960年にベルクロファスナー社からの技術導入により日本ベルクロを設立し、同社から売り出したマジックテープをロングセラーに育てるなど、起業家として手腕を発揮した。1964年には米国ハートウェル社と技術提携してプラスチックファスナーの取扱を開始するなど、海外企業からの技術導入により業容を拡大した。

1967
日英物産とITWの合弁で「日本工業ファスナー」を設立

小笠原敏晶は、米国留学時代のプリンストン大学に知り合ったITW社の経営者(プリンストン大学の理事長を兼任)と知り合い、同氏から工業用ファスナーの日本展開の話を持ちかけられた。そこで、小笠原敏晶氏は提案を引き受け、日英物産とITWの合弁会社として「日本ファスナー工業(ニフコ)」を設立。ニフコは、ITWが保有するプラスチック製ファスナーの特許を武器に、日本での営業活動を開始する。

1976
名古屋工場を新設し、トヨタとの取引を強化

国内の自動車トップメーカーであるトヨタ自動車との取引を拡大するために、名古屋工場を新設。なお、トヨタ自動車との取引開始時期は不明

1977
ニフコが日英物産を吸収

1970年代を通じてニフコは急速に業容を拡大したことから、日英物産を吸収。1973年のオイルショックにより、自動車メーカーが燃費性能を重視するようになり、従来の金属部品に代わって、プラスチック製の部品を大量採用したことがニフコにとって追い風となり、創業者の小笠原敏晶は会社を一本化した。

1979
東京証券取引所第2部に株式上場

上場直後(1979年冬)の株保有比率は、小笠原敏晶(65.6%)、ITW(31.5%)であり、実質的に小笠原敏晶が議決権の過半数を確保していた。

1980
相模原工場を新設し、関東圏の自動車メーカーとの取引を強化

神奈川県の相模原に工場を新設し、関東に生産拠点を置く日産(座間工場・横浜工場・村山工場)・いすず(藤沢工場・川崎工場)・ホンダ(狭山工場)との取引を強化

1986
ジャパンタイムズの経営権を取得

発行部数が低迷していた日本情報を英語で発信する「ジャパンタイムズ」を再建するため、小笠原敏晶氏はジャパンタイムズの経営権を取得。当時、日米貿易摩擦が深刻化しつつあり、小笠原敏晶氏は摩擦解消の一助になればという考えで、英字新聞の経営に参画する。

1986
ITWとの資本関係を解消

ニフコはITWとの資本関係を解消し、IWTの株式保有率は23.1%から1.8%に減少した。これにより、ニフコは独立系の自動車部品メーカーに転身した。

1986
米国オハイオ州に現地法人設立

ホンダの米国進出先であるオハイオ州に拠点を新設。日本の自動車メーカーのグローバル化に合わせて、ニフコも海外展開を開始

1996
米国の高級ベットメーカー「シモンズ」を買収

寝具事業に進出

2001
小笠原敏晶が代表取締役社長を退任し、代表取締役会長に就任

後任の社長に、渡辺隆治氏が就任。渡辺氏は東京大学卒業後、東芝に入社し、その後赤井電機(オーディオの名門企業)を経て、1983年にニフコ入社した人物

2004
大幅減益(純利益45億円→6億円)

経常利益101億円に対して、特別損益▲46億円(うち特別損失52億円・特別利益6億円)を計上。子会社売却の影響による

2016
小笠原敏晶が逝去

ニフコの創業者である小笠原敏晶氏が逝去。

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