協和発酵の創業は、戦前の1936年に蒸留酒(アルコール)を製造する国内大手3社「宝酒造・合同酒精・日本酒類」が、共同で「協和化学研究所」を設立したことに始まる。もともとは原材料を共同購買するためのカルテルであったが、関係性を発展させるために東京都渋谷・幡ヶ谷において研究所を設立し、発酵に関する研究を開始した。
協和化学研究所に派遣された1人が加藤辨三郎氏(宝酒造・市川工場長)であり、戦後、1949年に社長就任し、1968年から会長を歴任。1983年に会長のまま逝去するまで、協和発酵工業の経営トップであった。このため、加藤辨三郎氏が協和発酵工業の実質的な創業者と言える。
なお、戦前の資本関係は不明だが、戦後の財閥解体によって第二会社として「協和発酵工業」を設立しており、酒造メーカーの系列ではなく独立企業として運営されるに至った。よって、加藤辨三郎氏は実質創業者であるが、協和発酵の株式を大量に保有していたわけではない。
加藤辨三郎氏は発酵技術を応用して、糖蜜を原材料としてブタノールを製造し、最終的に航空機燃料のイソオクタンを製造する研究に従事。この研究に軍部が着目し、発酵技術を化学に応用する経営指針が定まった。
戦時中に協和発酵は、富士工場と宇部工場(東亜化学興業として運営。東洋紡などと共同設立)を新設。糖蜜から航空機燃料を製造するための準備に従事した。ただし、戦時中に南方から糖蜜の輸送が途絶えたため、無水アルコールの生産に従事して終戦を迎えた。
このため、戦時中の協和発酵は航空燃料の開発に従事する軍需企業であったものの、終戦によって帰還事業を喪失。民需転換のうえ、再出発を図った。
協和会というのは、今日のカルテルよりも、もっと強力なもので、同業大手メーカーが、相互信頼のうえに立ち、生産調整、協同販売を行おうという理想的な会であった。このメンバーは、当時3大アルコールメーカーと言われた、宝酒造、合同酒精、日本酒類の3社であった。当時、同業者間の販売競争は激化の一途を辿り、まさに乱戦状態にあった。こうした乱戦の無益さに目覚めた経営者は、大所高所から、業界の安定、自らの企業の繁栄に真剣に取り組んだ。そうした協調の考えから生まれたのが協和会であった。私は、協和会は、経営の近代化が進んでいる今日に持ってきても、実に誇るべき組織であると思っている。
終戦直後に結核治療薬が欧米で普及したことを受けて、日本政府も国内での導入を決定。協和発酵工業と明治製菓の2社がストレプトマイシンの製造元として選定し、協和発酵はメルク社と技術提携を締結した。結核治療薬の製造には培養が必要えだり、メルク社は協和発酵が保有する「発酵タンク」を高く評価。メルク社は協和発酵に対して、ストレプトマイシンの日本国内における培養のための技術を供与した。
協和発酵(加藤辨三郎氏・当時社長)は防府工場内に生産拠点を設けるため、4億円の設備投資を決定。当時の資本金は2.7億円であり、医薬品事業(抗生物質)の展開に経営資源を投下し、医薬品事業に本格参入した。
外国の技術導入も、わりあい早くからやってきた。いいものは進んで受け入れるという主義であった。特に、ストレプトマイシンの技術導入は成功であった。それが発酵工業による産物であるだけに、これはどうしても私の会社でやるべきだと思った。しかし、そればかりではない。一種の社会奉仕的な気持ちも働いたことは事実である。自分のところで発酵工業をやっているんだ。その技術でもって、結核の特効薬を作って、結核患者を救えるのなら、こんな意義のある仕事はないじゃないか。どんな犠牲を払っても、我が社でやるべきだという気持ちが強く働いた。
2007年10月22日にキリンホールディングスは、協和発酵と戦略的提携の契約を締結するとともに、TOBの実施を宣言した。
すでにキリンHDは協和発酵の株式27.95%を保有しており、株式の追加取得によって50.1%の取得を目指した。TOBが成立すれば、キリンHDは協和発酵の株式50%超を保有して子会社化する形となった。なお、協和発酵の株式上場を維持する方針を示し、キリンHDと協和発酵は親子上場の形態として経営する計画であった。
キリンHDとしては低収益な酒類事業ではなく、高収益である医薬品事業に注力する狙いがあった。
また、キリンHDの医薬品事業子会社「キリンファーマ」を「協和発酵」と統合する計画も発表した。これはキリンHDの医薬品事業の展開を買収後の「協和発酵」で行うことで、事業展開の一本化を図る狙いあった。
キリンHDによるTOBに対して、協和発酵はTOBに対して賛成する意向を表明。すでに2002年からキリンとの合併構想が存在しておりTOBを受け入れる素地が存在したことに加え、抗体医薬における開発及び販売の効率化が有効であると判断した。
2007年12月にTOBが成立し、2008年4月にキリンHDは協和発酵の買収を完了し、50.8%の株式を保有するに至った。この買収により、協和発酵の親会社は「キリンHD」となった。
キリンHDによる買収完了を受けて、キリンファーマと協和発酵の経営統合を実施。協和発酵はキリンファーマを株式交換により完全子会社化。取得対価は4778億円であり、のれんとして1919億円を計上した。その上で、2008年10月に協和発酵はキリンファーマを吸収合併し、統合作業を完了した。
2008年10月には商号を「協和キリン」に変更し、協和発酵とキリン医薬品事業の統合作業を完了した。
キリンはビールの発酵技術を応用して医薬事業を立ち上げた。スケールの大きな製造技術を持ち、補完性が高い。発酵技術を基礎とする点で企業文化も似ている。統合について社内調査したところ、強く賛同する社員が7~8割もいた。むしろ心配になるほど違和感がない。統合を目的とせず、世界トップレベルを目指すことに主眼を置く。
2011年に協和発酵はイギリスのProStrakan社(ロンドン証券取引所への上場企業)の買収を決断。買収予定価格は394億円であり、抗体医薬における医薬品のうち、がん・胃・免疫疾患パに関するイプラインを拡充するために取得を決断した。
イギリスに本社を置く企業であるが、自社販売網として米国と欧州に営業網を展開(うち欧州の比率が高い)しており、これら先進国における販売体制の強化も買収の目的であった。
2019年に協和キリンは、子会社の「協和発酵バイオ」をキリンHDに売却する方針を決定。売却価格(受取対価)は1107億円であり、売却益として483億円を計上した。
協和発酵バイオは、2018年度における売上高が782億円・コア営業利益81億円であったが、発酵技術の知見が深いキリンHDにおける事業展開が適切と判断し、売却に踏み切った。
なお、協和キリンとしては「協和発酵バイオ」が高収益事業であったものの、大株主はキリンHD(53.77%の株式保有)であり、結果としてキリンHDの要求を呑む必要があったためである。この点は、協和キリンにおける少数株主の利益を毀損する可能性もあり、極めてセンシティブな意思決定であったと推察される。