協和キリン

の歴史

創業
1936年
創業地
東京都渋谷区
創業者
加藤辨三郎
上場
1949年
売上高(2025/12)
4,968 億円
営業利益(2025/12)
872 億円
従業員数(2025/12)
経営トップ
アブドゥル・マリック
協和キリンの長期業績と経営の転換点売上高と利益率の長期推移
売上高(億円純利益率(%)

1936 酒造カルテルから発酵化学メーカーへの出発と4事業部体制の確立

  1. 1936年協和化学研究所を発足
  2. 1949年協和発酵工業株式会社を設立(企業再建整備法に基づき旧会社を解散・第二会社として発足)
  3. 1949年東京証券取引所に株式上場
  4. 1951年メルク社と提携・結核治療薬「ストレプトマイシン」の製造を開始
  5. 1953年蒸留酒会社の買収を本格化
  6. 1956年発酵法によるグルタミン酸ソーダの製造を発明(味の素と競合へ)
  7. 1958年山陽化学工業を合併・宇部工場を開設

協和キリンの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書・会社四季報等

発酵の軍需転用が医薬品参入の底流となる転換

会社の法人としての出発点は、戦時下に発足した前身企業群にさかのぼる。1943年3月、政府の勧めによりアセトン・ブタノールおよびこれから誘導される高級燃料の製造を目的として、山口県防府市の東洋紡績人絹工場を買収し、その設備を中心に資本金2000万円の東亜化学興業が発足した。1945年4月には協和化学興業を合併して化学薬品・医薬品の製造を事業目的に加え、終戦後は平和産業へ転換して高級燃料の製造を廃し新たに酒類の製造を加え、同年10月に協和産業へ社名を変更した。1949年7月には企業再建整備計画に基づき旧会社の協和産業が解散し、同日、資本金5000万円の協和発酵工業が設立された。発酵技術の研究機関として始まった協和化学研究所の流れと、戦時の燃料製造を担った化学企業の流れが、企業再建整備の過程で一つの新会社へと束ねられた。 [1][2][3][4]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 経済春秋社, 1968)
    • [1]前身の東亜化学興業は1943年3月、政府の勧めでアセトン・ブタノール並びにこれから誘導される高級燃料の製造を目的として山口県防府市の東洋紡績人絹工場を買収し、その設備を中心に資本金2000万円で発足した
    • [2]東亜化学興業は1945年4月に協和化学興業を合併し、化学薬品・医薬品の製造を事業目的に追加した
    • [3]終戦に伴い平和産業へ転換し高級燃料の製造を廃して酒類の製造を加え、1945年10月に社名を協和産業へ変更した
    • [4]1949年7月に企業再建整備計画に基づき旧会社の協和産業が解散し、同日資本金5000万円の協和発酵工業が設立された

1936年7月、宝酒造・合同酒精・日本酒類の3社が共同出資し、東京渋谷の幡ヶ谷に協和化学研究所が設立された。酒造業界のカルテル組織である協和会を母体とする発酵技術の研究機関として事業が始まった。宝酒造から派遣された加藤辨三郎氏が中心となり、発酵技術の軍需転用に取り組んで、糖蜜からブタノールを製造し航空機燃料へ転換する技術を独自に開発した。1943年には富士工場と防府工場を相次いで新設し、量産体制の整備に踏み切る。しかし南方戦線からの糖蜜輸送経路の途絶によって量産には至らず、そのまま終戦を迎えた。酒造業の副産物から始まった研究所は、軍需の渦中で医薬品産業の母胎となる発酵技術を蓄積した。

終戦とともに軍需が失われ、約800名の人員整理に踏み切ったうえで、1949年に企業再建整備法に基づく再編の枠組みで協和発酵工業として再出発した。1951年には米メルク社との技術提携契約を締結して結核治療薬ストレプトマイシンの国内製造を開始し、発酵技術の応用先を戦時軍需から平時の医薬品事業へ転換させた。防府工場には4億円という、当時の資本金2.7億円を超える規模の設備投資を断行し、戦後日本の医薬品産業における発酵技術の担い手としての地位を固める道筋を切り開いた。発酵という一つの技術基盤が戦争と平和を貫いて会社の中心軸であり続ける構造が定着した。 [5]

  • 協和キリン 有価証券報告書/協和発酵工業60年史
    • [5]1949年に企業再建整備法に基づく再編で協和発酵工業として再出発した
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 経済春秋社, 1968)
    • [1]前身の東亜化学興業は1943年3月、政府の勧めでアセトン・ブタノール並びにこれから誘導される高級燃料の製造を目的として山口県防府市の東洋紡績人絹工場を買収し、その設備を中心に資本金2000万円で発足した
    • [2]東亜化学興業は1945年4月に協和化学興業を合併し、化学薬品・医薬品の製造を事業目的に追加した
    • [3]終戦に伴い平和産業へ転換し高級燃料の製造を廃して酒類の製造を加え、1945年10月に社名を協和産業へ変更した
    • [4]1949年7月に企業再建整備計画に基づき旧会社の協和産業が解散し、同日資本金5000万円の協和発酵工業が設立された
  • 協和キリン 有価証券報告書/協和発酵工業60年史
    • [5]1949年に企業再建整備法に基づく再編で協和発酵工業として再出発した

発酵を核に多角化が進む4事業部体制の成立

1953年から蒸留酒会社の買収を本格化して酒類事業を拡充し、1956年には発酵法によるグルタミン酸ソーダの製造法を発明して味の素と直接競合する関係に入った。1959年には東京渋谷区の土壌から分離した放線菌を研究の起点として抗がん剤マイトマイシンを発売し、医薬品分野でも発酵技術を独自製品の開発力の源泉と位置づけた。1967年には医薬品・酒類・化学品・食品の4事業部体制を確立し、発酵技術という共通基盤のもとで四つの異なる最終市場へ展開する多角化経営に入った。発酵という一つの基盤技術から生まれる応用の広がりは、当時の産業のなかでも珍しい4事業並列の構造を形づくった。

1981年には協和メディックスを設立して診断薬分野に進出し、後のバイオ医薬品の基礎となる抗体技術への投資を長期視点で拡充した。1983年には実質的な創業者である加藤辨三郎会長が逝去し、以後の経営はサラリーマン社長体制で4事業の調整役を担う構造へ移った。1991年には循環器領域への本格参入としてコニールを発売するなど医薬品事業の拡充は続いた。しかし4事業を製薬企業の人件費水準と管理体制で一体運営する構造は、医薬品への経営資源集中を組織面から常に制約し続け、後のキリンHD傘下入り後に順次進む事業分離の遠因の一つとなった。発酵技術という共通基盤の強みが、事業ごとに異なる収益性と資本効率の差を吸収できなくなった時期である。

2002 キリンHDの傘下入りと非中核事業分離による医薬品集中

  1. 2002年酒類事業をアサヒビールに売却
  2. 2004年化学品事業を分割・協和発酵ケミカルを設立
  3. 2005年食品事業を分割・協和発酵フーズを設立
  4. 2007年第一三共から「第一ファインケミカル」を買収
  5. 2008年キリンHDが協和発酵をTOBにより買収
  6. 2011年英ProStrakan Group plcを買収
  7. 2011年協和発酵ケミカルをケイジェイHDに譲渡

協和キリンの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書・会社四季報等

酒類・化学品・食品の切り離しという選択の重み

2001年にはヤンセン協和をジョンソン・エンド・ジョンソンに売却して非中核事業の整理に口火を切り、2002年には酒類事業をアサヒビールに譲渡した。戦後から半世紀以上にわたり発酵技術の応用先として育てた酒類事業を手放す決断は、創業以来の多角化という経営哲学の見直しを意味した。医薬品事業への経営資源集中に向けた不可逆のシグナルを社内外に示す事業再編だった。2004年には化学品事業を分社化して協和発酵ケミカルを設立し、2005年には食品事業を分社化して協和発酵フーズを設立するなど、4事業部体制の解体が順次進んだ。半世紀にわたり会社の中心にあった多角化の実体は、わずか数年のあいだに整理された。 [6]

  • 協和キリン 有価証券報告書/協和発酵工業60年史
    • [6]2002年に酒類事業をアサヒビールに譲渡した

2007年10月、キリンHDは協和発酵に対する公開買付けを宣言し、翌2008年4月には株式50.8パーセントを取得して子会社化を完了させた。キリンHDは既に27.95パーセントの株式を保有しており、発酵技術面での補完性と医薬品事業の研究開発基盤の強化を買収の主要な理由として掲げた。当時の松田譲社長は社内調査で7割から8割の賛同を得たと公に述べ、敵対的な買収ではなく合意のもとでの資本統合と説明した。しかし独立企業としての道を手放す決断が歴史において持つ意味は小さくなく、事業戦略の方向性から設備投資や人事に至るまで、以後の経営判断には常に親会社の意向が影響を与える構造が定着した。発酵技術を共通基盤とする多角化企業として育った協和発酵は、ここで大企業グループの一翼を担う医薬品会社へと位置を変えた。 [7]

  • 協和キリン 有価証券報告書(役員の状況)
    • [7]買収当時の社長は松田譲だった
  • 協和キリン 有価証券報告書/協和発酵工業60年史
    • [6]2002年に酒類事業をアサヒビールに譲渡した
  • 協和キリン 有価証券報告書(役員の状況)
    • [7]買収当時の社長は松田譲だった

キリンファーマ統合と英国買収という新しい戦線

2008年10月、協和発酵はキリンファーマを吸収合併し、商号を「協和発酵キリン」へ変更した。取得対価は4778億円に上り、のれん1919億円を連結貸借対照表に計上した。2011年にはキリン協和フーズをキリンHDに譲渡し、同時に化学品事業の協和発酵ケミカルも売却するなど、医薬品以外の事業は統合後も次々と切り離された。4事業部体制の痕跡は消え、協和発酵キリンは医薬品単独の事業会社としての性格を強めた。創業以来の多角化の記憶は事業面で薄れたが、発酵技術という原点は医薬品事業の研究開発面に受け継がれ、後の抗体医薬への展開を支える技術資産となった。1919億円ののれんは統合後の研究開発投資と新薬パイプラインで回収する前提であり、会社の将来収益は数品の抗体医薬に賭けられていた。 [8]

  • 協和キリン 有価証券報告書/協和発酵工業60年史
    • [8]2008年10月に協和発酵はキリンファーマを吸収合併し商号を協和発酵キリンへ変更した

2011年には英プロストラカン社を394億円で買収して欧州での販売網と希少疾患領域のパイプラインを獲得し、2014年にはアーキメデスファーマを買収するなど、英国を中心としたバイオ企業の買収を続けた。キリングループの資本力のもとで、グローバル展開と新薬パイプラインへの多額の投資を実行できる経営基盤が整い、希少疾患や免疫・がん領域での自社創薬品が国際市場で育つ準備も進んだ。発酵から抗体医薬へ、日本から英国へという二重の重心シフトが協和発酵キリンの新しい競争領域を定め、後の協和キリンへの商号変更と医薬品単一事業化の下地を作った。

  • 協和キリン 有価証券報告書/協和発酵工業60年史
    • [8]2008年10月に協和発酵はキリンファーマを吸収合併し商号を協和発酵キリンへ変更した

2019 協和発酵バイオ売却と医薬品単一事業化によるスペシャリティファーマ化

  1. 2019年非注力事業の売却・協和発酵バイオをキリンHDに譲渡

協和キリンの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書・会社四季報等

高収益子会社の譲渡が浮かび上がらせた親子上場の重み

2019年4月、協和キリンは子会社の協和発酵バイオの全株式を親会社キリンHDに1107億円で譲渡し、売却益483億円を計上した。売上高782億円・コア営業利益81億円という安定収益を稼ぐ高収益事業を自ら手放すという決定は、協和キリン単体の収益基盤を縮小させる方向に働き、少数株主から見て納得しにくい判断でもあった。しかし53.77パーセントの株式を保有する支配株主である親会社からの要請に対して、協和キリン経営陣に残された判断の自由度は構造的に限定されており、資本の論理が経営判断の土台を規定する事例となった。親子上場という構造そのものが、子会社の経営の輪郭をほぼ決めてしまう現実がここに露わになった。 [9]

  • 協和キリン 有価証券報告書/協和発酵工業60年史
    • [9]2019年4月に協和発酵バイオの全株式を親会社キリンHDに譲渡した

この売却を境に、協和キリンは医薬品の単一事業会社としての性格を強めた。かつて4事業を展開していた協和発酵は、キリンHDの傘下入りから約10年のあいだに医薬品以外のほぼ全ての事業を手放した計算となる。事業ポートフォリオの多様性は失われたが、医薬品事業への経営資源の集中は進んだ。親子上場の構造のもとで親会社主導の事業再編が連鎖的に進んだ結果、少数株主の利益と親会社の事業戦略の整合性という統治構造上の課題は、以後の協和キリンの企業評価において未解決のまま残った。この課題は現在に至るまで企業価値の評価に影を落とす。

  • 協和キリン 有価証券報告書/協和発酵工業60年史
    • [9]2019年4月に協和発酵バイオの全株式を親会社キリンHDに譲渡した

抗体医薬と英国買収がグローバル戦略品を育てる展開

協和キリンは抗体医薬を軸とするグローバルスペシャリティファーマへの転換を経営目標に掲げ、希少疾患・免疫疾患・がん領域を中心に新薬開発への集中投資を強めた。宮本昌志社長は戦略の骨格として、既存薬で助けられない患者を助けるという開発思想を示し、メガファーマとの正面競争を避けて他社が開発していない分野を狙う位置取りを明言した。2019年に米国で承認されたCrysvitaは骨関連の希少疾患治療薬として立ち上がり、Poteligeoもがん領域での存在感を高めた。2024年1月には英オーチャードセラピューティクスを買収して造血幹細胞遺伝子治療のLibmeldyを獲得し、遺伝子治療の最先端領域へ進出した。2011年のプロストラカン社買収以来の英国バイオ企業買収の路線を引き継ぎ、創薬領域の最先端化が年を追って進んだ。 [10][11]

  • 週刊エコノミスト 2023年3月号(宮本昌志インタビュー)
    • [10]宮本昌志社長は既存薬で助けられない患者を助ける開発思想とメガファーマとの競争回避の位置取りを示した
  • 協和キリン プレスリリース(オーチャードセラピューティクス買収, 2024年1月)
    • [11]2024年1月に英オーチャードセラピューティクスを買収した

2023年12月期の売上高は4422億円、営業利益は925億円に達し、キリンHDの傘下における医薬品集中戦略は収益面で一定の成果を見せた。ただし少数株主にとっては、高収益を稼ぐ子会社が親会社に流出した事実と、残された医薬品事業の成長がそれを上回る果実をもたらすのかという問いが強く残った。親子上場における統治構造の課題は未解決のまま、企業価値の評価に影を落とし続けた。グローバル戦略品の成長が親会社への資本流出を埋めて余りあるかどうかが経営の最重要論点となり、中期経営計画の成否を測る物差しとなった。希少疾患・抗体医薬という狭い領域で成果を積み上げる以外に、この会社が独自の存在感を示す道は残されていない。 [12]

  • 協和キリン 有価証券報告書(セグメント別売上高)
    • [12]2023年12月期の売上高は4422億円に達した
  • 週刊エコノミスト 2023年3月号(宮本昌志インタビュー)
    • [10]宮本昌志社長は既存薬で助けられない患者を助ける開発思想とメガファーマとの競争回避の位置取りを示した
  • 協和キリン プレスリリース(オーチャードセラピューティクス買収, 2024年1月)
    • [11]2024年1月に英オーチャードセラピューティクスを買収した
  • 協和キリン 有価証券報告書(セグメント別売上高)
    • [12]2023年12月期の売上高は4422億円に達した

協和キリンの沿革1936〜2024年における主な出来事を抜粋

年月区分社長・CEO出来事重要度
協和化学研究所を発足★★★
協和発酵工業株式会社を設立(企業再建整備法に基づき旧会社を解散・第二会社として発足)
東京証券取引所に株式上場
メルク社と提携・結核治療薬「ストレプトマイシン」の製造を開始★★
蒸留酒会社の買収を本格化
発酵法によるグルタミン酸ソーダの製造を発明(味の素と競合へ)
山陽化学工業を合併・宇部工場を開設
医療用医薬品「マイトマイシン」を発売(渋谷区の土壌から放線菌を分離)
4事業部体制(医薬品・酒類・化学品・食品)
協和メディックスを設立
加藤弁三郎会長が逝去
高血圧症・狭心症治療剤「コニール」を発売
松田譲ヤンセン協和をJ&Jに売却
酒類事業をアサヒビールに売却
化学品事業を分割・協和発酵ケミカルを設立
食品事業を分割・協和発酵フーズを設立
第一三共から「第一ファインケミカル」を買収
企業買収キリンHDが協和発酵をTOBにより買収★★★
協和発酵ケミカルをケイジェイHDに譲渡
英ProStrakan Group plcを買収★★
花井陳雄富士フイルムと合弁会社を設立
協和油化で不祥事が発覚(高圧ガス設備の点検で虚偽申請)
英Archimedes Pharma Limitedを買収
事業売却宮本昌志非注力事業の売却・協和発酵バイオをキリンHDに譲渡★★★
英Orchard Therapeutics plcを買収
出典・参考
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 経済春秋社, 1968)
  • 協和キリン 有価証券報告書/協和発酵工業60年史
  • 協和キリン 有価証券報告書(役員の状況)
  • 週刊エコノミスト 2023年3月号(宮本昌志インタビュー)
  • 協和キリン プレスリリース(オーチャードセラピューティクス買収, 2024年1月)
  • 協和キリン 有価証券報告書(セグメント別売上高)

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