ジャストシステム の歴史

創業

1979年

創業者

浮川和宣

創業地

徳島県徳島市

直近売上高(2025/3)

446億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1979年に浮川和宣・初子夫妻は徳島で日本語処理ソフトを選んだのか
A 英語圏の大手が手を伸ばしにくい日本語入力という難題を、地方の小資本でも開拓できる余地と読んだためである。浮川和宣・初子夫妻は1979年7月に徳島市でジャストシステムを創業し、人材も資本も東京に集まるなか、英文ワープロにはない日本固有の課題に経営資源を絞った。1982年10月の日本語処理システムKTIS(後のATOK)、1985年8月発売の日本語ワープロ一太郎が官公庁・教育機関の事実上の標準として採用され、世界のソフト大手が寄りつきにくい日本語という領域を商いに変えた。
Q なぜ2009年に創業者の浮川和宣・初子夫妻は経営権をキーエンスへ譲ったのか
A 1990年代後半のMicrosoft Office台頭で一太郎の収益が崩れ、2009年3月期に最終赤字となる見通しで自力再建の資金が不足したためである。2009年4月、株式会社キーエンスが約45億円を出資して発行済株式の約44%を握る筆頭株主となり、創業者の浮川和宣・初子夫妻は同年に退任、常務だった福良伴昭氏が社長に昇格した。創業30年で経営権は創業家の手を離れ、キーエンス出身者を経営陣に迎える体制へ移った。
Q なぜ2012年以降スマイルゼミへ収益の中心を移したのか
A ワープロ市場をMicrosoft Officeに奪われ、一太郎・ATOKだけでは成長を見込めず、別の市場で収益基盤を作り直す必要があったためである。後継のキーエンス系経営陣は2012年12月にタブレット型通信教育スマイルゼミを提供開始し、稼ぎ頭を日本語ソフトから教育へ入れ替えた。継続課金で積み上がる収益は安定し、2025年3月期の営業利益は180億円、営業利益率は3割を超えた。一太郎とATOKは残るが、会社の中身はスマイルゼミが担う構造へ変わった

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1979年〜 徳島から生まれた国産日本語処理ソフト企業

  1. 1979年 ジャストシステムを創業
  2. 1981年 ジャストシステムを設立
  3. 1982年 日本語処理システム「KTIS」を発表
  4. 1985年 日本語ワードプロセッサ「一太郎」を発売
  5. 1988年 大阪営業所を開設
  6. 1989年 東京支社を開設

徳島発の夫妻創業企業が握った日本語入力の標準

1979年7月、徳島県徳島市で浮川和宣・初子夫妻はジャストシステムを創業した。6年間勤めた船舶用電機メーカー・西芝電機を退社した浮川和宣氏は「サラリーマンでは家族を養えない」と考え、初子夫人の実家の応接間を改造したオフィスで、東芝系オフィスコンピューター(オフコン)の販売代理店として事業を始めた。東芝のオフコンを選んだのは、その漢字処理機能が当時最も進んでいたためで、いずれ日本人一人ひとりがコンピューターを扱う時代には日本語、特に漢字の扱いが鍵になるという読みが方針の核にあった。東京・大阪に集まるソフトウェア業界のなかで、地方都市の夫婦が立ち上げた会社という出発点は珍しかった。1981年6月には株式会社ジャストシステムを設立して個人事業から法人へ移し、ソフトウェア開発と販売を本業に据えた。 [1][2][3][4][5][6]

  • ジャストシステム 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1979年7月 徳島県徳島市でジャストシステムを創業
    • [2]創業者は浮川和宣・初子夫妻
    • [3]創業地は徳島県徳島市
    • [4]1981年6月 株式会社ジャストシステムを設立(個人事業から法人化)
  • 日経ビジネス1991年7月15日号「21世紀への100人 浮川和宣氏」
    • [5]浮川和宣氏は西芝電機退社後、初子夫人の実家を改造したオフィスで東芝系オフコン販売代理店として創業した
    • [6]東芝のオフコンを選んだ理由は漢字処理機能が当時最も進んでいたため

創業当初は酪農家向け飼料配合管理ソフトなど特定業種向けの業務用ソフトが主力だった。1979年に手がけたビニールハウス用フィルムの販売管理システムは、発注元・吉田種苗の細かな要望を技術担当の初子氏が手弁当で聞き入れて作り込み、その後7年間手直し不要なほどの完成度で地元徳島での技術評判を築いた。1983年には一太郎の前身「JSワード」を開発したが、商標を契約上握っていたのはアスキーで、自社ブランドとして世に出せなかったことに社員は落胆した。開発を通じ、アスキーでマイクロソフト部門を統括していた古川享氏(後のマイクロソフト会長)が初子氏の著作権意識の高さに感心し、アスキーからワープロソフトを販売する話が進んだ。1984年夏、社員10人に満たない中で仕上げた最初のワープロソフトがアスキーの商品として世に出た後、IBMパソコン向け「JXワード」の開発でわずか3カ月で自社ブランド商品を完成させた。 [7][8][9][10][11]

  • 日経ビジネス1993年9月13日号「挑む 浮川初子氏」
    • [7]創業当初は酪農家向け飼料配合管理ソフト等、特定業種向けの業務用ソフトが主力だった
    • [8]1979年のビニールハウス用フィルム販売管理システムは吉田種苗の発注で初子が手弁当で開発し、7年間手直し不要なほど完成度が高かった
    • [9]1983年開発の一太郎前身「JSワード」の商標はアスキーが保有していた
    • [10]古川享氏(後のマイクロソフト会長)が初子氏の著作権意識に感心しアスキー経由の販売が進んだ
    • [11]1984年夏に最初のワープロソフトを完成、後にIBM向け「JXワード」で自社ブランド商品を完成させた

1982年10月、日本語処理システム「KTIS」を発表した。これが後の日本語入力「ATOK」の原型にあたり、ローマ字やかなの打鍵を漢字交じり文へ変換する仕組みを実用水準で提供した。ATOKは「Advanced Technology Of Kana-kanji transfer」を語源とし、日本語かな漢字変換の精度を競う分野で同社の名を知らしめた。日本語入力という、欧文ワープロにはない日本固有の難題を製品化した点が、徳島の小さな開発会社を技術面で際立たせた。1985年8月に発売する日本語ワードプロセッサ「一太郎」の中核も、このATOKによる変換技術が担っており、KTISの発表は同社の主力製品群を貫く技術基盤の確立を意味した。 [12][13][14]

  • ジャストシステム 有価証券報告書【沿革】
    • [12]1982年10月 日本語処理システム「KTIS」を発表(後のATOKの原型)
    • [13]KTISは後の日本語入力ATOKの原型にあたる
    • [14]1985年8月に日本語ワードプロセッサ「一太郎」を発売
  • ジャストシステム 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1979年7月 徳島県徳島市でジャストシステムを創業
    • [2]創業者は浮川和宣・初子夫妻
    • [3]創業地は徳島県徳島市
    • [4]1981年6月 株式会社ジャストシステムを設立(個人事業から法人化)
    • [12]1982年10月 日本語処理システム「KTIS」を発表(後のATOKの原型)
    • [13]KTISは後の日本語入力ATOKの原型にあたる
    • [14]1985年8月に日本語ワードプロセッサ「一太郎」を発売
  • 日経ビジネス1991年7月15日号「21世紀への100人 浮川和宣氏」
    • [5]浮川和宣氏は西芝電機退社後、初子夫人の実家を改造したオフィスで東芝系オフコン販売代理店として創業した
    • [6]東芝のオフコンを選んだ理由は漢字処理機能が当時最も進んでいたため
  • 日経ビジネス1993年9月13日号「挑む 浮川初子氏」
    • [7]創業当初は酪農家向け飼料配合管理ソフト等、特定業種向けの業務用ソフトが主力だった
    • [8]1979年のビニールハウス用フィルム販売管理システムは吉田種苗の発注で初子が手弁当で開発し、7年間手直し不要なほど完成度が高かった
    • [9]1983年開発の一太郎前身「JSワード」の商標はアスキーが保有していた
    • [10]古川享氏(後のマイクロソフト会長)が初子氏の著作権意識に感心しアスキー経由の販売が進んだ
    • [11]1984年夏に最初のワープロソフトを完成、後にIBM向け「JXワード」で自社ブランド商品を完成させた

「一太郎」首位獲得と直販網が支えた大口顧客基盤

1985年8月、日本語ワードプロセッサ「一太郎」を発売した。かな漢字変換のATOKを組み込んだ「一太郎」は、操作性と変換精度の両面で支持を集め、日本のパソコン向け日本語ワープロ市場で首位のシェアを取った。官公庁・教育機関・一般企業へ広く普及し、Microsoft Officeが日本市場へ本格参入する1990年代後半まで、国産ワープロソフトの代表として使われ続けた。当時のパソコンは英語圏の製品が前提で、日本語を扱うには専用の変換技術と作画機能が要った。「一太郎」はその要求に応える国産品として支持され、徳島本社のソフトウェア会社が、全国の事務現場で日々使われる製品を生んだ点に、この時期の同社の到達点があった。 [15][16]

  • ジャストシステム 有価証券報告書【沿革】
    • [15]1985年8月 日本語ワードプロセッサ「一太郎」を発売
    • [16]「一太郎」はかな漢字変換のATOKを組み込んでいる

一太郎発売の年に9億円だった年間売上高(86年4月期)は、5年後には97億円(91年4月期見込み)へ急拡大し、社員も28人から約500人に膨らんだ。もっとも急成長は順風ばかりではなかった。一太郎を現行の第4版へ移行する際、開発の遅れから出荷時期が2度延期されたうえ、ようやく出荷にこぎ着けた製品に動作不良の欠陥が見つかり、最終的に16万本の回収に追い込まれる騒動が起きた。浮川和宣氏はこれを「発売時期を巡る私の判断ミス」と全面的に認め、当時300人近くになっていた社員とともに危機を乗り切った。その年も同社は難なく増収を確保し、誠実な対応と改訂内容の先進性がかえって一太郎への評価と人気を高める結果となった。 [17][18][19]

  • 日経ビジネス1991年7月15日号「21世紀への100人 浮川和宣氏」
    • [17]一太郎発売の年9億円(86年4月期)だった売上高が5年で約97億円(91年4月期見込み)に急拡大、社員は28人から約500人に増えた
    • [18]一太郎第4版移行時の欠陥で16万本の回収騒動が発生した
    • [19]浮川和宣氏は欠陥騒動を「発売時期を巡る私の判断ミス」と認め、社員とともに危機を乗り切った

製品の普及と並行して販売網も広げた。1988年5月に大阪営業所、1989年6月に東京支社、1991年6月に名古屋営業所を順に開設し、三大都市圏での営業拠点を整えた。開発の中核を徳島に置いたまま、首都圏・関西・中部の販売を自社の拠点で直接押さえる体制を組み、地方発の創業企業から全国規模で製品を届ける会社へと事業の幅を広げた。販売網の整備は、官公庁や教育機関といった大口顧客への営業を進めるうえでの足場となった。「一太郎」シリーズが築いたこの顧客基盤は、後年スマイルゼミへ事業を転換するまで、同社が日本のIT業界で存在感を保つ土台となった。 [20][21][22]

  • ジャストシステム 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1988年5月 大阪営業所を開設
    • [21]1989年6月 東京支社を開設
    • [22]1991年6月 名古屋営業所を開設
  • ジャストシステム 有価証券報告書【沿革】
    • [15]1985年8月 日本語ワードプロセッサ「一太郎」を発売
    • [16]「一太郎」はかな漢字変換のATOKを組み込んでいる
    • [20]1988年5月 大阪営業所を開設
    • [21]1989年6月 東京支社を開設
    • [22]1991年6月 名古屋営業所を開設
  • 日経ビジネス1991年7月15日号「21世紀への100人 浮川和宣氏」
    • [17]一太郎発売の年9億円(86年4月期)だった売上高が5年で約97億円(91年4月期見込み)に急拡大、社員は28人から約500人に増えた
    • [18]一太郎第4版移行時の欠陥で16万本の回収騒動が発生した
    • [19]浮川和宣氏は欠陥騒動を「発売時期を巡る私の判断ミス」と認め、社員とともに危機を乗り切った

1997年〜 JASDAQ上場と経営危機、キーエンス傘下入り

ジャストシステムの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1997年 店頭登録銘柄として株式を公開
  2. 1997年 文書検索・要約システム「ConceptBase Search」を発売
  3. 1998年 「一太郎オフィス8」の失速で初の赤字、人員削減とソニー出資による再建 店頭公開の半年後に創業以来初の赤字を出した浮川和宣社長は、何を削り、誰に頼ったか
  4. 1998年 人員削減とソニーへの第三者割当増資で再建に着手
  5. 1999年 小学生用日本語ワープロソフト「一太郎スマイル」を発売
  6. 2001年 オンラインショッピングサイト「Just MyShop」をオープン
  7. 2009年 キーエンスに45億円の第三者割当増資を割り当て、議決権の4割と経営を委ねる 4期続いた最終赤字のなかで、浮川和宣社長は独立と資金のどちらを選んだか

店頭公開の内実と初の赤字転落、ソニー出資による再建

1997年9月、徳島県徳島市川内町平石若松へ本社を移転し、現在地となる自社の本社ビルを取得した。この新本社は105億円をかけて建設され、以後も徳島本社として長く維持され、東京中心の業界にあって徳島に主たる拠点を置く同社の特徴を示した。翌10月には店頭登録銘柄として株式を公開し、JASDAQ市場に上場した。浮川和宣氏は「六年近くも株式公開に向けた作業を続けてきた」と語ったが、新本社建設を見込んで銀行借入は96年3月期末の31億円から97年3月期末には111億円まで膨らんでおり、ブックビルディング方式で決まった公開初値は2500円と低く抑えられたため、調達できた資金はわずか75億円にとどまり、大部分が借入金の返済に回った。同年12月には文書検索・要約システム「ConceptBase Search」を発売した。 [23][24][25][26][27]

  • ジャストシステム 有価証券報告書【沿革】
    • [23]1997年9月 徳島県徳島市川内町平石若松へ本社を移転(現在地、自社本社ビル取得)
    • [24]1997年10月 店頭登録銘柄として株式を公開(JASDAQ上場)
    • [25]1997年12月 文書検索・要約システム「ConceptBase Search」を発売
  • 週刊東洋経済1997年11月1日号「フラッシュ 株式公開後の危機」
    • [26]新本社建設費は105億円
    • [27]銀行借入は96年3月期末31億円→97年3月期末111億円に急増、公開初値2500円で調達額は75億円にとどまり大部分が借入返済に回った

だが上場からわずか半年後、この新製品計画がつまずいた。97年9月に投入した一太郎とオフィスソフトを組み合わせた新製品「一太郎オフィス8」は、11月にいったん180万本へ引き上げた販売目標が1998年1月には80万本へ下方修正され、最終実績は77万本にとどまり、98年3月期は創業以来初めての最終赤字に転落した。売上高は当初予想の364億円から240億円へ、最終損益は30億円の黒字予定から45億円の赤字へと下振れした。浮川和宣氏は「最大のライバルであるマイクロソフトを打ち負かしてやろうという気持ちが強くなりすぎた」と自ら振り返り、「打倒一太郎」を掲げるマイクロソフトへの対抗心から一太郎本来の強みを見失っていたと総括した。再建に向け、派遣社員を含め1700人まで膨らんでいた人員を1000人規模へ削減し、研究開発・宣伝広告など合わせて75億円の経費を削減する計画を打ち出した。 [28][29][30][31]

  • 週刊東洋経済(1998年7月4日号)
    • [28]「一太郎オフィス8」は11月に180万本へ引き上げた目標が98年1月に80万本へ下方修正され、最終実績は77万本にとどまり98年3月期に初の最終赤字となった(旧本文は1月時点の下方修正後見通し80万本を「実績」と誤記していた)
  • 日経ビジネス1998年3月9日号「敗軍の将、兵を語る 浮川和宣」
    • [29]98年3月期の売上高は当初予想364億円→実績240億円、最終損益は30億円黒字予定→45億円赤字に下振れした
    • [30]浮川和宣氏はマイクロソフトへの対抗心が強すぎたことが赤字の一因と自己分析した
    • [31]再建策として人員1700人から1000人規模へ削減、経費75億円削減を計画した

資金繰りの立て直しも急務だった。97年6月に竣工した新本社ビルに絡む1年以内返済の銀行借入金が91億円に膨らんでおり、メーンバンクの百十四銀行・阿波銀行と長期債務への振り替えを交渉する一方、98年1月には浮川和宣氏自らソニーの出井伸之社長を訪ね、シャープなど他の電機メーカーも検討した末に12億7400万円の出資を引き出し、ソニーを6.7%出資の第4位株主に迎えた。株主資本の大半を占めていたプログラム準備金の残高も160億円に上るなど、好業績期に積み上がった財務の負担が再建の重荷になっていた。 [32][33][34]

  • 週刊東洋経済1998年6月13日号「フラッシュ ソニーの次は?」
    • [32]97年6月竣工の新本社ビルに絡む1年以内返済の銀行借入金が91億円に膨らんでいた
    • [33]98年1月に浮川和宣がソニー出井伸之社長を訪問、12億7400万円の出資でソニーが6.7%出資の第4位株主となった
  • 週刊東洋経済1998年7月4日号「企業分析 ジャストシステム 再建への選択」
    • [34]プログラム準備金の残高は160億円に上っていた
  • ジャストシステム 有価証券報告書【沿革】
    • [23]1997年9月 徳島県徳島市川内町平石若松へ本社を移転(現在地、自社本社ビル取得)
    • [24]1997年10月 店頭登録銘柄として株式を公開(JASDAQ上場)
    • [25]1997年12月 文書検索・要約システム「ConceptBase Search」を発売
  • 週刊東洋経済1997年11月1日号「フラッシュ 株式公開後の危機」
    • [26]新本社建設費は105億円
    • [27]銀行借入は96年3月期末31億円→97年3月期末111億円に急増、公開初値2500円で調達額は75億円にとどまり大部分が借入返済に回った
  • 週刊東洋経済(1998年7月4日号)
    • [28]「一太郎オフィス8」は11月に180万本へ引き上げた目標が98年1月に80万本へ下方修正され、最終実績は77万本にとどまり98年3月期に初の最終赤字となった(旧本文は1月時点の下方修正後見通し80万本を「実績」と誤記していた)
  • 日経ビジネス1998年3月9日号「敗軍の将、兵を語る 浮川和宣」
    • [29]98年3月期の売上高は当初予想364億円→実績240億円、最終損益は30億円黒字予定→45億円赤字に下振れした
    • [30]浮川和宣氏はマイクロソフトへの対抗心が強すぎたことが赤字の一因と自己分析した
    • [31]再建策として人員1700人から1000人規模へ削減、経費75億円削減を計画した
  • 週刊東洋経済1998年6月13日号「フラッシュ ソニーの次は?」
    • [32]97年6月竣工の新本社ビルに絡む1年以内返済の銀行借入金が91億円に膨らんでいた
    • [33]98年1月に浮川和宣がソニー出井伸之社長を訪問、12億7400万円の出資でソニーが6.7%出資の第4位株主となった
  • 週刊東洋経済1998年7月4日号「企業分析 ジャストシステム 再建への選択」
    • [34]プログラム準備金の残高は160億円に上っていた

Microsoft Office台頭と「一太郎」依存脱却の模索

1990年代後半からのMicrosoft Officeの日本市場への本格進出により、「一太郎」が握ってきた日本語ワープロ市場のシェアは縮小した。「一太郎」は96年度に年394万本を売り上げてピークを迎えたが、その後はパソコンへの同梱契約もピーク時140万本からゼロへ途絶え、98年3月期から3期連続の赤字に沈んだ。同社は95年に参入したインターネット接続事業「ジャストネット」を2000年7月に分社化し、低価格パソコンのソーテックと提携して会員獲得を図るなど、新たな収益源の模索を迫られた。こうした逆風のなかで1999年6月には小学生用の日本語ワープロソフト「一太郎スマイル」(後の「ジャストスマイル」)を発売し、学校現場という汎用オフィスソフトとは異なる教育市場への足掛かりを築いた。この製品が、後の通信教育スマイルゼミにつながる教育事業の出発点となった。 [35][36][37][38][39]

  • ジャストシステム 有価証券報告書【沿革】
    • [35]1999年6月 小学生用日本語ワープロソフト「一太郎スマイル」(後の「ジャストスマイル」)を発売
  • 週刊東洋経済2003年8月9日号「特集 V字回復に挑む夏」
    • [36]一太郎は96年度に年394万本を売り上げてピークを迎えた
    • [37]パソコンへの一太郎同梱契約はピーク時140万本を誇ったがその後ゼロへ途絶えた
  • 週刊東洋経済2000年5月27日号「特集 出遅れ企業の一発逆転」
    • [38]98年3月期から3期連続の赤字となった
    • [39]95年参入のインターネット接続事業「ジャストネット」を2000年7月に分社化しソーテックと提携した

収益源の多角化の核に据えたのが、日本語処理技術を生かした自然文検索ソフト「コンセプトベース」だった。構想自体は20年近く前からあったが、「一太郎」への依存体質から開発の具体化は遅れ、1997年末にようやく発売にこぎ着けた。浮川和宣氏は「『一太郎』が強かったときほど次のビジネスの芽を出すのは厳しかった」と振り返る。2001年2月には「一太郎11」を発売して看板製品のてこ入れを図り、2001年3月期には株式公開後3期続いた赤字からの黒字転換を目指したが、往時の勢いを取り戻すには至らなかった。 [40][41][42][43][44]

  • 週刊東洋経済2003年8月9日号「特集 V字回復に挑む夏」
    • [40]自然文検索ソフト「コンセプトベース」は構想から20年近くを経て1997年末に発売された
    • [41]浮川和宣氏は「一太郎が強かったときほど次のビジネスの芽を出すのは厳しかった」と振り返った
  • 週刊東洋経済2001年4月28日号「特集 変貌する香川・徳島」
    • [42]2001年2月に「一太郎11」を発売した
    • [44]2001年当時、売り上げはピーク時比で半減し往時の勢いはなかった
  • 週刊東洋経済2000年6月17日号「Lineup/IT最前線 IT決算ジャストシステムは黒字化できるのか?」
    • [43]株式公開の年から3期連続の赤字決算を経て2001年3月期には黒字化を目指した
  • ジャストシステム 有価証券報告書【沿革】
    • [35]1999年6月 小学生用日本語ワープロソフト「一太郎スマイル」(後の「ジャストスマイル」)を発売
  • 週刊東洋経済2003年8月9日号「特集 V字回復に挑む夏」
    • [36]一太郎は96年度に年394万本を売り上げてピークを迎えた
    • [37]パソコンへの一太郎同梱契約はピーク時140万本を誇ったがその後ゼロへ途絶えた
    • [40]自然文検索ソフト「コンセプトベース」は構想から20年近くを経て1997年末に発売された
    • [41]浮川和宣氏は「一太郎が強かったときほど次のビジネスの芽を出すのは厳しかった」と振り返った
  • 週刊東洋経済2000年5月27日号「特集 出遅れ企業の一発逆転」
    • [38]98年3月期から3期連続の赤字となった
    • [39]95年参入のインターネット接続事業「ジャストネット」を2000年7月に分社化しソーテックと提携した
  • 週刊東洋経済2001年4月28日号「特集 変貌する香川・徳島」
    • [42]2001年2月に「一太郎11」を発売した
    • [44]2001年当時、売り上げはピーク時比で半減し往時の勢いはなかった
  • 週刊東洋経済2000年6月17日号「Lineup/IT最前線 IT決算ジャストシステムは黒字化できるのか?」
    • [43]株式公開の年から3期連続の赤字決算を経て2001年3月期には黒字化を目指した

EC事業・クラウド領域への展開と資本提携

ワープロ単体の収益が伸び悩むなか、ジャストシステムは事業領域の多角化を進めた。2001年6月にオンラインショッピングサイト「Just MyShop」を開設し、自社ソフトをインターネット経由で直接販売するECに参入した。2003年4月にはオンラインストレージ「InternetDisk ASP」の提供を始め、データをネット上に預ける、後年のクラウドサービスに当たる事業へ早くから取り組んだ。2006年3月にはカナダのBlast Radius社から「XMetaL」事業を譲り受け、現地法人JUSTSYSTEMS CANADA, INC.に事業を移管した。XML編集ソフトの取得により、企業の文書を構造化して管理する市場へも製品の幅を広げた。 [45][46][47]

  • ジャストシステム 有価証券報告書【沿革】
    • [45]2001年6月 オンラインショッピングサイト「Just MyShop」を開設
    • [46]2003年4月 オンラインストレージ「InternetDisk ASP」の提供を開始
    • [47]2006年3月 カナダBlast Radius社から「XMetaL」事業を譲受しJUSTSYSTEMS CANADA, INC.へ移管

経営難の続くなか、2009年4月、株式会社キーエンスと資本・業務提携契約を締結した。キーエンスの参加によって経営の方向性が変わった転換点であり、後にキーエンス出身者を経営陣に迎え入れる体制へ繋がった。2010年2月にはIBM Corporationから「ホームページ・ビルダー」のプログラム著作権と商標権を取得し、定番ソフト資産の取得による製品ラインアップ強化に踏み込んだ。2010年6月の「GDMS」、2011年6月の「JUST Office」、同9月の「UnitBase」、同10月の「Fastask」と、法人向けの管理・オフィス・データベース・リサーチの新規サービスを相次いで投入した。 [48][49][50][51][52]

  • ジャストシステム 有価証券報告書【沿革】
    • [48]2009年4月 株式会社キーエンスと資本・業務提携契約を締結
    • [49]2010年2月 IBM Corporationから「ホームページ・ビルダー」のプログラム著作権と商標権を取得
    • [50]2010年6月 「GDMS」を発売
    • [51]2011年6月 「JUST Office」を発売
    • [52]2011年9月 「UnitBase」を発売
  • ジャストシステム 有価証券報告書【沿革】
    • [45]2001年6月 オンラインショッピングサイト「Just MyShop」を開設
    • [46]2003年4月 オンラインストレージ「InternetDisk ASP」の提供を開始
    • [47]2006年3月 カナダBlast Radius社から「XMetaL」事業を譲受しJUSTSYSTEMS CANADA, INC.へ移管
    • [48]2009年4月 株式会社キーエンスと資本・業務提携契約を締結
    • [49]2010年2月 IBM Corporationから「ホームページ・ビルダー」のプログラム著作権と商標権を取得
    • [50]2010年6月 「GDMS」を発売
    • [51]2011年6月 「JUST Office」を発売
    • [52]2011年9月 「UnitBase」を発売

2012年〜 「スマイルゼミ」を主軸とした構造転換と海外展開

ジャストシステムの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2012年 専用タブレットの通信教育「スマイルゼミ」を家庭へ投入し、売り切りソフト会社をやめる 学校で13年売ってきた会社が、なぜ端末まで自作して家庭の月額課金に出たか
  2. 2013年 中学生向け通信教育「SMILE ZEMI」を提供開始
  3. 2025年 米国向けHome Learning Service「Smile Zemi」(Grade K)を提供開始

通信教育「スマイルゼミ」の立ち上げと東証一部昇格

2012年12月、小学生向け通信教育「スマイルゼミ」を提供開始した。タブレット型通信教育という形態は当時の業界に新しい潮流をもたらし、ベネッセの「進研ゼミ」を中心とする通信教育市場に新たな選択肢を提示した。スマイルゼミは「一太郎」「ATOK」中心のソフトウェア企業からEdTech企業へと業態が転換した事例となった。2013年8月、本社機能移管により東京支社を東京本社へ変更し、東京・徳島の二本社体制を整えた。2013年12月には中学生向け通信教育「SMILE ZEMI」を提供開始し、対象学年を拡大した。 [53][54][55]

  • ジャストシステム 有価証券報告書【沿革】
    • [53]2012年12月 小学生向け通信教育「スマイルゼミ」を提供開始(タブレット型)
    • [54]2013年8月 本社機能移管により東京支社を東京本社へ変更(東京・徳島の二本社体制)
    • [55]2013年12月 中学生向け通信教育「SMILE ZEMI」を提供開始

2014年2月、東京証券取引所市場第一部へ上場市場を変更した。JASDAQから東証一部への移行は、1997年の店頭登録以来続いた新興市場からメインボードへの昇格にあたる。2009年の資本業務提携で始まったキーエンスとの関係は、キーエンス出身の関灘恭太郎氏を経営陣に迎えるなど、同社出身者が経営の舵を握る段階へ進んだ。キーエンスで培われた業績管理の手法と、スマイルゼミを中心とする教育コンテンツ事業とを組み合わせた経営が進められ、創業家から派遣経営陣への移行を経て収益の安定化を図る方向が定まった。 [56][57]

  • ジャストシステム 有価証券報告書【沿革】
    • [56]2014年2月 東京証券取引所市場第一部へ上場市場を変更(JASDAQから)
  • ジャストシステム 有価証券報告書【役員の状況】
    • [57]関灘恭太郎はキーエンス出身(2000年4月キーエンス入社)
  • ジャストシステム 有価証券報告書【沿革】
    • [53]2012年12月 小学生向け通信教育「スマイルゼミ」を提供開始(タブレット型)
    • [54]2013年8月 本社機能移管により東京支社を東京本社へ変更(東京・徳島の二本社体制)
    • [55]2013年12月 中学生向け通信教育「SMILE ZEMI」を提供開始
    • [56]2014年2月 東京証券取引所市場第一部へ上場市場を変更(JASDAQから)
  • ジャストシステム 有価証券報告書【役員の状況】
    • [57]関灘恭太郎はキーエンス出身(2000年4月キーエンス入社)

米国スマイルゼミ展開と海外進出の起点

2025年5月、米国向けの家庭学習サービス「Smile Zemi」(Grade K、幼稚園・年長相当)を提供開始した。国内で築いたタブレット型通信教育の仕組みを北米の家庭へ持ち込む試みで、創業以来初めての本格的な海外向けサービスにあたる。日本語ソフトを生んだ徳島本社の会社が、教育サービスを国外へ展開する段階に入った。2025年3月期の営業利益率は3割を超えた。「一太郎」「ATOK」ではなく、タブレット型通信教育「スマイルゼミ」が収益の中心を担う事業構造へと、同社の中身は入れ替わった。 [58]

  • ジャストシステム 有価証券報告書【沿革】
    • [58]2025年5月 米国向け家庭学習サービス「Smile Zemi」(Grade K)を提供開始

創業から46年を経た2025年現在、ジャストシステムは「一太郎」「ATOK」を生んだ徳島発のソフトウェア会社から、スマイルゼミを主軸に消費者へ教育サービスを売る会社へと業態を変えた。この転換を駆動したのは、2009年のキーエンスとの資本業務提携と、創業者の浮川和宣氏からキーエンス出身経営陣への経営権の移行だった。ワープロという主力製品を市場の構造変化で失った会社が、教育という別の市場で収益基盤を作り直した点に、この四半世紀の歩みの核がある。米国でのスマイルゼミ展開は、国内で確立した通信教育の仕組みが言語・教育制度の異なる市場でどこまで通用するかを、同社が初めて問う取り組みにあたる。 [59][60][61]

  • ジャストシステム 有価証券報告書【沿革】
    • [59]創業(1979年)から2025年で46年
    • [60]2009年 キーエンスとの資本業務提携
  • ジャストシステム 有価証券報告書【役員の状況】
    • [61]創業者の浮川和宣からキーエンス出身経営陣へ経営権が移行
  • ジャストシステム 有価証券報告書【沿革】
    • [58]2025年5月 米国向け家庭学習サービス「Smile Zemi」(Grade K)を提供開始
    • [59]創業(1979年)から2025年で46年
    • [60]2009年 キーエンスとの資本業務提携
  • ジャストシステム 有価証券報告書【役員の状況】
    • [61]創業者の浮川和宣からキーエンス出身経営陣へ経営権が移行

ジャストシステムの沿革1979〜2025年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
ジャストシステムを創業
浮川和宣ジャストシステムを設立
浮川和宣日本語処理システム「KTIS」を発表
浮川和宣日本語ワードプロセッサ「一太郎」を発売★★
浮川和宣大阪営業所を開設
浮川和宣東京支社を開設
浮川和宣店頭登録銘柄として株式を公開
浮川和宣文書検索・要約システム「ConceptBase Search」を発売
浮川和宣「一太郎オフィス8」の失速で初の赤字、人員削減とソニー出資による再建店頭公開の半年後に創業以来初の赤字を出した浮川和宣社長は、何を削り、誰に頼ったか 詳細を読む★★★
浮川和宣人員削減とソニーへの第三者割当増資で再建に着手★★
浮川和宣小学生用日本語ワープロソフト「一太郎スマイル」を発売
浮川和宣オンラインショッピングサイト「Just MyShop」をオープン
浮川和宣オンラインストレージ「InternetDisk ASP」を提供開始
浮川和宣Blast Radius社の「XMetaL」事業を譲受しJUSTSYSTEMS CANADA, INC.に事業移管
福良伴昭キーエンスに45億円の第三者割当増資を割り当て、議決権の4割と経営を委ねる4期続いた最終赤字のなかで、浮川和宣社長は独立と資金のどちらを選んだか 詳細を読む★★★
福良伴昭IBM Corporationから「ホームページ・ビルダー」のプログラム著作権と商標権を取得
福良伴昭ファイルサーバー統合管理システム「GDMS」を発売
福良伴昭ノンプログラミングWebデータベース「UnitBase」を発売
福良伴昭専用タブレットの通信教育「スマイルゼミ」を家庭へ投入し、売り切りソフト会社をやめる学校で13年売ってきた会社が、なぜ端末まで自作して家庭の月額課金に出たか 詳細を読む★★★
福良伴昭中学生向け通信教育「SMILE ZEMI」を提供開始
関灘恭太郎米国向けHome Learning Service「Smile Zemi」(Grade K)を提供開始
出典・参考
  • ジャストシステム 有価証券報告書【沿革】
  • 日経ビジネス1991年7月15日号「21世紀への100人 浮川和宣氏」
  • 日経ビジネス1993年9月13日号「挑む 浮川初子氏」
  • 週刊東洋経済1997年11月1日号「フラッシュ 株式公開後の危機」
  • 週刊東洋経済(1998年7月4日号)
  • 日経ビジネス1998年3月9日号「敗軍の将、兵を語る 浮川和宣」
  • 週刊東洋経済1998年6月13日号「フラッシュ ソニーの次は?」
  • 週刊東洋経済1998年7月4日号「企業分析 ジャストシステム 再建への選択」
  • 週刊東洋経済2003年8月9日号「特集 V字回復に挑む夏」
  • 週刊東洋経済2000年5月27日号「特集 出遅れ企業の一発逆転」
  • 週刊東洋経済2001年4月28日号「特集 変貌する香川・徳島」
  • 週刊東洋経済2000年6月17日号「Lineup/IT最前線 IT決算ジャストシステムは黒字化できるのか?」
  • ジャストシステム 有価証券報告書【役員の状況】

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