ジャストシステムキーエンスに45億円の第三者割当増資を割り当て、議決権の4割と経営を委ねる

4期続いた最終赤字のなかで、浮川和宣社長は独立と資金のどちらを選んだか

時期 2009年4月
意思決定者(推定) 浮川和宣 社長
論点 資本増強と経営体制
概要
2009年4月3日、ジャストシステムがキーエンスとの資本・業務提携を発表し、キーエンスを割当先とする第三者割当増資で約45億円を調達した経営判断である。増資後のキーエンスの持株比率は43.96%となり、創業者の浮川和宣氏は13.43%の第2位株主に下がった。
背景
XMLアプリケーションの開発実行環境「xfy」への先行投資が売上に結びつかず、2006年3月期から2009年3月期まで4期続けて最終赤字を計上していた。2008年3月期の最終赤字は47億5,200万円に達し、リーマンショック後の環境悪化が資金繰りを圧迫していた。
内容
1株160円で普通株式28,234,300株を発行し、4月20日に払い込みを受けた。調達した45億円の使途は運転資金20億円、営業・マーケティング強化15億円、債務返済10億円である。キーエンスからは取締役3名と監査役1名が送られ、ジャストシステムは同社の持分法適用関連会社となった。
含意
増資から2カ月後の2009年6月に浮川和宣社長は代表取締役会長へ退き、10月には浮川夫妻がそろって取締役を辞任した。1979年の創業から30年で、社名を作った二人が経営から外れた。
筆者の見解

45億円が買ったもの

2009年の45億円は、資金繰りを埋める金額としては足りていた。ただし対価として渡したのは株式の4割と、取締役会の多数派であった。同じ会社が1998年にソニーから受けた出資は約12億円で、持株比率は6.7%にとどまり、独立は保たれた。11年後に同じ条件を引き出せなかったのは、xfyに投じた数年分の開発費が回収されないまま、リーマンショック後の資金環境に行き当たったからであった。危機の深さが、そのまま条件を決めたとみることができる。

創業者にとっての分岐点は、持株比率ではなく基礎研究チームの扱いであった。浮川和宣氏は技術者を手放せないと考えて会社を離れ、辞任の翌日に新会社を立ち上げている。残されたジャストシステムは費用を絞って黒字に戻し、その後の10年で通信教育と法人向けクラウドを育てて売上を3倍にした。基礎研究を抱え込む経営を降りた会社が伸び、抱え込むと決めた本人は別の会社で作り直した。45億円で売買されたのは株式であって、どちらの選択が正しかったかの判定ではない。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

「一太郎」に代わる柱を探した10年

ジャストシステムがワープロソフト「一太郎」で頂点に立ったのは1996年度であった。年間394万本を売り、パソコンへの同梱だけでもピーク時に140万本を数えた。ところがマイクロソフトの販売攻勢を受けて同梱契約は途絶え、2003年の時点で一本も残っていなかった。同社は日本語処理技術を生かした法人向けソフトへ収益源を移そうとし、1997年末に自然文検索の「コンセプトベース」を投入したが、構想から製品化まで20年近くを要し、導入は1,700社にとどまっていた[1][2]

浮川和宣社長は当時から新規事業の広がりに強い自信を示していた。2001年の取材には「打率一〇割を目指して新製品開発をやっています。売り上げ一〇〇〇億円はすぐにでもいくでしょう」と語っている。一方で売上高はピークの半分に落ち、105億円を投じた新本社と開発費の償却が損益にのしかかっていた。数百人規模で開発を組めるソフト専業という強みは残っていたものの、新事業が利益を生む確かな兆しは、この時点では見えていなかった[3]

xfyに賭けた4年と、4期連続の最終赤字

2000年代半ばに同社が次の柱として選んだのは、XMLアプリケーションの開発実行環境「xfy」であった。2006年3月期は連結売上高122億1,300万円に対して営業損失11億2,100万円、経常損失9億500万円を計上し、赤字へ転じた。会社側はこれをxfy事業への先行投資による一時的な損失と説明し、投資は数年のうちに結実して成長の柱になると述べていた。日米欧での同時立ち上げを掲げ、開発と海外営業への支出は続いた[4]

投資は売上に届かなかった。2008年3月期の売上高は前年比11.4%増の145億7,300万円へ伸びた一方、営業損失は39億1,100万円、純損失は47億5,200万円に膨らんだ。xfy事業の売上高は1億7,000万円にとどまり、海外の営業活動だけで19億4,700万円の損失が出ていた。同社は日米欧の同時立ち上げが企業体力の限界を超えているとして、翌期は国内を優先し海外はXMetaL製品の販売に絞る方針へ改めた。2009年3月期の最終赤字は18億円で、赤字は4期続いた[5][6]

決断

45億円と引き換えの43.96%

2009年4月3日、ジャストシステムはキーエンスとの資本・業務提携を発表した。キーエンスを割当先として普通株式28,234,300株を1株160円で発行し、約45億円を調達する内容である。払い込みは4月20日に行われ、増資後のキーエンスの持株比率は43.96%となった。それまで筆頭株主であった浮川和宣氏の比率は13.43%へ下がり、第2位株主に退いた。発行株数は当時の発行済株式総数の8割近くにあたり、既存株主の持分は一度に薄まった[7][8]

調達した45億円の使途は、運転資金に20億円、営業・マーケティングの強化に15億円、債務の返済に10億円と示された。増資に踏み切った理由について、同社は売り上げ不振と経済環境の悪化で資金繰りが苦しくなったためと説明している。キーエンスからは取締役3名と監査役1名が送り込まれ、ジャストシステムは同社の持分法適用関連会社となった。渡したのは株式の4割にとどまらず、取締役会の構成そのものであった[9]

ソフト専業という自己規定を手放す

外部資本を入れるのは初めてではなかった。1998年の赤字転落の際には、同社はソニーから約12億円の第三者割当増資を受けている。ただし持株比率は6.7%の第4位株主にとどまり、受託開発の仕事を伴う提携という性格が濃かった。浮川和宣社長はその時点で既に「夫婦で五〇%以上の株式を維持するこだわりはない」と述べ、大企業への増資割当を選択肢に置いていた。11年後の45億円は規模が一桁違い、議決権の4割を渡す取引となった[10]

資本を受け入れたあとに何を求められるかは、ほどなく明らかになった。浮川和宣氏は後年、キーエンスの資本受け入れを決めた直後に基礎研究チームの解体を言い渡されたと振り返っている。日本語入力の仕組みを追い続けてきたのは基礎研究の技術者であり、彼らを手放すわけにはいかないという判断から、浮川氏は会社を出る側に傾いた。45億円は資金であると同時に、開発の優先順位を決める権利を移す対価でもあった[11]

結果

創業者の退場

増資から2カ月後、経営体制が入れ替わった。2009年6月18日、同社は浮川和宣社長が代表取締役会長へ退き、常務取締役の福良伴昭氏が社長に就くと発表した。福良氏は1983年に入社して1986年に取締役となった初代「一太郎」の開発者で、就任時は46歳であった。会社は交代の理由を、抜本的な事業構造の見直しと早期の業績回復のために経営の刷新と若返りを進めるためと説明した。代表取締役専務であった浮川初子氏も取締役副会長へ移った[12]

創業者夫妻が社にとどまった期間は短かった。2009年10月29日、浮川和宣会長と浮川初子副会長は一身上の都合により取締役を辞任し、相談役や顧問としても残らずにジャストシステムを離れた。同社は、6月25日就任の新社長福良伴昭のもとで業務活動を進めており、今後も業績の回復を目指すとコメントしている。二人は翌30日に新会社MetaMoJiを設立した。1979年に徳島で会社を興してから30年で、創業者は自らの社名から離れた[13]

黒字転換と、キーエンス流の定着

業績は増資の翌期に反転した。2010年3月期の連結売上高は150億9,900万円、営業利益は21億8,100万円、当期純利益は19億9,100万円となり、4期続いた赤字が止まった。中身を見ると、販売費及び一般管理費が前期の95億7,800万円から80億7,700万円へ15億円減っており、黒字化を作ったのは費用の圧縮であった。xfyの海外展開に代表される先行投資は畳まれ、手元の製品で利益を確保する運営へ切り替わった[14]

キーエンスから来た人材が経営の前面に立つまでには、さらに時間がかかった。2016年3月、増資の直後にキーエンスから送り込まれていた関灘恭太郎氏が38歳で社長に就いた。週刊東洋経済は同じ年の暮れ、キーエンスが第三者割当増資を引き受けて筆頭株主になった後に数々の構造改革が実施され、営業利益率が毎期上昇していると伝えている。資本の移動から7年をかけて、経営の担い手も入れ替わった[15]

出典・参考

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