浮川和宣氏は1949年5月に生まれ、1973年3月に愛媛大学工学部を卒業して船舶用電機メーカーの西芝電機に入社[1]した。6年間勤めたのち、いずれ自分と妻の双方の親を養う必要があり、それには勤め人では足りない[2]と考えて退職した。1979年7月、妻の初子氏の実家の応接間を改造した事務所で、東芝系のオフィスコンピュータ販売代理店[3]としてジャストシステムを興した。東芝の機種を扱うと決めたのも、漢字処理の機能が当時最も進んでいた[4]からであった。1981年6月に株式会社として設立し、浮川氏が社長、初子氏が専務[5]に就いた。
浮川初子氏は1951年3月に生まれ、1969年4月に愛媛大学工学部電子工学科の開設1期生[6]として入学した。1973年に卒業して外資系計算機メーカーの高千穂バロースに入り、オフィスコンピュータのソフトウェア開発[7]に携わった。1975年1月に同級生だった和宣氏と結婚し、姫路市でコンピュータ販売会社に移ったのち、1979年に徳島へ戻って[8]夫とともに創業に加わった。創業の年に手がけたのは、ビニールハウス用フィルムの販売管理システム[9]であった。初子専務はその後の半年間、吉田種苗へ手弁当で通い詰めて細かな要望を聞き取った。出来上がったソフトは、機器の性能が上がっても7年間は手直しなし[10]で使われた。
1982年10月、ジャストシステムは日本語処理システム『KTIS』[11]を発表した。翌1983年には一太郎の前身にあたるワープロソフト『JSワード』が生まれ、編集メニューをワンタッチで呼び出せる設計[12]を備えている。ところがJSワードの商標は契約上アスキーが持っており、1984年夏、社員が10人に満たなかった時期に苦心して作った最初のワープロソフトは、アスキーの商品として雑誌などに紹介された。自分たちの商品が世に出るのを楽しみに働いてきただけに、社員の落胆は大きかった[13]。初子専務は半ば強引に月曜を休みと決め、週末に2泊3日で高知へ社員旅行に出かけた。旅館では車座になって皆で話し、この旅行のあと社内の空気が入れ替わった[14]。
アスキーとの関係は、初子専務がかけた1本の電話から始まっている。マイクロソフトの基本ソフトを組み込んだ応用ソフトを商品として販売できるかどうかを問い合わせたところ、日曜に出社していたアスキーの古川享氏が受けた[15]。当時そこまで細かく気を配る利用者はおらず、古川氏は著作権への意識の高さに感心したという。二人は意気投合し、アスキーからワープロソフトを販売する話が進んだ[16]。商標の一件で落胆した若手社員は、高知への旅行のあとIBMのパソコン向けに『JXワード』の開発へ入り、わずか3カ月で初の自社ブランド商品を仕上げた[17]。
1985年8月、同じく日本電気のパソコンPC-9801向けに『一太郎』[18]を発売する。当時の先端を行く機能に加え、一般へ広めるため従来製品の半値に置いた価格が受けて大量に売れた[19]。発売の年に9億円だった売上高は5年間で約97億円へ伸び、社員は28人から約500人[20]に増えている。1988年5月に大阪営業所、1989年6月に東京支社を開き[21]、徳島だけで作って売る会社ではなくなった。
1991年、一太郎を第4版へ移す際に開発が遅れ、出荷時期が2度にわたって延びた[22]。ようやく出荷にこぎ着けたところ商品に欠陥があることが判明し、急きょ交換に応じたものの、その交換品にも動作が遅いといった苦情が相次いだ[23]。最終的な回収本数は16万本に達し、その間ほかの開発は完全に止まっている。当時300人近くにいた社員とともに、浮川社長はこの時期を耐えた[24]。騒動の真相について浮川社長は発売時期を巡る自身の判断の誤りと認め、多くを語っていない[25]。それでもその年は増収を確保し、この事件を境に一太郎への評価と人気はかえって高まった[26]。
業績は伸び続けた。1994年度の売上高は195億円、経常利益は29億円[27]で、1996年3月期には売上高281億円・経常利益61億円に達している。従業員は1000人を超え[28]、1996年4月には一太郎の累計出荷本数が500万本を上回った[29]。本社を徳島に置いたままである点について、浮川社長は本社・東京・名古屋・大阪の拠点をすべて同一のネットワークで結び、役職に関係なく社員全員が横並びで同じ情報を共有して互いにメッセージを交換できる仕組みを作った[30]と説明している。かつて徳島本社では先端の情報に遅れるという危惧があったが、ネットワークが完成してその感覚は消え、本社を東京へ移す必要はなくなった[31]。
1995年、浮川社長は事業の幅を広げる手を続けて打った。8月にパソコン通信『ジャストネット』[32]を始め、会員だけが集まる区画からインターネットへ出られる構成を採った。4月には米国シリコンバレーに子会社を設立し、1996年4月にはピッツバーグのカーネギーメロン大学の近くへ先端技術研究所を開いて[33]同大学の教授を所長に迎えた。任天堂・スクウェアとゲームソフトの合弁会社[34]も設立した。家庭にネットワークを広げるにはパソコンだけでは限界があり、10万円かかる機器の代わりにゲーム機を使う道があると見た[35]ためであった。1997年の株式公開も、この時点で予定に[36]入っていた。
マイクロソフトが日本語ワープロソフトの市場開拓に本腰を入れたのは1995年からである。同年10月に発売した『ワード95』では、それまで他社製品を採用していた仮名漢字変換ソフトを初めて自社開発に切り替えた[37]。1996年7月には日本法人に『ワードスワットグループ』が発足し、東京に6人、大阪と名古屋に各1人の担当者を置いた。1つの商品だけに特化した営業部隊は同社で初めて[38]であった。同年4月にはインターネット対応を強めたワードを希望小売価格1万2000円で投入し、4万円の一太郎6.3[39]を追う。ジャストシステムは7月に定価を2万円へ下げて[40]応じた。
次期版の一太郎7は当初1996年2月の発売を予定していたが、4度先延ばしされて9月13日[41]にずれ込んだ。遅れの最大の理由は、ソフトを部品に分けるオブジェクト指向を採り入れた点にある。1つの機能を持つ小さなソフトを積み上げて大きなソフトにする方式で、利用者は必要としない機能を外せる[42]。浮川社長はこれを生みの苦しみと呼び、インターネットを通じてソフトを受け取る時代には大きなソフトほど配信に時間がかかるため軽くする意義がある[43]と説明した。1991年に発売していた独自のグループウエアは、今後はイントラネットが主流になると割り切って[44]捨てた。それでも一太郎の売上比率は7割のまま[45]であった。
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|---|---|---|---|---|
| 1979〜1989年徳島のオフコン代理店が日本語ワープロの標準を取るまで(1979〜1989) | ジャストシステムを創業 | ★ | ||
| 浮川和宣 | ジャストシステムを設立 | ★ | ||
| 浮川和宣 | 日本語処理システム「KTIS」を発表 | ★ | ||
| 浮川和宣 | 日本語ワードプロセッサ「一太郎」を発売 | ★★ | ||
| 浮川和宣 | 大阪営業所を開設 | ★ | ||
| 浮川和宣 | 東京支社を開設 | ★ | ||
| 1997〜2008年公開直後の赤字転落と、脱「一太郎」の模索(1997〜2008) | 浮川和宣 | 店頭登録銘柄として株式を公開 | ★ | |
| 浮川和宣 | 文書検索・要約システム「ConceptBase Search」を発売 | ★ | ||
| 浮川和宣 | 「一太郎オフィス8」の失速で初の赤字、人員削減とソニー出資による再建 1997年10月に店頭公開したジャストシステムが、主力に据えた新製品『一太郎オフィス8』の販売不振によって1998年3月期に創業以来初の赤字へ転落し、人員と経費の圧縮、ソニーからの第三者割当増資による資本増強で立て直しにかかった経営判断である。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 浮川和宣 | 人員削減とソニーへの第三者割当増資で再建に着手 | ★★ | ||
| 浮川和宣 | 小学生用日本語ワープロソフト「一太郎スマイル」を発売 | ★ | ||
| 浮川和宣 | オンラインショッピングサイト「Just MyShop」をオープン | ★ | ||
| 浮川和宣 | オンラインストレージ「InternetDisk ASP」を提供開始 | ★ | ||
| 浮川和宣 | Blast Radius社の「XMetaL」事業を譲受しJUSTSYSTEMS CANADA, INC.に事業移管 | ★ | ||
| 2009〜2025年45億円で入れ替わった経営と、家庭へ移した代金の受け取り方(2009〜2025) | 浮川和宣 | キーエンスに45億円の第三者割当増資を割り当て、議決権の4割と経営を委ねる 2009年4月3日、ジャストシステムがキーエンスとの資本・業務提携を発表し、キーエンスを割当先とする第三者割当増資で約45億円を調達した経営判断である。増資後のキーエンスの持株比率は43.96%となり、創業者の浮川和宣氏は13.43%の第2位株主に下がった。 詳細を読む | ★★★ | |
| 福良伴昭 | IBM Corporationから「ホームページ・ビルダー」のプログラム著作権と商標権を取得 | ★ | ||
| 福良伴昭 | ファイルサーバー統合管理システム「GDMS」を発売 | ★ | ||
| 福良伴昭 | ノンプログラミングWebデータベース「UnitBase」を発売 | ★ | ||
| 福良伴昭 | 専用タブレットの通信教育「スマイルゼミ」を家庭へ投入し、売り切りソフト会社をやめる 2012年11月20日にジャストシステムが小学生向けのタブレット通信教育『スマイルゼミ』を発表し、同年12月17日に開講した経営判断である。学校向け学習ソフトで13年かけて蓄えた知見を家庭向けに転用し、パッケージソフトの売り切りから月額課金へ収益の受け取り方を移した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 福良伴昭 | 中学生向け通信教育「SMILE ZEMI」を提供開始 | ★ | ||
| 関灘恭太郎 | 米国向けHome Learning Service「Smile Zemi」(Grade K)を提供開始 | ★ |
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事実根拠:出所(ジャストシステム)