オービックビジネスコンサルタント の歴史

創業

1980年

創業者

和田成史

創業地

東京都千代田区

直近売上高(2026/3)

514億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円
Q なぜ1980年に、順調だった公認会計士が会計ソフトの事業会社を興したのか
A 和田成史氏は公認会計士としての仕事が順調だったうえで、これからは会計システムが重要になり、できることなら自分の手で作りたいと考えていた。会計士として学んだことをすべて盛り込めるのが動機である。踏み切らせたのは、出入り先だったオービック社長の野田順弘氏から、会計士としてではなく企業として会計システムの仕事をやらないか、自分も出資すると持ちかけられたことだった。1980年前後はパソコンの登場に合わせて公認会計士らがPCA、日本マイコン、ミルキーウェイと相次いで会社を興した時期にあたり、和田氏もその流れの中にある。
Q なぜ1998年に、新規開発の資源をすべて2000年以降の製品へ振り替えたのか
A 和田成史氏は1998年1月から、新規開発の資源をすべて2000年以降の製品へ向けた。対象は企業バンキング、新ERP、会計事務所向けの3分野である。根拠は1995年のWindows 95で経験した基本ソフトの世代交代であり、次はインターネット対応が同じ役割を果たすと読んだ。ところが結果は計画に届かなかった。2000年3月期に124.7億円だった売上高は2001年3月期に109億円へ減り、2005年3月期に235億円という計画に対し実績は145.7億円だった。読み違えたのは方向ではなく、需要が立ち上がる速さである。
Q なぜ2018年まで完全SaaS化を遅らせ、そこで踏み切ったのか
A オービックビジネスコンサルタントは約4,000社の販売代理店に売ってもらう間接販売で伸びてきた会社であり、買い切り型を月額利用型へ替えることは代理店の収益をその場で細らせる。SaaS化を遅らせたのは、この販売網を守る判断だった。2018年2月に完全SaaS型の奉行クラウドを投入してからは、移行の代償も出ている。2023年3月期はオンプレミス売上の減少で売上高337億円、経常利益158.3億円と減収減益になった。それでも2026年3月期には、クラウドが売上高の61.0%、継続収益が83.9%を占めるまで入れ替わった

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1980年〜 公認会計士が「自分の手で作りたい」と興した会社と、最初の資金難

  1. 1980年 公認会計士業からの転身と会計ソフト事業会社の設立、沖電気から得た1億円の製品開発への全額投入 帳簿を検める側にとどまるか、作る側へ回るか——製品の完成と同時に運転資金が尽きた創業期
  2. 1981年 オービック・ビジネス・コンサルタントへの商号変更と本店の新宿区移転
  3. 1983年 業務ソフト「TOPシリーズ」の発売
  4. 1986年 東京支店・大阪営業所の開設

「企業として会計システムを」という誘いから始まった設立

株式会社オービックビジネスコンサルタントは、1980年12月に東京都千代田区で設立[1]された。設立時の商号は株式会社ビック・システム・コンサルタント・グループ[2]といい、コンピュータの販売とプログラムの製作、システム設計を事業目的に据えた[3]。創業者の和田成史氏は1952年8月に東京都で生まれ[4]、1975年3月に立教大学経済学部を卒業[5]したのち、1976年に大原簿記学校の会計士科に勤めた[6]。23歳で公認会計士の二次試験に合格[7]し、1979年に同校を退職、1980年3月に公認会計士として登録した[8]。会社を興したのは、その9か月後である。 [9]

  • 有価証券報告書
    • [1]1980年12月に東京都千代田区で設立された
    • [2]設立時の商号は株式会社ビック・システム・コンサルタント・グループだった
    • [3]設立時の事業目的はコンピュータの販売業務、コンピュータプログラムの製作及びシステム設計業務だった
    • [9]公認会計士登録の9か月後にあたる1980年12月に会社を設立した
  • 週刊東洋経済 2000年2月5日号
    • [4]創業者の和田成史は1952年8月30日に東京都で生まれた
    • [5]和田成史は1975年3月に立教大学経済学部を卒業した
    • [6]和田成史は1976年に大原簿記学校の会計士科に勤めた
    • [7]和田成史は23歳で公認会計士の二次試験に合格した
  • 日経ベンチャー 2001年9月号
    • [8]和田成史は1979年に大原簿記学校を退職し、1980年3月に公認会計士として登録した

設立の話を持ちかけたのは、和田氏ではなく相手の側だった。和田氏は公認会計士としてオービックに出入りし、そこでオービック社長の野田順弘氏と知り合った[11]。和田氏が26歳、野田氏が40歳ほどの頃[12]、年末か年始の挨拶に訪れた席で、会計士としてではなく企業として会計システムの仕事をやってみないか、自分も出資すると持ちかけられた[13]。予想もしなかった話だったと和田氏は後に振り返ったが、その場で二つ返事で引き受けた[14]。出資は設立時の一度きりで、和田氏は後年、オービックから経営に口を出されたことも金融支援を受けたこともないと語った[15]。野田氏はその後、オービックの社長を務めながらオービックビジネスコンサルタントの会長を兼務した[16][10]

  • 日経ベンチャー 2001年9月号
    • [10]和田成史は公認会計士としてオービックに出入りしていた
    • [11]出入り先でオービック社長の野田順弘と知り合った
    • [12]誘いを受けたのは和田成史が26歳、野田順弘が40歳ほどの頃だった
    • [13]野田順弘は会計士としてではなく企業として会計システムの仕事をやらないか、自分も出資すると持ちかけた
    • [14]和田成史は予想もしなかった話だとしながら二つ返事で引き受けた
    • [16]野田順弘はオービック社長でありながらOBCの会長を兼務した
  • 週刊東洋経済 2000年2月5日号
    • [15]オービックからの出資は設立時の一度だけで、経営への関与も金融支援もなかった

和田氏が誘いに乗ったのは、会計士の仕事が行き詰まったからではない。公認会計士としての仕事は順調で、そのうえで、これからは会計システムが重要になる、できることなら自分の手で作ってみたい[18]、と考えた。自分でやれば、会計士として学んだことをすべて盛り込み、自分なりの理想を追求したシステムが構築できる。リスクについては、変化そのものであり、変化こそ成長の機会だと捉えた[20]。和田氏はのちに経営理念として、自由で公平な職場づくり、採用と教育に重点を置いた人材育成、革新と戦略を追求する企画・製品開発の3点を挙げた[21]。1981年5月、商号を株式会社オービック・ビジネス・コンサルタントへ改め、本店を東京都新宿区へ移した[22][17][19]

  • 日経ベンチャー 2001年9月号
    • [17]創業前の公認会計士としての仕事は順調だった
    • [18]これからは会計システムが重要になり、できることなら自分の手で作りたいと考えていた
    • [19]自分でやれば会計士として学んだことをすべて盛り込み理想を追求したシステムを構築できると考えた
    • [20]リスクを変化と捉え、変化こそが成長の機会だと考えていた
  • 証券アナリストジャーナル 1999年11月号
    • [21]経営理念は①自由と公平な職場作り②採用と教育に重点を置いた人材の教育と企業成長③革新と戦略を追求する企画・製品開発の3点だった
  • 有価証券報告書
    • [22]1981年5月に商号を株式会社オービック・ビジネス・コンサルタントへ変更し本店を東京都新宿区へ移転した
  • 有価証券報告書
    • [1]1980年12月に東京都千代田区で設立された
    • [2]設立時の商号は株式会社ビック・システム・コンサルタント・グループだった
    • [3]設立時の事業目的はコンピュータの販売業務、コンピュータプログラムの製作及びシステム設計業務だった
    • [9]公認会計士登録の9か月後にあたる1980年12月に会社を設立した
    • [22]1981年5月に商号を株式会社オービック・ビジネス・コンサルタントへ変更し本店を東京都新宿区へ移転した
  • 週刊東洋経済 2000年2月5日号
    • [4]創業者の和田成史は1952年8月30日に東京都で生まれた
    • [5]和田成史は1975年3月に立教大学経済学部を卒業した
    • [6]和田成史は1976年に大原簿記学校の会計士科に勤めた
    • [7]和田成史は23歳で公認会計士の二次試験に合格した
    • [15]オービックからの出資は設立時の一度だけで、経営への関与も金融支援もなかった
  • 日経ベンチャー 2001年9月号
    • [8]和田成史は1979年に大原簿記学校を退職し、1980年3月に公認会計士として登録した
    • [10]和田成史は公認会計士としてオービックに出入りしていた
    • [11]出入り先でオービック社長の野田順弘と知り合った
    • [12]誘いを受けたのは和田成史が26歳、野田順弘が40歳ほどの頃だった
    • [13]野田順弘は会計士としてではなく企業として会計システムの仕事をやらないか、自分も出資すると持ちかけた
    • [14]和田成史は予想もしなかった話だとしながら二つ返事で引き受けた
    • [16]野田順弘はオービック社長でありながらOBCの会長を兼務した
    • [17]創業前の公認会計士としての仕事は順調だった
    • [18]これからは会計システムが重要になり、できることなら自分の手で作りたいと考えていた
    • [19]自分でやれば会計士として学んだことをすべて盛り込み理想を追求したシステムを構築できると考えた
    • [20]リスクを変化と捉え、変化こそが成長の機会だと考えていた
  • 証券アナリストジャーナル 1999年11月号
    • [21]経営理念は①自由と公平な職場作り②採用と教育に重点を置いた人材の教育と企業成長③革新と戦略を追求する企画・製品開発の3点だった

最初の製品ができた時点で資金が尽きた

設立にあたって和田氏が用意した資金は、オービックからの出資だけではない。和田氏の事務所が開発したシステムの販売権を、沖電気が1億円で買い取った。この1億円を元手に製品開発へ着手し、ピーク時には80人近いプログラマーが開発に加わった[24]。ところが製品ができあがったのは、その1億円をちょうど使い切る頃だった。売る物ができた時点で、手元の資金は尽きた。手元に運転資金がなければ会社は続かないため、和田氏は取引銀行につなぎ融資を求めた[26]。当時27歳の和田氏には、担保に入れられる資産がなかった[27][23][25]

  • 日経ベンチャー 2001年9月号
    • [23]和田成史の事務所が開発したシステムの販売権を沖電気が1億円で買い取った
    • [24]1億円を元手に製品開発へ着手し、ピーク時には80人近いプログラマーが携わった
    • [25]1億円を使い切る頃に最初の製品が完成し、その時点で資金が尽きた
    • [26]運転資金を確保するため銀行からつなぎの融資を受けた
    • [27]当時27歳の和田成史には担保になる資産がなかった

和田氏は父に頼み込み、担保として父の土地を差し入れてもらった[28]。父に判を押してもらったときの気持ちを、和田氏は後年、絶対に成功させるという執念だけだったと述べ、うまくいかなかったらどうしようとは考えたくもなかったし、実際に考えもしなかったと語った[29]。借り入れでつないでいる間に販売収入を上げなければ、会社は立ち行かない。和田氏を含む社員4人は、3か月で1000万円という販売目標を立てた。この額を売らなければ資金が回らないという計算だった。ふたを開けてみると、3か月で1300万円が売れた[32][30][31]

  • 日経ベンチャー 2001年9月号
    • [28]融資の担保には和田成史の父の土地を入れた
    • [29]父に判を押してもらったときの気持ちは絶対に成功させるという執念だけだった
    • [30]借り入れでつないでいる間に販売収入を上げる必要があった
    • [31]和田成史を含む社員4人で3か月1000万円の販売目標を立てた
    • [32]実際には3か月で1300万円が売れた

最初に製品を買ったのは、社員10人から20人ほどの会社のオーナー経営者がほとんどだった[33]。客の前で実際に操作してみせると反応がよく、デモを見た客の半分ほどが製品を買った[34]。それでも資金の面では2年ほど苦労が続き、専務を務めた和田成史氏の妻で公認会計士の和田弘子氏は、この時期にストレスから直径5センチほどの円形脱毛症になった。もっとも和田弘子氏は経営の第2位として管理部門を統括し、会計士としての知識を生かして投資判断を担った[37]和田成史氏は、夫人との間で家庭に仕事を持ち込まない主義を通した[38]。1983年11月には業務ソフト「TOPシリーズ」の販売を始めた。1986年9月には東京支店と大阪営業所を開いた。 [35][36][39]

  • 日経ベンチャー 2001年9月号
    • [33]最初の顧客は社員10人から20人ほどの会社のオーナー経営者がほとんどだった
    • [34]デモを見た客の半分ほどが製品を購入した
    • [35]専務は和田成史の妻で公認会計士の和田弘子であり、創業後2年ほどは資金繰りに苦労し円形脱毛症になった
  • 有価証券報告書
    • [36]1983年11月に「TOPシリーズ」の販売を開始した
    • [39]1986年9月に東京支店と大阪営業所を開設し、以後1988年に名古屋、1990年に福岡、1993年に仙台へ拠点を広げた
  • 週刊東洋経済 2000年2月5日号
    • [37]和田弘子は経営の第2位として管理畑を統括し、会計士の専門知識を生かして投資判断を担った
    • [38]和田成史は夫人との間で一切家庭に仕事を持ち込まない主義を貫いた
  • 日経ベンチャー 2001年9月号
    • [23]和田成史の事務所が開発したシステムの販売権を沖電気が1億円で買い取った
    • [24]1億円を元手に製品開発へ着手し、ピーク時には80人近いプログラマーが携わった
    • [25]1億円を使い切る頃に最初の製品が完成し、その時点で資金が尽きた
    • [26]運転資金を確保するため銀行からつなぎの融資を受けた
    • [27]当時27歳の和田成史には担保になる資産がなかった
    • [28]融資の担保には和田成史の父の土地を入れた
    • [29]父に判を押してもらったときの気持ちは絶対に成功させるという執念だけだった
    • [30]借り入れでつないでいる間に販売収入を上げる必要があった
    • [31]和田成史を含む社員4人で3か月1000万円の販売目標を立てた
    • [32]実際には3か月で1300万円が売れた
    • [33]最初の顧客は社員10人から20人ほどの会社のオーナー経営者がほとんどだった
    • [34]デモを見た客の半分ほどが製品を購入した
    • [35]専務は和田成史の妻で公認会計士の和田弘子であり、創業後2年ほどは資金繰りに苦労し円形脱毛症になった
  • 有価証券報告書
    • [36]1983年11月に「TOPシリーズ」の販売を開始した
    • [39]1986年9月に東京支店と大阪営業所を開設し、以後1988年に名古屋、1990年に福岡、1993年に仙台へ拠点を広げた
  • 週刊東洋経済 2000年2月5日号
    • [37]和田弘子は経営の第2位として管理畑を統括し、会計士の専門知識を生かして投資判断を担った
    • [38]和田成史は夫人との間で一切家庭に仕事を持ち込まない主義を貫いた

1987年〜 社内公募で決まった「奉行」と、最初の消費税で出遅れ次の消費税で稼いだ12年

  1. 1988年 名古屋営業所の開設
  2. 1990年 福岡営業所の開設
  3. 1992年 物流センターの開設
  4. 1993年 仙台営業所の開設
  5. 1993年 業務ソフト「奉行シリーズ」の発売
  6. 1993年 広島営業所の開設
  7. 1998年 新ERP・インターネット対応製品への新規開発資源の全面振替と、2005年3月期235億円の計画 次の需要はインターネットとERPから来るのか——1998年に全量を振り替えた開発資源と、6年後に置いた235億円

会計にはその国の文化が映る──「奉行」という命名

「勘定奉行」という製品名は、社内公募から生まれた[40]。和田氏は、会計にはその国の文化が反映されるため、客に長く使ってもらうには日本的な名前がよいと考えて[41]いた。そこへ社内から挙がってきたのが「勘定奉行」だった。口うるさい「お奉行様」が社内にいることは企業にとって喜ばしいのではないか[43]、というのが和田氏の説明である。以降も新製品の命名は社内公募で繰り返し行われ、給与奉行、商奉行、償却奉行、蔵奉行と製品名が並んだ[44]。テレビでは裃姿の「勘定奉行」が登場する「勘定奉行にお任せあれ」のコマーシャルが流れ、製品名は会社名より先に知られた[45][42]

  • 日経ベンチャー 2001年9月号
    • [40]「勘定奉行」の名は社内公募から生まれた
    • [41]会計にはその国の文化が色濃く反映されるため日本的な名前がよいと考えていた
    • [42]「勘定奉行」の名は社内公募で挙がってきたものである
    • [43]口うるさい「お奉行様」が社内にいることは企業にとって喜ばしいと説明した
    • [44]以降も新製品のネーミングは社内公募で繰り返し実施され、給与奉行・商奉行・償却奉行・蔵奉行が並んだ
  • 週刊東洋経済 2000年6月24日号
    • [45]裃姿の「勘定奉行」が登場するコマーシャルで製品名は知られたが会社は目立たない存在だった

広告の打ち方にも方針があった。常に何らかのコマーシャルを流し続けたうえで、時期を見て戦略商品を集中的に宣伝する。すでに勘定奉行や給与奉行を使っている客に、商奉行や償却奉行、蔵奉行といった製品があることを認識してもらうためである[47]。営業拠点の開設もこの時期に集中し、1988年8月の名古屋営業所、1990年7月の福岡営業所、1993年3月の仙台営業所、同年10月の広島営業所、1994年7月の札幌営業所と続いた[49]。1993年7月には「奉行シリーズ」の販売を始め、1995年12月には商号を株式会社オービックビジネスコンサルタントへ改めた[50]。販売そのものは代理店に委ねた。全国の営業拠点は直接販売を行わず、約4,000社の販売代理店への販売支援に専念する体制を取った。 [46][48][51]

  • 日経ベンチャー 2001年9月号
    • [46]常に何らかのCMを流したうえで時期を見て戦略商品を集中的に宣伝する方針を取った
    • [47]既存客に商奉行・償却奉行・蔵奉行の存在を認識してもらうことが宣伝の狙いだった
  • 有価証券報告書
    • [48]1993年7月に「奉行シリーズ」の販売を開始した
    • [49]1988年から1994年にかけて名古屋・福岡・仙台・広島・札幌へ営業拠点を開設した
    • [50]1995年12月に商号を株式会社オービックビジネスコンサルタントへ変更した
  • 証券アナリストジャーナル 1999年11月号
    • [51]全国15か所の営業拠点は直接販売を行わず、約4,000社の販売代理店への販売支援に専念していた

会計ソフトという商品の歴史は浅い。コンピュータ導入以後の日本企業の会計業務は汎用大型機やオフコンが中心で、専用のハードとソフトを一体で使うのが通例だった。そこへ1980年前後のパソコン登場に合わせ、公認会計士らがPCA、オービックビジネスコンサルタント、ミルキーウェイ、日本マイコンの4社を設立した。4社はどのパソコンでも動く安価な会計ソフトを投入して市場を広げ、以後はこの4社でシェアの9割以上を占めた。オービックビジネスコンサルタントとPCAは中小企業向け、日本マイコンは量販店経由の個人向け、ミルキーウェイはその中間という住み分けだった[55][52][53][54]

  • 週刊東洋経済 1997年4月26日号
    • [52]コンピュータ導入以後の日本企業の会計業務は汎用大型機やオフコンが中心で、ハードとソフトを一体で使っていた
    • [53]1980年前後のパソコン登場に合わせて公認会計士らがPCA・OBC・ミルキーウェイ・日本マイコンを設立した
    • [54]4社は安価な会計ソフトで市場を広げ、以後シェアの9割以上を寡占した
    • [55]中小企業向けがPCAとOBC、個人向けが日本マイコン、その中間がミルキーウェイという住み分けだった
  • 日経ベンチャー 2001年9月号
    • [40]「勘定奉行」の名は社内公募から生まれた
    • [41]会計にはその国の文化が色濃く反映されるため日本的な名前がよいと考えていた
    • [42]「勘定奉行」の名は社内公募で挙がってきたものである
    • [43]口うるさい「お奉行様」が社内にいることは企業にとって喜ばしいと説明した
    • [44]以降も新製品のネーミングは社内公募で繰り返し実施され、給与奉行・商奉行・償却奉行・蔵奉行が並んだ
    • [46]常に何らかのCMを流したうえで時期を見て戦略商品を集中的に宣伝する方針を取った
    • [47]既存客に商奉行・償却奉行・蔵奉行の存在を認識してもらうことが宣伝の狙いだった
  • 週刊東洋経済 2000年6月24日号
    • [45]裃姿の「勘定奉行」が登場するコマーシャルで製品名は知られたが会社は目立たない存在だった
  • 有価証券報告書
    • [48]1993年7月に「奉行シリーズ」の販売を開始した
    • [49]1988年から1994年にかけて名古屋・福岡・仙台・広島・札幌へ営業拠点を開設した
    • [50]1995年12月に商号を株式会社オービックビジネスコンサルタントへ変更した
  • 証券アナリストジャーナル 1999年11月号
    • [51]全国15か所の営業拠点は直接販売を行わず、約4,000社の販売代理店への販売支援に専念していた
  • 週刊東洋経済 1997年4月26日号
    • [52]コンピュータ導入以後の日本企業の会計業務は汎用大型機やオフコンが中心で、ハードとソフトを一体で使っていた
    • [53]1980年前後のパソコン登場に合わせて公認会計士らがPCA・OBC・ミルキーウェイ・日本マイコンを設立した
    • [54]4社は安価な会計ソフトで市場を広げ、以後シェアの9割以上を寡占した
    • [55]中小企業向けがPCAとOBC、個人向けが日本マイコン、その中間がミルキーウェイという住み分けだった

消費税で潤う業界のなかで、一度だけ後発に回った

1989年の消費税導入は、会計ソフト各社にとって需要の増える出来事だった[56]。もっとも当時の国内のパソコンは150万台程度で、700万台を超えた1997年とは市場の規模が違った[57]。ところがオービックビジネスコンサルタントはこのときライバル各社に遅れをとり、後発に回った。この失敗を、オービックビジネスコンサルタントは会社案内に記した。過去の失敗から教訓を学べばプラスの資産に転じる、社長ひとりで決められない規模になれば失敗体験は全社で共有したほうがよい[59]と和田氏は考えていた。なお和田氏は後年、消費税が導入されたときには特需の反動減らしきものを感じずに済んだとも振り返っている[61][58][60]

  • 週刊東洋経済 1997年4月26日号
    • [56]1989年の消費税導入時にも会計ソフト業界は潤った
    • [57]1989年当時の国内パソコンは150万台程度で、700万台を超えた1997年とは市場規模が異なった
  • 日経ベンチャー 2001年9月号
    • [58]1989年の消費税導入時にライバル会社に遅れをとり後発に回ったと会社案内に記載した
    • [59]社長ひとりで物事を決められない規模になれば過去の失敗体験は全社で共有すべきだと考えていた
    • [60]過去の失敗から教訓を学べばプラスの資産に転じ、失敗体験は全社で共有したほうがよいと考えていた
  • 証券アナリストジャーナル 1999年11月号
    • [61]消費税が導入された際には特需の反動減らしきものを感じずに済んだと述べた

次の需要は税制ではなくパソコン側から生まれた。1995年のWindows 95の登場でパソコンが一般へ広がり、これに対応した「95版対応奉行シリーズ」が売れた。ただし当てに任せた結果ではない。和田氏は、Windows 3.0が発表された1992年ごろにWindows 95の登場を見越し、早くから95対応の製品開発へ的を絞り込んでいたと述べている。もっとも和田氏は後年、Windows 95の発売時にも踊り場があり、LAN対応製品を投入してふたたび伸びたと説明した[64]。和田氏の説明に沿えば、基本ソフトの世代交代は買い替え需要と、それが一巡するまでの空白を同時に生んだ[65]。この時期も営業拠点の開設は続き、1995年7月の横浜営業所、同年11月の高崎営業所、1996年9月の静岡営業所、1997年4月の岡山営業所、同年9月の大宮営業所を加えて13か所となった[66][62][63]

  • 週刊東洋経済 2000年2月5日号
    • [62]1995年のWindows 95登場に伴う普及が「95版対応奉行シリーズ」のヒットにつながった
  • 証券アナリストジャーナル 1999年11月号
    • [63]Windows 3.0が発表された1992年ごろからWindows 95を予測し、95対応の製品開発へ的を絞り込んでいた
  • 週刊東洋経済 2000年6月24日号
    • [64]Windows 95発売時にも踊り場があり、LAN対応製品の投入で再び伸びたと説明した
    • [65]和田成史の説明を踏まえた書き手の整理として、基本ソフトの世代交代は買い替え需要とその一巡後の空白を同時に生んだ
  • 有価証券報告書
    • [66]1995年から1997年にかけて横浜・高崎・静岡・岡山・大宮を開設し、営業拠点は13か所になった

1997年4月の消費税率改定は、8年ぶりの税率変更として会計ソフトの需要をふたたび押し上げた[67]。同年3月のオービックビジネスコンサルタントの販売は「TOP勘定奉行」を中心に前年の倍となり、1997年3月期は売上高59億円、経常利益18億円を計上した。和田氏は当時、今期も3割の増収になると語った[69]。同じ頃、寡占4社のうち2社は外国資本に買われた。米インテュイットが1996年1月にミルキーウェイを50億円、1997年に日本マイコンを45億円で買収し、両社の創業者はそれぞれ数十億円の売却益を得た。オービックビジネスコンサルタントは売却ではなく、1999年の株式公開を目標に据えた[71][68][70]

  • 週刊東洋経済 1997年4月26日号
    • [67]1997年4月の消費税率改定は8年ぶりの税率変更で会計ソフト需要を押し上げた
    • [68]1997年3月の販売は「TOP勘定奉行」中心に前年の倍となり、1997年3月期は売上高59億円・経常利益18億円だった
    • [69]和田成史は1998年3月期も3割の増収になると語った
    • [70]米インテュイットが1996年1月にミルキーウェイを50億円、1997年に日本マイコンを45億円で買収した
    • [71]オービックビジネスコンサルタントは1999年の株式公開を目標としていた
  • 週刊東洋経済 1997年4月26日号
    • [56]1989年の消費税導入時にも会計ソフト業界は潤った
    • [57]1989年当時の国内パソコンは150万台程度で、700万台を超えた1997年とは市場規模が異なった
    • [67]1997年4月の消費税率改定は8年ぶりの税率変更で会計ソフト需要を押し上げた
    • [68]1997年3月の販売は「TOP勘定奉行」中心に前年の倍となり、1997年3月期は売上高59億円・経常利益18億円だった
    • [69]和田成史は1998年3月期も3割の増収になると語った
    • [70]米インテュイットが1996年1月にミルキーウェイを50億円、1997年に日本マイコンを45億円で買収した
    • [71]オービックビジネスコンサルタントは1999年の株式公開を目標としていた
  • 日経ベンチャー 2001年9月号
    • [58]1989年の消費税導入時にライバル会社に遅れをとり後発に回ったと会社案内に記載した
    • [59]社長ひとりで物事を決められない規模になれば過去の失敗体験は全社で共有すべきだと考えていた
    • [60]過去の失敗から教訓を学べばプラスの資産に転じ、失敗体験は全社で共有したほうがよいと考えていた
  • 証券アナリストジャーナル 1999年11月号
    • [61]消費税が導入された際には特需の反動減らしきものを感じずに済んだと述べた
    • [63]Windows 3.0が発表された1992年ごろからWindows 95を予測し、95対応の製品開発へ的を絞り込んでいた
  • 週刊東洋経済 2000年2月5日号
    • [62]1995年のWindows 95登場に伴う普及が「95版対応奉行シリーズ」のヒットにつながった
  • 週刊東洋経済 2000年6月24日号
    • [64]Windows 95発売時にも踊り場があり、LAN対応製品の投入で再び伸びたと説明した
    • [65]和田成史の説明を踏まえた書き手の整理として、基本ソフトの世代交代は買い替え需要とその一巡後の空白を同時に生んだ
  • 有価証券報告書
    • [66]1995年から1997年にかけて横浜・高崎・静岡・岡山・大宮を開設し、営業拠点は13か所になった

1999年〜 1999年の店頭公開の直後に始まった減速と、売上が戻るまでの4年

オービックビジネスコンサルタントの業績推移:単体

売上高(億円)
  1. 1999年 日本証券業協会への株式店頭登録
  2. 2000年 新ERP・インターネット対応製品への新規開発資源の全面振替と、2005年3月期235億円の計画 次の需要はインターネットとERPから来るのか——1998年に全量を振り替えた開発資源と、6年後に置いた235億円
  3. 2000年 東京三菱銀行とのEBシステム「せるふバンク」共同開発
  4. 2001年 東京三菱銀行とのオンライン外為システム共同開発
  5. 2001年 2001年3月期の減収、売上高109億円
  6. 2004年 東京証券取引所市場第一部への上場
  7. 2007年 統合基幹業務システム「奉行V ERPシリーズ」の発売

公開の翌春に示された、1桁成長の見通し

1999年10月7日、オービックビジネスコンサルタントは日本証券業協会へ株式を店頭登録した[72]。株価は公開後も高い水準で推移し、情報関連の新興銘柄として社名が急速に知られた[73]。和田氏は公開から4か月後の取材で、市場の高い評価はありがたいとしながら、配当の公約を守るため目先の業績が気になってしかたがなく、社長として一日の思考時間は倍になったと戸惑いを口にした[74]。1999年3月期の売上高は102.5億円で、業務パッケージソフト市場の上位7社シェアでは40.3%と首位にあった[75]。売上高経常利益率も1997年3月期の28.6%から1999年3月期の38.4%へ上がっていた。公開の時点で和田氏は47歳、社長に就いてから19年目だった[77][76]

  • 週刊東洋経済 2000年2月5日号
    • [72]1999年10月7日に日本証券業協会へ株式を店頭登録した
    • [73]公開後も株価は高水準で、情報関連の新興銘柄として社名が知られた
    • [74]配当公約のため目先の業績が気になり、社長としての一日の思考時間は倍になったと述べた
    • [77]2000年2月時点で和田成史は47歳で、1980年12月の社長就任から19年目にあたった
  • 証券アナリストジャーナル 1999年11月号
    • [75]1999年3月期の売上高は102億45百万円で、業務パッケージソフト市場の上位7社シェアで40.3%と首位だった
    • [76]売上高経常利益率は1997年3月期28.6%、1998年3月期30.2%、1999年3月期38.4%と上昇した

2000年5月に発表された2000年3月期の決算は、売上高が前期比21.7%増の124.7億円、当期利益が同69.8%増の33億円だった[78]。数字だけを見れば絶好調である。ところが同時に発表した今期の予想は、売上高が8.3%増と1桁成長にとどまり、当期利益は2.9%の微増という内容だった。この予想が出るより前から株価は下落しており、2000年2月にIT関連株の物色もあって最高9万1000円まで買われた水準から、1万6000円台まで落ちた[80]。急成長は、ここで一度止まった。同業からは、カスタマイズができる程度で新ERPと名づけるのは大げさだという声も出た[82][79][81]

  • 週刊東洋経済 2000年6月24日号
    • [78]2000年3月期の売上高は前期比21.7%増の124.7億円、当期利益は69.8%増の33億円だった
    • [79]会社側の今期予想は売上高8.3%増・当期利益2.9%増という1桁成長だった
    • [80]株価は2000年2月の最高9万1000円から1万6000円台まで下げた
    • [81]2000年半ばの時点で急成長に陰りが見え始めていた
    • [82]ライバル社からは新ERPという命名は大げさだという揶揄の声が出ていた

和田氏はこれを転換期と説明した。従来型の製品から、顧客に合わせて設定を変えられ、インターネットにも対応する新しいERP、すなわち統合基幹業務ソフトへ切り替わる時期にあたるという理由である。今回はインターネット対応に向けた転換期であり大きな機会でもある[84]と和田氏は見ていた。新しいERPシリーズは1999年9月に発売されていた。オービックビジネスコンサルタントはネット経由で業務ソフトを使わせるASP事業、電子商取引と連動する「EC奉行」、企業間の受発注を扱う「奉行.com」を予定し[86]、2005年3月期に売上高235億円を計画した[87][83][85]

  • 週刊東洋経済 2000年6月24日号
    • [83]従来型製品からカスタマイズ可能でインターネット対応の新ERPへ切り替わる転換期だと説明した
    • [84]今回はインターネット対応に向けた転換期で大きなチャンスだと述べた
    • [86]ASP事業・「EC奉行」・「奉行.com」の開始を予定していた
    • [87]2005年3月期に売上高235億円を計画していた
  • 証券アナリストジャーナル 1999年11月号
    • [85]新ERP製品は1999年9月に発売された
  • 週刊東洋経済 2000年2月5日号
    • [72]1999年10月7日に日本証券業協会へ株式を店頭登録した
    • [73]公開後も株価は高水準で、情報関連の新興銘柄として社名が知られた
    • [74]配当公約のため目先の業績が気になり、社長としての一日の思考時間は倍になったと述べた
    • [77]2000年2月時点で和田成史は47歳で、1980年12月の社長就任から19年目にあたった
  • 証券アナリストジャーナル 1999年11月号
    • [75]1999年3月期の売上高は102億45百万円で、業務パッケージソフト市場の上位7社シェアで40.3%と首位だった
    • [76]売上高経常利益率は1997年3月期28.6%、1998年3月期30.2%、1999年3月期38.4%と上昇した
    • [85]新ERP製品は1999年9月に発売された
  • 週刊東洋経済 2000年6月24日号
    • [78]2000年3月期の売上高は前期比21.7%増の124.7億円、当期利益は69.8%増の33億円だった
    • [79]会社側の今期予想は売上高8.3%増・当期利益2.9%増という1桁成長だった
    • [80]株価は2000年2月の最高9万1000円から1万6000円台まで下げた
    • [81]2000年半ばの時点で急成長に陰りが見え始めていた
    • [82]ライバル社からは新ERPという命名は大げさだという揶揄の声が出ていた
    • [83]従来型製品からカスタマイズ可能でインターネット対応の新ERPへ切り替わる転換期だと説明した
    • [84]今回はインターネット対応に向けた転換期で大きなチャンスだと述べた
    • [86]ASP事業・「EC奉行」・「奉行.com」の開始を予定していた
    • [87]2005年3月期に売上高235億円を計画していた

計画の235億円には届かず、利益率だけが残った

計画は実現しなかった。2001年3月期の売上高は109億円で、前期の124.7億円から1割以上減った。2002年3月期は112.7億円と横ばいにとどまり、2000年3月期の水準を超えたのは2004年3月期の137億円だった。5年後に235億円という計画に対し、2005年3月期の実績は145.7億円だった。未達は5年計画だけではない。2000年2月の時点では2002年3月期に売上高200億円という目標を掲げていたが、実績は112.7億円だった。インターネット対応への切り替えは、和田氏が見込んだ規模の需要を生まなかった。顧客基盤そのものは厚く、2001年の時点で奉行シリーズは30万社で使われていた。この間、新たな営業拠点の開設も商号の変更もなく、記録に残る動きは2004年3月の東京証券取引所市場第一部への上場だけだった[93][88][89][90][91][92]

  • 日経ベンチャー 2001年9月号
    • [88]2001年3月期の売上高は109億円で前期の124.7億円から減収となった
    • [92]2001年時点で奉行シリーズは30万社に導入されていた
  • 有価証券報告書
    • [89]2002年3月期の売上高は112.7億円、2004年3月期は137.0億円だった
    • [90]2005年3月期の売上高は145.7億円で、計画の235億円に届かなかった
    • [93]2001年から2004年の沿革に残る出来事は2004年3月の東証第一部上場だけである
  • 週刊東洋経済 2000年2月5日号
    • [91]2000年2月時点の経営目標は2002年3月期に売上高200億円だったが、実績は112.7億円だった

経常利益率は下がるどころか上がった。2002年3月期の経常利益は42.1億円で売上高の37%、2006年3月期は83.7億円で56%に達した。自己資本比率は2002年3月期で86.0%、2006年3月期で82.1%と高い水準を保った。従業員数は2002年3月期の374人から2006年3月期の519人へ増えた。売上高が伸び悩む期間に、人員も利益も増えた。2004年3月には東京証券取引所市場第一部へ上場し、その期の1株当たり配当額には上場記念配当10円が加えられた。1株当たり当期純利益は2002年3月期の109.95円から2006年3月期の239.56円へ増えた。 [94][95][96][97][98]

  • 有価証券報告書
    • [94]2002年3月期の経常利益は42.1億円、2006年3月期は83.7億円だった
    • [95]自己資本比率は2002年3月期86.0%、2006年3月期82.1%だった
    • [96]従業員数は2002年3月期の374人から2006年3月期の519人へ増えた
    • [97]2004年3月に東京証券取引所市場第一部へ上場し、その期の配当に上場記念配当10円を含めた
    • [98]1株当たり当期純利益は2002年3月期109.95円、2006年3月期239.56円だった

2007年10月、統合型基幹業務システム「奉行V ERPシリーズ」の販売を始めた[99]。2008年3月期の売上高は175.6億円、経常利益は93.3億円だった。世界金融危機を挟んだ2009年3月期は売上高が162.7億円へ、経常利益が53.1億円へ落ちた。売上高の減少が7%だったのに対し、経常利益は43%減った。従業員数は同じ期に587人と前期から23人増え、利益が4割減った期にも人員を減らさなかった。2010年3月期の売上高は157.5億円、経常利益は76.0億円で、前期からは戻したものの2008年3月期の水準には届かなかった[103]。2011年3月期には売上高172.1億円、経常利益88.8億円まで戻した。 [100][101][102][104]

  • 有価証券報告書
    • [99]2007年10月に「奉行V ERPシリーズ」の販売を開始した
    • [100]2008年3月期の売上高は175.6億円、経常利益は93.3億円だった
    • [101]2009年3月期は売上高162.7億円、経常利益53.1億円へ落ち、利益の減少率が売上を大きく上回った
    • [102]2009年3月期の従業員数は587人で前期の564人から増えた
    • [103]2010年3月期の売上高は157.5億円、経常利益は76.0億円だった
    • [104]2011年3月期には売上高172.1億円、経常利益88.8億円まで回復した
  • 日経ベンチャー 2001年9月号
    • [88]2001年3月期の売上高は109億円で前期の124.7億円から減収となった
    • [92]2001年時点で奉行シリーズは30万社に導入されていた
  • 有価証券報告書
    • [89]2002年3月期の売上高は112.7億円、2004年3月期は137.0億円だった
    • [90]2005年3月期の売上高は145.7億円で、計画の235億円に届かなかった
    • [93]2001年から2004年の沿革に残る出来事は2004年3月の東証第一部上場だけである
    • [94]2002年3月期の経常利益は42.1億円、2006年3月期は83.7億円だった
    • [95]自己資本比率は2002年3月期86.0%、2006年3月期82.1%だった
    • [96]従業員数は2002年3月期の374人から2006年3月期の519人へ増えた
    • [97]2004年3月に東京証券取引所市場第一部へ上場し、その期の配当に上場記念配当10円を含めた
    • [98]1株当たり当期純利益は2002年3月期109.95円、2006年3月期239.56円だった
    • [99]2007年10月に「奉行V ERPシリーズ」の販売を開始した
    • [100]2008年3月期の売上高は175.6億円、経常利益は93.3億円だった
    • [101]2009年3月期は売上高162.7億円、経常利益53.1億円へ落ち、利益の減少率が売上を大きく上回った
    • [102]2009年3月期の従業員数は587人で前期の564人から増えた
    • [103]2010年3月期の売上高は157.5億円、経常利益は76.0億円だった
    • [104]2011年3月期には売上高172.1億円、経常利益88.8億円まで回復した
  • 週刊東洋経済 2000年2月5日号
    • [91]2000年2月時点の経営目標は2002年3月期に売上高200億円だったが、実績は112.7億円だった

2011年〜 パッケージソフトの会社が継続収益型に切り替え、売上を15年で3倍にした

オービックビジネスコンサルタントの業績推移:単体

売上高(億円)
  1. 2014年 日本マイクロソフトとの基幹業務システムのクラウド運用での協業
  2. 2018年 完全SaaS型「奉行クラウド」の投入と、買い切り型から継続収益型への収益構造の入れ替え 販売パートナーの売り切りの取り分を守るか、月額の継続収益へ移るか——四十年続いた売り方の畳み方
  3. 2018年 「奉行クラウドEdge」の発売
  4. 2020年 「奉行11シリーズ」の発売
  5. 2022年 東京証券取引所プライム市場への移行
  6. 2022年 「奉行V ERPクラウド」の発売
  7. 2025年 「奉行AIエージェント 新リース会計識別クラウド」の発売

消費税とマイナンバーが押し上げた需要

2014年4月、日本マイクロソフトと基幹業務システムのクラウド運用で協業した[105]。2014年4月の消費税率引き上げを控えた駆け込みで、2014年3月期の売上高は202.6億円と前期比19.7%増え、引き上げ後の2015年3月期は198.3億円へ反落した[106]。翌2015年には、2016年1月に始まるマイナンバー制度が中小企業のソフト需要を押し上げた[107]。オービックビジネスコンサルタントは2015年4月から実演セミナーを開き、営業推進本部長の大原泉取締役によれば、開催は累計300回近く、来場者は2万人を超えた。マイナンバーに対応した人事・給与ソフトの新規導入が伸びた。2016年3月期の売上高は219.1億円、経常利益は104.5億円だった。 [108][109][110]

  • 有価証券報告書
    • [105]2014年4月に日本マイクロソフトと基幹業務システムのクラウド運用で協業した
    • [106]2014年3月期の売上高は202.6億円で前期比19.7%増、2015年3月期は198.3億円へ反落した
    • [110]2016年3月期の売上高は219.1億円、経常利益は104.5億円だった
  • 週刊東洋経済 2015年9月25日号
    • [107]マイナンバー制度は2016年1月に始まった
    • [108]2015年4月から実演セミナーを開始し、累計300回近く・来場者2万人超に達した
    • [109]マイナンバー対応の人事・給与ソフトの新規導入が好調だった

2018年2月、完全SaaS型のクラウド製品「奉行クラウド」の販売を始めた。同年4月には「奉行クラウドEdge」を加えた。パッケージソフトを売り切る商売から、月額で使わせる商売への切り替えである[112]。2020年3月には従来型の「奉行11シリーズ」を発売しており、この時点では買い切り型とクラウド型が併存した。売上高は2013年3月期の169.3億円から2019年3月期の295.3億円へ6年で1.7倍になり、従業員数も613人から794人へ増えた。クラウド製品の投入と並行して増収は続き、2020年3月期には300.7億円に達した[115]。2021年3月期は292.5億円へ一度落ちた。 [111][113][114][116]

  • 有価証券報告書
    • [111]2018年2月に完全SaaS型クラウド製品「奉行クラウド」、同年4月に「奉行クラウドEdge」を発売した
    • [113]2020年3月に従来型の「奉行11シリーズ」を発売し、買い切り型とクラウド型が併存した
    • [114]売上高は2013年3月期169.3億円から2019年3月期295.3億円へ増え、従業員数は613人から794人になった
    • [115]2020年3月期の売上高は300.7億円だった
    • [116]2021年3月期の売上高は292.5億円で前期から減った
  • 2026年3月期 決算説明会資料
    • [112]クラウド製品の投入は売り切り型から月額利用型への切り替えにあたる
  • 有価証券報告書
    • [105]2014年4月に日本マイクロソフトと基幹業務システムのクラウド運用で協業した
    • [106]2014年3月期の売上高は202.6億円で前期比19.7%増、2015年3月期は198.3億円へ反落した
    • [110]2016年3月期の売上高は219.1億円、経常利益は104.5億円だった
    • [111]2018年2月に完全SaaS型クラウド製品「奉行クラウド」、同年4月に「奉行クラウドEdge」を発売した
    • [113]2020年3月に従来型の「奉行11シリーズ」を発売し、買い切り型とクラウド型が併存した
    • [114]売上高は2013年3月期169.3億円から2019年3月期295.3億円へ増え、従業員数は613人から794人になった
    • [115]2020年3月期の売上高は300.7億円だった
    • [116]2021年3月期の売上高は292.5億円で前期から減った
  • 週刊東洋経済 2015年9月25日号
    • [107]マイナンバー制度は2016年1月に始まった
    • [108]2015年4月から実演セミナーを開始し、累計300回近く・来場者2万人超に達した
    • [109]マイナンバー対応の人事・給与ソフトの新規導入が好調だった
  • 2026年3月期 決算説明会資料
    • [112]クラウド製品の投入は売り切り型から月額利用型への切り替えにあたる

売上の6割がクラウドに置き換わるまで

2022年4月、東京証券取引所の市場再編に伴いプライム市場へ移った。同年11月には「奉行V ERPクラウド」を発売し、中堅・上場企業向けのクラウド製品を揃えた。もっとも翌2023年3月期は売上高337億円、経常利益158.3億円と、前期から3.0%の減収、7.7%の減益になった[118]。オンプレミス製品の売上が減り、継続収益型への切り替えが進んだぶん、いったん売上が落ちた[119]。そこから2024年3月期は419.5億円、2025年3月期は469.8億円、2026年3月期は514億円へ戻して伸ばした[120]。経常利益も198.7億円、230.4億円、252.2億円と続き、2026年3月期の経常利益率は49%に達した[121]。なお2022年3月期の期首から収益認識に関する会計基準を適用しており、それ以前の売上高とは単純に比較できない[122][117]

  • 有価証券報告書
    • [117]2022年4月に東証プライム市場へ移行し、同年11月に「奉行V ERPクラウド」を発売した
    • [118]2023年3月期は売上高337億円・経常利益158.3億円で、前期比3.0%の減収・7.7%の減益だった
    • [119]減収の主因はオンプレミス売上の減少と継続収益型への収益構造の変化だった
    • [120]売上高は2024年3月期419.5億円、2025年3月期469.8億円、2026年3月期514.0億円へ回復した
    • [121]経常利益は198.7億円・230.4億円・252.2億円と伸び、2026年3月期の経常利益率は約49%だった
    • [122]2022年3月期の期首から収益認識に関する会計基準を適用したため、それ以前と売上高の比較可能性がない

収益の性質も変わった。2026年3月期のクラウド売上高は313.5億円で全売上高の61.0%を占め、前期の259.4億円、55.2%から20.8%増えた。クラウドと保守を合わせた継続収益は431億円で、全売上高の83.9%を占めた[124]。契約継続率は99.4%、年間経常収益は457億円に達した[125]。オンプレミス型の「奉行11」のサポートは2027年4月に終わる。買い切り型の顧客はその期限までに移行を迫られる。2025年7月にはリースの識別をAIで支援する「奉行AIエージェント 新リース会計識別クラウド」を、同年10月には「奉行AIエージェント 連結会計支援クラウド」を発売した[127]。従業員数は2026年3月期で1,065人となり、2002年3月期の374人から2.8倍になった[128]。自己資本比率は76.7%で、2002年3月期の86.0%から下がったものの高い水準にある[129][123][126]

  • 有価証券報告書
    • [123]2026年3月期のクラウド売上高は31,351,043千円で構成比61.0%、前期比20.8%増だった
    • [127]2025年7月に「奉行AIエージェント 新リース会計識別クラウド」、同年10月に「奉行AIエージェント 連結会計支援クラウド」を発売した
    • [128]従業員数は2026年3月期1,065人、2002年3月期374人だった
    • [129]自己資本比率は2026年3月期76.7%、2002年3月期86.0%だった
  • 2026年3月期 決算説明会資料
    • [124]継続収益は43,104百万円で全売上高の83.9%を占めた
    • [125]契約継続率は99.4%、ARRは457億円だった
    • [126]オンプレミス製品「奉行11」のサポートは2027年4月に終了する

和田成史氏は1980年12月の設立から2026年まで、45年にわたってただ一人の社長であり続けた[130]。筆頭株主のオービックと2位株主である和田成史氏の持ち株比率を合わせると全体の約6割に達し、外部から経営に圧力がかかりにくい構成が続いた[131]。製品は経理や人事のように業種を問わず共通する業務に絞られ、顧客の中心は社員500人以下の企業である[132]。業種別の偏りはほとんどなく、例外は他の業種にない特性を持つ建設業だけで、この業種にのみ専用のソフトが用意された[133]。2026年3月期の稼働システム数は27.5万で、うちクラウドと奉行クラウドEdgeが14.7万を占めた[134]。共通業務に絞って標準品を広く売る売り方が、49%という経常利益率を生んでいる[135]。裏を返せば、標準品で足りる顧客だけを相手にしてきたということでもある。

  • 有価証券報告書
    • [130]1980年12月の社長就任から2026年まで代表取締役社長は和田成史ひとりである
    • [135]2026年3月期の経常利益率は約49%だった
  • 週刊東洋経済 2015年8月21日号
    • [131]オービックと和田成史の持ち株比率の合計は約6割で、物言う株主の圧力はかかりにくい
  • 日経ベンチャー 2001年9月号
    • [132]経理や人事はどの業種でも基本的に同じであり、顧客の中心は社員500人以下の企業だった
    • [133]業種的な偏りはほとんどなく、建設業だけは他の業種にない特性があるため専用ソフトを製品化した
  • 2026年3月期 決算説明会資料
    • [134]2026年3月期の稼働システム数は27.5万、うちクラウドとEdgeが14.7万だった
  • 有価証券報告書
    • [117]2022年4月に東証プライム市場へ移行し、同年11月に「奉行V ERPクラウド」を発売した
    • [118]2023年3月期は売上高337億円・経常利益158.3億円で、前期比3.0%の減収・7.7%の減益だった
    • [119]減収の主因はオンプレミス売上の減少と継続収益型への収益構造の変化だった
    • [120]売上高は2024年3月期419.5億円、2025年3月期469.8億円、2026年3月期514.0億円へ回復した
    • [121]経常利益は198.7億円・230.4億円・252.2億円と伸び、2026年3月期の経常利益率は約49%だった
    • [122]2022年3月期の期首から収益認識に関する会計基準を適用したため、それ以前と売上高の比較可能性がない
    • [123]2026年3月期のクラウド売上高は31,351,043千円で構成比61.0%、前期比20.8%増だった
    • [127]2025年7月に「奉行AIエージェント 新リース会計識別クラウド」、同年10月に「奉行AIエージェント 連結会計支援クラウド」を発売した
    • [128]従業員数は2026年3月期1,065人、2002年3月期374人だった
    • [129]自己資本比率は2026年3月期76.7%、2002年3月期86.0%だった
    • [130]1980年12月の社長就任から2026年まで代表取締役社長は和田成史ひとりである
    • [135]2026年3月期の経常利益率は約49%だった
  • 2026年3月期 決算説明会資料
    • [124]継続収益は43,104百万円で全売上高の83.9%を占めた
    • [125]契約継続率は99.4%、ARRは457億円だった
    • [126]オンプレミス製品「奉行11」のサポートは2027年4月に終了する
    • [134]2026年3月期の稼働システム数は27.5万、うちクラウドとEdgeが14.7万だった
  • 週刊東洋経済 2015年8月21日号
    • [131]オービックと和田成史の持ち株比率の合計は約6割で、物言う株主の圧力はかかりにくい
  • 日経ベンチャー 2001年9月号
    • [132]経理や人事はどの業種でも基本的に同じであり、顧客の中心は社員500人以下の企業だった
    • [133]業種的な偏りはほとんどなく、建設業だけは他の業種にない特性があるため専用ソフトを製品化した

オービックビジネスコンサルタントの沿革1980〜2026年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
公認会計士業からの転身と会計ソフト事業会社の設立、沖電気から得た1億円の製品開発への全額投入帳簿を検める側にとどまるか、作る側へ回るか——製品の完成と同時に運転資金が尽きた創業期 詳細を読む★★★
オービック・ビジネス・コンサルタントへの商号変更と本店の新宿区移転
業務ソフト「TOPシリーズ」の発売★★
東京支店・大阪営業所の開設
名古屋営業所の開設
福岡営業所の開設
物流センターの開設
仙台営業所の開設
業務ソフト「奉行シリーズ」の発売★★★
広島営業所の開設
札幌営業所の開設
金沢営業所の開設
横浜営業所の開設
オービックビジネスコンサルタントへの商号変更
静岡営業所の開設
大宮営業所の開設
新ERP・インターネット対応製品への新規開発資源の全面振替と、2005年3月期235億円の計画次の需要はインターネットとERPから来るのか——1998年に全量を振り替えた開発資源と、6年後に置いた235億円 詳細を読む★★★
日本証券業協会への株式店頭登録
東京三菱銀行とのEBシステム「せるふバンク」共同開発
東京三菱銀行とのオンライン外為システム共同開発
2001年3月期の減収、売上高109億円★★
東京証券取引所市場第一部への上場
和田成史統合基幹業務システム「奉行V ERPシリーズ」の発売★★
和田成史日本マイクロソフトとの基幹業務システムのクラウド運用での協業★★
和田成史完全SaaS型「奉行クラウド」の投入と、買い切り型から継続収益型への収益構造の入れ替え販売パートナーの売り切りの取り分を守るか、月額の継続収益へ移るか——四十年続いた売り方の畳み方 詳細を読む★★★
和田成史「奉行クラウドEdge」の発売
和田成史「奉行11シリーズ」の発売
和田成史東京証券取引所プライム市場への移行
和田成史「奉行V ERPクラウド」の発売★★
和田成史「奉行AIエージェント 新リース会計識別クラウド」の発売★★
和田成史主要クラウド3サービスのISMAPクラウドサービスリストへの登録
和田成史日経コンピュータ顧客満足度調査ERP部門で7年連続の首位
和田成史「奉行AIエージェント 連結会計支援クラウド」の発売
「奉行LAND ユーザーコクピット」の提供開始
「健康経営銘柄2026」への初選定
出典・参考
  • 有価証券報告書
  • 週刊東洋経済 2000年2月5日号
  • 日経ベンチャー 2001年9月号
  • 証券アナリストジャーナル 1999年11月号
  • 週刊東洋経済 2000年6月24日号
  • 週刊東洋経済 1997年4月26日号
  • 週刊東洋経済 2015年9月25日号
  • 2026年3月期 決算説明会資料
  • 週刊東洋経済 2015年8月21日号

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