松下電工やジャストシステムなどに勤務していたサラリーマン3名(高須賀・畑・青野)の3名によって、愛媛県松山市にサイボウズを設立し、大企業では実現できなかったグループウェアの開発販売を開始した。
グループウェアは「サイボウズOffice」と名付けられ、19万8000円で企業に販売。青野慶久は販売を拡大するために、メールマガジンの活用や、着ぐるみを着て顧客セミナーに参加することで、販売に注力した。
当時はインターネットが注目されたITバブルの絶頂期という追い風もあり、サイボウズの売上高も順調に拡大し、2000年に東証マザーズへの株式上場を果たした。
ただし、本社の東京移転による組織の混乱や、共同創業者の高須賀が起業のために退職するなど、2005年までのサイボウズは組織面での弱さを露呈していた。2005年以降は青野慶久がサイボウズの経営を担う形となった。