{"spec_version":"3","endpoint":"history","stock_code":"4733","company_name":"オービックビジネスコンサルタント","content_lang":"ja","meta_lang":"en","canonical_url":"https://the-shashi.com/tse/4733/","api_url":"/api/4733/history.json","updated":"2026-08-10","license":"© 2026 Yutaka Sugiura. All rights reserved.","attribution":"The社史 (the-shashi.com) — https://the-shashi.com/tse/4733/","title":"オービックビジネスコンサルタントの歴史概略","sections":[{"start_year":1980,"end_year":1986,"main_title":"公認会計士が「自分の手で作りたい」と興した会社と、最初の資金難","subsections":[{"title":"「企業として会計システムを」という誘いから始まった設立","text":"株式会社オービックビジネスコンサルタントは、1980年12月に東京都千代田区で設立された。設立時の商号は株式会社ビック・システム・コンサルタント・グループといい、コンピュータの販売とプログラムの製作、システム設計を事業目的に据えた。創業者の和田成史氏は1952年8月に東京都で生まれ、1975年3月に立教大学経済学部を卒業したのち、1976年に大原簿記学校の会計士科に勤めた。23歳で公認会計士の二次試験に合格し、1979年に同校を退職、1980年3月に公認会計士として登録した。会社を興したのは、その9か月後である。\n\n設立の話を持ちかけたのは、和田氏ではなく相手の側だった。和田氏は公認会計士としてオービックに出入りし、そこでオービック社長の野田順弘氏と知り合った。和田氏が26歳、野田氏が40歳ほどの頃、年末か年始の挨拶に訪れた席で、会計士としてではなく企業として会計システムの仕事をやってみないか、自分も出資すると持ちかけられた。予想もしなかった話だったと和田氏は後に振り返ったが、その場で二つ返事で引き受けた。出資は設立時の一度きりで、和田氏は後年、オービックから経営に口を出されたことも金融支援を受けたこともないと語った。野田氏はその後、オービックの社長を務めながらオービックビジネスコンサルタントの会長を兼務した。\n\n和田氏が誘いに乗ったのは、会計士の仕事が行き詰まったからではない。公認会計士としての仕事は順調で、そのうえで、これからは会計システムが重要になる、できることなら自分の手で作ってみたい、と考えた。自分でやれば、会計士として学んだことをすべて盛り込み、自分なりの理想を追求したシステムが構築できる。リスクについては、変化そのものであり、変化こそ成長の機会だと捉えた。和田氏はのちに経営理念として、自由で公平な職場づくり、採用と教育に重点を置いた人材育成、革新と戦略を追求する企画・製品開発の3点を挙げた。1981年5月、商号を株式会社オービック・ビジネス・コンサルタントへ改め、本店を東京都新宿区へ移した。","references":[{"title":"有価証券報告書","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ベンチャー 2001年9月号","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2000年2月5日号","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}],"quotes":[{"speaker":"和田成史","role":"オービックビジネスコンサルタント社長","date":"2001-09","text":"私自身は、リスクというものは変化だと思っています。そして、その変化こそが成長の一つのチャンスである、と。ですから、私はある意味で「リスクの愛好者」なんです。もちろん、意味のないリスクをとるつもりはありませんがね。","source":"日経ベンチャー 2001年9月号","paragraph":3}]},{"title":"最初の製品ができた時点で資金が尽きた","text":"設立にあたって和田氏が用意した資金は、オービックからの出資だけではない。和田氏の事務所が開発したシステムの販売権を、沖電気が1億円で買い取った。この1億円を元手に製品開発へ着手し、ピーク時には80人近いプログラマーが開発に加わった。ところが製品ができあがったのは、その1億円をちょうど使い切る頃だった。売る物ができた時点で、手元の資金は尽きた。手元に運転資金がなければ会社は続かないため、和田氏は取引銀行につなぎ融資を求めた。当時27歳の和田氏には、担保に入れられる資産がなかった。\n\n和田氏は父に頼み込み、担保として父の土地を差し入れてもらった。父に判を押してもらったときの気持ちを、和田氏は後年、絶対に成功させるという執念だけだったと述べ、うまくいかなかったらどうしようとは考えたくもなかったし、実際に考えもしなかったと語った。借り入れでつないでいる間に販売収入を上げなければ、会社は立ち行かない。和田氏を含む社員4人は、3か月で1000万円という販売目標を立てた。この額を売らなければ資金が回らないという計算だった。ふたを開けてみると、3か月で1300万円が売れた。\n\n最初に製品を買ったのは、社員10人から20人ほどの会社のオーナー経営者がほとんどだった。客の前で実際に操作してみせると反応がよく、デモを見た客の半分ほどが製品を買った。それでも資金の面では2年ほど苦労が続き、専務を務めた和田成史氏の妻で公認会計士の和田弘子氏は、この時期にストレスから直径5センチほどの円形脱毛症になった。もっとも和田弘子氏は経営の第2位として管理部門を統括し、会計士としての知識を生かして投資判断を担った。和田成史氏は、夫人との間で家庭に仕事を持ち込まない主義を通した。1983年11月には業務ソフト「TOPシリーズ」の販売を始めた。1986年9月には東京支店と大阪営業所を開いた。","references":[{"title":"有価証券報告書","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ベンチャー 2001年9月号","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2000年2月5日号","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]}]},{"start_year":1987,"end_year":1998,"main_title":"社内公募で決まった「奉行」と、最初の消費税で出遅れ次の消費税で稼いだ12年","subsections":[{"title":"会計にはその国の文化が映る──「奉行」という命名","text":"「勘定奉行」という製品名は、社内公募から生まれた。和田氏は、会計にはその国の文化が反映されるため、客に長く使ってもらうには日本的な名前がよいと考えていた。そこへ社内から挙がってきたのが「勘定奉行」だった。口うるさい「お奉行様」が社内にいることは企業にとって喜ばしいのではないか、というのが和田氏の説明である。以降も新製品の命名は社内公募で繰り返し行われ、給与奉行、商奉行、償却奉行、蔵奉行と製品名が並んだ。テレビでは裃姿の「勘定奉行」が登場する「勘定奉行にお任せあれ」のコマーシャルが流れ、製品名は会社名より先に知られた。\n\n広告の打ち方にも方針があった。常に何らかのコマーシャルを流し続けたうえで、時期を見て戦略商品を集中的に宣伝する。すでに勘定奉行や給与奉行を使っている客に、商奉行や償却奉行、蔵奉行といった製品があることを認識してもらうためである。営業拠点の開設もこの時期に集中し、1988年8月の名古屋営業所、1990年7月の福岡営業所、1993年3月の仙台営業所、同年10月の広島営業所、1994年7月の札幌営業所と続いた。1993年7月には「奉行シリーズ」の販売を始め、1995年12月には商号を株式会社オービックビジネスコンサルタントへ改めた。販売そのものは代理店に委ねた。全国の営業拠点は直接販売を行わず、約4,000社の販売代理店への販売支援に専念する体制を取った。\n\n会計ソフトという商品の歴史は浅い。コンピュータ導入以後の日本企業の会計業務は汎用大型機やオフコンが中心で、専用のハードとソフトを一体で使うのが通例だった。そこへ1980年前後のパソコン登場に合わせ、公認会計士らがPCA、オービックビジネスコンサルタント、ミルキーウェイ、日本マイコンの4社を設立した。4社はどのパソコンでも動く安価な会計ソフトを投入して市場を広げ、以後はこの4社でシェアの9割以上を占めた。オービックビジネスコンサルタントとPCAは中小企業向け、日本マイコンは量販店経由の個人向け、ミルキーウェイはその中間という住み分けだった。","references":[{"title":"有価証券報告書","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ベンチャー 2001年9月号","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 1997年4月26日号","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2000年2月5日号","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2000年6月24日号","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1999年11月号","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"消費税で潤う業界のなかで、一度だけ後発に回った","text":"1989年の消費税導入は、会計ソフト各社にとって需要の増える出来事だった。もっとも当時の国内のパソコンは150万台程度で、700万台を超えた1997年とは市場の規模が違った。ところがオービックビジネスコンサルタントはこのときライバル各社に遅れをとり、後発に回った。この失敗を、オービックビジネスコンサルタントは会社案内に記した。過去の失敗から教訓を学べばプラスの資産に転じる、社長ひとりで決められない規模になれば失敗体験は全社で共有したほうがよいと和田氏は考えていた。なお和田氏は後年、消費税が導入されたときには特需の反動減らしきものを感じずに済んだとも振り返っている。\n\n次の需要は税制ではなくパソコン側から生まれた。1995年のWindows 95の登場でパソコンが一般へ広がり、これに対応した「95版対応奉行シリーズ」が売れた。ただし当てに任せた結果ではない。和田氏は、Windows 3.0が発表された1992年ごろにWindows 95の登場を見越し、早くから95対応の製品開発へ的を絞り込んでいたと述べている。もっとも和田氏は後年、Windows 95の発売時にも踊り場があり、LAN対応製品を投入してふたたび伸びたと説明した。和田氏の説明に沿えば、基本ソフトの世代交代は買い替え需要と、それが一巡するまでの空白を同時に生んだ。この時期も営業拠点の開設は続き、1995年7月の横浜営業所、同年11月の高崎営業所、1996年9月の静岡営業所、1997年4月の岡山営業所、同年9月の大宮営業所を加えて13か所となった。\n\n1997年4月の消費税率改定は、8年ぶりの税率変更として会計ソフトの需要をふたたび押し上げた。同年3月のオービックビジネスコンサルタントの販売は「TOP勘定奉行」を中心に前年の倍となり、1997年3月期は売上高59億円、経常利益18億円を計上した。和田氏は当時、今期も3割の増収になると語った。同じ頃、寡占4社のうち2社は外国資本に買われた。米インテュイットが1996年1月にミルキーウェイを50億円、1997年に日本マイコンを45億円で買収し、両社の創業者はそれぞれ数十億円の売却益を得た。オービックビジネスコンサルタントは売却ではなく、1999年の株式公開を目標に据えた。","references":[{"title":"有価証券報告書","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ベンチャー 2001年9月号","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 1997年4月26日号","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2000年2月5日号","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2000年6月24日号","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1999年11月号","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}],"quotes":[{"speaker":"和田成史","role":"オービックビジネスコンサルタント社長","date":"2001-09","text":"経営ビジョンにしても、製品戦略にしても、後から自分なりに振り返ってみると、「あれは失敗だったかな」というのは必ずあるものでしょう。そこから学ぶべき教訓をきちんと学べば、過去の失敗はプラスの資産に転じるんです。\n当然、企業がある程度の規模になれば、社長一人で物事を決めるわけにはいきません。ですから、過去の失敗体験は全社で共有したほうがいい。それをベースにみんなで知恵を持ち寄って、未来に向けたビジョンなり、戦略なりを新たにつくっていく。企業経営というのは、その繰り返しだと私は思いますね。","source":"日経ベンチャー 2001年9月号","paragraph":1}]}]},{"start_year":1999,"end_year":2010,"main_title":"1999年の店頭公開の直後に始まった減速と、売上が戻るまでの4年","subsections":[{"title":"公開の翌春に示された、1桁成長の見通し","text":"1999年10月7日、オービックビジネスコンサルタントは日本証券業協会へ株式を店頭登録した。株価は公開後も高い水準で推移し、情報関連の新興銘柄として社名が急速に知られた。和田氏は公開から4か月後の取材で、市場の高い評価はありがたいとしながら、配当の公約を守るため目先の業績が気になってしかたがなく、社長として一日の思考時間は倍になったと戸惑いを口にした。1999年3月期の売上高は102.5億円で、業務パッケージソフト市場の上位7社シェアでは40.3%と首位にあった。売上高経常利益率も1997年3月期の28.6%から1999年3月期の38.4%へ上がっていた。公開の時点で和田氏は47歳、社長に就いてから19年目だった。\n\n2000年5月に発表された2000年3月期の決算は、売上高が前期比21.7%増の124.7億円、当期利益が同69.8%増の33億円だった。数字だけを見れば絶好調である。ところが同時に発表した今期の予想は、売上高が8.3%増と1桁成長にとどまり、当期利益は2.9%の微増という内容だった。この予想が出るより前から株価は下落しており、2000年2月にIT関連株の物色もあって最高9万1000円まで買われた水準から、1万6000円台まで落ちた。急成長は、ここで一度止まった。同業からは、カスタマイズができる程度で新ERPと名づけるのは大げさだという声も出た。\n\n和田氏はこれを転換期と説明した。従来型の製品から、顧客に合わせて設定を変えられ、インターネットにも対応する新しいERP、すなわち統合基幹業務ソフトへ切り替わる時期にあたるという理由である。今回はインターネット対応に向けた転換期であり大きな機会でもあると和田氏は見ていた。新しいERPシリーズは1999年9月に発売されていた。オービックビジネスコンサルタントはネット経由で業務ソフトを使わせるASP事業、電子商取引と連動する「EC奉行」、企業間の受発注を扱う「奉行.com」を予定し、2005年3月期に売上高235億円を計画した。","references":[{"title":"有価証券報告書","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2000年2月5日号","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2000年6月24日号","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ベンチャー 2001年9月号","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1999年11月号","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"計画の235億円には届かず、利益率だけが残った","text":"計画は実現しなかった。2001年3月期の売上高は109億円で、前期の124.7億円から1割以上減った。2002年3月期は112.7億円と横ばいにとどまり、2000年3月期の水準を超えたのは2004年3月期の137億円だった。5年後に235億円という計画に対し、2005年3月期の実績は145.7億円だった。未達は5年計画だけではない。2000年2月の時点では2002年3月期に売上高200億円という目標を掲げていたが、実績は112.7億円だった。インターネット対応への切り替えは、和田氏が見込んだ規模の需要を生まなかった。顧客基盤そのものは厚く、2001年の時点で奉行シリーズは30万社で使われていた。この間、新たな営業拠点の開設も商号の変更もなく、記録に残る動きは2004年3月の東京証券取引所市場第一部への上場だけだった。\n\n経常利益率は下がるどころか上がった。2002年3月期の経常利益は42.1億円で売上高の37%、2006年3月期は83.7億円で56%に達した。自己資本比率は2002年3月期で86.0%、2006年3月期で82.1%と高い水準を保った。従業員数は2002年3月期の374人から2006年3月期の519人へ増えた。売上高が伸び悩む期間に、人員も利益も増えた。2004年3月には東京証券取引所市場第一部へ上場し、その期の1株当たり配当額には上場記念配当10円が加えられた。1株当たり当期純利益は2002年3月期の109.95円から2006年3月期の239.56円へ増えた。\n\n2007年10月、統合型基幹業務システム「奉行V ERPシリーズ」の販売を始めた。2008年3月期の売上高は175.6億円、経常利益は93.3億円だった。世界金融危機を挟んだ2009年3月期は売上高が162.7億円へ、経常利益が53.1億円へ落ちた。売上高の減少が7%だったのに対し、経常利益は43%減った。従業員数は同じ期に587人と前期から23人増え、利益が4割減った期にも人員を減らさなかった。2010年3月期の売上高は157.5億円、経常利益は76.0億円で、前期からは戻したものの2008年3月期の水準には届かなかった。2011年3月期には売上高172.1億円、経常利益88.8億円まで戻した。","references":[{"title":"有価証券報告書","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2000年2月5日号","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2000年6月24日号","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"日経ベンチャー 2001年9月号","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1999年11月号","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]}]},{"start_year":2011,"end_year":2026,"main_title":"パッケージソフトの会社が継続収益型に切り替え、売上を15年で3倍にした","subsections":[{"title":"消費税とマイナンバーが押し上げた需要","text":"2014年4月、日本マイクロソフトと基幹業務システムのクラウド運用で協業した。2014年4月の消費税率引き上げを控えた駆け込みで、2014年3月期の売上高は202.6億円と前期比19.7%増え、引き上げ後の2015年3月期は198.3億円へ反落した。翌2015年には、2016年1月に始まるマイナンバー制度が中小企業のソフト需要を押し上げた。オービックビジネスコンサルタントは2015年4月から実演セミナーを開き、営業推進本部長の大原泉取締役によれば、開催は累計300回近く、来場者は2万人を超えた。マイナンバーに対応した人事・給与ソフトの新規導入が伸びた。2016年3月期の売上高は219.1億円、経常利益は104.5億円だった。\n\n2018年2月、完全SaaS型のクラウド製品「奉行クラウド」の販売を始めた。同年4月には「奉行クラウドEdge」を加えた。パッケージソフトを売り切る商売から、月額で使わせる商売への切り替えである。2020年3月には従来型の「奉行11シリーズ」を発売しており、この時点では買い切り型とクラウド型が併存した。売上高は2013年3月期の169.3億円から2019年3月期の295.3億円へ6年で1.7倍になり、従業員数も613人から794人へ増えた。クラウド製品の投入と並行して増収は続き、2020年3月期には300.7億円に達した。2021年3月期は292.5億円へ一度落ちた。","references":[{"title":"有価証券報告書","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2015年9月25日号","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"2026年3月期 決算説明会資料","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"売上の6割がクラウドに置き換わるまで","text":"2022年4月、東京証券取引所の市場再編に伴いプライム市場へ移った。同年11月には「奉行V ERPクラウド」を発売し、中堅・上場企業向けのクラウド製品を揃えた。もっとも翌2023年3月期は売上高337億円、経常利益158.3億円と、前期から3.0%の減収、7.7%の減益になった。オンプレミス製品の売上が減り、継続収益型への切り替えが進んだぶん、いったん売上が落ちた。そこから2024年3月期は419.5億円、2025年3月期は469.8億円、2026年3月期は514億円へ戻して伸ばした。経常利益も198.7億円、230.4億円、252.2億円と続き、2026年3月期の経常利益率は49%に達した。なお2022年3月期の期首から収益認識に関する会計基準を適用しており、それ以前の売上高とは単純に比較できない。\n\n収益の性質も変わった。2026年3月期のクラウド売上高は313.5億円で全売上高の61.0%を占め、前期の259.4億円、55.2%から20.8%増えた。クラウドと保守を合わせた継続収益は431億円で、全売上高の83.9%を占めた。契約継続率は99.4%、年間経常収益は457億円に達した。オンプレミス型の「奉行11」のサポートは2027年4月に終わる。買い切り型の顧客はその期限までに移行を迫られる。2025年7月にはリースの識別をAIで支援する「奉行AIエージェント 新リース会計識別クラウド」を、同年10月には「奉行AIエージェント 連結会計支援クラウド」を発売した。従業員数は2026年3月期で1,065人となり、2002年3月期の374人から2.8倍になった。自己資本比率は76.7%で、2002年3月期の86.0%から下がったものの高い水準にある。\n\n和田成史氏は1980年12月の設立から2026年まで、45年にわたってただ一人の社長であり続けた。筆頭株主のオービックと2位株主である和田成史氏の持ち株比率を合わせると全体の約6割に達し、外部から経営に圧力がかかりにくい構成が続いた。製品は経理や人事のように業種を問わず共通する業務に絞られ、顧客の中心は社員500人以下の企業である。業種別の偏りはほとんどなく、例外は他の業種にない特性を持つ建設業だけで、この業種にのみ専用のソフトが用意された。2026年3月期の稼働システム数は27.5万で、うちクラウドと奉行クラウドEdgeが14.7万を占めた。共通業務に絞って標準品を広く売る売り方が、49%という経常利益率を生んでいる。裏を返せば、標準品で足りる顧客だけを相手にしてきたということでもある。","references":[{"title":"有価証券報告書","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2015年9月25日号","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"2026年3月期 決算説明会資料","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]}]}],"summary":{"title":"サマリー","text":"","qa":[{"q":"なぜ1980年に、順調だった公認会計士が会計ソフトの事業会社を興したのか","a":"和田成史氏は公認会計士としての仕事が順調だったうえで、これからは会計システムが重要になり、できることなら自分の手で作りたいと考えていた。会計士として学んだことをすべて盛り込めるのが動機である。踏み切らせたのは、出入り先だったオービック社長の野田順弘氏から、会計士としてではなく企業として会計システムの仕事をやらないか、自分も出資すると持ちかけられたことだった。1980年前後はパソコンの登場に合わせて公認会計士らがPCA、日本マイコン、ミルキーウェイと相次いで会社を興した時期にあたり、和田氏もその流れの中にある。"},{"q":"なぜ1998年に、新規開発の資源をすべて2000年以降の製品へ振り替えたのか","a":"和田成史氏は1998年1月から、新規開発の資源をすべて2000年以降の製品へ向けた。対象は企業バンキング、新ERP、会計事務所向けの3分野である。根拠は1995年のWindows 95で経験した基本ソフトの世代交代であり、次はインターネット対応が同じ役割を果たすと読んだ。ところが結果は計画に届かなかった。2000年3月期に124.7億円だった売上高は2001年3月期に109億円へ減り、2005年3月期に235億円という計画に対し実績は145.7億円だった。読み違えたのは方向ではなく、需要が立ち上がる速さである。"},{"q":"なぜ2018年まで完全SaaS化を遅らせ、そこで踏み切ったのか","a":"オービックビジネスコンサルタントは約4,000社の販売代理店に売ってもらう間接販売で伸びてきた会社であり、買い切り型を月額利用型へ替えることは代理店の収益をその場で細らせる。SaaS化を遅らせたのは、この販売網を守る判断だった。2018年2月に完全SaaS型の奉行クラウドを投入してからは、移行の代償も出ている。2023年3月期はオンプレミス売上の減少で売上高337億円、経常利益158.3億円と減収減益になった。それでも2026年3月期には、クラウドが売上高の61.0%、継続収益が83.9%を占めるまで入れ替わった。"}]},"auditVersion":2}