1974年の改称でオービックが手放したのは、社名に入っていた地名と、事務機商という職業の定義であった。メーカーの機械を運ぶ限り、値段も納期も新製品の周期も供給側が決め、代理店に残る取り分は運賃と据え付けの手間に近づく。予約システムを商品と呼び、機械を材料と呼び替えた野田順弘氏の言い方は、値付けの根拠を機械の原価から顧客の業務へ移す宣言でもあった。6人の技術集団という出発点を持つ会社が、技術者を抱える理由をここで初めて事業の説明と一致させただろう。
この転換は、同時に会社の作り方も決めた。ソフトを自前で持つと決めれば、書ける人間を社内に置き続けるほかなく、新卒を採って育てる採用と、部品を社内に貯めるフレックス・ライブラリーが、商品の側から要請される。1997年に出した統合業務ソフト"OBIC7シリーズ"も、業種ごとの業務を標準の部品に落として売るという点で、1980年の"OFFICE"と同じ作りをしている。大阪ビジネスという社名を返上した1974年1月から、この会社が会計機の箱を並べる商売へ戻ったことは一度もない。