野村総合研究所 の歴史

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創業 1965年
母体 野村證券
創業地 東京都中央区
創業
1965年4月、野村證券が調査部門を分離し、東京都中央区に旧野村総合研究所を設立した。日本で初めての本格的な民間シンクタンクとして、産業調査と経済予測を法人へ提供した。翌1966年1月には証券業務の電算化を担う野村電子計算センターが同じ東京都中央区に設立され、同年6月に証券共同システムを稼働させた。1968年に野村證券の第一次オンラインシステム、1974年に証券業向けの共同利用型システム『STAR』、1979年に㈱セブン-イレブン・ジャパンの新発注システムと、計算機の側で実績が先に積み上がる。1972年12月に野村コンピュータシステムへ商号を改めたこの会社と、報告書を提供する旧野村総合研究所は、22年のあいだ別の法人として並んだ。
決断
一社ごとに作らず、同じ業種の複数社へ同じ仕組みを貸す形を選んだ。1966年6月、野村電子計算センターが証券会社の共同利用を前提とした証券共同システムを稼働させた。1974年5月に証券業向けの『STAR』、1987年10月にホールセール証券業向けの『I-STAR』、1993年10月に投信会社向けの『T-STAR』、1997年12月に投信窓販の『BESTWAY』と、業種と業務ごとに共同利用型を積み増していく。1988年1月、旧野村総合研究所と野村コンピュータシステムが合併し、現在の野村総合研究所が発足した。調査で見つけた課題を同じ会社のシステム部隊が受託する流れが社内で結ばれ、共同利用型の設計と運用がその出口になった。開発費を複数の金融機関で分け合う設計が、一社では負担しきれない基幹システムの更新を繰り返し受注できる関係を作った。
現況
売上は過去最高を更新しながら、営業利益は前期の半分以下へ低下した。2026年3月期の売上収益8,147億円は前期の7,648億円を上回ったが、営業利益は1,349億円から583億円へ、純利益は938億円から153億円へ減った。産業ITソリューションで970億円の減損損失を計上し、連結ののれんが1,098億円から410億円へ縮んだためである。セグメント別の売上は金融IT3,998億円、産業IT2,712億円、IT基盤770億円、コンサルティング636億円で、金融ITだけで743億円の利益を出している。地域別では日本7,060億円に対し海外は1,087億円にとどまる。2023年4月に上限500億円の自己株式取得を決議し、翌年に1,337万株を消却したのは、国内で積み上がった現金の使い道を還元の側へ寄せる選択であった。
競合
人を提供する同業と違い、自社で建てた設備の利用料を得ている。金融ITソリューションの非流動資産への投資額は2026年3月期に278億円、減価償却費は236億円で、受託開発を主とする同業には見られない厚みがある。証券会社と銀行が共同で使う仕組みとデータセンターを自社の資産として持ち、利用料を毎月受け取るからである。日吉を2016年に、横浜第一を2022年に、大阪を2023年にと古い施設を順に閉鎖し、2012年に建てた東京第一データセンターへ集約した。提案だけを扱う専業には実装と運用で応じ、人月で受託する同業には自社設備の利用料で応じてきたことが、減損前の2025年3月期に17.6%の営業利益率を生んでいた。
野村総合研究所:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

設立ストーリー シンクタンクとシステム会社の合流と二枚看板の形成 (1965年〜)

「報告書を書く会社」と「計算機を動かす会社」

1965年、野村證券は調査部門を分離して野村総合研究所を設立した[1]。日本初の本格的な民間シンクタンクで、産業調査と経済予測を法人向けに提供する報告書ビジネスとして出発した。設立の狙いは2つある。1つは野村證券が顧客に提供する投資情報の母体を、証券会社本体ではなく別法人として持たせること。もう1つは証券会社の枠を超えて産業界に知識サービスを売る新事業を立ち上げることだった。当時の国内に欧米型の民間シンクタンクはまだ根付いておらず、証券会社が自らリサーチ専業の別会社を立ち上げる試み自体、業界の側から見ても先例の乏しい動きだった。

  • 野村総合研究所 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1965年4月に野村證券が調査部門を分離して旧野村総合研究所を設立した

同じ時期に、証券業務の電算化を担う野村電子計算センター[2]、のちの野村コンピュータシステムも設立されている。前者は紙の知識を売り、後者は計算機の時間を売る。両社の顧客は野村證券グループを中心とする金融機関で重なっていたが、扱う商品もカルチャーも別物だった。研究員が多数を占める組織と、オペレータやプログラマが多数を占める組織とでは、評価制度も人材供給源も別系統であり、顧客と営業ルートを共有していても社内運営はほぼ独立して動いていた。当時の日本のIT業界はメーカー系SIerと銀行・証券の電算子会社が主流で、シンクタンクとシステム会社を同じグループに並べて持つ例は珍しく、後の合併を可能にする土台がここで偶然形作られていた。

  • 野村総合研究所40年史(野村総合研究所)/有価証券報告書
    • [2]証券業務の電算化を担う野村電子計算センター(のちの野村コンピュータシステム)が設立された
  • 野村総合研究所 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1965年4月に野村證券が調査部門を分離して旧野村総合研究所を設立した
  • 野村総合研究所40年史(野村総合研究所)/有価証券報告書
    • [2]証券業務の電算化を担う野村電子計算センター(のちの野村コンピュータシステム)が設立された

1988年の合流が生んだ二枚看板

1988年1月、旧NRIと野村コンピュータシステムが合併し、現在[3]の野村総合研究所が発足した。背景にあったのは、金融機関のシステム投資が拡大し、業務を深く理解した上で要件を定義できる存在が求められ始めた事情である。シンクタンク部隊が調査で見つけた業務課題を、システム部隊がそのまま受託して形にする。リサーチとSIを社内で連結する組織形態が、ここで成立した。報告書を売るだけでも計算機時間を売るだけでも届かない領域を、1社で一貫して引き受ける輪郭がはっきりした時期である。金融機関の側から見ても、業務要件の整理から稼働後の運用までを同じ相手にまとめて任せられる取引先は、当時の国内市場では限られていた。

  • 野村総合研究所40年史(野村総合研究所)/有価証券報告書
    • [3]1988年1月に旧NRIと野村コンピュータシステムが合併し現在の野村総合研究所が発足した

合併直後は研究員とエンジニアという異質な人材を1つの会社に束ねるまでに時間がかかったが、証券・銀行向けの共同利用型システム、すなわち複数の金融機関が同一基盤を共同で使う仕組みを起点に、コンサルとITサービスを並走させる輪郭が固まった。野村證券グループの社内システムを請け負うインハウスSIerと、外部金融機関向けの共同利用型サービスを提供する独立ベンダーという2つの顔を同時に育てたのも合併直後の時期である。グループ内案件で磨かれた業務ノウハウが外部顧客向けサービスの土台になり、外部案件で得た運用規模がグループ内のコスト低減に戻ってくる。両者を別部隊に切り分けず同じ会社で回したことで、内外の案件が相互補完的に回る構造が定着した。後年の収益柱となる金融IT運用ビジネスの原型は、合併の数年で固まった。

  • 野村総合研究所40年史(野村総合研究所)/有価証券報告書
    • [3]1988年1月に旧NRIと野村コンピュータシステムが合併し現在の野村総合研究所が発足した

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野村総合研究所の沿革1965〜2024年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1965〜1987年シンクタンクとシステム会社の合流と二枚看板の形成野村電子計算センター設立
野村総合研究所設立★★
野村コンピュータシステム、「証券共同システム」を稼働★★
旧野村総合研究所がロンドン事務所を開設
野村コンピュータシステム、「STAR(証券業向け共同利用型システム)」を稼働★★
旧野村総合研究所が香港事務所を開設
旧野村総合研究所、経営コンサルティングサービスを開始
野村コンピュータシステム、セブン-イレブン・ジャパンの「新発注システム」を稼働★★
野村コンピュータシステムが野村システムサービスを設立
旧野村総合研究所がシンガポール事務所を開設
野村コンピュータシステムが日吉センター(後の日吉データセンター)を竣工
野村コンピュータシステムが「I-STAR」を稼働
1988〜2015年東証一部上場と金融IT運用ビジネスへの主軸化水口弘一旧野村総合研究所と野村コンピュータシステムの合併による現野村総合研究所の発足

1988年1月4日、旧野村総合研究所と野村コンピュータシステムが合併し、現在の野村総合研究所が発足した経営統合。法人格としては野村コンピュータシステムを存続会社とし、社名を野村総合研究所に統一した。産業界の課題を発見するコンサルティングの機能と、その解決に必要な情報システムを提供するITソリューションの機能を、一社に束ねる合併であった。

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★★★
水口弘一野村證券の「第三次オンラインシステム」を稼働
水口弘一イトーヨーカ堂のシステム運用アウトソーシングを開始
水口弘一「T-STAR(投信会社向け共同利用型システム)」を稼働
橋本昌三「千手(運用管理システム)」を発売
橋本昌三「BESTWAY(投信窓販システム)」を稼働
橋本昌三NRIセキュアテクノロジーズを設立
橋本昌三東京証券取引所一部に上場
藤沼彰久藤沼彰久が代表取締役社長に就任
藤沼彰久「STAR-Ⅳ(証券業向け共同利用型システム)」を稼働
藤沼彰久横浜第二データセンターを竣工
嶋本正野村證券に「THE STAR」を提供開始
嶋本正だいこう証券ビジネス・ケーシーエスを子会社化
2016〜2024年此本期、デジタル資本主義への自己再定義此本臣吾此本臣吾が代表取締役社長に就任
此本臣吾ASG Group Limited.を子会社化★★
此本臣吾SMS Management & Technology Limitedを子会社化
此本臣吾Core BTS, Inc.の持株会社であるConvergence Technologies, Inc.を子会社化★★
此本臣吾中期経営計画2025/NRI Group Vision 2030を発表
此本臣吾自己株式の取得・消却と資本効率を軸とする株主還元への転換

2023年4月27日、野村総合研究所は中期経営計画(2023-2025)とNRI Group Vision 2030を発表し、同日の取締役会で上限2,000万株・500億円の自己株式取得を決議した。2024年3月には13,370,131株を消却して発行済株式数を580,796,911株へ減らした。此本臣吾会長兼社長のもとで、資本効率と株主還元を経営目標の前面に据えた資本政策であった。

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★★★
柳澤花芽柳澤花芽が代表取締役社長に就任
出典・参考
  • 野村総合研究所 有価証券報告書【沿革】
  • 野村総合研究所40年史(野村総合研究所)/有価証券報告書

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