1965年、野村證券は調査部門を分離して野村総合研究所を設立した[1]。日本初の本格的な民間シンクタンクで、産業調査と経済予測を法人向けに提供する報告書ビジネスとして出発した。設立の狙いは2つある。1つは野村證券が顧客に提供する投資情報の母体を、証券会社本体ではなく別法人として持たせること。もう1つは証券会社の枠を超えて産業界に知識サービスを売る新事業を立ち上げることだった。当時の国内に欧米型の民間シンクタンクはまだ根付いておらず、証券会社が自らリサーチ専業の別会社を立ち上げる試み自体、業界の側から見ても先例の乏しい動きだった。
同じ時期に、証券業務の電算化を担う野村電子計算センター[2]、のちの野村コンピュータシステムも設立されている。前者は紙の知識を売り、後者は計算機の時間を売る。両社の顧客は野村證券グループを中心とする金融機関で重なっていたが、扱う商品もカルチャーも別物だった。研究員が多数を占める組織と、オペレータやプログラマが多数を占める組織とでは、評価制度も人材供給源も別系統であり、顧客と営業ルートを共有していても社内運営はほぼ独立して動いていた。当時の日本のIT業界はメーカー系SIerと銀行・証券の電算子会社が主流で、シンクタンクとシステム会社を同じグループに並べて持つ例は珍しく、後の合併を可能にする土台がここで偶然形作られていた。
1988年1月、旧NRIと野村コンピュータシステムが合併し、現在[3]の野村総合研究所が発足した。背景にあったのは、金融機関のシステム投資が拡大し、業務を深く理解した上で要件を定義できる存在が求められ始めた事情である。シンクタンク部隊が調査で見つけた業務課題を、システム部隊がそのまま受託して形にする。リサーチとSIを社内で連結する組織形態が、ここで成立した。報告書を売るだけでも計算機時間を売るだけでも届かない領域を、1社で一貫して引き受ける輪郭がはっきりした時期である。金融機関の側から見ても、業務要件の整理から稼働後の運用までを同じ相手にまとめて任せられる取引先は、当時の国内市場では限られていた。
合併直後は研究員とエンジニアという異質な人材を1つの会社に束ねるまでに時間がかかったが、証券・銀行向けの共同利用型システム、すなわち複数の金融機関が同一基盤を共同で使う仕組みを起点に、コンサルとITサービスを並走させる輪郭が固まった。野村證券グループの社内システムを請け負うインハウスSIerと、外部金融機関向けの共同利用型サービスを提供する独立ベンダーという2つの顔を同時に育てたのも合併直後の時期である。グループ内案件で磨かれた業務ノウハウが外部顧客向けサービスの土台になり、外部案件で得た運用規模がグループ内のコスト低減に戻ってくる。両者を別部隊に切り分けず同じ会社で回したことで、内外の案件が相互補完的に回る構造が定着した。後年の収益柱となる金融IT運用ビジネスの原型は、合併の数年で固まった。
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|---|---|---|---|---|
| 1965〜1987年シンクタンクとシステム会社の合流と二枚看板の形成 | 野村電子計算センター設立 | ★ | ||
| 野村総合研究所設立 | ★★ | |||
| 野村コンピュータシステム、「証券共同システム」を稼働 | ★★ | |||
| 旧野村総合研究所がロンドン事務所を開設 | ★ | |||
| 野村コンピュータシステム、「STAR(証券業向け共同利用型システム)」を稼働 | ★★ | |||
| 旧野村総合研究所が香港事務所を開設 | ★ | |||
| 旧野村総合研究所、経営コンサルティングサービスを開始 | ★ | |||
| 野村コンピュータシステム、セブン-イレブン・ジャパンの「新発注システム」を稼働 | ★★ | |||
| 野村コンピュータシステムが野村システムサービスを設立 | ★ | |||
| 旧野村総合研究所がシンガポール事務所を開設 | ★ | |||
| 野村コンピュータシステムが日吉センター(後の日吉データセンター)を竣工 | ★ | |||
| 野村コンピュータシステムが「I-STAR」を稼働 | ★ | |||
| 1988〜2015年東証一部上場と金融IT運用ビジネスへの主軸化 | 水口弘一 | 旧野村総合研究所と野村コンピュータシステムの合併による現野村総合研究所の発足 1988年1月4日、旧野村総合研究所と野村コンピュータシステムが合併し、現在の野村総合研究所が発足した経営統合。法人格としては野村コンピュータシステムを存続会社とし、社名を野村総合研究所に統一した。産業界の課題を発見するコンサルティングの機能と、その解決に必要な情報システムを提供するITソリューションの機能を、一社に束ねる合併であった。 詳細を読む | ★★★ | |
| 水口弘一 | 野村證券の「第三次オンラインシステム」を稼働 | ★ | ||
| 水口弘一 | イトーヨーカ堂のシステム運用アウトソーシングを開始 | ★ | ||
| 水口弘一 | 「T-STAR(投信会社向け共同利用型システム)」を稼働 | ★ | ||
| 橋本昌三 | 「千手(運用管理システム)」を発売 | ★ | ||
| 橋本昌三 | 「BESTWAY(投信窓販システム)」を稼働 | ★ | ||
| 橋本昌三 | NRIセキュアテクノロジーズを設立 | ★ | ||
| 橋本昌三 | 東京証券取引所一部に上場 | ★ | ||
| 藤沼彰久 | 藤沼彰久が代表取締役社長に就任 | ★ | ||
| 藤沼彰久 | 「STAR-Ⅳ(証券業向け共同利用型システム)」を稼働 | ★ | ||
| 藤沼彰久 | 横浜第二データセンターを竣工 | ★ | ||
| 嶋本正 | 野村證券に「THE STAR」を提供開始 | ★ | ||
| 嶋本正 | だいこう証券ビジネス・ケーシーエスを子会社化 | ★ | ||
| 2016〜2024年此本期、デジタル資本主義への自己再定義 | 此本臣吾 | 此本臣吾が代表取締役社長に就任 | ★ | |
| 此本臣吾 | ASG Group Limited.を子会社化 | ★★ | ||
| 此本臣吾 | SMS Management & Technology Limitedを子会社化 | ★ | ||
| 此本臣吾 | Core BTS, Inc.の持株会社であるConvergence Technologies, Inc.を子会社化 | ★★ | ||
| 此本臣吾 | 中期経営計画2025/NRI Group Vision 2030を発表 | ★ | ||
| 此本臣吾 | 自己株式の取得・消却と資本効率を軸とする株主還元への転換 2023年4月27日、野村総合研究所は中期経営計画(2023-2025)とNRI Group Vision 2030を発表し、同日の取締役会で上限2,000万株・500億円の自己株式取得を決議した。2024年3月には13,370,131株を消却して発行済株式数を580,796,911株へ減らした。此本臣吾会長兼社長のもとで、資本効率と株主還元を経営目標の前面に据えた資本政策であった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 柳澤花芽 | 柳澤花芽が代表取締役社長に就任 | ★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(野村総合研究所)