野村総合研究所旧野村総合研究所と野村コンピュータシステムの合併による現野村総合研究所の発足

時期 1988年1月
意思決定者(推定) 取締役会
論点 シンクタンクとシステム事業の統合と事業モデル
概要
1988年1月4日、旧野村総合研究所と野村コンピュータシステムが合併し、現在の野村総合研究所が発足した経営統合。法人格としては野村コンピュータシステムを存続会社とし、社名を野村総合研究所に統一した。産業界の課題を発見するコンサルティングの機能と、その解決に必要な情報システムを提供するITソリューションの機能を、一社に束ねる合併であった。
背景
1965年設立の旧野村総合研究所(日本初の本格的な民間シンクタンク)と、1966年設立の野村電子計算センター(後の野村コンピュータシステム)は、顧客を野村證券グループと金融機関で重ねつつ、二十年あまりを別法人として歩んだ。金融機関のシステム投資が拡大し、業務を深く理解したうえで要件を定義できる相手が求められ始めていた。
内容
野村コンピュータシステムを存続会社として両社が合併し、社名を野村総合研究所へ統一した。調査部隊が見つけた課題を、システム部隊がそのまま受託して形にする一貫した流れを社内で結ぶことで、報告書だけでも計算機時間だけでも届かない領域を一社で引き受ける輪郭をつくった。
含意
野村コンピュータシステムが築いた共同利用型システムの金融IT基盤の上で、リサーチとITソリューションを一社で提供する独自の形が成立した。合併は、2001年の東証一部上場と、その後の長期にわたる増収増益の土台となっている。
筆者の見解

異質な二社を接続するということ

1988年の合併を、リサーチとITを組み合わせた先見的な統合とだけ読むのは、後からの筋書きに寄せすぎるとみられる。合併の時点で一つになったのは、顧客が野村證券グループと金融機関で重なるだけの、文化も人材も異なる二つの会社であった。紙の報告書を売る組織と計算機の時間を売る組織を同じ法人へ収めても、両者がかみ合う保証はどこにもない。実際、研究員と技術者を束ねるには時間がかかり、一社で一貫して引き受ける形が固まるのは、合併から数年を経た後のことであった。

もっとも、この合併が独自の位置を生んだのは、束ねたこと自体よりも、野村コンピュータシステムが先に共同利用型システムという金融ITの基盤を築いていたからだとみられる。調査で見つけた課題を、その基盤の上で自ら実装できたからこそ、報告書だけでも計算機時間だけでも届かない領域を一社で引き受けられた。二つの会社を一つにした1988年の判断は、派手な多角化ではなく、すでにグループ内に別々にあった機能を接続する動きであった。その地味な接続が、後の収益構造を支える骨格になったとみることができる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

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出典・参考
  • 野村総合研究所 有価証券報告書【沿革】
  • 野村総合研究所 有価証券報告書(連結財務諸表)
  • 野村総合研究所「沿革」(企業情報, https://www.nri.com/jp/company/history.html)
  • 野村総合研究所 NRI JOURNAL「NRI合併30周年――Quantumな飛躍に挑む」(2018年1月4日, https://www.nri.com/jp/media/journal/20180104.html)
  • 野村総合研究所40年史(野村総合研究所)

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