富士通の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

他社が作った規格に相乗りして国内で優位に立ち、作る側の事業を順に手放してきた。1974年5月、米アムダールへ出資して互換路線へ舵を切り、独自開発の道を捨てた。SE集団による営業と合わせ、1980年5月に国内売上で日本IBMを上回る。追い抜いた後は"脱IBM"を掲げてAIやパソコンの新市場へ攻め、汎用機・通信・半導体の3本柱を組んだ。3本が同時に揺らぐと判断は逆へ振れ、2000年代以降は半導体・携帯・PCを次々に手放していった。守ってきた基準は、自前で作ることではなく、顧客の現場に人を置いて使い続けてもらうことだった。

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