小林大祐

富士通・元取締役社長

Kobayashi Taiyu(敬称略)

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社長就任 1976年3月
生年月日 —
学歴 京都帝国大学工学部電気工学科
出自 —
社長就任までの出自
出自

富士通の取締役社長に就いたのは1976年3月である。その年の8月には、新婚旅行を中断して職場へ引き返す社員まで出る組織として紹介され、社員は"気違い集団"と称されつつ、世界的巨大企業のIBMと互角に渡り合う集団と評された。本人の地位は株式に支えられたものではなかった。1980年3月時点で上位に並んだのは富士電機製造21.38%、朝日生命保険9.36%、第一勧業銀行9.00%といった法人で、10位までに個人の名は無かった。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1976年3月、清宮博氏の後任として取締役社長へ就任した。就任前年度の1975年3月期は売上高2503億円・経常利益109億円で、経常利益は1971年3月期の250億円から4期続けて減っていた。1974年5月の米アムダールへの出資でIBM互換メインフレームの開発体制と販売網を得た直後にあたり、互換機を売り切る営業をつくる仕事が残っていた。

在任中の主な施策
施策

1980年5月には、富士通の国内売上がIBM日本法人を抜いたと報じられた。国際競争力を持つコンピューター産業を育てるという産業政策の柱が、仕上げの段階に入った出来事として関心を集めた。売り方の軸は価格でなくサポートに据えた。機械を使いこなして成果を出してもらうにはアフターサービスが肝心だとし、顧客の求めに応じてシステムエンジニアの集団をすぐ差し向けられる態勢を求めた。就任前年度に2503億円だった売上高は、1981年3月期に5816.78億円と2.3倍に伸びた。 IBM互換で国内首位に

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1935〜1987年
在任中の業績
就任前(FY74)2,503億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

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