- 創業
- 1935年6月、古河電気工業と独シーメンスの合弁だった富士電機製造が通信機部門を切り出し、富士通信機製造として発足した。個人の創業者を持たない会社であり、創業家出身の社長も一度も出ていない。1959年には古河鉱業の社長だった岡田完二郎氏が迎えられて10年トップに座り、親会社の古河が人を送り込んでいる。
- 登用
- 直近20年の社長6人はいずれも社内で育った生え抜きの昇格である。外から入った人が社長になった例は、逓信省の研究者から転じた清宮博氏の1974年まで半世紀さかのぼる。歩んだ畑はソフト・サービス、パソコン、営業、金融システムとばらけ、特定の事業部門が指定席を持つ会社ではないように見える。
- 任期
- 10年前後の長期政権は、電子計算機へ本腰を入れた岡田完二郎氏の10年と、国内首位を固めた山本卓眞氏の9年で途切れている。直近3代は5年、4年、そして時田隆仁氏が2019年6月から7年目と、中期経営計画を1本から2本走らせる長さに収まっている。
- 含意
- 2009年の社長交代は病気による辞任として発表され、半年後に本人が取消しを求めて争いになった。当時は指名委員会がなく、会長が社長を兼ねて収拾している。いまは取締役9名のうち6名が社外で議長も社外だが、委員会が出せるのは取締役会への答申までで、候補が社内から挙がる構図は変わっていないように見える。
1959〜1968年・10年/外部出身
1969〜1973年・5年/生え抜き
1974〜1974年・1年/外部出身
1975〜1979年・5年/生え抜き
1980〜1988年・9年/生え抜き
1989〜1996年・8年/生え抜き
1997〜2001年・5年/生え抜き
2002〜2006年・5年/生え抜き
2007〜2008年・2年/生え抜き
2009〜2009年・1年/生え抜き
2010〜2013年・4年/生え抜き
2014〜2017年・4年/生え抜き
時田隆仁現任
2018年〜現在・9年/生え抜き
時田隆仁
ときた たかひと
生え抜き(1988年入社)。金融分野のシステムエンジニアとして育ち、英ロンドン駐在で海外事業を率いた後に社長へ
田中達也
たなか たつや
生え抜き(1980年入社)。営業畑を歩み、Asiaリージョン長・執行役員副社長を経て社長へ
山本正已
やまもと まさみ
生え抜き(1976年入社)。OASYS・パソコン事業を歩み、執行役員副社長から社長へ
間塚道義
まづか みちよし
生え抜き(1968年富士通ファコム入社、1971年富士通へ転社)。代表取締役会長として、野副州旦氏の辞任にともない社長を兼務した
野副州旦
のぞえ くにあき
生え抜き(1971年入社)。米国駐在で日米コンピュータ貿易摩擦交渉を担当し、常務・副社長を経て社長へ
黒川博昭
くろかわ ひろあき
生え抜き(1967年入社)。ソフト・サービス事業推進本部を歩み、経営執行役副社長を経て社長へ
秋草直之
あきくさ なおゆき
生え抜き(1961年入社)。文系卒のシステムエンジニア第一号として入社し、取締役・常務・専務を経て社長へ
関澤義
せきざわ ただし
生え抜き(1954年入社)。営業推進部門を歩み、取締役・常務・専務を経て社長へ
山本卓眞
やまもと たくま
生え抜き(1949年入社)。コンピュータ開発に加わり、取締役・常務・専務を経て社長へ
小林大祐
こばやし たいゆう
生え抜き(1935年富士電機製造入社、同年7月に富士通信機製造へ転属)。電子部長・電算機本部次長とコンピュータ畑を歩み社長へ
清宮博
せいみや ひろし
外部出身(1955年入社)。逓信省電気試験所で光通信などの研究に携わり、1955年に富士通信機製造第一技術部長として迎えられた
高羅芳光
こうら よしみつ
生え抜き(1929年富士電機製造入社、1947年富士通信機製造へ転じる)。取締役・常務・専務・副社長を経て社長へ
岡田完二郎
おかだ かんじろう
外部出身(1959年入社)。古河鉱業社長・宇部興産副社長を経て古河グループの富士通信機製造に迎えられ、入社と同時に社長へ