富士ソフト の歴史

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創業 1970年
創業者 野澤宏
創業地 神奈川県横浜市
創業
1970年5月、野澤徹氏と野澤宏氏が神奈川県横浜市旭区に資本金3,000千円で富士ソフトウエア研究所を設立した。アルバイトを含む5〜6人で、オペレーターの派遣を中心とする二次・三次下請けから商売を始めている。1973年5月に社長へ就任した野澤宏氏は、時間あたりで人を出す契約を成果物の完成に責任を負う請け負いへ改めた。三菱電機の系列で総売上高の70%まで受注を積んだが、各メーカーが子会社政策を打ち出すと1社への集中は不利へ転じ、16ビットマイコン専業のソフトハウスとして富士通日本電気へ取引先を広げた。
決断
規模を作ったのは採用ではなく、会社ごとの取得だった。1996年10月にエービーシと合併して富士ソフトエービーシへ商号を変更し、2001年7月には100億円超の借入を抱えたダイエー情報システムを110億円で取得した。野澤宏会長は技術の確保と流通業への足がかり、両社のシステムエンジニアを合わせて1,000人になる規模を理由に挙げている。2006年7月に富士ソフトへ商号を戻し、サイバネットシステム、ヴィンクス、富士ソフトサービスビューロ、サイバーコムの4社は上場させたまま傘下に置いた。2024年8月、取締役会はKKR傘下FK株式会社による1株8,800円の公開買付けへ賛同した。取得した会社を上場させたまま抱え続け、のちに株主構成そのものを論点にされた。
現況
最終期の売上3,175億円のほぼ全部が、SI事業から出ている。2024年12月期の連結売上高は3,175億円、営業利益220億円、親会社株主に帰属する当期純利益211億円で、SI事業の売上高は3,000億円、ファシリティ事業は28億円だった。2014年12月期の1,485億円から10年で2.1倍になっている。2024年2月にはサイバネットシステム、ヴィンクス、富士ソフトサービスビューロ、サイバーコムの4社を完全子会社化し、東京証券取引所スタンダード市場から退かせた。4社を取り込み、非支配株主へ配分していた利益を親会社の株主へ移した。
競合
同業と分かれたのは受注の中身ではなく、事業所を自ら持つ財務である。2022年10月、筆頭株主の3D OPPORTUNITY MASTER FUNDは「自社オフィスを持つ経営」と「売上高偏重主義」が低資本効率の原因だと公表した。事業所の約半分は地価の安い時期に取得した自社ビルで、社員1人当たりの事業所費用が低いことを野澤宏社長は競争力として挙げていた。富士ソフトは直近5年の営業利益がCAGR13.9%だと反論しつつ、不動産検証WGを設置した。ROEは7%台にとどまっていた。同じファンドは日鉄ソリューションズでも10.10%を保有する第2位株主だが、日本製鉄が63.43%を握るため同じ手続きは通らない。自社ビルを競争優位と見た経営が、支配株主のいない会社を非公開化の対象へ変えた。
長期業績の推移 1987〜2025年
富士ソフト:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2002年3月期2024年12月期

創業ストーリー 三菱電機への70%依存を脱し、マイコン専業のソフト・ハウスへ (1970年〜)

三菱電機への70%依存を脱し、マイコン専業のソフト・ハウスへ

創業ストーリー(1)

アルバイトを含め5〜6人で始めた二次・三次下請け

1970年5月、野澤徹氏と野澤宏氏が株式会社富士ソフトウエア研究所を設立した[1]。資本金は3,000千円、本店は神奈川県横浜市旭区左近山1148番地[2]。発足当時の従業員はアルバイトを含めて5〜6人、年商は300万円程度にとどまった[3]。1972年ごろまでの主要業務は、オペレーターの派遣を中心とする二次下請け・三次下請けが占めた[4]。二次下請け・三次下請けは元請けの下で仕事を受ける立場を指し、富士ソフトウエア研究所は求められた人数のオペレーターを送り出した[5]。受注そのものは安定していた半面、利幅は薄かった[6]

  • 富士ソフト 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1970年5月、野澤徹と野澤宏が株式会社富士ソフトウエア研究所を設立した
    • [2]設立時の資本金は3,000千円、本店所在地は神奈川県横浜市旭区左近山1148番地
  • 証券アナリストジャーナル 1988年1月号(野澤宏・日本証券アナリスト協会企業分析部会講演)
    • [3]1970年の発足当時、従業員はアルバイトを含め5〜6人、年商300万円程度だった
    • [4]1972年ごろまでの主要業務はオペレーターの派遣を中心とする二次・三次下請けだった
    • [5]最初の1972年ごろまでの時期はオペレーターの派遣を中心とする二次、三次下請けが主要業務だった
    • [6]下請け中心の時期を「非常に安全だが、うまみも少なかった」と述べた

野澤宏氏は設立時に取締役として名を連ね、1973年5月に代表取締役社長へ就任した[7]。同じ1973年から1975年にかけて、富士ソフトウエア研究所はオペレーターの派遣をプログラマーの派遣へ切り替え、元請け化に挑んだ[8]。派遣はその後すべて請け負いに改め、時間あたりで人を出す契約から、成果物の完成に責任を負う契約へ移った[9]。発足時にアルバイトを含めて5〜6人だった従業員は、この時期に100人を超えた[10]。年商300万円で始めた富士ソフトウエア研究所の売上高は、1973年ごろから年率30〜40%で伸び、発展の節目もおおむね3年ごとに訪れた[11]

  • 富士ソフト 有価証券報告書【役員の状況】
    • [7]野澤宏は1970年5月に(株)富士ソフトウエア研究所取締役、1973年5月に代表取締役社長へ就任した
  • 証券アナリストジャーナル 1988年1月号(野澤宏・日本証券アナリスト協会企業分析部会講演)
    • [8]1973年から1975年にかけてプログラマーの派遣に切り替え元請け化に挑戦した
    • [9]派遣をすべて請け負いに切り替えた
    • [10]発足当時の従業員はアルバイトを含め5〜6人。1973年から1975年にかけて規模が膨らみ従業員数は100人を超えた
    • [11]発足当時の年商は300万円程度。1973年ごろから年率30〜40%の高成長を続け、発展の足どりは大体3年ごとが節目となっている
  • 富士ソフト 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1970年5月、野澤徹と野澤宏が株式会社富士ソフトウエア研究所を設立した
    • [2]設立時の資本金は3,000千円、本店所在地は神奈川県横浜市旭区左近山1148番地
  • 証券アナリストジャーナル 1988年1月号(野澤宏・日本証券アナリスト協会企業分析部会講演)
    • [3]1970年の発足当時、従業員はアルバイトを含め5〜6人、年商300万円程度だった
    • [4]1972年ごろまでの主要業務はオペレーターの派遣を中心とする二次・三次下請けだった
    • [5]最初の1972年ごろまでの時期はオペレーターの派遣を中心とする二次、三次下請けが主要業務だった
    • [6]下請け中心の時期を「非常に安全だが、うまみも少なかった」と述べた
    • [8]1973年から1975年にかけてプログラマーの派遣に切り替え元請け化に挑戦した
    • [9]派遣をすべて請け負いに切り替えた
    • [10]発足当時の従業員はアルバイトを含め5〜6人。1973年から1975年にかけて規模が膨らみ従業員数は100人を超えた
    • [11]発足当時の年商は300万円程度。1973年ごろから年率30〜40%の高成長を続け、発展の足どりは大体3年ごとが節目となっている
  • 富士ソフト 有価証券報告書【役員の状況】
    • [7]野澤宏は1970年5月に(株)富士ソフトウエア研究所取締役、1973年5月に代表取締役社長へ就任した
創業ストーリー(2)

三菱電機への受託集中と、子会社政策が招いた1社依存の是正

元請けに転じた富士ソフトウエア研究所が次に決めたのは、どのメーカーの系列に付くかであった[12]。当時、日本のコンピューター・メーカーはIBMに対抗する機種を開発するため三つの系列に分かれ、日本電気東芝が『エイコス』、日立と富士通が『Mシリーズ』、三菱電機と沖電気が『コスモシリーズ』を開発した[13]。富士ソフトウエア研究所は三菱電機と沖電気の組み合わせが一番良いとみて、三菱電機にアプローチし、受託化を進めた[14]野澤宏社長は、この時期を最も苦労した時期と振り返った[15]三菱電機からの受注はその後積み上がり、やがて総売上高の70%を占めるまでになった[16]

  • 証券アナリストジャーナル 1988年1月号(野澤宏・日本証券アナリスト協会企業分析部会講演)
    • [12]元請け化のあと、三系列のうち三菱・沖電気が一番良いとみて三菱電機へアプローチした
    • [13]日本のコンピューター・メーカーはIBM対抗機種の開発で三系列に分かれ、日電と東芝が「エイコス」、日立と富士通が「Mシリーズ」、三菱と沖電気が「コスモシリーズ」を開発した
    • [14]三菱・沖電気が一番良いとみて三菱電機にアプローチし受託化を進めた
    • [15]三菱電機への受託化を進めた時期を「一番苦労した時期である」と述べた
    • [16]総売上高の70%を三菱電機に依存していた

ところが各コンピューター・メーカーが子会社政策を打ち出し、三菱電機も子会社を多数設けたため、売上の7割を1社に預けた富士ソフトウエア研究所の立場は弱くなった[17]。そこで1社依存を改め、管理力と営業力を高めたうえで、富士通日本電気からも受注した[18]。取引先はその後も広がり、1987年12月時点の主な取引先は日本電気、富士ゼロックス、ピーエフユー、富士通ソニーなど、コンピューター・電機・通信機・事務機・音響機器のメーカーに及んだ[19]。時計やカメラを専業とする精密機械メーカー、メカトロニクスやマイクロエレクトロニクス関連企業との取引も増えた[20]

  • 証券アナリストジャーナル 1988年1月号(野澤宏・日本証券アナリスト協会企業分析部会講演)
    • [17]各メーカーが子会社政策を強化し、三菱電機も子会社を多数つくったため、総売上高の70%を三菱電機に依存していた立場が弱くなった
    • [18]1社依存を改めることとして管理力・営業力の強化を図り、富士通・日本電気などからも仕事を受けた
    • [19]1987年12月時点の主な取引先は日本電気、富士ゼロックス、ピーエフユー、富士通、ソニーなどコンピューター、電機、通信機、事務機、音響機器のメーカー
    • [20]時計・カメラを専業とする精密機械メーカーやメカトロニクス、マイクロエレクトロニクス関連企業との取引も増えた
  • 証券アナリストジャーナル 1988年1月号(野澤宏・日本証券アナリスト協会企業分析部会講演)
    • [12]元請け化のあと、三系列のうち三菱・沖電気が一番良いとみて三菱電機へアプローチした
    • [13]日本のコンピューター・メーカーはIBM対抗機種の開発で三系列に分かれ、日電と東芝が「エイコス」、日立と富士通が「Mシリーズ」、三菱と沖電気が「コスモシリーズ」を開発した
    • [14]三菱・沖電気が一番良いとみて三菱電機にアプローチし受託化を進めた
    • [15]三菱電機への受託化を進めた時期を「一番苦労した時期である」と述べた
    • [16]総売上高の70%を三菱電機に依存していた
    • [17]各メーカーが子会社政策を強化し、三菱電機も子会社を多数つくったため、総売上高の70%を三菱電機に依存していた立場が弱くなった
    • [18]1社依存を改めることとして管理力・営業力の強化を図り、富士通・日本電気などからも仕事を受けた
    • [19]1987年12月時点の主な取引先は日本電気、富士ゼロックス、ピーエフユー、富士通、ソニーなどコンピューター、電機、通信機、事務機、音響機器のメーカー
    • [20]時計・カメラを専業とする精密機械メーカーやメカトロニクス、マイクロエレクトロニクス関連企業との取引も増えた
創業ストーリー(3)

8ビットマイコンで転じたファーム・ウェア専業と店頭登録

8ビットのマイコンが出現すると、それまで4ビットのソフトを自分で書いていたハード屋(システム・ハウス)が手に負えなくなり、富士ソフトウエア研究所にその注文が入り始めた[21]。16ビットのマイコンが遠からずできるという情報も伝えられていたため、マイコンに特化したソフト・ハウスとして業務を組み立てると決めた[22]。受託商品だけでなく自社商品の開発にも進み、構造化プログラム開発支援ソフトウェア『COMPAL』、毛筆ワープロ、日本語処理パッケージ『SACK』を開発・販売した[23]。毛筆ワープロは富士ソフトウエアが元祖にあたる[24]

  • 証券アナリストジャーナル 1988年1月号(野澤宏・日本証券アナリスト協会企業分析部会講演)
    • [21]8ビットマイコンの出現で、4ビットのソフトを自分でやっていたハード屋(システム・ハウス)が手に負えなくなり注文が来るようになった
    • [22]16ビットマイコンが遠からずできるという情報から、マイコンに特化したソフト・ハウスとして業務を展開することとした
    • [23]受託商品だけでなく自社商品を開発することとし、構造化プログラム開発支援ソフトウェア「COMPAL」、毛筆ワープロ、日本語処理パッケージ「SACK」を開発・販売した
    • [24]毛筆ワープロは同社が元祖である

経営の基本理念には『サービスの原点はひのきから』[引用元]を掲げ、品質・納期・機密保持の三つを守るべきものとした[25]。顧客と社員の教育のため早くから教育部門を置き、インストラクター20人と15人程度の少人数教室4つを備えた[26]。実習を中心に最短1カ月をかける講習会と出張教育も行った[27]。マニュアル類や操作手引書の必要からソフトウェア開発の入門書・専門書の出版にも注力し、NTTと共同で『初級Ada』を出版した[28]。1987年12月時点の技術者資格は情報処理試験の1種が7人、2種が101人[29]。新規社員の採用数は1985年4月50人、1986年4月100人、1987年4月60人で、1988年4月は100人を予定した[30]

  • 証券アナリストジャーナル 1988年1月号(野澤宏・日本証券アナリスト協会企業分析部会講演)
    • [25]経営の基本理念として「サービスの原点はひのきから」を掲げ、「ひ」は品質、「の」は納期、「き」は機密保持を指す
    • [26]以前から教育部門を設置し、インストラクター20人、15人程度の少人数教室を四つ持つ
    • [27]実習を中心に最短1カ月をかける教育を行い、各種講習会の開催・出張教育も実施した
    • [28]ソフトウェア開発関連の入門書・専門書の出版に取り組み、NTTと共同で「初級Ada」を出版した
    • [29]技術者の資格は情報処理試験1種が7人、2種が101人
    • [30]新規社員採用数は1985年4月50人、1986年4月100人、1987年4月60人、1988年4月は100人を予定

受注先を広げた富士ソフトウエア研究所は、1984年からの4年間で社名と本社と株式の売買の場を順に改めた[31]。1984年4月、事業の規模拡大に伴い富士ソフトウエア株式会社へ商号を変更[32]。1985年5月には本社新社屋の完成により本社を神奈川県鎌倉市岡本960番地1へ移し、旧本社を芝浦事務所に改称した[33]。1987年12月、日本証券業協会に株式を店頭売買銘柄として登録[34]。これを機とする増資で資本金は9億4,910万円、従業員数は約700人となった[35]。1988年3月期は売上高45億8,000万円、営業利益5億4,500万円、経常利益5億円、当期利益2億4,500万円を見込んだ[36]。前期が減益に転じたのは、急激な円高で輸出関連・半導体関連・ハイテク関連の主要取引先が打撃を受け、受注が減って稼働率が一時的に下がったことによる[37]

  • 富士ソフト 有価証券報告書【沿革】
    • [31]1984年4月に商号変更、1985年5月に本社移転、1987年12月に株式を店頭売買銘柄として登録
    • [32]1984年4月、事業の規模拡大に伴い富士ソフトウエア株式会社に商号変更
    • [33]1985年5月、本社新社屋完成により神奈川県鎌倉市岡本960番地1へ本社移転、旧本社は芝浦事務所に改称
    • [34]1987年12月、日本証券業協会に株式を店頭売買銘柄として登録
  • 証券アナリストジャーナル 1988年1月号(野澤宏・日本証券アナリスト協会企業分析部会講演)
    • [35]1987年12月1日の店頭登録を機とする増資で資本金9億4,910万円、従業員数は約700人
    • [36]1988年3月期は売上高45億8,000万円、営業利益5億4,500万円、経常利益5億円、当期利益2億4,500万円を見込む(1987年12月16日の講演時点の見込み)
    • [37]前期の減益は急激な円高で輸出関連・半導体関連・ハイテク関連の取引先が打撃を受け、受注が減って一時的に稼働率が低下したことが主因
  • 証券アナリストジャーナル 1988年1月号(野澤宏・日本証券アナリスト協会企業分析部会講演)
    • [21]8ビットマイコンの出現で、4ビットのソフトを自分でやっていたハード屋(システム・ハウス)が手に負えなくなり注文が来るようになった
    • [22]16ビットマイコンが遠からずできるという情報から、マイコンに特化したソフト・ハウスとして業務を展開することとした
    • [23]受託商品だけでなく自社商品を開発することとし、構造化プログラム開発支援ソフトウェア「COMPAL」、毛筆ワープロ、日本語処理パッケージ「SACK」を開発・販売した
    • [24]毛筆ワープロは同社が元祖である
    • [25]経営の基本理念として「サービスの原点はひのきから」を掲げ、「ひ」は品質、「の」は納期、「き」は機密保持を指す
    • [26]以前から教育部門を設置し、インストラクター20人、15人程度の少人数教室を四つ持つ
    • [27]実習を中心に最短1カ月をかける教育を行い、各種講習会の開催・出張教育も実施した
    • [28]ソフトウェア開発関連の入門書・専門書の出版に取り組み、NTTと共同で「初級Ada」を出版した
    • [29]技術者の資格は情報処理試験1種が7人、2種が101人
    • [30]新規社員採用数は1985年4月50人、1986年4月100人、1987年4月60人、1988年4月は100人を予定
    • [35]1987年12月1日の店頭登録を機とする増資で資本金9億4,910万円、従業員数は約700人
    • [36]1988年3月期は売上高45億8,000万円、営業利益5億4,500万円、経常利益5億円、当期利益2億4,500万円を見込む(1987年12月16日の講演時点の見込み)
    • [37]前期の減益は急激な円高で輸出関連・半導体関連・ハイテク関連の取引先が打撃を受け、受注が減って一時的に稼働率が低下したことが主因
  • 富士ソフト 有価証券報告書【沿革】
    • [31]1984年4月に商号変更、1985年5月に本社移転、1987年12月に株式を店頭売買銘柄として登録
    • [32]1984年4月、事業の規模拡大に伴い富士ソフトウエア株式会社に商号変更
    • [33]1985年5月、本社新社屋完成により神奈川県鎌倉市岡本960番地1へ本社移転、旧本社は芝浦事務所に改称
    • [34]1987年12月、日本証券業協会に株式を店頭売買銘柄として登録

東証二部上場と自前の教育、富士ソフトエービーシへの改称

創業ストーリー(4)

東証二部上場と日本語ワープロの受託

富士ソフトウエアは1992年10月1日、東京証券取引所市場第二部に株式を上場した[38]。1987年12月に日本証券業協会へ株式を店頭売買銘柄として登録してから、5年が経っていた[39]。売上高は過去20数年間にわたって年平均30%で伸び、利益率も1割ぐらいを確保してきた[40]。1987年の株式店頭公開時に36億円だった売上高は、1992年時点でその3倍強に達した[41]野澤宏社長は、この伸びと1株当たり利益50円をあわせた『3150』を経営の指標に掲げた[42]。1992年11月18日に日本証券アナリスト協会で行った講演では、東京証券取引所市場第一部への上場を次の目標に挙げた[43]

  • 富士ソフト 有価証券報告書【沿革】
    • [38]1992年10月、東京証券取引所市場第二部に株式を上場。講演では『去る10月1日に東証第2部に上場させていただいた』
    • [39]1987年12月、(社)日本証券業協会に株式を店頭売買銘柄として登録
  • 証券アナリストジャーナル 1992年12月号(野澤宏・日本証券アナリスト協会講演)
    • [40]業績は過去20数年間、順調に推移し、売上高は年平均30%で伸び、利益率も1割ぐらいを確保してきた
    • [41]昭和62年の株式店頭公開時の売上高36億円に比べ、現在(1992年)はその3倍強
    • [42]1株当たり利益50円をクリアしていこうということで、「3150」を当社の経営の指標としている
    • [43]株式の東証一部上場をめざして頑張っていく考えである(平成4年11月18日・東京での講演)

1992年3月期の実績では、取引先の中心を占めたコンピュータメーカーのうち富士通が首位で、日本電気、富士ゼロックス、三菱電機、日本ユニシス、ソニーが続いた[44]。そのほか通信機器、事務機器、家電、精密機械、工作機械の各メーカーも取引相手に並んだ[45]。同業にはメーカーとの系列が固定した会社が多かったなかで、富士ソフトウエアはマイクロコンピュータを中心に受託してきたため、複数のメーカーと幅広く付き合えた[46]。業界での順位はソフトウエア開発で第16位、パソコンソフトでは第2位、1位との売上高の差は約100万円で、世界では第13位に位置した[47]

  • 証券アナリストジャーナル 1992年12月号(野澤宏・日本証券アナリスト協会講演)
    • [44]当社の顧客は平成4年3月期の実績でトップが富士通、次に日本電気、富士ゼロックス、三菱電機、日本ユニシス、ソニー
    • [45]そのほか通信機器、事務機器、家電、精密機械、工作機械などのメーカーが取引相手である
    • [46]同業にはメーカーとの系列が固定化されているものが多いが、当社はマイコン中心にやってきたので、いろんなメーカーとの幅広いつきあいが可能となっている
    • [47]業界における当社の順位は、ソフトウエア開発で第16位、パソコンソフトでみると第2位(1位との売上高の差は約100万円)、世界で第13位

マイコンのソフトウエア開発のうち最も得意としたのは、ワープロに代表される日本語処理にあった[48]富士通日本電気シャープをはじめ、日本で販売されている日本語ワープロの全部あるいは一部をほとんど受託した[49]。複写機関係にも強く、複写機の高級化とデジタル化、多機能化でソフトウエアの需要が増えた[50]。不況で顧客が経営を引き締め受注に響いたため、顧客に頼らず自力で伸びるべく自立製品の開発にも人を割いた[51]。1986年発売の毛筆ワープロは5万5,000本、WindowsとOS/2向けのc-FONTパックは1年足らずで約6,000本、COMPAL/Cプログラマーズ・キットは年間累計1,800本ぐらいを売った[52]。それでも売上高構成比はシステム開発の受注が約95%で、自立製品・教育・出版などは約5%にとどまった[53]

  • 証券アナリストジャーナル 1992年12月号(野澤宏・日本証券アナリスト協会講演)
    • [48]当社はマイコンに関するソフトウエア開発のうち、ワープロに代表される日本語処理が最も得意としている分野だ
    • [49]富士通、日本電気、シャープをはじめとして、日本で販売されている日本語ワープロの全部あるいは一部を当社がほとんどやらせてもらっている
    • [50]当社は複写機関係にも非常に強い。最近は複写機も非常に高級化し、デジタル化、多機能化が進んで、ソフトウエアの需要が強くなってきた
    • [51]このところの不況で、当社の顧客にも経営を引き締めているものが多い。それが当社の受注にも影響してきたので、顧客に頼らず、自分の力で発展を図るべく、当社は自立製品の開発にも力を入れている
    • [52]毛筆ワープロは昭和61年に発売してから5万5,000本、c-FONTパックは1年足らずの間に約6,000本、COMPAL/Cプログラマーズ・キットは年間累計で1,800本ぐらい
    • [53]当社の売上高構成比は、システム開発の受注が約95%、その他が自立製品、教育、出版などを合わせて約5%
  • 富士ソフト 有価証券報告書【沿革】
    • [38]1992年10月、東京証券取引所市場第二部に株式を上場。講演では『去る10月1日に東証第2部に上場させていただいた』
    • [39]1987年12月、(社)日本証券業協会に株式を店頭売買銘柄として登録
  • 証券アナリストジャーナル 1992年12月号(野澤宏・日本証券アナリスト協会講演)
    • [40]業績は過去20数年間、順調に推移し、売上高は年平均30%で伸び、利益率も1割ぐらいを確保してきた
    • [41]昭和62年の株式店頭公開時の売上高36億円に比べ、現在(1992年)はその3倍強
    • [42]1株当たり利益50円をクリアしていこうということで、「3150」を当社の経営の指標としている
    • [43]株式の東証一部上場をめざして頑張っていく考えである(平成4年11月18日・東京での講演)
    • [44]当社の顧客は平成4年3月期の実績でトップが富士通、次に日本電気、富士ゼロックス、三菱電機、日本ユニシス、ソニー
    • [45]そのほか通信機器、事務機器、家電、精密機械、工作機械などのメーカーが取引相手である
    • [46]同業にはメーカーとの系列が固定化されているものが多いが、当社はマイコン中心にやってきたので、いろんなメーカーとの幅広いつきあいが可能となっている
    • [47]業界における当社の順位は、ソフトウエア開発で第16位、パソコンソフトでみると第2位(1位との売上高の差は約100万円)、世界で第13位
    • [48]当社はマイコンに関するソフトウエア開発のうち、ワープロに代表される日本語処理が最も得意としている分野だ
    • [49]富士通、日本電気、シャープをはじめとして、日本で販売されている日本語ワープロの全部あるいは一部を当社がほとんどやらせてもらっている
    • [50]当社は複写機関係にも非常に強い。最近は複写機も非常に高級化し、デジタル化、多機能化が進んで、ソフトウエアの需要が強くなってきた
    • [51]このところの不況で、当社の顧客にも経営を引き締めているものが多い。それが当社の受注にも影響してきたので、顧客に頼らず、自分の力で発展を図るべく、当社は自立製品の開発にも力を入れている
    • [52]毛筆ワープロは昭和61年に発売してから5万5,000本、c-FONTパックは1年足らずの間に約6,000本、COMPAL/Cプログラマーズ・キットは年間累計で1,800本ぐらい
    • [53]当社の売上高構成比は、システム開発の受注が約95%、その他が自立製品、教育、出版などを合わせて約5%
創業ストーリー(5)

自社ビルの購入と新入社員のパソコン自作コンテスト

本社は神奈川県鎌倉市に置き、ほかに三田事務所、芝浦事務所、横浜事務所、品川教育センターを構え、事業所を東京、鎌倉、厚木、八王子、我孫子、名古屋、大阪、大宮に持った[54]。この約半分は地価が非常に安い時期に購入した自社ビルであり、社員1人当たりの事業所費用が極めて低いことを、野澤宏社長は競争力を強めるポイントに挙げた[55]。本社の新社屋は1985年5月に神奈川県鎌倉市岡本で完成し、旧本社は芝浦事務所へ改称していた[56]。ソフトウエア技術者の教育も自社の事業として営んだ[57]。WindowsやUNIX、OS/2という次世代OSの受講者を送り出すため『マイクロソフトユニバーシティ』と『パワフルセミナ』を開設し、インテル社とも提携してマイコンの教育を独占的に実施した[58]

  • 証券アナリストジャーナル 1992年12月号(野澤宏・日本証券アナリスト協会講演)
    • [54]事業の拠点として、神奈川県鎌倉市に所在する本社のほか、三田事務所、芝浦事務所、横浜事務所、品川教育センターと、事業所を東京、鎌倉、厚木、八王子、我孫子、名古屋、大阪、大宮に展開している
    • [55]これらの約半分は地価が非常に安い時期に購入した自社ビルであり、社員1人当たりの事業所費用が極めて低いことも、当社の競争力を強めている大きなポイントだ
    • [57]このほか、ソフトウエア技術者の教育事業、最新のソフトウエア技術に関する解説書等の出版事業も手掛けている
    • [58]Windows、UNIX、OS/2という次世代OSを多くの人に理解し使いこなしてもらうため、当社は「マイクロソフトユニバーシティ」と「パワフルセミナ」を開設。マイコンでは世界で最強のインテル社とも提携し、そのマイコンの教育も独占的にやらせてもらっている
  • 富士ソフト 有価証券報告書【沿革】
    • [56]1985年5月、本社新社屋完成、本社移転(神奈川県鎌倉市岡本960番地1)、旧本社は芝浦事務所に改称

富士ソフトウエアは1994年度に入社した新入社員約100名に『DOS/Vパソコン制作コンテスト』[引用元]を課した[59]。5月中旬の配属後に各部署で3〜5名程度のチームを組み、そこへ先輩社員が支援役として加わった[60]。出展条件は3つ置いた。CRT・キーボード・マウスをすべて含めて1台30万円を超えず中古部品も使わないこと、部品と本体ケースの調達を新入社員が行うこと、LANに接続してMS Windowsが快適に動作すること[61]。1994年6月1日から6月30日までの1カ月を製作期間とし、7月12日に審査を行った[62]。狙いは、机上の研修になりがちな新入社員教育を実践で補うことにあった[63]。取締役企画管理部長の生嶋滋実氏は、先輩と一緒に製作すればグループの意思疎通が進み、部品を買い集めれば商品知識や金銭感覚も身につくと述べた[64]

  • Omni-management(NOMA経営情報誌)1995年「(ケース3)富士ソフトウェア――"パソコンを自分で作る"実践教育で多大な成果」(編集部)
    • [59]昨年度(1994年度)入社の新入社員を対象に「DOS/Vパソコン制作コンテスト」を実施。昨年度、富士ソフトウェアに入社したのは約100名
    • [60]5月中旬に配属が行われた後、各部署ごとに3〜5名程度のチームが編成された。このチームに、先輩社員が加わり、支援するかたちをとった
    • [61]出展条件は三つ。CRT、キーボード、マウスなどをすべて含み1台当たりの費用が30万円を超えないこと、ただし中古部品は使用しないこと。部品および本体ケースの調達は新入社員が行うこと。LANに接続でき、MS Windowsが快適に動作するための諸条件を満たすこと
    • [62]昨年6月1日〜6月30日の1カ月間をパソコンの製作期間とし、7月12日には社外の人間も審査委員として加わり、審査を行うというもの
    • [63]通常、4月に入社した社員は1カ月半の研修を行っているが、机上のものになりがち。「その点、実践はいいですね」(取締役企画管理部長・生嶋滋実氏)
    • [64]「先輩と一緒にパソコンを製作すれば、自然とグループのコミュニケーションが進む。部品を部品屋で集めようとすれば、商品知識や金銭感覚も身につきます」(取締役企画管理部長・生嶋滋実氏)

完成したパソコンは約30機に上った[65]。本審査には役員6名に加え、社外審査委員としてマイクロソフト会長の古川享氏、日本アドバンス・テクノロジー常務の松本元吉氏、日本アイ・デー・ジー・コミュニケーションズ編集長の松浦義幹氏、ユント代表取締役の田中亘氏が参加した[66]。金賞は営業部の『Terminachan(ターミネーチャン)』[引用元]が受けた[67]。コンテストの費用は1,000万円弱で、製作したパソコンはすべて社内で使った[68]。採用では、同業他社が不況で手控えるなかでも毎年120人前後をコンスタントに採り、大学院・大学・高専・専門学校からバランスよく、全国におおむね一校一人ずつ振り分けて採った[69]

  • Omni-management(NOMA経営情報誌)1995年「(ケース3)富士ソフトウェア――"パソコンを自分で作る"実践教育で多大な成果」(編集部)
    • [65]こうして完成したパソコンは約30機
    • [66]本審査は7月12日に行われた。役員6名に加え、社外審査委員としてマイクロソフト会長の古川享氏、日本アドバンス・テクノロジー常務の松本元吉氏、日本アイ・デー・ジー・コミュニケーションズ編集長の松浦義幹氏、ユント代表取締役の田中亘氏が参加した
    • [67]見事金賞に輝いたのは、営業部の「Terminachan(ターミネーチャン)」と名づけられたマシン
    • [68]昨年のDOS/Vパソコンコンテストの費用は1,000万円弱。しかも、製作したパソコンはすべて社内で使っている
    • [69]富士ソフトウェアでは、同業他社が不況で採用を手控えているときに、毎年120人前後、コンスタントに新人を採用してきた。大学院、大学、高専、専門学校からバランスよく採用するだけでなく、全国的に振り分け、だいたい一校一人くらい採用するようにしている
  • 証券アナリストジャーナル 1992年12月号(野澤宏・日本証券アナリスト協会講演)
    • [54]事業の拠点として、神奈川県鎌倉市に所在する本社のほか、三田事務所、芝浦事務所、横浜事務所、品川教育センターと、事業所を東京、鎌倉、厚木、八王子、我孫子、名古屋、大阪、大宮に展開している
    • [55]これらの約半分は地価が非常に安い時期に購入した自社ビルであり、社員1人当たりの事業所費用が極めて低いことも、当社の競争力を強めている大きなポイントだ
    • [57]このほか、ソフトウエア技術者の教育事業、最新のソフトウエア技術に関する解説書等の出版事業も手掛けている
    • [58]Windows、UNIX、OS/2という次世代OSを多くの人に理解し使いこなしてもらうため、当社は「マイクロソフトユニバーシティ」と「パワフルセミナ」を開設。マイコンでは世界で最強のインテル社とも提携し、そのマイコンの教育も独占的にやらせてもらっている
  • 富士ソフト 有価証券報告書【沿革】
    • [56]1985年5月、本社新社屋完成、本社移転(神奈川県鎌倉市岡本960番地1)、旧本社は芝浦事務所に改称
  • Omni-management(NOMA経営情報誌)1995年「(ケース3)富士ソフトウェア――"パソコンを自分で作る"実践教育で多大な成果」(編集部)
    • [59]昨年度(1994年度)入社の新入社員を対象に「DOS/Vパソコン制作コンテスト」を実施。昨年度、富士ソフトウェアに入社したのは約100名
    • [60]5月中旬に配属が行われた後、各部署ごとに3〜5名程度のチームが編成された。このチームに、先輩社員が加わり、支援するかたちをとった
    • [61]出展条件は三つ。CRT、キーボード、マウスなどをすべて含み1台当たりの費用が30万円を超えないこと、ただし中古部品は使用しないこと。部品および本体ケースの調達は新入社員が行うこと。LANに接続でき、MS Windowsが快適に動作するための諸条件を満たすこと
    • [62]昨年6月1日〜6月30日の1カ月間をパソコンの製作期間とし、7月12日には社外の人間も審査委員として加わり、審査を行うというもの
    • [63]通常、4月に入社した社員は1カ月半の研修を行っているが、机上のものになりがち。「その点、実践はいいですね」(取締役企画管理部長・生嶋滋実氏)
    • [64]「先輩と一緒にパソコンを製作すれば、自然とグループのコミュニケーションが進む。部品を部品屋で集めようとすれば、商品知識や金銭感覚も身につきます」(取締役企画管理部長・生嶋滋実氏)
    • [65]こうして完成したパソコンは約30機
    • [66]本審査は7月12日に行われた。役員6名に加え、社外審査委員としてマイクロソフト会長の古川享氏、日本アドバンス・テクノロジー常務の松本元吉氏、日本アイ・デー・ジー・コミュニケーションズ編集長の松浦義幹氏、ユント代表取締役の田中亘氏が参加した
    • [67]見事金賞に輝いたのは、営業部の「Terminachan(ターミネーチャン)」と名づけられたマシン
    • [68]昨年のDOS/Vパソコンコンテストの費用は1,000万円弱。しかも、製作したパソコンはすべて社内で使っている
    • [69]富士ソフトウェアでは、同業他社が不況で採用を手控えているときに、毎年120人前後、コンスタントに新人を採用してきた。大学院、大学、高専、専門学校からバランスよく採用するだけでなく、全国的に振り分け、だいたい一校一人くらい採用するようにしている
創業ストーリー(6)

テレビ会議の導入とエービーシとの合併

1995年2月下旬、東京、横浜、名古屋、大阪の各事業所にテレビ会議システムを入れた[70]。導入の理由は効率化の阻害要因を取り除くことにあり、月2回の事業所長会議をはじめとする会議そのものと、会議に伴う移動時間を削ることを狙った[71]。採用したのは松下通信工業製のテレミート100で、3カ所同報機能を標準装備し、以前から使っていた音声会議システムと組み合わせて多地点での会議を行った[72]。会議資料はすべて電子化して参加者全員のパソコン上に提示し、そこで使う電子会議ソフトは自社で開発した[73]。本社だけで毎週10時間は使い、創立記念日の5月15日に行う1年間の優秀プロジェクトの表彰では、代表者がテレビ会議でプレゼンテーションを行って審査を受けた[74]

  • ビジネスコミュニケーション 1995年Vol.32 No.6「事例に学ぶTV会議の有効活用-2- 富士ソフトウェア(株)──TV会議と電子会議で効率化を徹底」(編集部)
    • [70]同社がテレビ会議システムを導入したのは'95年2月下旬である。東京、横浜、名古屋、大阪の各事業所に導入している
    • [71]テレビ会議システムの導入理由は「効率化の阻害要因を取り除くため」につきる。効率化の阻害要因とは、会議そのもの及び会議に伴う移動時間等のロスを指す。事業所長会議が月に2回ある
    • [72]同社が採用した松下通信工業製のテレミート100は、3カ所同報機能を標準装備している。従来から使用していた音声会議システムを組み合わせることによって多地点会議を可能としている
    • [73]同社の場合は会議資料をすべて電子化し、会議参加者全員のパソコン上に資料を提示している。使用されている電子会議ソフトは自社開発したものである
    • [74]本社だけでも毎週10時間は使用されている。同社では創立記念日の5月15日に1年間の優秀プロジェクトの表彰を行っている。今年はそれぞれのプロジェクトの代表者がテレビ会議を通してプレゼンテーションを行い審査を受けた

商号と傘下の顔ぶれは1995年から1996年にかけて変わった。1995年6月、事業の規模拡大に伴い富士ソフト株式会社へ商号を変更し、あわせて品質保証の国際規格であるISO9001の認証を取得した[75]。1996年9月には株式会社オーエー研究所を買収し、子会社に加えた[76]。同年10月、株式会社エービーシと合併し、富士ソフトエービーシ株式会社へ商号を変更した[77]。合併の相手となったエービーシは同業の独立系ソフトウエア会社で、両社が合併で合意したのは同年7月5日である[78]。同時に株式会社エービーシサービスビューロ(現富士ソフトサービスビューロ株式会社)を子会社とした[79]

  • 富士ソフト 有価証券報告書【沿革】
    • [75]1995年6月、事業の規模拡大に伴い富士ソフト株式会社に商号変更。ISO9001(品質保証の国際規格)認証取得
    • [76]1996年9月、株式会社オーエー研究所買収、当社子会社化
    • [77]1996年10月、株式会社エービーシと合併、富士ソフトエービーシ株式会社に商号変更
    • [79]1996年10月、株式会社エービーシサービスビューロ(現富士ソフトサービスビューロ株式会社)子会社化
    • [78]独立系ソフトウエア会社の富士ソフトが、同業のABCを合併することで合意した(1996年7月5日)
  • ビジネスコミュニケーション 1995年Vol.32 No.6「事例に学ぶTV会議の有効活用-2- 富士ソフトウェア(株)──TV会議と電子会議で効率化を徹底」(編集部)
    • [70]同社がテレビ会議システムを導入したのは'95年2月下旬である。東京、横浜、名古屋、大阪の各事業所に導入している
    • [71]テレビ会議システムの導入理由は「効率化の阻害要因を取り除くため」につきる。効率化の阻害要因とは、会議そのもの及び会議に伴う移動時間等のロスを指す。事業所長会議が月に2回ある
    • [72]同社が採用した松下通信工業製のテレミート100は、3カ所同報機能を標準装備している。従来から使用していた音声会議システムを組み合わせることによって多地点会議を可能としている
    • [73]同社の場合は会議資料をすべて電子化し、会議参加者全員のパソコン上に資料を提示している。使用されている電子会議ソフトは自社開発したものである
    • [74]本社だけでも毎週10時間は使用されている。同社では創立記念日の5月15日に1年間の優秀プロジェクトの表彰を行っている。今年はそれぞれのプロジェクトの代表者がテレビ会議を通してプレゼンテーションを行い審査を受けた
  • 富士ソフト 有価証券報告書【沿革】
    • [75]1995年6月、事業の規模拡大に伴い富士ソフト株式会社に商号変更。ISO9001(品質保証の国際規格)認証取得
    • [76]1996年9月、株式会社オーエー研究所買収、当社子会社化
    • [77]1996年10月、株式会社エービーシと合併、富士ソフトエービーシ株式会社に商号変更
    • [79]1996年10月、株式会社エービーシサービスビューロ(現富士ソフトサービスビューロ株式会社)子会社化
    • [78]独立系ソフトウエア会社の富士ソフトが、同業のABCを合併することで合意した(1996年7月5日)

110億円の買収で売上を5倍にし、3度試した後継指名

創業ストーリー(7)

開発会社の連続買収とサイバーコム発足、電子決済QQQ

富士ソフトエービーシは1997年1月にソフトウェア企画を、同年10月にケイアール企画(現富士ソフト企画)とネオスソフトを、1998年3月にネオテックを子会社にした[80]。買収した会社を別々に置かず、1998年10月にネオテックとネオスソフトを合併させ、サイバーコム株式会社を発足させた[81]。1998年8月にISO14001の認証を取得した[82]。翌9月には東京証券取引所市場第一部へ株式を指定替え[83]。1999年4月にはダイヤモンドコンピュータサービスとの合弁でダイヤモンド富士ソフトを設立し、同年10月にサイバネットシステムを買収して子会社に加えた[84]

  • 富士ソフト 有価証券報告書【沿革】
    • [80]1997年1月にソフトウェア企画、1997年10月にケイアール企画(現富士ソフト企画)およびネオスソフト、1998年3月にネオテックを子会社化
    • [81]1998年10月、ネオテック株式会社とネオスソフト株式会社が合併、サイバーコム株式会社に商号変更
    • [82]1998年8月 ISO14001(環境マネジメントシステムの国際規格)認証取得
    • [83]1998年9月 東京証券取引所市場第一部に株式指定替え
    • [84]1999年4月、ダイヤモンドコンピュータサービスとともに合弁会社ダイヤモンド富士ソフトを設立。1999年10月、サイバネットシステム株式会社を買収し子会社化
  • 富士ソフト 有価証券報告書【沿革】
    • [80]1997年1月にソフトウェア企画、1997年10月にケイアール企画(現富士ソフト企画)およびネオスソフト、1998年3月にネオテックを子会社化
    • [81]1998年10月、ネオテック株式会社とネオスソフト株式会社が合併、サイバーコム株式会社に商号変更
    • [82]1998年8月 ISO14001(環境マネジメントシステムの国際規格)認証取得
    • [83]1998年9月 東京証券取引所市場第一部に株式指定替え
    • [84]1999年4月、ダイヤモンドコンピュータサービスとともに合弁会社ダイヤモンド富士ソフトを設立。1999年10月、サイバネットシステム株式会社を買収し子会社化
創業ストーリー(8)

110億円のダイエー情報システム買収と子会社3社の上場

富士ソフトエービーシでは2003年8月の時点でNEC富士通日本IBMなど大手メーカーからの受託が売上の約7割を占め、エンドユーザーとの直接取引は約3割だった[85]

    • [85]2003年8月時点の売上構成は、NEC・富士通・日本IBMなど大手メーカーからの受託が約7割、エンドユーザーとの直接取引が約3割

同じ2002年3月、ソフトウェア企画・サイバーコム・ボスシステム・有明システムの4社を合併させ、新会社の商号をサイバーコムとした[86]

  • 富士ソフト 有価証券報告書【沿革】
    • [86]2002年3月、株式会社ソフトウェア企画、サイバーコム株式会社、ボスシステム株式会社、有明システム株式会社の4社が合併、新会社の商号はサイバーコム株式会社

買収した子会社は、相次いで株式市場へ上場した。2001年10月に子会社サイバネットシステムがジャスダックに上場し、2003年8月に東京証券取引所市場第二部、2004年9月には第一部へ株式を指定替えとなった[87]。2005年12月には子会社ヴィンキュラムジャパン(現ヴィンクス)が、2007年6月には子会社サイバーコムがジャスダックに上場した[88]。買収の手も止めず、2004年6月にしんわシステムサービスを、同年9月に東証コンピュータシステムを子会社に加えた[89]。本体は2004年4月に本社機能を神奈川県横浜市中区桜木町一丁目1番地へ移し[90]、2006年3月にISMS CMMI(Level3)の認証を取得したうえで、同年7月に富士ソフト株式会社へ商号を変更し[91]、翌2007年2月には富士ソフト秋葉原ビルが竣工した[92]

  • 富士ソフト 有価証券報告書【沿革】
    • [87]2001年10月 子会社サイバネットシステム株式会社ジャスダック上場、2003年8月 東京証券取引所市場第二部上場、2004年9月 東京証券取引所市場第一部に株式指定替え
    • [88]2005年12月 子会社ヴィンキュラムジャパン株式会社(現株式会社ヴィンクス)ジャスダック上場、2007年6月 子会社サイバーコム株式会社ジャスダック上場
    • [89]2004年6月 しんわシステムサービス株式会社買収、子会社化。2004年9月 株式会社東証コンピュータシステム買収、子会社化
    • [90]2004年4月 本社機能移転(神奈川県横浜市中区桜木町一丁目1番地)
    • [91]2006年3月 ISMS CMMI(Level3)認証取得、2006年7月 富士ソフト株式会社に商号変更
    • [92]2007年2月 富士ソフト秋葉原ビル(東京都千代田区神田練塀町3)竣工
    • [85]2003年8月時点の売上構成は、NEC・富士通・日本IBMなど大手メーカーからの受託が約7割、エンドユーザーとの直接取引が約3割
  • 富士ソフト 有価証券報告書【沿革】
    • [86]2002年3月、株式会社ソフトウェア企画、サイバーコム株式会社、ボスシステム株式会社、有明システム株式会社の4社が合併、新会社の商号はサイバーコム株式会社
    • [87]2001年10月 子会社サイバネットシステム株式会社ジャスダック上場、2003年8月 東京証券取引所市場第二部上場、2004年9月 東京証券取引所市場第一部に株式指定替え
    • [88]2005年12月 子会社ヴィンキュラムジャパン株式会社(現株式会社ヴィンクス)ジャスダック上場、2007年6月 子会社サイバーコム株式会社ジャスダック上場
    • [89]2004年6月 しんわシステムサービス株式会社買収、子会社化。2004年9月 株式会社東証コンピュータシステム買収、子会社化
    • [90]2004年4月 本社機能移転(神奈川県横浜市中区桜木町一丁目1番地)
    • [91]2006年3月 ISMS CMMI(Level3)認証取得、2006年7月 富士ソフト株式会社に商号変更
    • [92]2007年2月 富士ソフト秋葉原ビル(東京都千代田区神田練塀町3)竣工
創業ストーリー(9)

松倉哲・白石晴久・坂下智保へ渡した社長の座

野澤宏氏は1973年5月に代表取締役社長へ就き、28年後の2001年4月に代表取締役会長へ退いた[93]。2003年8月と2004年1月の時点で松倉哲氏が富士ソフトエービーシの社長を務めた[94]。2004年の経営方針は『三位一体』で、営業力の強化とソフトウェアの部品化、独自商材の拡充の3つが一体となってはじめて競争力が高まるとした[95]。中途採用を年100人規模から200人規模へ倍増し、研究開発費を2004年3月期の約10億円から2005年度は約15億円へ引き上げる計画も掲げた[96]野澤宏氏は2004年6月に代表取締役会長兼社長として社長職へ戻った[97]

  • 富士ソフト 有価証券報告書【役員の状況】
    • [93]野澤宏は1973年5月に代表取締役社長就任、2001年4月に代表取締役会長
    • [97]野澤宏は2004年6月に代表取締役会長兼社長
    • [94]2003年8月時点および2004年1月時点の富士ソフトABCの社長は松倉哲
    • [95]2004年の経営方針は「三位一体」=営業力の強化とソフトウェアの部品化、独自商材の拡充の3つが一体となってはじめて競争力が高まる
    • [96]中途採用を年100人規模から200人規模へ倍増、研究開発費を2004年3月期の約10億円から2005年度は約15億円へ

白石晴久氏は1974年4月に第一勧業銀行(現みずほ銀行)へ入行して2005年4月に常務取締役となった人物で、2008年6月に富士ソフトへ顧問として入社し、同月、代表取締役社長に就任した[98]白石晴久氏は2009年6月から代表取締役社長(COO)を務めた[99]。富士ソフトは同じ2009年6月に執行役員制度を導入し、2010年3月には台北支店を開いた[100]

  • 富士ソフト 有価証券報告書【役員の状況】
    • [98]白石晴久は1974年4月に株式会社第一勧業銀行(現株式会社みずほ銀行)入行、2005年4月に常務取締役。2008年6月に富士ソフト入社・顧問、同月 代表取締役社長就任
    • [99]白石晴久は2009年6月から代表取締役社長(COO)
  • 富士ソフト 有価証券報告書【沿革】
    • [100]2009年6月 執行役員制度導入、2010年3月 台北支店開設(台湾)

連結売上高は2006年3月期の1,795億円を頂点に、2007年3月期は1,696億円・営業利益94億円・当期純利益7億円へ落ちた[101]。2008年3月期は1,707億円・営業利益75億円、2009年3月期は1,651億円・営業利益73億円、2010年3月期は1,417億円・営業利益33億円、2011年3月期は1,347億円・営業利益38億円となった[102]坂下智保氏は1985年4月に野村コンピュータシステム(現野村総合研究所)へ入社し、2003年4月にナレッジシステム事業二部長を務めたのち、2004年4月に富士ソフトへ入社してアウトソーシング事業本部本部長補佐となり、2005年6月に取締役に就いた[103]。2011年9月に代表取締役専務、白石晴久氏が退任した同年10月に代表取締役社長へ就任した[104]

  • 富士ソフト 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】
    • [101]連結売上高は2006年3月期1,795億円・営業利益121億円、2007年3月期1,696億円・営業利益94億円・当期純利益7億円
    • [102]連結売上高は2008年3月期1,707億円・営業利益75億円、2009年3月期1,651億円・営業利益73億円、2010年3月期1,417億円・営業利益33億円、2011年3月期1,347億円・営業利益38億円
  • 富士ソフト 有価証券報告書【役員の状況】
    • [103]坂下智保は1985年4月に野村コンピュータシステム株式会社(現株式会社野村総合研究所)入社、2003年4月にナレッジシステム事業二部長、2004年4月に富士ソフト入社・アウトソーシング事業本部本部長補佐、2005年6月に取締役
    • [104]坂下智保は2011年9月に代表取締役専務、2011年10月に代表取締役社長。白石晴久は2011年10月に退任
  • 富士ソフト 有価証券報告書【役員の状況】
    • [93]野澤宏は1973年5月に代表取締役社長就任、2001年4月に代表取締役会長
    • [97]野澤宏は2004年6月に代表取締役会長兼社長
    • [98]白石晴久は1974年4月に株式会社第一勧業銀行(現株式会社みずほ銀行)入行、2005年4月に常務取締役。2008年6月に富士ソフト入社・顧問、同月 代表取締役社長就任
    • [99]白石晴久は2009年6月から代表取締役社長(COO)
    • [103]坂下智保は1985年4月に野村コンピュータシステム株式会社(現株式会社野村総合研究所)入社、2003年4月にナレッジシステム事業二部長、2004年4月に富士ソフト入社・アウトソーシング事業本部本部長補佐、2005年6月に取締役
    • [104]坂下智保は2011年9月に代表取締役専務、2011年10月に代表取締役社長。白石晴久は2011年10月に退任
    • [94]2003年8月時点および2004年1月時点の富士ソフトABCの社長は松倉哲
    • [95]2004年の経営方針は「三位一体」=営業力の強化とソフトウェアの部品化、独自商材の拡充の3つが一体となってはじめて競争力が高まる
    • [96]中途採用を年100人規模から200人規模へ倍増、研究開発費を2004年3月期の約10億円から2005年度は約15億円へ
  • 富士ソフト 有価証券報告書【沿革】
    • [100]2009年6月 執行役員制度導入、2010年3月 台北支店開設(台湾)
  • 富士ソフト 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】
    • [101]連結売上高は2006年3月期1,795億円・営業利益121億円、2007年3月期1,696億円・営業利益94億円・当期純利益7億円
    • [102]連結売上高は2008年3月期1,707億円・営業利益75億円、2009年3月期1,651億円・営業利益73億円、2010年3月期1,417億円・営業利益33億円、2011年3月期1,347億円・営業利益38億円

売上3,175億円と、KKRの1株9,850円による非公開化

創業ストーリー(10)

9カ月の第44期を挟み2,311億円へ伸びた連結売上高

2012年6月、創業者の野澤宏氏が代表取締役会長執行役員に就任した[105]坂下智保社長のもとで、富士ソフトは拠点と子会社の配置を組み替えた。2012年7月に大韓民国でソウル支店を開設し[106]、同年10月には子会社の富士ソフトサービスビューロと富士ソフトSSSを合併させた[107]。2013年4月には子会社ヴィンキュラム ジャパンとヴィクサスの合併により株式会社ヴィンクスが発足[108]。2014年2月に子会社の富士ソフト・ティッシュエンジニアリングを設立し[109]、同年4月には中国に子会社の富士軟件科技(山東)有限公司を加えた[110]

  • 富士ソフト 有価証券報告書【役員の状況】
    • [105]2012年6月、野澤宏が代表取締役会長執行役員に就任した
  • 富士ソフト 有価証券報告書【沿革】
    • [106]2012年7月、ソウル支店(大韓民国)を開設した
    • [107]2012年10月、子会社富士ソフトサービスビューロと富士ソフトSSSが合併した
    • [108]2013年4月、子会社ヴィンキュラム ジャパンと株式会社ヴィクサスが合併し、株式会社ヴィンクスに商号変更した
    • [109]2014年2月、子会社富士ソフト・ティッシュエンジニアリング株式会社を設立した
    • [110]2014年4月、子会社富士軟件科技(山東)有限公司を設立した

2013年、富士ソフトは3月決算から12月決算へ移行した[111]。移行にあたる2013年12月期(第44期)は4月から12月までの9カ月決算であり、連結売上高は1,054億円、営業利益は57億円、当期純利益は37億円だった[112]。12カ月あった前期の2013年3月期は連結売上高1,382億円、営業利益73億円、当期純利益40億円[113]。数字だけを並べれば減収減益に見えるが、比べている期間は9カ月と12カ月で異なる。12カ月に戻った2014年12月期は連結売上高1,485億円、営業利益83億円で、決算期を変える前の水準を上回った[114]

  • 富士ソフト 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】
    • [111]2013年に決算期を3月から12月へ変更した
    • [112]2013年12月期(第44期)は9カ月の変則決算で、連結売上高1,054億円、営業利益57億円、当期純利益37億円
    • [113]2013年3月期の連結売上高は1,382億円、営業利益は73億円、当期純利益は40億円
    • [114]2014年12月期の連結売上高は1,485億円、営業利益は83億円

2014年12月期から2019年12月期にかけて、連結売上高は1,485億円から2,311億円へ、営業利益は83億円から133億円へ増えた[115]。同じ時期、上場子会社の市場区分も変わった。サイバーコムは2016年4月に東証一部へ指定替えとなり[116]、ヴィンクスは2017年10月に東証一部へ株式指定替えを受け[117]、富士ソフトサービスビューロは2018年10月に東証二部へ市場変更した[118]野澤宏氏は2020年3月に取締役会長執行役員となり、2021年4月には取締役相談役へ退いた[119]。富士ソフトは2022年4月、東京証券取引所プライム市場へ移行した[120]

  • 富士ソフト 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】
    • [115]2014年12月期の連結売上高1,485億円・営業利益83億円、2019年12月期の連結売上高2,311億円・営業利益133億円
  • 富士ソフト 有価証券報告書【沿革】
    • [116]2016年4月、子会社サイバーコム株式会社が東京証券取引所市場第一部に株式指定替え
    • [117]2017年10月、子会社株式会社ヴィンクスが東京証券取引所市場第一部に株式指定替え
    • [118]2018年10月、子会社富士ソフトサービスビューロ株式会社が東京証券取引所市場第二部に市場変更
    • [120]2022年4月、東京証券取引所プライム市場へ移行した
  • 富士ソフト 有価証券報告書【役員の状況】
    • [119]2020年3月に野澤宏が取締役会長執行役員、2021年4月に取締役相談役となった
  • 富士ソフト 有価証券報告書【役員の状況】
    • [105]2012年6月、野澤宏が代表取締役会長執行役員に就任した
    • [119]2020年3月に野澤宏が取締役会長執行役員、2021年4月に取締役相談役となった
  • 富士ソフト 有価証券報告書【沿革】
    • [106]2012年7月、ソウル支店(大韓民国)を開設した
    • [107]2012年10月、子会社富士ソフトサービスビューロと富士ソフトSSSが合併した
    • [108]2013年4月、子会社ヴィンキュラム ジャパンと株式会社ヴィクサスが合併し、株式会社ヴィンクスに商号変更した
    • [109]2014年2月、子会社富士ソフト・ティッシュエンジニアリング株式会社を設立した
    • [110]2014年4月、子会社富士軟件科技(山東)有限公司を設立した
    • [116]2016年4月、子会社サイバーコム株式会社が東京証券取引所市場第一部に株式指定替え
    • [117]2017年10月、子会社株式会社ヴィンクスが東京証券取引所市場第一部に株式指定替え
    • [118]2018年10月、子会社富士ソフトサービスビューロ株式会社が東京証券取引所市場第二部に市場変更
    • [120]2022年4月、東京証券取引所プライム市場へ移行した
  • 富士ソフト 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】
    • [111]2013年に決算期を3月から12月へ変更した
    • [112]2013年12月期(第44期)は9カ月の変則決算で、連結売上高1,054億円、営業利益57億円、当期純利益37億円
    • [113]2013年3月期の連結売上高は1,382億円、営業利益は73億円、当期純利益は40億円
    • [114]2014年12月期の連結売上高は1,485億円、営業利益は83億円
    • [115]2014年12月期の連結売上高1,485億円・営業利益83億円、2019年12月期の連結売上高2,311億円・営業利益133億円
創業ストーリー(11)

自社オフィスを持つ経営を低資本効率と呼んだ筆頭株主

2022年8月22日付の書簡で、筆頭株主の3D OPPORTUNITY MASTER FUNDは、企業価値向上委員会を社外取締役のみで構成することなど4項目を、3日後の8月25日までに確約するよう富士ソフトへ求めた[121]。富士ソフトが確約は困難と答えると、3D OPPORTUNITY MASTER FUNDは8月31日、臨時株主総会の招集請求書を送付した[122]。同年3月には東京都港区で富士ソフト汐留ANNEXビルが竣工[123]。10月、3D OPPORTUNITY MASTER FUNDはプレゼンテーション資料を公表し、保有不動産を正面から論点に据えた[124]

    • [121]3Dは2022年8月22日付書簡で、企業価値向上委員会を社外取締役のみで構成することなど4項目を8月25日までに確約するよう要求した
    • [122]富士ソフトは確約は困難と回答し、3Dは2022年8月31日に臨時株主総会招集請求書を送付した
    • [124]3Dは2022年10月に公表したプレゼンテーション資料で、「自社オフィスを持つ経営」が低資本効率の原因になっていると主張した
  • 富士ソフト 有価証券報告書【沿革】
    • [123]2022年3月、富士ソフト汐留ANNEXビル(東京都港区東新橋2-16-2)が竣工した

プレゼンテーション資料で3D OPPORTUNITY MASTER FUNDが挙げたのは、『自社オフィスを持つ経営』と『売上高偏重主義』の2つである。いずれも富士ソフトの企業文化に深く根付いており、低資本効率の原因になっていると訴えた[125]。富士ソフトは11月7日に見解を公表し、資本効率を意識した中期経営計画を2022年2月に公表済みであると反論した[126]。あわせて直近5年間の営業利益はCAGR13.9%、売上高はCAGR8%で成長したと示し[127]、ROEは2018年12月期6.2%、2019年12月期7.2%、2020年12月期7.4%、2021年12月期7.5%と推移したと並べた[128]

    • [125]3Dは2022年10月公表のプレゼンテーション資料で、「自社オフィスを持つ経営」と「売上高偏重主義」が企業文化に深く根付いており低資本効率の原因になっていると主張した
    • [126]富士ソフトは2022年11月7日の見解で、2022年2月に資本効率を意識した中期経営計画を公表済みであると反論した
    • [127]直近5年間の営業利益はCAGR13.9%、売上高はCAGR8%で成長した
    • [128]ROEは2018年12月期6.2%、2019年12月期7.2%、2020年12月期7.4%、2021年12月期7.5%と推移した

見解では、3D OPPORTUNITY MASTER FUNDが引いた社内の言葉にも訂正を加えた。スローガン『3・1・50』の『1』は『経常利益10%増』ではなく『営業利益率10%確保』を指すこと[129]、社長交代の目安は『減収』ではなく『減収減益』であること[130]の2点である。そのうえで富士ソフトは、企業価値向上委員会の配下に不動産検証WGを設置し、保有の意義と資本効率の観点から再検証すると表明した[131]。1985年5月に神奈川県鎌倉市で完成した本社新社屋以来、自ら建てて自ら使ってきた建物が、検証の対象に入った[132]

    • [121]3Dは2022年8月22日付書簡で、企業価値向上委員会を社外取締役のみで構成することなど4項目を8月25日までに確約するよう要求した
    • [122]富士ソフトは確約は困難と回答し、3Dは2022年8月31日に臨時株主総会招集請求書を送付した
    • [124]3Dは2022年10月に公表したプレゼンテーション資料で、「自社オフィスを持つ経営」が低資本効率の原因になっていると主張した
    • [125]3Dは2022年10月公表のプレゼンテーション資料で、「自社オフィスを持つ経営」と「売上高偏重主義」が企業文化に深く根付いており低資本効率の原因になっていると主張した
    • [126]富士ソフトは2022年11月7日の見解で、2022年2月に資本効率を意識した中期経営計画を公表済みであると反論した
    • [127]直近5年間の営業利益はCAGR13.9%、売上高はCAGR8%で成長した
    • [128]ROEは2018年12月期6.2%、2019年12月期7.2%、2020年12月期7.4%、2021年12月期7.5%と推移した
    • [129]「3・1・50」の「1」は「経常利益10%増」ではなく「営業利益率10%確保」が正しいと訂正した
    • [130]社長交代の目安は「減収」ではなく「減収減益」であると訂正した
    • [131]企業価値向上委員会の配下に「不動産検証WG」を設置し、保有の意義と資本効率の観点から再検証すると表明した
  • 富士ソフト 有価証券報告書【沿革】
    • [123]2022年3月、富士ソフト汐留ANNEXビル(東京都港区東新橋2-16-2)が竣工した
    • [132]1985年5月、本社新社屋が完成し本社を神奈川県鎌倉市岡本960番地1へ移転した
創業ストーリー(12)

ベインとの争奪を経た1株9,850円での上場廃止

富士ソフトは2023年4月に子会社の富士ソフト・ティッシュエンジニアリングの全株式を売却し[133]、2024年2月にはサイバネットシステム、ヴィンクス、富士ソフトサービスビューロ、サイバーコムの上場子会社4社の完全子会社化を終えた[134]。買い付け総額は約5,600億円で、買付予定数の下限は議決権の3分の2にあたる42,142,900株、所有割合では66.64%に置かれた[135]。KKRは3D Investment PartnersおよびFarallonとの応募契約で、あらかじめ20,667,670株、所有割合32.68%を押さえていた[136]

  • 富士ソフト 有価証券報告書【沿革】
    • [133]2023年4月、子会社富士ソフト・ティッシュエンジニアリング株式会社の全株式を売却した
    • [134]2024年2月、上場子会社4社(サイバネットシステム、ヴィンクス、富士ソフトサービスビューロ、サイバーコム)を完全子会社化した
  • 富士ソフト/FK株式会社 適時開示 2024年8月8日「富士ソフト株式会社(証券コード:9749)に対する公開買付けの開始予定に関するお知らせ」
    • [135]買い付け総額は約5,600億円。買付予定数の下限は42,142,900株(所有割合66.64%)で、2024年6月30日現在の潜在株式勘案後株式総数に係る議決権の数632,382個に3分の2を乗じた数から算出した
    • [136]本応募契約に基づき応募予定の対象者株券等は合計20,667,670株、所有割合32.68%

非公開化の手続きと並行して決算は伸び、2024年12月期の連結売上高は3,175億円、営業利益は220億円、親会社株主に帰属する当期純利益は211億円に達した[137]。富士ソフト株は2025年5月16日、東京証券取引所プライム市場で上場廃止となった[138]

  • 富士ソフト 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】
    • [137]2024年12月期の連結売上高3,175億円・営業利益220億円・親会社株主に帰属する当期純利益211億円
  • 富士ソフト 適時開示(2025年5月16日 東京証券取引所プライム市場 上場廃止)
    • [138]2025年5月16日、東京証券取引所プライム市場の上場廃止
  • 富士ソフト 有価証券報告書【沿革】
    • [133]2023年4月、子会社富士ソフト・ティッシュエンジニアリング株式会社の全株式を売却した
    • [134]2024年2月、上場子会社4社(サイバネットシステム、ヴィンクス、富士ソフトサービスビューロ、サイバーコム)を完全子会社化した
  • 富士ソフト/FK株式会社 適時開示 2024年8月8日「富士ソフト株式会社(証券コード:9749)に対する公開買付けの開始予定に関するお知らせ」
    • [135]買い付け総額は約5,600億円。買付予定数の下限は42,142,900株(所有割合66.64%)で、2024年6月30日現在の潜在株式勘案後株式総数に係る議決権の数632,382個に3分の2を乗じた数から算出した
    • [136]本応募契約に基づき応募予定の対象者株券等は合計20,667,670株、所有割合32.68%
  • 富士ソフト 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】
    • [137]2024年12月期の連結売上高3,175億円・営業利益220億円・親会社株主に帰属する当期純利益211億円
  • 富士ソフト 適時開示(2025年5月16日 東京証券取引所プライム市場 上場廃止)
    • [138]2025年5月16日、東京証券取引所プライム市場の上場廃止

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沿革年表 1970〜2025年

富士ソフトの沿革1970〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1970〜1987年三菱電機への70%依存を脱し、マイコン専業のソフト・ハウスへ神奈川県横浜市に富士ソフトウエア研究所を設立★★★
野澤宏富士ソフトウエアに商号変更
野澤宏神奈川県鎌倉市に本社を移転★★
野澤宏日本証券業協会に株式を店頭売買銘柄として登録
1988〜1996年東証二部上場と自前の教育、富士ソフトエービーシへの改称野澤宏東京証券取引所市場第二部に上場
野澤宏富士ソフトに商号変更
野澤宏オーエー研究所を子会社化
野澤宏エービーシとの合併により富士ソフトエービーシに商号変更★★★
1997〜2011年110億円の買収で売上を5倍にし、3度試した後継指名野澤宏ケイアール企画(現富士ソフト企画)およびネオスソフトを子会社化
野澤宏ネオテックを子会社化
野澤宏東京証券取引所市場第一部に株式指定替え
野澤宏ネオテックとネオスソフトの合併によりサイバーコムが発足
野澤宏ダイヤモンドコンピュータサービスとの合弁でダイヤモンド富士ソフトを設立
野澤宏サイバネットシステムを子会社化★★
ダイエー情報システム(現ヴィンクス)を子会社化★★
子会社サイバネットシステムがジャスダックに上場
ソフトウェア企画・サイバーコムなど4社の合併によりサイバーコムが発足
マイカルシステムズ(現ヴィンクス)を子会社化
しんわシステムサービスを子会社化
東京証券取引所のシステム子会社TCSを子会社化★★
富士ソフトに商号変更★★
富士ソフト秋葉原ビルが竣工
白石晴久執行役員制度を導入
白石晴久台湾に台北支店を開設
2012〜2025年売上3,175億円と、KKRの1株9,850円による非公開化坂下智保大韓民国にソウル支店を開設
坂下智保子会社ヴィンキュラム ジャパンとヴィクサスの合併によりヴィンクスが発足
坂下智保中国に子会社富士軟件科技(山東)有限公司を設立
坂下智保東京証券取引所プライム市場に移行
坂下智保子会社富士ソフト・ティッシュエンジニアリングの全株式を売却
坂下智保上場子会社4社を完全子会社化★★
坂下智保KKR傘下FK株式会社による公開買付けへの賛同と、東証プライム市場からの上場廃止

2024年8月8日、富士ソフトの取締役会が、KKR傘下のFK株式会社による1株8,800円の公開買付けに賛同し、株主へ応募を推奨すると決議した経営判断。非公開化の提案は会社が募ったものではなく、筆頭株主の3D Investment Partnersが投資家を集めて回したプロセスから届いた。

詳細を読む
★★★
坂下智保ベインキャピタルによる対抗買収提案の表明★★
坂下智保KKRによる第1回株式公開買付けの成立★★
坂下智保ベインキャピタルの買収断念とKKRによる第2回株式公開買付けの成立★★
坂下智保東京証券取引所プライム市場の上場廃止★★★
出典・参考 13件
出典・参考
  • 富士ソフト 有価証券報告書【沿革】
  • 富士ソフト 有価証券報告書【役員の状況】
  • 富士ソフト 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】
  • 証券アナリストジャーナル 1988年1月号(野澤宏・日本証券アナリスト協会企業分析部会講演)
  • 証券アナリストジャーナル 1992年12月号(野澤宏・日本証券アナリスト協会講演)
  • 週刊BCN 2003年8月25日
  • 週刊BCN 2004年1月5日
  • Omni-management(NOMA経営情報誌)1995年「(ケース3)富士ソフトウェア――"パソコンを自分で作る"実践教育で多大な成果」(編集部)
  • ビジネスコミュニケーション 1995年Vol.32 No.6「事例に学ぶTV会議の有効活用-2- 富士ソフトウェア(株)──TV会議と電子会議で効率化を徹底」(編集部)
  • M&A Online 1996年7月5日
  • 富士ソフト 2022年11月7日「3D OPPORTUNITY MASTER FUND様が公表したプレゼンテーション資料についての当社の見解」
  • 富士ソフト/FK株式会社 適時開示 2024年8月8日「富士ソフト株式会社(証券コード:9749)に対する公開買付けの開始予定に関するお知らせ」
  • 富士ソフト 適時開示(2025年5月16日 東京証券取引所プライム市場 上場廃止)

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